2017年11月13日月曜日

前原正浩(国際卓球連盟副会長)       ・なぜ日本卓球は強くなったのか

前原正浩(国際卓球連盟副会長)    ・なぜ日本卓球は強くなったのか

リオデジャネイロオリンピックでは男子シングルスで、水谷隼選手が日本人で初めて個人種目のメダル、銅メダルを手にしたのを始め併せて3つのメダルを獲得、今年の世界選手権でも10代の選手を含む日本選手の活躍が目立っています。
何故日本の卓球が強くなってきたのか、国際卓球連盟副会長に伺いました。

小学生選手から良い教育、技術をしてゆくことが非常に大事だと思って2002年からそのようなことを始めたのが良かったのではないかと思います。
私は大学は明治大学で卓球を続けて、社会人では協和発酵でプレイをして、現役を退いてからは日本の代表監督、育成の立場に変わって行って、現在は日本卓球協会の副会長、国際卓球連盟副会長をしています。
現役時代は昭和56年に全日本選手権でシングルスとダブルスのチャンピオンになっています。
卓球は小学校4年の終わりごろから始めました。
1950~60年代は日本の卓球が強かった時代です。
本当に卓球をやりたいと思ったのは、小学校6年生の時にTVで全日本卓球選手権の決勝戦をやっていて、木村興治さん、長谷川 信彦さんの両者が卓球台を隔てて、二人が丁寧なお辞儀をしていて、こういうところで自分も全日本卓球選手権が出来る様な選手になりたいと思ったのがきっかけでした。

28歳のときに全日本卓球選手権のチャンピオンになりましたが、早い方では無かったです。
1981年の9月に国際大会があり、荻村さんが来られて、ミーティングがありました。
前原君は今回が最後のチャンスだと思ってくれと言われて、自分のプレイスタイルを変えないといけないと思って、両面にラバーを貼って、片面は回転のかかる、裏は回転のかからない同色のラバーを使って(当時は色の指定は無かった)、変化させる手法を使って全日本選手権で勝つことが出来ました。
1977年が初の世界選手権の出場で、1985年の時はプレイイングコーチでした。
その帰りの飛行機で荻村さんが、前原、監督をやらないかと言われました。
帰国後、人事部長、卓球部長と相談して最終決断して、監督をひきうけることにしました。
1988年ソウルオリンピックから卓球がオリンピックになって行くところだが、かつての栄光から離されて苦しい時期であった。
1981年に卓球が正式オリンピックになることが決定されたが、スウェーデン、ポーランド、フランス、ドイツ、ベルギーといった国々が、強くなっていった。

当時は都道府県の理事長さんにお願いして予算が無いので施設料、宿泊代を持っていただくような交渉をしながら合宿をやっていただけるところを探してやるような実情でした。
当時の日本のプレイスタイルはフットワークが良くて、サーブレシーブもよくチャンスボールを叩くような感じでした。
中国はライジングボールを叩く、ヨーロッパはフォアーハンド、バックハンドもおなじような威力を出すようなプレイスタイルだった。
バックハンドを狙われてお手上げな状況になると言うのが日本の負けパターンだった。
日本に対する戦術が決まっていた。
2000年に15年ぶりに男子団体で銅メダルを取ることが出来たが、2001年に世界選手権があったが13位と言う成績だった。
小学生が卓球をやり始めて或る程度の選手に対して、世界で戦えるようなプレイスタイルを植え付けていかないと、世界で渡り合えるようなプレイスタイルにはならないと思いました。

発育発達に合わせたトレーニング、メンタルな面、何を食べれば身体の成長、スタミナの維持にいいかとか、栄養の勉強もしないといけないと思いました。
2001年の10月からホープスナショナルチーム(小学生)を創設しました。
小学生の全国大会でベスト16と将来性のある子を含めて20名の選手と指導者とで合宿を計画してやり始めたのが2002年2月からでした。
①世界基準のプレイスタイルを教える。
②発育発達に合せたトレーニング方法。
③メンタル
④栄養
この4本柱でスタートしました。
水谷選手もここに入っています。
石川選手、丹羽選手、松平選手,吉村選手などが小学生のころから合宿に参加しました。
中学、高校の指導者の方々も熱心にやってくれた結果、今があると思います。
指導者のスキルも上がったと思います。

小学生に対しての指導には特に抵抗などは無かったです。(映像等で説明したりした)
今でも映像を使って国際大会の傾向などの伝達講習会を続けています。
当時は映像を作る事自体も大変でした、当時撮ったものが家には今もビデオが800本有ります。
1980年代はVHS時代で、デッキ、カメラ、海外に変圧器も持っていかなければいけなかった。
映像での解説、教育はスポーツ界でも最初の方だったと思います。
2008年にナショナルトレーニングセンターが出来、365日に近い使用率でやっていました。
1976年にヨーロッパに行ったときに、ナショナルトレーニングセンターが有りました。
JOCにはナショナルコーチアカデミー事業、キャリアアカデミー事業、エリートアカデミー事業の3事業がある。
エリートアカデミー事業は卓球とレスリングがスタートした。
スタッフと試行錯誤しながら改善を重ねて成果が出てきたと思います。

卓球だけではないと言うことを知ってもらうために、漢字、算数も入れてもらってプログラムを組みました。
心の大切さもメンタルの先生からもレクチャーして貰ったりしました。

トラブルに対して(ミスジャッジ等)、選手、コーチなどの心も動揺するので、その時にどういう言葉掛けをするか、どうコーチは動くかと言うことが大事で、もたもたしていると平常心ではなくなり、プレイに集中できなかったりするので、そういったこともビデオに撮っておいて、選手、指導者に対して伝達ミーティングの場で今でも活用しています。
(リスクマネージメント)
教材を見付けるのも指導者の役割だと思っています。
「何もしなければ何も生まれない」(新しいものは決して何も生まれない)
卓球協会への登録は28年度は33万3567人、14年前は25万8000人、7万5000人がこの間に増えている。
リオで男女がメダルを取り、特に個人戦では初めてメダルを取ってくれた表彰の時に、ギフトプレゼンターに選ばれて、その時は感無量でした。
6月の世界選手権大会では頑張ってメダルを取ってくれて、うれしい気持ちになりました。
卓球の場合は更なる国際競争力の向上、卓球ファンの拡大、卓球に携わる方々の健康と安心した人生の環境を作らないといけないと思います。
世界の事を考えると、平和な社会、平和な交流を続けていく役割としてスポーツがあるべきだと感じています。