2016年2月20日土曜日

福島敦彦(元高校野球部監督)   ・高校野球を見つめ続けて

福島敦彦(元報徳学園高校野球部選抜優勝監督)・高校野球を見つめ続けて
             (元NHK高校野球解説者)
74歳 報徳学園高校で現役時代は内野手、キャプテンとして活躍、慶応義塾、中山製鋼所、後にそれぞれで指導者をしてきました。
特に報徳学園では昭和49年選抜でチームを甲子園制覇に導きました。
その後大学、社会人の監督も歴任、NHKの高校野球解説も務め、現在は新聞の高校野球のコラムなども掲載されています。

秋の大会の成績で何処が出るかは分かるが試合は3月なので長い。
昭和49年に第46回大会で優勝しました。
大会まで長いのでコンディション調整が難しい。
冬場の地道な努力が大事な時期です、生徒の身体も大きくなる。
一回戦が鹿児島商業でピッチャーが良かった。
強いチームと当たって強くなっていった。
一回戦は負けると思ったが暴投したボールがうまく戻ってきてという奇跡的なことがあり、最終的に1点差で勝つ事が出来た。
その後も1点差で勝つ事が出来、準決勝は5-1で平安高校に勝つ。
報徳はあまり候補には上がっていなかった。
当時は4人凄いピッチャーがいてそれぞれプロになっています。(中川、工藤、定岡、土屋)
幸いしたのは木のバットでした。
本当についていました。

池田高校が決勝の相手。(選手が11人のチーム 報徳は50人以上)
報徳の良かった点は守備が安定、バッテリーが安定、ピッチャーが2人いました。(右と左のピッチャー)
はじめて甲子園を制覇することが出来ましたが、優勝するとは思っていなかったので吃驚です。
33歳の時でした。
翌年準決勝で負ける。
慶応から呼ばれて、6年間監督をするが、6校の中で12シーズン最下位が2回有りましたがその時は非常に勉強になりました。
人生山あり谷ありだと思います。
戦力的に優勝するのには難しいが、負けたのは自分の責任だと思います。
選手はちょっとしたことで伸びることがあるし、そうでないときもあります。
大学生とは大人として扱うので或る意味やり易い、高校生は扱うのが難しいが面白いです。
クラブ活動が何故いいかというと、先生からきちんと学んだり、上級生、下級生の縦の繋がり、きずなも生まれるし、将来のプラスになると思います。

今の生徒の方が情報を沢山持っている。
指導者はそれに対応していかないといけないので、指導者は今の方が大変だと思います。
昭和57年の春から平成 10年まで解説をさせてもらいました。
PL学園、58,59,60年全て甲子園に出ていて、優勝2回、準優勝2回、ベスト4一回。
本当に強いチームだった。
残念ですが、休部になっていますが知り合いが必ず復活すると言っています。
松井選手 5敬遠が思い出があります。
平成4年 明徳が勝ったが、5敬遠でブーイングがあったが、彼はずば抜けていた。
4打席目は2アウトでランナーがいなかったが、この場面も敬遠したので勝負をしないのはいけないと放送でいいました。
敬遠されたことに松井選手は苛立つ事も無く、バットを静かに置いて一塁に走って行った。

松坂大輔 平成10年 解説の晩年が平成10年でした。
剛腕で浮き上がってくるようなボールでした。
甲子園で11試合で11勝0敗でした。 6完封。
決勝戦は最後の解説でした。 ノーヒットノーランでした。
公式戦では40勝1敗 (2年生の神奈川大会決勝で暴投をして負けた。)
人間心に隙があるとやられます。(私は優勝旗返還の練習をして地方大会決勝で負けました。)
長くやってこられたのは女房のお陰です。
いま地域ボランティアにはまっています。(子供への交通補導)
校長先生が率先して元気な声で挨拶するので、子供も挨拶がしっかりしています。
高校野球の監督も全く同じです。
子供たちが野球が出来る場所が欲しいと思います。
年を重ねると、日々感謝する、一日一日を頑張って終わったら感謝の言葉を言う。
「有難う、有難う、今日も有難う」と歌って寝ます。