2015年1月6日火曜日

岡村道雄(考古学者)      ・"縄文"の暮らしを見つめて思うこと    

岡村道雄(考古学者)      ・"縄文"の暮らしを見つめて思うこと    
1948年新潟県生まれ 東北大学で考古学を学んだ後、宮城県立東北歴史資料館や奈良文化財研究所などに勤め文化財保護の仕事にとりくみました。
青森県の大規模な縄文遺跡三内丸山遺跡を初め全国各地の遺跡の調査にかかわっています。
原始的で貧しいと思われてきた縄文人の生活は実はそうではなく、現代社会の問題点を顧みるとき縄文的な暮らし方が貴重な参考になると考えています。
杉並の住まいでも縄文的な生活の実践にも務めています。

縄文人に近づいて実験してみようと、縄文的な心、縄文的な生き方を学んで、自分の今後の人生、これからの日本人の生き方にアドバイスする、学べるものはないのかなあと、思っている。
縄文人は心豊かにして生きてきた。
縄文時代とはおかれた条件は全然違うが、武蔵野の風土はのこっている。
のびる、むかごを食べたり、しいたけのぼた木を置いて、鳥が山椒の実をフンのなかに入っているので木がはえてきたるする。
のびるは遺跡から出てくる。
食べものもどんなもの食べてきたか判る。
                                                            
三内丸山遺跡を掘ったときに、理科学的に動植物の中身がよくわかるようになってきた。
判る範囲が広がってきた。
歴史は原始から徐々に発展してきた。
私たちの祖先は豊かに安定して暮らしてたんじゃないかと歴史観が変わってきた。
毛皮を着て、動物を追いかけてきたという様なイメージとは違う。
地域の豊かさの中で自然の循環の中で、思いやりを持ちながら関係性を作って、平和の和の世界を作って行ったと思う。

生まれた土地の高台に遺跡があって、小学校3年生のころから学校から帰ると、直ぐ遺跡に行って当時の人たちの事に想いを馳せていた。
本屋に1冊だけ子供向けの本があって、第一巻に縄文時代のことがかいてあって、親に頼んで買ってもらった。
高校で受験戦争が待っていて、反発を感じて、親は工学か、医者の道をと言っていたが、この道を選ぶことになる。
段々昔の人の心を学びたいと思う様になった。

縄文時代の人達の暮らしはどうだったんだろうと、トータルなものの関心があった。
縄文時代は、栗を植えて管理して、使う段になると、実は食べる、皮は屋根をふくのに使う、幹は一定の太さになるまで育てて、柱にする。
栗の林の根っこは遺跡の近くに、30、40本纏まって残っている。
漆は6,7年経たないと樹液は取れない。
漆を精製して、工程のおおい、時間のかかる先を見通しながらやる。
漆の葉は美味しい、食べたがかぶれて七転八倒してしまったが。
漆に使う赤い顔料も精製している。
漆文化は日本が世界で一番古い。

豊かな自然に培われた技が磨かれて、豊かな自然の循環の中で心も磨かれていったと思う。
循環の哲学、生まれて死んでいって、森は再生する、草の再生。
全てのものに神が宿っている、私たちも別の神になってこの中に再生していくんだと、循環の哲学が持続性に繋がっていって、この地球で、日本で死んでも又何かに生まれ変わって又帰って来るんだと言う心の安定、輪廻 もともとは縄文人がつくりだしたものではないか。
祈り、所作、わびさび 自然と共に育ってきた日本の文化の原点は優れた縄文文化が育んできたものと思う。
近代化、科学万能、経済偏重、物質偏重の現代 そこから様々な社会問題が生まれてきていると思う。
もうちょっとバランスをうまくして、自然を食いつぶしてゆく様な開発、近代化ではなく、自然も大事に自分たちもその中で育ってゆく、そして発展してゆく。
土地の豊かさを踏まえながら、生きてゆく。
戦後の団塊の世代は大きな変化を肌身で知っている。
もうちょっと違った生き方もあったと、その前の時代を知っているので、自然と共に生きてその一員として生きているんだと、自分たちの生き方を考えていた様な気がする。

どうしたら豊かに生きていけるのか、縄文時代の文化に学んで、縄文は日本文化として継承されてきた、日本人にふさわしい生き方だから持続してきたと思う。
いまの時代にあった日本的、縄文的生き方を実践していきたい。
争い、戦争を歴史的に見ると、武器を使って刺さって死んだ人骨など、判る様になってきている。
村を濠でかこんだり、砦等の防御施設など作ったのは、弥生時代になってゆくと土地を所有したり、農耕を始めると、人より多く取りたいとか、できた余剰物で争い事ができたり、権力争いが出てくる、土地争いが出来てくる、すこしずつ変わって行って競争社会ができてくる。
そしてにっちもさっちもいかない戦争になってゆく歴史を持っている。
縄文時代は分けあって、弱者をサポートして共に働いてお祭りをして仲間意識を高めてゆく、戦争とは全く違った形の生き方、証拠がどんどん上がってきている。
お互いを思いやりみんなで一緒に働く、必要以上は取らない。
平等に分配する。

立ってあるけない弱者も助けて、ちゃんと埋葬している人骨、埋葬例もいくつも判ってきている。
祭りを盛んにする、祭りはお互いの心を通じ合いながら共に友情を分けあって、祭りは情報、物も動く、平和のためのソフトウエアだと思う。
そういった生き方ってごく最近まで残ってたよなと、歴史に学んで、取り戻そうよと。
自分だけ安楽で、いい生活ができればいいと暮らそうとするが、本来はそうではないと思う。
東北大震災で津波があり 400kmで人的被害があったが、その中に480か所 縄文時代の貝塚があるが一つも波を受けていない。
何年間に1回、津波があり、高台で暮らして、安定した場所に村を営む、自然との付き合い方を知っている訳です。
縄文時代に学問的に近づいてゆくと、そうだよなと言う想いが実証されてゆく。
日本人が地域の中で豊かに暮らしてきたことをもう一回是非思い起こして、いいところを取ってバランス良くこれからの生き方に生かしてゆく様な事を普及してゆきたいと思っている。