五木寛之(作家) ・〔五木寛之のラジオ千夜一話〕
ペギー葉山さん 7年前に亡くなる。 1933年生まれ。 30代の半ばに直木賞を頂いた時にペギーさんがお祝いにかけつけてくれました。 CMソング、ミュージカルの時代からずーっと一緒に長い間仕事をしてきましたので同士的な感じがします。 (年齢がほぼおなじ) 亡くなった時にはガックリしました。 デビュー曲が「ドミノ」 ジャズの歌い手として出ました。 「南国土佐をあとにして」を貰った時には最初随分抵抗したそうです。 歌った結果大成功でした。 「「学生時代」もぴったりでした。 歌の幅が広い、実力派でした。 役者魂の有る人で体当たりで演じていました。(妊娠していたのにも関わらず坂道を一生懸命走ったり)
都はるみさん 一緒に京都中を歩いて一冊本を作ったことがあります。 (対談集) 自分が演歌を歌うようになったきっかけの話を伺いました。 帰りにジャズ喫茶に行った時にかかっていた曲があって本当はこんな曲を歌いたかったんだとぽつんといったのが、とても印象的でした。 八代亜紀さん デビュー前はジャズを歌っていました。 演歌を歌っている人たちは現代音楽みたいなものの洗礼を受けている人が多い。 都はるみさんの歌い方は譜面よりも微妙にちょっと上に有ります。 だから明るい感じになる。 ジャズを歌っても凄く上手く歌ったのではないかと思います。
井上陽水さん 「青空二人旅」という本になっています。 対談なので二人旅としました。 彼は福岡で僕も福岡なのでどこかあいますね。 麻雀なんかも一緒にやりました。 対談では直ぐ答えるというのではなく、自分で質問をかみ砕いて答えを出してゆくという人でした。 理論的側面のある音楽家でした。 才能が有りました。 その時代の空気感を無意識のうちに歌の中には感じられるところがあり素晴らしいです。
歌作りの現場に触れることが出来たという事は作家としては大きな収穫だったと思います。
浅川マキさん 石川県の人です。 役場に勤めていたという事を聞いたことがあります。 東京に出てきて寺山修司と出会って、「かもめ」とか曲を提供してもらって、あの当時を代表する大スターでした。 「夜が明けたら」僕はあの歌が一番好きです。
山崎ハコさん 音楽生活50年と言っていました。 「織江の歌」 僕が作詞。 大分の方です。
日本の歌い手は一色ではないという事が素晴らしいと思います。 一つの歌でも違う歌い手さんが歌うとガラッと違う感じになります。
*「青年は荒野をめざす」 作詞:五木寛之 作曲:加藤和彦 ザ・フォーク・クルセダーズ 週刊『平凡パンチ』に、1967年3月から10月まで連載した青春小説で人気がありました。
1965年に一般人の海外渡航がOKになりました。 外国に行くという事は荒野をめざすという様な時代でした。 今はレジャーといった感じです。
専属作詞家として働いた時期があります。