2025年4月2日水曜日

五木寛之(作家)             ・〔五木寛之のラジオ千夜一話〕

五木寛之(作家)             ・〔五木寛之のラジオ千夜一話〕

ペギー葉山さん 7年前に亡くなる。 1933年生まれ。 30代の半ばに直木賞を頂いた時にペギーさんがお祝いにかけつけてくれました。   CMソング、ミュージカルの時代からずーっと一緒に長い間仕事をしてきましたので同士的な感じがします。 (年齢がほぼおなじ)   亡くなった時にはガックリしました。   デビュー曲が「ドミノ」 ジャズの歌い手として出ました。 「南国土佐をあとにして」を貰った時には最初随分抵抗したそうです。  歌った結果大成功でした。  「「学生時代」もぴったりでした。  歌の幅が広い、実力派でした。    役者魂の有る人で体当たりで演じていました。(妊娠していたのにも関わらず坂道を一生懸命走ったり)   

 都はるみさん  一緒に京都中を歩いて一冊本を作ったことがあります。 (対談集)  自分が演歌を歌うようになったきっかけの話を伺いました。  帰りにジャズ喫茶に行った時にかかっていた曲があって本当はこんな曲を歌いたかったんだとぽつんといったのが、とても印象的でした。  八代亜紀さん デビュー前はジャズを歌っていました。  演歌を歌っている人たちは現代音楽みたいなものの洗礼を受けている人が多い。  都はるみさんの歌い方は譜面よりも微妙にちょっと上に有ります。  だから明るい感じになる。  ジャズを歌っても凄く上手く歌ったのではないかと思います。 

井上陽水さん 「青空二人旅」という本になっています。  対談なので二人旅としました。  彼は福岡で僕も福岡なのでどこかあいますね。  麻雀なんかも一緒にやりました。  対談では直ぐ答えるというのではなく、自分で質問をかみ砕いて答えを出してゆくという人でした。  理論的側面のある音楽家でした。  才能が有りました。  その時代の空気感を無意識のうちに歌の中には感じられるところがあり素晴らしいです。 

歌作りの現場に触れることが出来たという事は作家としては大きな収穫だったと思います。 

浅川マキさん  石川県の人です。  役場に勤めていたという事を聞いたことがあります。 東京に出てきて寺山修司と出会って、「かもめ」とか曲を提供してもらって、あの当時を代表する大スターでした。   「夜が明けたら」僕はあの歌が一番好きです。

山崎ハコさん 音楽生活50年と言っていました。  「織江の歌」 僕が作詞。 大分の方です。  

日本の歌い手は一色ではないという事が素晴らしいと思います。 一つの歌でも違う歌い手さんが歌うとガラッと違う感じになります。  

*「青年は荒野をめざす」 作詞:五木寛之 作曲:加藤和彦 ザ・フォーク・クルセダーズ                       週刊『平凡パンチ』に、1967年3月から10月まで連載した青春小説で人気がありました。 

1965年に一般人の海外渡航がOKになりました。  外国に行くという事は荒野をめざすという様な時代でした。  今はレジャーといった感じです。 

専属作詞家として働いた時期があります。  

 






2025年4月1日火曜日

柴田南雄(作曲家 音楽評論家)      ・〔わが心の人〕

柴田南雄(作曲家 音楽評論家)      ・〔わが心の人〕

柴田南雄さんは文化功労者でもあります。  大正5年現在の東京都千代田区神田駿河台生まれ。幼少のころから母にピアノを習い、 大学時代諸井三郎から作曲を学びました。  東京芸術大学を初め多くの大学で作曲や音楽理論を教え、後進を育成しました。  音楽評論家としてもNHKの番組でもおなじみです。  平成8年2月に亡くなられました。(79歳)

お話は仙道作三さんです。  柴田さんがラジオの音楽番組に出演したのは戦後まもなくです。 (昭和22年 31歳)   その後テレビ、放送大学の先生を担当。  先生とは1971年にお会いしました。  私は中卒で集団就職で東京に出てきました。  クラシックギターを習って町工場で働いていまた。  25歳でクラシックギターを教え始めましたが、理論を知りたいと26歳で柴田先生のところに飛び込みました。  柴田先生の家柄は学者の家柄で、森鴎外の「雁」に出てくる柴田承桂さんと言う人のセリフで「ドイツに渡航するのであれば柴田承桂君に聞き給え。」と書いてありますが、ドイツの薬学を持ってきて薬剤師の名前を付け、東京大学の医学部教授になられたのが柴田承桂さんです。  柴田先生の父親は柴田雄次さんでドイツから化学を持ってきて、東京大学の教授になられた方です。 柴田先生も東大を出られて、私も弟子にしてもらいました。  1週間に一回の稽古でした。  1年目は月謝を払いまいたが、2年目からはいらないよと言われました。 (7年間無料) 

ハーモニーの連結 4つの旋律の和声?がありますが、それをどのように連結すれば、美しいハーモニーが出来るかと言う、8小節、16小節の和声、連結の仕方です。 それをチェックして貰います。  2年目には万葉集にメロディーをつけて、ハーモニーを作るという宿題をあたえられました。   自分で考えた旋律を作る。  万葉集を100冊買いました。 (月賦)  古典文学を勉強して大変勉強になりました。  3年目に私の故郷に先生も同行することになりました。  先生とフィールドワークの調査、研究をしました。  録音してきたものをNHKのラジオから流れるわけです。   柴田先生は芸大の先生を辞めて民俗学に入り、日本の民俗学の研究をはじめました。(フィールドワーク)  静岡県の念仏踊りを取材しました。  越後瞽女、田沢湖の方とか様々なところに行きました。  貴重な記録です。  

先生がシアターピースと言う方法で作った漫才流しの2曲目は強く印象に残っています。   一般的に合唱団は左からソプラノ、メゾソプラノ、アルト、テノール、バリトン、バスという6種類の形態で並んで歌います。  シアターピースと言うのは、舞台でやってホールの方に階段で降りてきて演奏する訳でです。  劇場全体が歌う場。  今も私は継承しています。   漫才流し 三河漫才から始まって、秋田の方に移って発展して来ました。(秋田漫才、横手漫才)   漫才を新しい感覚で自身で合唱を作りました。(シアターピース方式)  

*合唱曲 「漫才流し」  柴田南雄作品

柴田先生の一番すごいところは、「人間について」と言う曲があって、宇宙について、人間と死、自然についてとかいろんな曲、未来につながる永遠のテーマを作っています。  柴田さんは東大で植物学、哲学を学ぶ。  先生は縄文土器、弥生土器も研究して、縄文土器の笛を使って音程を出したりしました。  私の知識と教養を柴田先生が育ててくださった。  とても好奇心の旺盛な方です。  

先生からは「民俗学を研究して新しい自分の様式を作り、研究する人間になりなさい。」と言われました。  私も自然と民族学の方に入って行きました。   宮沢賢治世界、いろんな日本の古典文学、樋口一葉、明治の歌人、文学者の人たちなどをテーマにオペラを作ったり音楽を作って来ました。   今111曲になりました。 

*「利根川322」 第一楽章冒頭の部分 (利根川は322km流れている。)

4月26日に「鳥獣戯画」を発表します。  9月には「清少納言」を発表する予定です。