2015年12月19日土曜日

澤田隆治(元民放プロデューサー)  ・「てなもんや三度笠」関西弁でもウケた理由(わけ)

澤田隆治(元民放プロデューサー)  ・「てなもんや三度笠」関西弁でもウケた理由(わけ)
NHK大阪放送局 JOBKがラジオ放送を始めてから90年になります。

昭和26年民間放送の登場で、大坂のラジオ番組特に演芸番組には活気がみなぎっていました。
昭和30年代はラジオの時代からTVの時代に移ります。
大阪発人気番組が多く登場します。
最も人気を集めた番組のひとつが、昭和37年から6年近く続いた朝日放送TVの「てなもんや三度笠」 最も高かった視聴率が東京で42.9%、大坂では64.8% プロレスやドラマを抜いてトップに立ちました。
この番組を製作していたのが澤田さん、昭和30年 朝日放送に入社、しばらくはラジオの演芸担当のプロデューサーとして腕を磨き、その後草創期のTVディレクターに転出、数々のコメディーを製作、1970年代に製作会社に活躍の場を移してからは、日本TV系列の「ズームイン朝」を企画したり、1980年代は関西TV製作の「花王名人劇場」で漫才ブームを巻き起こしたりしてTVの第一線でプロデューサーとして活躍し続けました。

昭和30年 関西地区ラジオ 1位アサヒ放送「漫才学校」 57.5% 2位新日本放送「演芸ごむくめし」44.8% 3位NHK「浪速演芸会」41.3%
「お父さんはおひとよし」を何とか抜かなければと思っていた。
「お父さんはおひとよし」は日常会話の中にクスッと笑わせる、大阪弁の言葉を大事にした。
劇仕立てでストーリーを構成するときに、漫才的な要素を入れて成功するのは難しかった。
入社して「東西寄席風景」、「浪曲歌合戦」等を担当する。
桂文楽、小さん、円生、正蔵さん等がいました、大坂はダイマルラケット、砂川捨丸・中村春代さん等。
生中継ではなかった、編集して行った。
その後「寄席風景」となる。
昭和29年朝日放送 ダイマルラケット、三笑亭可楽さんと準専属契約、31年ダイマルラケット、森光子、川上のぼるさんと専属契約、32年かしまし娘さんと準専属契約、33年桂米朝さんと準専属契約。
専属契約をして人を確保する。
新人を発掘する、鳳啓助京歌子さん、そのころから新人が増えてくる。

TVの時代になってきて、ラジオよりTVが盛んになってきて、「スチャラカ社員」がベースになって「てなもんや三度笠」藤田まことにやらせるようになる。
澤田さんは昭和33年 「びっくり捕物帖」、「やりくりアパート」のアシスタントディレクターを担当する事になる。
「びっくり捕物帖」 主演は中田ダイマル・ラケット 与力(藤田まこと)の指示で事件の捜査 森光子さんとっての出世作ともなった。
「やりくりアパート」 横山エンタツ(アパートの管理人) 大村崑 佐々十郎 茶川一郎さんなど
CM 最後にセットの前に持ち込み、大村崑 佐々十郎さんが来て「ミゼット」「ミゼット」と連呼した。
大村崑 佐々十郎さん ぶっつけ本番で出演していた。

毎日放送TV 昭和35年 「スチャラカ社員」 社長 ミヤコ蝶々、中田ダイマル・ラケット、藤田まことさん等が出演、人気コメディー番組になる。
高度成長期にずぼらな社員が登場。 藤田まことがめちゃくちゃ売れてきて、他の局にも参加。
裏番組をやらない様に動く。
昭和37年5月 「てなもんや三度笠」がスタートする。
あんかけの時次郎 藤田まこと、珍念 白木みのるさん
時次郎が「俺がこんなに強いのも、あたり前田のクラッカー!」と締める。
演出 澤田隆治脚本 香川登志緒さん
日曜日の6時からだったので、時間帯としては難しい時間帯だった。
半年ぐらいは厳しかったが、そのうち東京でも人気になってきた。
最も高かった視聴率が東京で42.9%、大坂では64.8%となった。
笑いのテンポが早く、東京の人がなじんでしまったという事もあると思う。
全国にも判る大阪弁にしようと心掛けていました。
東京からゲストを招いたりもしました。

昭和34年 毎日放送TV 「番頭はんと丁稚どん」が「私の秘密」を抜いたと言って話題になった。
東京でめちゃくちゃ受けました。
大村崑 茶川一郎 芦屋小雁 芦屋雁之助さんなど
立体漫才の突っ込みとぼけ、大阪の場合はそれを集団で見せてゆく。
昭和の時代には大阪の番組が10年ごとに大きな波を起こしたという説を持っていて、昭和24年「上方演芸会」 昭和34年「番頭はんと丁稚どん」 昭和44年「ヤングおーおー」、昭和54年「花王名人劇場」