2011年5月11日水曜日

片桐和子(74歳)         ・インド家なき子の親として

片桐和子(74歳)
片桐正吾
インドで悲惨な状況をみて、子供に憩いの村(3万6000平米)を建設  親の無い子、貧しい子 救済
2003年から活動 生活から学問まで 宗教自由 基礎教育ほか図書館、診療所建設
子供(0~18歳)130人 スタッフ30人で活動  若い母親が赤ん坊を置いてゆく→保護
13年前 夫婦2人でインドに旅行する→駅のホームで子供たちが寝ていて、
暗い中踏みつけてしまった
→何とか助けたい思い生じる
1997年3月60歳の時 事務所  荒廃した学校サポート、海外支援
現地協力者 ローズ夫妻 (50歳) 憩いの村の面倒をメインで見てくれる  
子供の職業訓練、教育とか片桐夫妻と考えが一致

東日本大震災の時直ぐにインドからメッセージが来る
資金援助が大変 正吾氏は資金調達の為、夜勤労働等行い350万円/年稼ぎ 調達している
学校建設の話があり、600万円の協力者が出る 
通訳、パソコン操作、等々の協力者も現れてくる
夫が企業、へ協力要請→駄目  友人、知人に要請→駄目  
結局自分で資金調達の道を選び夜まで働く
夢は持ち続けなくてはいけない
1945年8月15日 8歳 父は軍人で帰ってきたが右腕切断→畑を借りて農作業をする 
母曰く 教育が一番大事 教師になることを決意する

インドは貧しいけれど雄大な自然がある カースト制度 貧しさは厳しい状況
3月11日の大震災で寄付がほとんどゼロになる あと3年何とか救済の事業を進めたい 内容として
水洗トイレ、現地の先生の給与等の援助が必要
インドの子供を見捨てることはできない
上野駅基金について  6000円の給料の時 5000円 上野駅に送る(29歳の時)→助け合い基金 
 新聞に掲載

インドプロジェクトへの応援資金が集まる
スタディーツアー(3~4年実施)・・・若い人を連れてゆきたい→ 国際的視野に立った人間が育つので
はないか
日本=インドの繋がり深くなってほしい 
交流を深める環境を整えたい
正吾氏は小さい頃に母を亡くし、それがショックで父がなくなり片桐家に貰われる→いじめっ子に
会う→虐められないためにはどうしたらよいか、考える
運動で勝つ→100m、200m、走り幅跳び、走り高跳び、砲丸投げの5種競技で校内新記録を
打ち立てる(今でも破られない)→虐めがぴたりとやむ

スポーツの大切さを感じる→インドの学校にグラウンドをつくりたい→子供たちに対してオリンピック選手誕生
の夢がある
働く・・・はたの人を楽にさせる  思い続ければ夢はきっと叶う
余生・・・余生はない・・・人生に余りはない
人様をちょっとだけ思う気持ちを持つ
動いている水は腐らない・・・始めなければ始まらない 一歩が二歩、二歩が三歩・・・
今の為に生きる
親のない子でも素晴らしい夢を持っている→夢をかなえさせてあげたい