加藤拓馬(宮城県社会教育委員) ・ 「気仙沼“再生”にかける~移住者・加藤拓馬の15年~」
東日本大震災から15年になるのを前に、3月7日に放送した特集番組「気仙沼“再生”にかける~移住者・加藤拓馬の15年~」をお送りします。
15年前の東日本大震災、あの時全国各地から多くの若者たちが被災地に入り、ボランティア活動に取り組みました。 そうした若者たちの中でそのまま現地に移り住み、今も地域の再生に取り組む人もいます。 宮城県気仙沼市唐桑町入った 加藤拓馬さん(37歳)です。 加藤さんは兵庫県の出身5歳の時に、阪神淡路大震災を経験しました。 その後東京で大学生活を送り、卒業後身一つで気仙沼にやって来ました。 この時間は「気仙沼“再生”にかける~移住者・加藤拓馬の15年~」と題して大災害の被災地で歩んできた、一人の若者の試行錯誤を、過去の取材音声を交えながらお伝えします。
決まっていた会社に就職するのを辞めて、ボランティア活度を続けている若者がいる、と言う話を聞きました。 それが当時22歳だった加藤拓馬さんでした。 震災から間もなく3年になる時に気仙沼を訪れ、25歳になった加藤さんに話を聞きました。 2014年3月に放送したインタビューです。
大学時代に中国でワークキャンプをするボランティアサークルに所属していて、現場で何かをやるという事に凄く意義を感じ、東京でサラリーマンをやっている場合ではないと思いました。 さんざん悩みましたが来たが、4月5日にはここに来ました。 馬場康彦?さんの自宅の離れを借りて、長期的に滞在して活動しているからこそ、住んでいる人の本音が見えてした。 仙台は復興が早いが唐桑では復興が進まず、唐桑を出たいとか、唐桑には3種類の人間が住んでいて、避難所の人、避難所から出た仮設の人、在宅避難の人、それぞれがそれぞれに対して、嫉妬、妬みが激しく、みんなバラバラだと言った人もいました。
地域の集落のいいコミュニティーを持っているところが、このように引き裂かれていくのか、目に見えて起こり始めました。 瓦礫作業が終わって、はいさようならでは、もったいないことをしているのではないかと思いました。 コミュニティー作り、街つくりに徐々にシフトし始めたのが、2011年の秋ごろでした。 フリーペーパーというコミュニティーペーパーを作り始めました。(内側に頑張っている人がいて、それを見て自分も頑張らなくてはと言う風に、鼓舞する形) 企画、インタビュー、編集を全部自分で行いました。
部数は4000部で商店、コンビニ、イベントとかに配布しました。 反応が凄くよかったです。 地域に溶け込んで行って、街つくりのサークルを作ろうという話になりました。(2012年春) 「唐桑丸」を5月10に日に立ち上げました。 街の人からは「将来大丈夫か。」と言われました。 或る人から「唐桑ではこいうふうな街づくりをしましたと言えるものを10年かけて作りたい。」、「10年やって初めて成果が見てくる。」といわれました。 そんなに簡単ではないと思いました。 だからこそ遣り甲斐のある一大プロジェクトだと思います。
加藤さんに自宅の離れを提供したのは、地元の社会福祉法人に務めていた馬場康彦?さんでした。 最初は半信半疑でしたが、話を進める中で前向きな気持ちになって行きました。 すべての面で進むべき道を教えてくれたのではないかと思います。 2015年加藤さんは任意団体の唐桑丸を発展させて、NPO「まるオフィス」を設立しました。 船に〇〇丸と言う風に「丸」が付いている意味は、或る漁師さんは「出発したところに、ぐるっと回って無事に帰ってこれる。」、そういった願いを込めている。」と言いました。 地域と言う一つの船の中でコーディネート機能を担えるようなものにしたくて「まるオフィス」と付けました。
苦労しながら試行錯誤するなかで加藤さんはこれだというテーマを見つけました。 それが「教育」でした。 2020年に気仙沼市内にある9つの中学校、小学校などにも通って、主に総合学習の授業で、子供たちの探求的な学びをサポートする様になりました。 震災から14年になる去年の3月、NHKの朝の番組に出演。 「10年やって初めて成果が見てくる。」と言われました。この地域の50年、100年先のことを考えた時に、ここの子供たちがどういう風に育つのかが大事だと思って、「教育」と言うテーマにしぼって行きました。 最初はUターンしてくれればという思いもありましたが、いろいろな生き方があるんだよという事を伝えていく活動をやっています。 14年経って、成功、失敗もありましたが、次の地域に繋いでいきたいなと言う思いがあります。
復興って元に戻す事ではなくて、この街の豊かさって何だろうという風な、豊かさ探しみたいなものだと思っています。 社会の最前線で活動しているという事は、毎日ワクワク取り組んでいます。 最近は能登半島にも関わっています。 いくつかの地域で、街つくり、教育に取り組みながら自分の生活、仕事がしていけるものが出来ればいいなと思っています。 明日から気仙沼の高校生、大学生を20人ぐらい連れて1週間輪島に行ってボランティア活動をします。
先月中旬、雪が舞う気仙沼へ加藤さんを訪ねました。 ボランティアみたいなものと学びみたいなものは、相性がいいんだろうなぁと私自身改めて感じさせられました。 彼らが活動をしたことで、次の世代がまたそういう風につながると面白いんだろうなとは思います。 15年前気仙沼にやってきた頃、遊び相手をしていた子供たちも今はもう大人になりました。 就活の相談を受けたりとかしています。 今も連絡くれるのでうれしいです。
15年前にやってきた加藤さんに自宅の離れを提供するなどして応援してきた馬場泰彦?さんは、現在は地元の福祉法人の理事長をされてます。 馬場さんは次のように語っています。気仙沼にいたんだよと言う風な感じで近所の人と付き合っています。 素晴らしいものを持ってるんだろうと思います。 彼は故郷でも震災経験があります。(阪神淡路大震災) 彼の中に自分のなかでイメージしたものがあるのかなと、今になって思っています。
2月中旬、震災後に再建された公共施設、「気仙沼市、街と仕事、交流プラザ」 ここで地元の高校生たちが大人と一緒に地域や自分の将来を考える産官学のプロジェクト「波風」が開かれました。 運営を担う加藤さんもスタッフの仲間と参加しました。 この「波風」は、気仙沼の企業、行政、学校が連携して、コンソーシアムの共同体を結成して取り組む事業で、スタートしてからまもなく4年になります。高校生は様々な大人と交流しながら、学校の外でも地域や社会の課題を見つけて考える力を養っています。
加藤さんが去年ドイツに行って感じてきたことの経験をもとに、若者が自分たちの地域のことを考える大切さを訴えました。 高校生たちからはいろいろな反応がありました。かつて「波風」に参加したOGの人も参加がありました。 「教育」と言うテーマ自体、私は興味がありませんでした。 そういったところに出会えたと言うことが15年で1番自分の人生にとって大きかったことです。 自分が1つのライフワークとして携われるテーマは思索?かもしれないと徐々に実感させてもらった15年でした。
1つのことを10年やって初めて成果がわかるんだと言う事を昔言われたことがありますが、それを実感しています。 10年かかるかもしれないと言う風に声をかけてくれたのは、当時市の教育長だったと教えてくれました。
馬場さんは当時を振り返りこう言ってます。 来てくれるんだったらお願いするよと言ったことが間違いじゃなかったと思います。 今は小さい赤ちゃんから我々高齢者まで幅広い人たちと交流の場を持ったり、後は我々の後押しをしてくれる中高生大学生たちにアプローチをして、彼らと一緒になってやって、彼らの成長に関する大きなものをものを見たり聞いたりしています。 彼らの存在、ボランティアを皆さんの罪と言うものは大きなものがあって、今のこの復興した気仙沼になってると思います。
加藤さんはこれからの夢をこんな言葉で語ってくれました。 色々なことを一から教えててもらいました。 これからもここを拠点にしていきたいと思ってますし、自分も子育てしていますが、子供たちは当時お世話になった人たちに、またお世話になりながら育って行っていると言うことも不思議な感覚ではあります。 次の10年どうしようかなぁと言うのは、当時よりはワクワクしながら過ごすことができるなと言うのは今な気持ちです。 あれやりたいこれやりたいと言う焦りみたいなものを感じます。 何か自分がアクションを起こせば、新たな人とも出会いますし、出会った人がまた新たな気づきをくれる。 芯の部分は、社会教育と言う部分であり、10代の若者たちが何か夢中になれるもの見つける、それを僕たちが応援していく、社会で支えていくんだと言うと言うところはぶれないところです。