山本真希(パレスチナ刺繍帯プロジェクト主宰)・「パレスチナの女性と美しいものを作る喜び」
山本さんは昭和53年東京生まれ。 小学校時代にアメリカで数年間過ごし、帰国後は日本で成長しました。 大学は薬学部へ進み、大学院終了後化粧品メーカーに勤務します。 2013年にパレスチナを訪れるツアーに参加し、紛争が続く中、高い壁に囲まれ厳しい生活を送る人々を見て大きなショックを受けたといいます。 その一方で、女性たちがパレスチナの伝統的な刺繍を大切に伝承していることを知りました。 そこで山本さんは着物の帯に色鮮やかなパレスチナの刺繍をしてもらい、製品化することを思いつきます。 次の年に会社を辞めて本格的に活動を始めました。 現地の女性たちにデザインの説明などを繰り返し行い、これまで300本のパレスチナ刺繍帯を完成させています。 パレスチナの女性たちを支援し、パレスチナと日本の伝統文化を継承したいと活動を続ける山内さんに伺いました。
帯の地の色は黒ですが、赤や緑、白、茶色といった刺繍糸で細かく刺繍がデザインされています。 別の赤い帯には、香りの良いダマスクローズが刺繍された帯になります。 バラの花です。 もう一方は白地に青、水色なので、大きな花が刺繍されています。 パレスチナの伝統的な刺繍は、もともとパレスチナの民族衣装とかインテリア、装飾品に施された刺繍の総称のことをいいます。 主な刺繍の技法としては、✕点をたくさん重ねたクロスステッチとなります。 難民キャンプの人たちに刺繍をしてもらった帯です。 パレスチナの難民キャンプに行くと、本当に過酷な環境です。下水、上水も整っていません。 停電もよく起きます。
小学校の時に数年間アメリカで過ごしました。 その後日本に帰国しました。 小さい頃は好奇心が旺盛な子供でした。 父は建築家、母はインターナショナルスクールの教師です。 父は趣味で油絵とか水彩画を描いていました。 影響されて風景画などを描くようになりました。 大学は薬学部卒業、大学院は東京医科歯科大学で修士課程を終了しました。 その後就職し、化粧品メーカーに入りました。 スキンケアの研究開発やお肌に良い成分の基礎研究などをしてました。
ある時、駐日パレスチナ大使と奥様との出会いをきっかけに、パレスチナを知ることになりました。 2013年にパレスチナ自治政府が主催するパレスチナヨルダン川西岸を体験するツアーに参加する機会がありました。 紛争で苦しむ現実を目の当たりにしました。 それとともに美しい豊かな文化があることを知りました。 パレスチナの民族衣装、飛び跳ねて踊る民族舞踊、陶芸、おいしいお料理、染色、刺繍など幅広いパレスチナの文化を見ることができました。
NPOが支援として刺繍のバックなどをやっていましたが、私の方でオリジナルものを作ろうと思いました。 思いついたのがパレスチナの刺繍のついた帯を作ると言うことでした。 作ってもらった評判がとても良かったです。 パレスチナの女性のお金お稼ぐ手段になると思いました。 人の手仕事による刺繍は、膨らみ感、微妙なサイズの違いがぬくもりを感じさせます。 会社を辞めて2014年に退職し、パレスチナ刺繍帯プロジェクトを立ち上げビジネスとして運営していきました。
着物の帯について、実際に身に付けて説明しました。 最近はお客様のニーズに応えるように、日本の帯地を送って作ると言うことを行っています 。20回弱訪問しています。 帯は当初全く売れませんでしたが、活動を続けました。 その後だんだん認知度が高まってきてお客様が増えていくことができました。 イラン戦争で一時期物流が止まりましたが、最近は戻ってきて商品が届くようになりました。 信頼関係、様々なつながりが必要です。
コロナ禍で行き来ができなくなり、訪問できなくてもどうやって帯を作ればいいか、もうちょっと刺繍が少なくて値段も手頃なものができないかと言うことで名古屋帯デザインして、図案を描いたりして、その升目をスマートフォンでやりとりしていました。 帯の刺繍ができる女性は5名しかいません。 或る一定の技術力が必要です。 人数が少ないと言うことが大きな課題になっています。 新しい人の育成の取り組みもしています。
完成した帯の姿や、お客様から「きれいな帯を作っていただいてありがとう。」と言われたときには、この上ない喜びで苦労を忘れてしまいます。 「刺繍に集中する時間が、戦争の恐怖、空爆の恐怖を忘れることができる。」と言ってくれて、戦争の恐怖を癒してくれるものだと思います。
今までおよそ300本ぐらい作りました。 2025年外務大臣賞表彰を受賞されました。 日本とパレスチナとの文化交流の促進が認められたと言うことです。 いつか絹のパレスチナ刺繍を復興させたいと思ってます。 今はコットンの刺繍糸しか流通していません。 パレスチナ刺繍の帯を通して、パレスチナの人々が置かれている過酷な現状とともに、この美しい文化を、日本の人々や他の国の人々に知ってもらいたいと言う活動をコツコツ続けたいと思ってます。