亀山永子(切り絵・絵本作家) ・平和への思いを“切り絵・絵本”に込めて
愛知県一宮市の亀山永子さんは13年前から地域の小学校や児童館で絵本の読み聞かせボランティアを続けています。 自分が生まれる前にグアム島から帰国した横井庄一さんの話に感動を覚え、子供たちに戦争の悲惨さと平和の大切さを伝えたいと、地元にある横井庄一記念館に通って、妻の美穂子さんから話を聞いたり、取材を続け絵作りの切り絵絵本を完成させました。 様々な苦労を経て出版社から世に出たハードカバーのこの本は生前の横井美穂子さんとの約束通り、現在日本全国の図書館に置かれています。 亀山さんはその後も子供たちに戦争の悲惨さと平和に大切さを伝えたいと、様々な戦争体験の話を元に切り絵絵本を作り続けています。
13年前から二人の子供を育てながら、児童館で読み聞かせをしていたのが、絵本との出会いでした。 パステルで小さな絵を描いていました。 それを纏めて手作りの絵本を作って、娘たちに見せているうちに、自分が子供のころに本を書く人になりたかったことを思い出しました。 横井庄一さんに出会って、横井さんの絵本を作ろうと思ったことが、本格的な絵本を作るきっかけになりました。 独学で切り絵に挑戦しました。 自宅に近い名古屋市に横井庄一記念館があることを知りました。 館長を務めていたのが奥さんの美穂子さんでした。 1mぐらいの手織り機がおいてあって、自分で布を作って洋服を作っていたという事で吃驚しました。 自分で服を作り自分で食べ物を捜して、生きる姿に強く心打たれました。
横井さんの絵本を子供たちに読み聞かせしようと思ったのですが、一冊も見つかりませんでいた。 自分で作ろうと思いました。 試作品を美穂子さんのところへ持っていったら喜んでもらえました。 どこから出版されるのかと言われました。 出版予定のないことを返事したらがっかりしていました。 手作りの本を結局800冊作って寄贈していました。 全国の図書館におくという美穂子さんとの約束は果たせないと思っていました。 POD出版 を知りました。(誰でも出版できる仕組みになっている。) POD出版の最優秀賞を頂き、ハードカバーを付けて全国の図書館に置いてもらおうと思いました。 或る出版社に相談したら出しましょうという事になりました。 美穂子さんが凄く喜んでくれました。 図書館側が購入してくれるようになって、全国の図書館に置かれるようになり、美穂子さんとの約束を果たすことが出来ました。 2022年に美穂子さんはお亡くなりになりました。
横井庄一さんは28年間ジャングルで生活していて、ネズミ、カエル、デンデンムシなどを食べて生き延びてきたが、彼らの碑を建てたいと言っていて、亡くなった後に横井さんのお墓の脇に小動物の為の慰霊碑を建てています。(慈悲深い) 1万9000人ぐらいがグアム島で命を落としたそうです。 横井さんら3人になり、2人も亡くなり遺骨を日本に持って帰る約束をしたそうです。 1972年日本に帰国しました。(56歳) 「恥かしながら生きながらえて帰ってまいりました。」と言う言葉を述べました。 野菜作りとか陶芸に打ち込んでいたようです。 1997年82歳で亡くなりました。
小動物の為の慰霊碑の横に辞世のような歌があります。 「この次は 戦なき世に生まれきて 父母子等と夕餉を囲まん」 白黒の切り絵だと、戦争の不気味さ、悲惨さ、残酷さを効果的に伝えていて、又温かみもあるという声を頂きました。 45ぺージになっていて長いのですが、子供たちも最後までよく聞いてくれています。
「きせきのやしのみ」 昭和50年島根県出雲市の稲佐の浜の近くで釣りをしていた人がヤシの実を見つけて拾い上げました。 乾いてくると文字が現れました。 「昭和19年7月19日ところはら?陸軍伍長飯塚庄一?君と墨で書かれていた。 昭和20年7月にフィリピンで戦死した出雲市出身の山之内辰四郎さんが、フィリピンのマニラの港から流したものであることが判りました。 二人は故郷が同じだという事で親しくしていた様です。 亡くなる前に戦友の名を記して流したヤシの実が31年後に出雲市大社町の漁港に漂着し、妻の元に返ったという実話です。 「先の戦争でおよそ240万人もの日本人が海の向こうの戦場で命を落とし、そのうち遺骨となって日本に帰ってこられたのは僅か半数ほど、今でも100万人以上の人たちが日本に帰れないまま、真っ暗で冷たい土の中や、海の底に取り残されています。 その一人一人に帰りたかった故郷があり、待っている家族がありました。」 奇跡的にたどり着いたヤシの実から無念の思いが伝わってくる様です。 ご家族もヤシの実を見て、 山之内辰四郎さん自身が帰ってきたように思われたそうです。 この奇跡のヤシの実は靖国神社に納められました。 私の切り絵もヤシの実の脇に飾られています。 今年ヤシの実が流れ着いてから50年、終戦後80年になります。
知れば知るほど戦争は、本当に悲惨で、だからこそ今の平和は大切なんだという事を切実に感じています。 横井さんが言っていた「負けるでないぞ。」と言う言葉に励まされながら生活しています。 美穂子さんからは「どんな小さな明かりでも、平和の明かりはともし続けなければならない。」と常々言っていました。