柳原陽一郎(シンガーソングライター) ・「さよなら人類」から35年、 ソロになって30年
柳原陽一郎さんは1962年福岡県生まれ。 中学3年の時にギターを始め、大学生の時にバンド活動を始めました。 1984年ライブハウスで歌っていた時に、よく一緒になった石川浩司さんや知久寿焼さんと共に、バンド名「たま」を結成、1989年テレビのバンドコンテストで優勝して、1990年5月に柳原さんが作詞作曲をした「さよなら人類」でメジャーデビューとなりました。 大ヒットして紅白歌合戦にも出場しました。 1995年「たま」を卒業してソロで活動することになります。 ギター、ピアノの弾き語りによるソロライブや様々なジャンルのミュージシャンとセッションするなど、現在も精力的に活動して、今年ソロ活動30周年を迎えました。
*「さよなら人類」 作詞、作曲 柳原陽一郎
「たま」は4人のメンバーがいて、それぞれ一人でも歌えるようなバンドです。(それぞれがシンガーソングライターでした。)
もともと日本の歌謡曲が好きでした。 1975年中学1年の時にステレオが家に来ました。 エルトン・ジョンのレコードを購入しましたが何がいいのかよくわからなかった。 次にビートルズを聞いて、 次にクイーンの「ボヘミアン・ラプソディー」が出て来てロックにはまっていきました。 中学3年の時にギターを始めました。 高校1年の時には曲も作るようになりました。 学校の成績もどんどん落ちて来て、世の中を斜めから見るような性格が形成され行きました。(高校時代) 大学の時、21歳のころ「たま」のメンバーと知り合い、 バンドを結成しました。 自分のペースでやりたいという思いはありました。 1989年にTBS系音楽番組『三宅裕司のいかすバンド天国』に出場し、3代目グランドイカ天キングとなった。
1990年5月5日、シングル『さよなら人類/らんちう』で、「たま」としてメジャーデビューしました。 同曲で同年末のNHK紅白歌合戦初出場しました。 この路線で進むのがきつくなりました。 「たま」は5年で卒業し、ソロ活動に移っていきました。
ソロになった自分が確立出来ていなかった。 あるスタッフの方から「一人で出来る様にならないと駄目だよ。」と言われました。 それから30年になりました。 しょうがない曲をいっぱい書きました。 抜け出すのに5年ぐらいかかりました。 創作J活動とライブを一緒にやるという事は結構大変でした。 自分に等身大の、人の根源的な悩みや喜びをちょっと書けるようになってから、逆に楽しくなって来ました。(それまでは楽しいと思った事は無かった。) 面白くなったのはつい最近でしょうか。 今後歳を取って、もっと声が出なくなってくると、それって自分の歌にはプラスになるような気がします。