松浦弥太郎(エッセイスト) ・ていねいに生きる
「暮しの手帖」前編集長で東京中目黒の書店の店主でもある 松浦弥太郎さんは59歳。 物質的な豊かさではなく自分の豊かさを見つけることを提案する代表作のエッセイ「今日もていねいに」は30万部を越えるベストセラーになっています。 その人生に大きな影響を与えたのは高校を中退していったアメリカへの旅と振り返ります。
お金では買えない心の豊かさとか心の安らぎ、穏やかさ、自分が工夫してなにかを築いてゆくとか、世の中の人が心の隅で求めている時代なのかなと感じます。
「今日もていねいに」の一部。
「ほんのささやかなものでも極く小さなものでも、嬉しさが沢山ある一日がいい。 そんな気持ちで朝目を覚まします。 小さな嬉しさが沢山ある一日であれば、ほんのり幸せになります。 そんな毎日がずっと続けば、生きているのが楽しくなります。 そのための僕なりの方法が自分プロジェクトです。 例えば自分プロジェクトその1は、美味しいハーブティーを入れる事。 ハーブティーを飲むのは僕の朝の習慣です。 ・・・美味しいハーブティーを入れるという自分プロジェクトに毎朝真剣に取り組んでいると考えたらどうでしょう。 おそらくお茶を入れるたった5分が工夫と発見のひと時に変ります。・・・そこから見てくるものが必ずあります。 」
幸せと言うものは凄く漠然としている気がします。 自分がちょっと嬉しいみたいなことを一日の中でどれくらい自分が感じたり、積み重ねたりとかできるのかと言うのが自分プロジェクトと言う風に書いています。 大きな幸せを求めるのではなくて、小さな嬉しいことを一日の中で自分が感じて対処してゆく、それが自分の生活習慣の一つになっています。
「ていねいに」とはどういう事だろうと考えながら生きてゆくという事が、自分にとってはしっくりきました。 今わかる「ていねい」という事の一つは、現実としっかり向き合う事と今日の目の前にあることを一つ一つ乗り越えて、そのすべてに「ありがとう」と感謝をして、その「ありがとう」と言う感謝を精一杯表してゆく、と言う風に思っています。 哲学的に「ていねい」とはどうい事なんだろうと、常に考え続けていくというところが、僕の考えている「ていねい」なのです。 物質的な豊かさではなくて精神的な豊かさを、どうやって自分たちが手に入れてゆくのか、今の時代は心のどこかでみんな共通して求めている事ではあると思います。
小中学生時代は色々なことに疑問を持つ子供でした。 大人に凄く質問する子でした。 常に逆のことをしたくなる子供でした。 同級生の母親が興味を持って家に連れて来なさいという事になって、そういう風に考える僕を褒めてくれました。 学校では教えてくれないような、学び(本、音楽など)を教えてくれました。 自分には大人に対する意地みたいなものがあったが、認められたことによって心を開いてもいいんだと思う様になって、意地が段々消えていきました。 親、先生、周りの人への接し方が変って行きました。
高校ではラグビー部に入って全国大会を目指しました。 大きな怪我を繰り返すことになりラグビーを辞めなくてはならなくなりました。 外国への憧れもありました。 高校を中退してアルバイトをして資金を作って、英語もしゃべれない中、18歳で単身で渡米しました。(親は賛成はしてくれなかったが、最終的には承諾を得た。) 何か新しい自分が見つかるような思いがありました。 すべてが判らないものだらけで、困りはてる毎日でした。 (サンフランシスコ) 何もわからないという事は全てが、毎日が新しい。 充実感はありました。 ハラハラドキドキが自分を成長させていったと思います。 挨拶をするという事が、 日々の暮らし、生きることに関して、どれだけ大切な事なのかという事が、アメリカで初めて判りました。 挨拶をするという事は、自分は危害を加えませんよ、大丈夫な人ですよという事を伝えたり感じてもらえることでもあるんです。 人間関係を大切にすれば、基本的には物凄い助け合う社会があると思いました。
貧乏がそれほど恥ずかしい事ではありませんでした。 貧しい人たちは自分なりに楽しいことを考えたり、楽しく生きるという事に一生懸命でした。 自分に関係ないという事は一つもないという事にも気付きました。(政治、戦争、環境とか)
アメリカでの経験を書いてみたら、回りから面白いと褒めてもらいました。 書くことを始めたのが20代後半です。 インスタントカメラで写真を撮って、その場で写真をあげているうちにいろいろな人と知り合いになって行き、自分も認められた経験があり、その経験を最初に書きました。
『暮しの手帖』の編集長も9年間務めました。(40歳から) 自分がどうしても謝らなければならないことに関しては、編集後記で誤ったりします。 上手くいっていることは着目されますが、上手くいってい居ないことはその何倍もあります。
「ドクターユアセルフ」 自分を治療する事は自分である、と言う発想です。 自分が不調であった時に、それを治すのは自分である、人に頼るのではない。 それは自分を大切にする、自分を愛する、自分を好きになる、と言うことの意味でもあるのではないかと思います。 自分自身と向き合うという事は難しい。 いいところだけが自分ではない。 そこに気付き、学び、発見があって、それが自分自身の感動になって、その感動をエッセイとなって世のなかに届けられるんじゃないかと思っています。 書くためにはまず考える。 考えることが生きるという事に対してどれだけ自分の成長、変化させてゆく事に役に立つのか、という事を僕はエッセイを書いていて、常々思います。
困ることによって人間は色々なことに気付いたりするが、困らなくなってしまうと自分自身が停まってしまう。 段々知りたいことがなんでも判る時代になってきている。 しかし、わからないという自分の感情、状況は、これから人間が生きてゆくには、絶対なくしてはいけないものだと思います。 「待つ」という事も大事です。 早いことが価値があると言う様な時代です。 育てるというのは待つことが基本だと思います。 自分自身に待ってあげるという事も大事です。 成長にはそれなりの時間が掛かります。 「めんどくさい」の中には沢山の気付き、学び、自分だけしかわからない発明があります。 87歳になる母親の親孝行をしたいです。 いくつになっても自分の殻を破って、いくつになっても明日は新しい自分である、それでいいんじゃないですか。