井上さやか(奈良県立万葉文化館) ・〔歩いて感じて万葉集 アンコール〕 山の辺の道~後編・天理ルート
額田王は天武天皇の后の一人として出てきます。 早い時期に天武天皇と結ばれて、十市皇女(とおちのひめみこ)という子供も設けている。 天智天皇との時代にお互いが恋を交わす歌が有名ですが、三角関係が言われますが、実際に天智天皇と結婚したという記録は日本書紀には一切ないんです。 歌は有名ですが、どういう人物でどういう人生だったかという事は残っていません。
天理ルートでは柿本人麻呂の歌が詠まれています。 まず黒塚古墳が見えてきます。 邪馬台国女王卑弥呼が魏の国からもらった鏡と言われる三角縁神獣鏡が33面も出土した古墳です。 柳本駅から1,8kmの地点に柿本人麻呂の歌碑があります。
「衾道(ふすまじ)を引手の山に妹を置きて山道を行けば生けりとも無し」 柿本人麻呂
衾道(ふすまじ)は建具のふすまの地名になっていて、そこに向かう道のことを衾道(ふすまじ)と言います。 引手の山という山があって山中に、妹と書くが妻とか恋人のことを指しますが、その女性を置いて山道を辿ってゆくと生きた心地もないというような表現をしています。 柿本人麻呂の妻の一人が葬られていたと考えられている。 愛する妻を亡くして悲しみに暮れている心情を表現している。 魂そのものが山に帰るというのが古くから考えられている発想だったと言われている。
万葉集には柿本人麻呂の歌が80首以上本人の作と断定できるものがあります。 それ以外にも柿本人麻呂の歌集と書かれている歌から引用されているものが、万葉集の中には400首近く残っています。 柿本人麻呂は音とかイメージとか、その連鎖を非常にうまく使う言葉、歌の表現が巧みだと言われています。
石上神宮の鳥居の脇に歌碑があります。
「娘子(をとめ)らが、袖(そで)布留山(ふるやま)の、瑞垣(みづかき)の、久(ひさ)しき時(とき)ゆ、思(おも)ひき我(わ)れは」 柿本人麻呂
袖を振るという事は魂を自分の方に引き寄せる行為なんです。 恋情を表現する事でもあります。 (少女が袖を振る、)布留山(ふるやま)の瑞垣(みづかき)のように、ずっ~と昔から、あなたのことを思っていました。 七支刀 両刃の剣の左右に3つずつの小枝を突出させたような特異な形状を示す。 神祭りをするもの。 かつては神剣渡御祭(でんでん祭)で持ち出され、祭儀の中心的役割を果たした
「石上布留の神杉神さぶて恋をも我は更にするかも」 人麻呂歌集
布留も地名 石上の布留の神杉のように神さびていても、また私は恋をするのかなあ。
神さびていても→年齢を重ねていても
布留の高橋
「石上(いそかみ) 布留(ふる)の高橋(たかはし)
高々(たかだか)に 妹(いも)が待(ま)つらむ 夜(よ)そ更(ふ)けにける」 作者不詳
石上の布留川にかかる布留の高橋 その高橋のように 高々と爪立つ思いであの女が待っているだろうに 夜はもうすっかり更けてしまった。 「石上 布留の高橋」は、市内の石上神宮付近を流れる布留川にかかる高橋で、男の訪れを待ち焦がれてる女の思いを、この高橋にかけて、「高々に」を引き起こして歌っている。女の許へ通う夜に歌った男の歌である。
「 我妹子(わぎもこ)や我を忘らすな石上袖布留川(いそのかみふるかわ)の絶えむと思へや」 作者不詳