2025年10月21日火曜日

伊藤政則(音楽評論家・DJ)        ・ラジオフィフティ 音楽とともに 

伊藤政則(音楽評論家・DJ)      ・ラジオフィフティ 音楽とともに  

伊藤さんは20代前半にイギリスで出会ったハードロックヘビーメタルに感銘を受け日本においていち早くこれらのジャンルを紹介し、普及と発展に尽力しました。  ボン・ジョヴィやエアロスミスなど世界的なロックバンドとも交流を深め、ご自身がディスクジョッキーを務めるラジオ番組で独占インタビューや世界初披露となる楽曲を数多く紹介してきました。 ディスクジョッキーとして今年50周年を迎えた伊藤政則さんが半世紀の間ラジオと音楽に注いできた情熱、貫いていた思いやポリシーなど伺います。

高校時代から深夜放送が大好きでした。  ロンドンに本場の音楽を観たいという事で何か月かいろんなバンドを観ました。  帰国後、友人から「オールナイトニッポン」のアシスタントディレクターのお手伝いの仕事があるという事で、ADとしてアルバイトしました。 (半年) 1975年から「オールナイトニッポン」の深夜3時から5時を担当しることになりました。 (22歳)  レコード会社に行くようになって、アルバムの解説を書くようになりました。  音楽評論家の足がかりになりました。  今もラジオ番組をやっていて30年以上になります。  最近は音楽雑誌が減ってきている。  日本版も出なくなることも多々あります。 そうなると音楽評論家の肩書はあるが仕事をする場所がどんどんなくなってきている。 音楽評論家と名乗って仕事をしている人は少ないです。  

海外で聞いたヘビーメタルを普及してきました。  ロンドンに行った時に新聞で「ヘビーメタルナイト」と言うイベントがあることを知りました。 1979年の夏にいってヘッドバンギング (リズムを取るためのアクション)を観て吃驚しました。  今もツアーをやっている、アイアン・メイデンのまだメンバーも異なる若き無名のアマチュア時代でした。  そのバンドを追いかけていましたが、友達になって、後からカセット、シングル盤を送ってきてくれました。  1980年1月に又ロンドンに行きました。  今度は新しいバンドが一杯出ていました。  戻って来てNHKの番組にゲスト出演して、今ロンドンで何が起こっているかという事でアイアン・メイデンなどの楽曲をかけていただいて、それが日本で一番最初にかかったヘビーメタルの楽曲でした。  反響があり、ファン層が増えて行きました。 

ボン・ジョヴィも全く無名なバンドでした。 1984年夏に「スーパーロック84」というフェスティバルが日本でハードロックヘビーメタルのフェスティバルが初めて行われました。その時に初めてボン・ジョヴィが来日しました。  それがきっかけで彼らとは仲良くしています。  山あり谷あり、長い間やって来て絆が出来ました。  

ポール・ギルバートが僕の番組にゲストで来て、スタジオで生でギターを弾いてくれたりしました。  即興で作ってくれたのを僕の番組で、ポール・ギルバートのテーマで始まるという事になりました。 

ローリング・ストーンの初来日コンサートで、僕が指名されてインタビューすることになりました。  キース・リチャーズのインタビューを30分ぐらいしました。 キースにとってロックンロールとはどういうものなんか聞いたら、「やっとわかり始めたところだ。」と言いました。  

無名時代から一緒に苦労しながら成功を目指してきたアーティストに立ち会っていたことがおおきいし、 インタビューをする時には質問を作って行かないんです。  相手がどんな顔色でどんな調子なのかを見てからでないと話は聞けない。  事前チュエックはやります。  窓口の人はそのアーティストを守る役目もあるわけです。  そういうところを切り崩していかないと真のインタビューは出来ない。  信頼関係も作って行かないとアーティストの本音を聞く事が出来ない。  

ラジオが僕にもたらしたものは、外の全く知らない文化を僕に教えてくれた。  今活躍している若い世代にも定型に定まらないで、はみ出た方がはみ出た分だけ面白いと言う気持ちでどんどん作って行ってもらったら嬉しいです。 70年代後半から80年代前半はFM曲の開局ラッシュでした。  そこで音楽とラジオが変りました。  A面、B面も全部聞かせてくれたりしてこれは大事な事です。 アメリカのラジオは、60年代はシングルヒットしかかけない。  アンダーグラウンドラジオとして60年代にA面、B面も全部聞かせてくれるものが出始めました。  音楽をどういう風に紹介するのか、と言うのがラジオにとって凄く大きなポイントだなあと思います。  ジミー・ペイジはアルバムで聞いて欲しいと新しい時代を耕して行ったという事だと思います。  ラジオを聞いて作ってきた世代と、効かないで育ってきた世代では何か音楽が違うような気がします。 

ラジオってきっちり伝わるのは、自分の愛情が乗った紹介の仕方であり、自分がどれだけその愛が込められているのかと言う風な事だと思います。  判ってしまうのでラジオは怖いですが、そういって試され得てるんだと思います。  皆にしゃべるのではなく、一人にしゃべっている感じがします。  楽しいです。