2026年5月15日金曜日

三石知左子(小児科医)           ・人生のみちしるべ「子どもたちは未来」

三石知左子(小児科医・東京かつしか赤十字母子医療センター名誉院長) ・人生のみちしるべ「子どもたちは未来」 

三石さんは、1955年北海道札幌市に生まれ育ちました。 札幌医科大学卒業後は、東京女子医科大学病院の小児科医として、N ICU新生児集中治療室などに勤務、生まれて間もない命を守るための医療の現場で働いてきました。 1999 43歳でかつしか赤十字産院の副院長となり、その後200650歳で東京かつしか赤十字母子医療センターの院長となります。 以来、20年にわたり医療の現場と組織の運営を担ってきました。 三石さんは副院長として忙しい日々を過ごしていた44歳の時に、俳句に出会い、その面白さに惹かれ詠み続けてきました。 2024年には句集「小さきもの」を刊行されています。 この3月三石さんは院長を退き、1つの大きな区切りを迎えています。 どんな選択を重ね、どんな人生を歩んでこられたのか、三石さんに伺いました。

今は会議等が一切なくなりましたので、精神的には楽になりました。  長く管理職として現場から離れていたので、1小児科医として外来を手伝うと宣言したんですが、薬の調整量とかは必死で今は勉強してます。  父親からは「テレビの前で頭を下げることがないように。」(医療ミスをしないように)と言うことと、「職員250人と家族合わせると500程度はお前の肩ににかかっているので、責任をきちんと覚悟して仕事に当たりなさい。」と言われました 守り通せたのではないかと思います。 

全国に91の赤十字病院があり、赤十字の病院長の全国会議があるんですが、私以外は全部男性ということがでした。 同期で病院長になった人が15,6名いたので、同期会を作ってその中で情報交換等々進めてきました。 2021年に新築移転しました。(以前のものは19 83年に建設したもの) 移転のための土地を2015年に見つけました。2016年から建設計画が始まりました。 建設をするにあたって、いろんな病院を調べました。 最上階にある「ひだまり」と言う部屋があります。   霊安室を1番上に作って欲しいと言う提案がありました。 一般的には地下ですが、 水害に合うと、病院の機能が成り立たなくなる。 陽のあたる1番天国に近いところで、両親と赤ちゃんと別れる場所を用意できたのは良かったと思います 

病院に併設された図書館2万冊ある中の1万冊は、母親と子供たちのための本ということで用意してあります。 NPO「ブックスタート」0歳児健診などの機会に、絵本をひらく楽しい「体験」と「絵本」をセットでプレゼントする活動)の理事をしています 当時副院長で院長に「子供たちに絵本を送りたい。」と言う電話をしたら、「いいですよ。」と言うことをになりました。 それが今も続いています。

私は小さい頃は、体は弱かったです。 身近に先生がいたので親しみを覚えました。 医学部の大学を受けました。 1番勉強したなと思うのは、医師国家試験です。  覚えることが山のようにあり大変でした。  診療科をどこにするかと言うのは迷ったんですが、小児と言うのは未来があるんですね。 院長しているときに看護職の面接もしていました。 看護職の助産師に「どうしてなりたいか。」と尋ねたところ、「私は何週何百グラムで生まれて。」と説明していましたが、彼女は私が大学の時に見ていた赤ちゃんでした。 彼女は優秀だったので採用しました。

俳句もやってまして、20252NHK Eテレ NHK俳句にゲスト出演しました   俳句との出会いは、50代前半でした。 ある俳句のグループに誘われて、参加するようになって、今私が師事している西村和子先生に指導していただけるようになりました。 それをきっかけに先生の夜の初心者教室に通い始めました。 2024年にはじめての句集を上梓しました。 「小さきもの」と言う句集です。

「食卓のすずらん北海道とうし?」  母からすずらんを送ってもらいました。

「しばれると一人となりし母の声」 父が亡くなった後、母一人暮らしで電話で「しばれる」と言う声を聞きました

「初声をあげよ今宵は良夜なり」? 私の仕事の中では、代表の一句としてあげたいなと思っています。

俳句は自分の内面を言葉に出す手段として、とても大事なものと思っています。  私は人のご縁というか、人のつながりでここまで過ごすことができて、仕事にも恵まれましたし、それ以外でも豊かな時間を過ごすことができました。 ちょっとした出会い、ご縁、振り返るとそれは偶然でなく、私にとっては必然であったと思います。 人のご縁は大事にしたいなぁとはずっと思ってます。