2026年5月27日水曜日

庄野真代(歌手・作詞作曲家・女優)     ・「飾らない心で生きる」

 庄野真代(歌手・作詞作曲家・女優)     ・「飾らない心で生きる」

庄野真代さんは、1954年生まれ大阪府出身。 197651日にデビュー、今年50周年を迎えます。 「飛んでイスタンブール」などのヒットを重ね、人気絶頂にあった1980年、突然の休業宣言、28カ国132の都市を回る世界一周の旅へと飛び出し、人生の歩みは大きく変わります。 帰国後は環境問題に目を向け、2000年に45歳で法政大学人間環境学部に入学、その後イギリスのウェストミンスター大学、早稲田大学大学院で学び、音楽を通した社会貢献活動を展開しました。 2022年に悪性リンパ腫であることを公表しますが、音楽活動を止める事はなく、病の試練を乗り越え精力的に活動を続けています。 「飾らない心で生きる」、常に前向きな気持ちで、迷わず進む庄野真代さんの人生の選択について伺います。

今までしてきたこと、今やってることについては、そんなに深い理由はなくて成り行きできちゃっています。 高校生の時代フォークグループの一員になりました。最初楽器をやって、その後コーラスをやるようになって、リードボーカルをやるようになりました。 オリジナル曲などを作ってコンテストに出ましたけれども、だんだんソロで活動するようになりました。 セミプロみたいな形で歌いに行ったりしてました。(高校生時代)

志望校の大学に行けなくて、浪人を始めました。 自分で作詞作曲をして、ピアノで弾き語りをしたら、関西四国の大会でグランプリを取っちゃいました。  東京の全国大会に出た帰りに、レコード会社の人に声をかけられました。 アルバムを作らないかと言われました 。はじめてのシングル版の曲が「ジョーの肖像」でした。

「飛んでイスタンブール」と出会って、プロの作詞家、作曲家の作品を歌うことができて、いらないメロディーがたくさんある、いらない詞もたくさんある、と言うことに気づきます。  紅白出場もあったりして、波に乗っていましたが、他にもっと自分が吸収する必要があるのではないかと思ってました。  友人に誘われて、80日間の世界一周旅行行こうと思いましたが、もったいないので1年半かけていくことにしました。 しかし、結局2年になりました。 

最初タイに行きました。 「海老の養殖をするためにマングローブの木をたくさん切りますが、その影響で海の風が入ってきて、作物が育たなくなる、水辺の魚も来なくなる。 海老をたくさん食べている日本からきた貴方はこの現状をどう思いますか。」と言われました。 環境が破壊されていると言うことを全然知りませんでした。これから先の旅は地球の素顔をちゃんと見て歩くたびにしないといけないと思いました。 旅を進めていくと発見がいっぱいありました。

見てきたこと、聞いてきたことを絶対日本に伝えなければいけないと思いました。 夫婦で旅をしていたので、長女はロサンゼルスで出産しました。  次女は日本です。 アメリカと日本では赤ん坊に対しての考え方がだいぶ違っていました。   でも2人とも問題なく育ってます。 

日本に戻ってきてから、国連の環境のイベントでテーマソングを作って歌ってほしいと言う話が来ました。 歌ったりスピーチをしていきました。 その数ヶ月前事故と病気で2回立て続けで入院と手術をしました。 人の命と言うのはいつどうなるかわからないと思いました。  法政大学が2年環境学部を新設して、社会人入試もあると書いてあり受験して合格しました。  仕事との両立の心配がありましたが、やることにしました。(45歳) 学校では、サークルを作って老人施設障害者施設病院とかなどにコンサートをする人を集めていって、音楽を楽しむと言うことをやりました。 

海外留学の夢を持っていまして、新聞にぴったりの条件がありました。  それに応募して合格しました。 選んだ学科が人間地理学でした。 途上国問題、英語、パフォーマンスのクラスの4単位取ることになりました。 そして開発人類学というのがあって、それが早稲田の大学院のアジア太平洋研究科でした。 ここで学ぶことになりました。 修士論文を書くときに、テーマが見つからなくて、音楽を通した支援の活動について書いたらどうかと考えました。 フィリピンのストリートチルドレンの施設に勉強に行きました。 そこでは音楽セラピーをやっていました。  暴露療法、歌うことによって子供たちが心を回復させて、みんなと集団生活に溶け込んでいけるということでした。 

NPO法人を立ち上げました。(「国境なき楽団」)                   施設の訪問コンサート 世界の子供たちに楽器を届ける 平和のための世界で行われているコンサートの日本主催者になってするコンサート ④活動費のためのライブカフェを開きました。 この4つを軸にして活動しています。      子ども食堂も2018年からやっています。 ボランティア活動へ向かって行ったのは母の影響かもしれません。 小学校の頃、私は体が弱くて学校の給食が食べられなくて家に帰って食べていましたが、給食費を払えない子供たちが何人かいて、そのことを母に話したら、「家に連れて来なさい。」と言って一緒に食事をした経験があります。 

コロナ禍でいろいろな活動ができなくなりました。  帯状疱疹になってしまい、精密検査をしたら悪性リンパ腫がわかりました。(ステージ4) 抗がん剤治療しながら仕事をしていました。 悪性リンパ腫はゼロにはならないので、友達として良いことをしながら付き合っていくようです。  良いこととは生きがいですかね。  歌を介して一緒になって、そこが輝く時間になる、それが生き甲斐です。    大事だなと思う事はドキドキすること、ドキドキしようと言いたいです。