マロン(フードスタイリスト) ・「マロン流食生活のススメ」
フードスタイリストとして38年ほどやっています。
(フードスタイリストとは主に書籍や雑誌・広告の写真や、CMや映画など映像作品の撮影現場において、撮影される料理やテーブルセッティングなどの演出を手がける職業です。)
2001年にNHKの「今日の料理」に出さしていただきました。
「今日の料理」では24分で纏めます。
カメラリハーサルを本番さながらにやりますがオーバーしてしまいます。
「今日の料理」は60年ほどやっていて小さい時から見ていました。
僕も61歳になります。
今日は明日のためにあるという事で、「明日は今日よりも素敵な日にしたい」というのが僕の思いです。
長崎県対馬で生まれ、佐賀県育ちです。
高校生まではそこで育って大阪あべの辻調理師専門学校に行って勉強して、魅せる環境を作りたかったので、1983年にフードスタイリストになりました。
いがぐりのような頭をしていたので「マロン」というネーミングになりました。
小さい時に祖母が良く面倒を見てくれて、おままごとをやってそれが原点になっていると思います。
小さいころ地元で食べた味は体が覚えていて、大人になっても食べ続けると元気になり、記憶もよみがえってきます。
眼で食べる、口で食べる、音を感じる、心で食べる。
佐賀県では醤油も甘いです。
レンコンのきんぴら、ひじきの煮物、キュウリの酢の物、が祖母の三大お惣菜で、これを食べると気持ちが上がり、細胞を活性化させてくれます。
食は命をつなぐものだと思います。
若い人にはやりたいことを早く見つけてほしいと思っています。
小さいころから料理が好きだったし、祖母や家族があったからこそ今の自分があると思います。
食と健康と美容は切り離せないトライアングル、密接につながっていると思います。
食は一番だと思います。
小さい子には緑黄野菜はまずよく見て、切って匂いをかがせて、ゆでたりしますが、皆さん味付けのバリエーションが少ないと思います。
手の洗い方を小学生の時に学んで、そして爪を洗うようにしました。
基本はまずお湯を沸かす、手を動かす。
睡眠も大事です。
清潔感が必要です、髪もきれいにしてほしいです。
食べる事に主体性主体、自主性を持っていただきたい。
手足をよく動かす、よく寝る、清潔にしてほしい。
食は命をつなぐものです、命の薬と言っていいのかもしれません。
(話の内容がいろいろ飛んでうまく纏められませんでした。)
2020年2月29日土曜日
2020年2月28日金曜日
田島征三(画家・絵本作家) ・【人生のみちしるべ】「押し寄せる情熱で描く」前編
田島征三(画家・絵本作家) ・【人生のみちしるべ】「押し寄せる情熱で描く」前編
田島さんは1940年大阪府生まれ、幼児期を高知県で過ごします。
多摩美術大学を卒業後25歳の時に「ふるやのもり」で絵本作家としてデビュー、2年後に出版した「ちからたろう」では世界絵本原画展で「金のりんご賞」を受賞。
29歳の時には東京都の日の出村に引っ越しヤギや鶏を飼い、農作物を作り自給自足の生活の中で創作活動をつづけます。
49歳の時には「とべバッタ」で絵本日本賞を受賞、58歳で伊豆半島に移り住み、その後も木の実による絵本『ガオ』を出版したり、廃校になった小学校を丸ごと絵本にする空間絵本作品を制作するなど、常に挑戦を続け80歳となった今もエネルギッシュに製作活動をされています。
まさに森になっていてそれが好きで、実が一杯になっている時には次から次に小鳥が来ます。
キジバト、ツグミ、ヒヨドリ、メジロなどが来ています。
絵を描くよりも観て小鳥の人生、どこからきてどこにいくんだろうとか、いろいろ考えているだけでも楽しい、空想するのが楽しいです。
60歳になるときには気が付かなくて、いつの間にか70代が過ぎていて、去年79歳を意識しました。
80歳は傘寿で、元気そうに見える様で「おいくつですか」とよく言われるんです。
そうすると79歳とは言いたくなくて「29歳です」と言うんです、「来年30(傘寿)だから」と。
80歳になると覚悟がいるねと思います。
描くというのは波が押し寄せてくる波に似たような感情がして、階段を駆け下りて筆を持つようにしています。
ちゃんとデッサンはしない、下書きもしないで、いきなり描きはじめて、気が付いてつぎ足すようなこともします。
美術大学でデッサンをするんですが、評価がDなんです、「君はめちゃくちゃだ、デッサンは面白いということではいけない」、と先生から言われました。
生き物の愛おしさ、命の持っている激しい生きる力、バイタリティーが満ち溢れているという風に自分で感じる事があるんです。
これは何だろうと思います。
「ちからたろう」とか20代の頃の作品はへたなんですが、力強さは今描けるかなあと思います。
20代の肉体で描いたのだから強いんだけれど、内包された力強さを随分前から感じていましたが、80歳になって、正面から作品化しようと思って今挑戦している最中です。
「絵の中のぼくの村」という僕の少年時代のエッセー集ですが、穴の中の魚との格闘を今でも思い出します。
命がけで暴れるその魚の感触が掌に残っているんです。
愛おしさ、切なさ、激しさ、セクシャルな感触とか色んなものが相まって絵の中に出てきてしまうんです、そういうものを描こうと思っていないのに、それがどの絵にも出てきちゃう。
テクニックではなくて、自分が生きてきた道筋、自分が感じたこと、自分が体験したことが心の中に溜まっていて、それを表現しようとしたときに、絵に現れてくる、化学変化かもしれないし説明できないものだと思います。
説明できないものが芸術にはあります。
大坂で空襲を体験して敗戦になったのが5歳でした。
5歳で高知の山奥の村に引き上げていって小学校5年生に夏休みまでいました。
人間として形成される途中なので、そのころの体験が身体の奥にあって肉に入り込んでいるという事です。
絵描きになりたいと言ったら、父親が絵描きを目指すなんてさせないと怒り出してしまいました。
双子で二人とも絵描きになりたいと思っていました。
商業デザイナーなら収入が多いという事で、商業デザイナーになるのだったら大学に行かせてやるという事で、図案科に籍を置きながら絵画科の方に画題を提出していたりしていました。
教授がバウハウスの教育方針を取り入れていて、丸、三角をどう組み合わせれば平面上の力関係を不安定にできるとか、安定した平面構成にできるかとか演習をやって面白いと思いました。
電通、博報堂は青田刈りに来ていて、博報堂の実習生としていくことになり、製薬会社のポスターをいきなり描きました。
デザイン会社の上役から「これは君の宣伝にはなるが、薬の宣伝にはならない」と怒られてしまいました。
出版関係に行きなさいと教授から勧められて出版関係のところに行きました。
民話の絵を描いて「ふるやのもり」ができました。
1963、4年に仕事をもらって1964年の夏に仕上げました。
1964年の12月には本が出ました。
瀬川さんは本当に僕の「ふるやのもり」には吃驚してしまったんですが、一般にはとんでもなくひどい扱いをされました。
芸術として描いていて絵本として描いていないという事で、美しい花園を芸術家の泥靴で踏みにじることだけはやめてほしいというのが最後の言葉でした。
そんなことをやったものだから今色々面白い人が出てきて、ミロコマチコさん、きくちちきさん、あべ弘士さんとか次々に出てきました。
「ふるやのもり」を出したために全く仕事が来なくなりました。
ついに栄養失調になってしまいました。
むかごをフライパンで炒めて食べていましたが、偏っていたので中枢神経失調症になってしまって、身体が引きつって体中が痛くなって汗がもの凄く出ました。
就職しなかったので父に頼ることはできませんでした。
大家さんに相談したらただで見てくれる医師を紹介してくれました。
生活保護の申請書を持って国立(くにたち)の町役場いいって、「ふるやのもり」の本を見せて「これでいづれ立ち直れれるから今年1年でいいから生活保護を出してくれ」と言ったら、「こんな汚らしい本は何だ、こんな本を書いてお前はやって行けると思うのか」、と本を床に投げ捨てて、最後は殴り合いみたいな喧嘩になってしまいました。
追い出されて帰ってきて、引きつる感覚が短くなってきて、着替えるものもなくそのうちに死臭を感じて、死ぬんだなあという気持ちがしてきて、涙が出てきました。
朝戸を叩く音がして、朦朧としたなかで、美しい女性がきて、天国から迎えに来たのかなあと思いました。
下級生の女性でした。
アンパンとチーズを買ってきてくれてよみがえることができました。
その女性が今の妻です。
田島さんは1940年大阪府生まれ、幼児期を高知県で過ごします。
多摩美術大学を卒業後25歳の時に「ふるやのもり」で絵本作家としてデビュー、2年後に出版した「ちからたろう」では世界絵本原画展で「金のりんご賞」を受賞。
29歳の時には東京都の日の出村に引っ越しヤギや鶏を飼い、農作物を作り自給自足の生活の中で創作活動をつづけます。
49歳の時には「とべバッタ」で絵本日本賞を受賞、58歳で伊豆半島に移り住み、その後も木の実による絵本『ガオ』を出版したり、廃校になった小学校を丸ごと絵本にする空間絵本作品を制作するなど、常に挑戦を続け80歳となった今もエネルギッシュに製作活動をされています。
まさに森になっていてそれが好きで、実が一杯になっている時には次から次に小鳥が来ます。
キジバト、ツグミ、ヒヨドリ、メジロなどが来ています。
絵を描くよりも観て小鳥の人生、どこからきてどこにいくんだろうとか、いろいろ考えているだけでも楽しい、空想するのが楽しいです。
60歳になるときには気が付かなくて、いつの間にか70代が過ぎていて、去年79歳を意識しました。
80歳は傘寿で、元気そうに見える様で「おいくつですか」とよく言われるんです。
そうすると79歳とは言いたくなくて「29歳です」と言うんです、「来年30(傘寿)だから」と。
80歳になると覚悟がいるねと思います。
描くというのは波が押し寄せてくる波に似たような感情がして、階段を駆け下りて筆を持つようにしています。
ちゃんとデッサンはしない、下書きもしないで、いきなり描きはじめて、気が付いてつぎ足すようなこともします。
美術大学でデッサンをするんですが、評価がDなんです、「君はめちゃくちゃだ、デッサンは面白いということではいけない」、と先生から言われました。
生き物の愛おしさ、命の持っている激しい生きる力、バイタリティーが満ち溢れているという風に自分で感じる事があるんです。
これは何だろうと思います。
「ちからたろう」とか20代の頃の作品はへたなんですが、力強さは今描けるかなあと思います。
20代の肉体で描いたのだから強いんだけれど、内包された力強さを随分前から感じていましたが、80歳になって、正面から作品化しようと思って今挑戦している最中です。
「絵の中のぼくの村」という僕の少年時代のエッセー集ですが、穴の中の魚との格闘を今でも思い出します。
命がけで暴れるその魚の感触が掌に残っているんです。
愛おしさ、切なさ、激しさ、セクシャルな感触とか色んなものが相まって絵の中に出てきてしまうんです、そういうものを描こうと思っていないのに、それがどの絵にも出てきちゃう。
テクニックではなくて、自分が生きてきた道筋、自分が感じたこと、自分が体験したことが心の中に溜まっていて、それを表現しようとしたときに、絵に現れてくる、化学変化かもしれないし説明できないものだと思います。
説明できないものが芸術にはあります。
大坂で空襲を体験して敗戦になったのが5歳でした。
5歳で高知の山奥の村に引き上げていって小学校5年生に夏休みまでいました。
人間として形成される途中なので、そのころの体験が身体の奥にあって肉に入り込んでいるという事です。
絵描きになりたいと言ったら、父親が絵描きを目指すなんてさせないと怒り出してしまいました。
双子で二人とも絵描きになりたいと思っていました。
商業デザイナーなら収入が多いという事で、商業デザイナーになるのだったら大学に行かせてやるという事で、図案科に籍を置きながら絵画科の方に画題を提出していたりしていました。
教授がバウハウスの教育方針を取り入れていて、丸、三角をどう組み合わせれば平面上の力関係を不安定にできるとか、安定した平面構成にできるかとか演習をやって面白いと思いました。
電通、博報堂は青田刈りに来ていて、博報堂の実習生としていくことになり、製薬会社のポスターをいきなり描きました。
デザイン会社の上役から「これは君の宣伝にはなるが、薬の宣伝にはならない」と怒られてしまいました。
出版関係に行きなさいと教授から勧められて出版関係のところに行きました。
民話の絵を描いて「ふるやのもり」ができました。
1963、4年に仕事をもらって1964年の夏に仕上げました。
1964年の12月には本が出ました。
瀬川さんは本当に僕の「ふるやのもり」には吃驚してしまったんですが、一般にはとんでもなくひどい扱いをされました。
芸術として描いていて絵本として描いていないという事で、美しい花園を芸術家の泥靴で踏みにじることだけはやめてほしいというのが最後の言葉でした。
そんなことをやったものだから今色々面白い人が出てきて、ミロコマチコさん、きくちちきさん、あべ弘士さんとか次々に出てきました。
「ふるやのもり」を出したために全く仕事が来なくなりました。
ついに栄養失調になってしまいました。
むかごをフライパンで炒めて食べていましたが、偏っていたので中枢神経失調症になってしまって、身体が引きつって体中が痛くなって汗がもの凄く出ました。
就職しなかったので父に頼ることはできませんでした。
大家さんに相談したらただで見てくれる医師を紹介してくれました。
生活保護の申請書を持って国立(くにたち)の町役場いいって、「ふるやのもり」の本を見せて「これでいづれ立ち直れれるから今年1年でいいから生活保護を出してくれ」と言ったら、「こんな汚らしい本は何だ、こんな本を書いてお前はやって行けると思うのか」、と本を床に投げ捨てて、最後は殴り合いみたいな喧嘩になってしまいました。
追い出されて帰ってきて、引きつる感覚が短くなってきて、着替えるものもなくそのうちに死臭を感じて、死ぬんだなあという気持ちがしてきて、涙が出てきました。
朝戸を叩く音がして、朦朧としたなかで、美しい女性がきて、天国から迎えに来たのかなあと思いました。
下級生の女性でした。
アンパンとチーズを買ってきてくれてよみがえることができました。
その女性が今の妻です。
2020年2月27日木曜日
冨田章(美術史家) ・【私のアート交遊録】「初老耽美派が行く!」
冨田章(美術史家) ・【私のアート交遊録】「初老耽美派が行く!」
初老耽美派とは、富田さんと三菱一号館美術館館長の高橋 明也さん、美術史家の山下裕二さんの三人が結成したユニットの名前です。
富田さんはフランス、ベルギー、日本の近代美術が、高橋明也さんはフランス近代美術がご専門です。
山下裕二さんは室町時代の水墨画の研究を軸に、縄文から現代まで幅広く日本美術を論じてきました。
異なる分野で40年近く活躍されて来た3人が美しいもの、好きなものについて自由に語り合おうと結成したのがこの初老耽美派です。
この3人が「初老耽美派よろめき美術鑑賞」という本をこのほど出版しました。
美の王道を極めたこの3人が自由自在に美術について語っています。
富田さんにアートを緩く長く楽しむ極意について伺いました。
東京ステーションギャラリーで展覧会があったときに、鼎談をやろうという事になり、三菱一号館美術館館長の高橋 明也さんと美術史家の山下裕二さんの三人で鼎談をしました。
そのあとに飲み会があり初老に成ったら思い切り美術を楽しんだらいいのではないかという事で初老耽美派だねという事で、そちらの方の仕事が来るようになり本を出すまでになってしまいました。
初老だと思うといろいろな老化現象も当たり前だと思えるようになり、そういうものと仲良く付き合っていこうかと心境の変化がありました。
美術は共存共栄的なところがあり、お互いに判り合えることがが多くて、打てば響くという様な感じで気が楽です。
展覧会に係りあってきたので判りやすく解説する、話すという事をやってきました。
出来るだけハードルが低くて、読みやすく、面白い本がいいのではないかと思いました。
「美術鑑賞に正解はなく、そもそも美術は役に立たないものだ」という文言がありますが、勉強という風な見方で美術を見ると面白くないあだろうと思いました。
美術はまず純粋に楽しむという事が一番大事だろうと 3人とも共通に思っています。
「美術は正解が無いんだ」という事ですが、数学、物理などと違って、絶対的な正解はないと思っています。
解釈の仕方は10人いれば10通りの解釈があると思います。
幅をもともと持っているところが美術の魅力だと思います。
観る人のそれまでの経験、人生、考え方によって絵は見え方が全然違ってしまうと思います。
沢山絵を観てゆくことの方がもっと凄いとかが、だんだん判って来ると、その時点でのその人にとっての正解だと思います。
喰わず嫌いにはなってほしくないと思っています。
ルーベンスについては最初苦手だと思っていましたが、ずーっとみているうちに或るときにルーベンスが判る瞬間があり、そう思ってみると物凄くよく面白く見えてくる経験がありました。
刀剣も興味がなかったが、日本美術の田中久雄先生が武士が何故お茶をたしなんでいたかという話をされて、武士はお茶椀の良さをすぐに判ったはずだと何故なら彼らは刀を見慣れていたからだとおっしゃったんです。
刀の波紋を丸くするとあれは茶碗の景色と同じで、刀は一番大事なものでそれを見ていた人が茶碗の良さを判らなかったはずはないと言ったんです。
刀を見るようになり、工芸的な部分の造形が眼に入ってみるようになり、段々興味がわいてきて面白くなっていきました。
美術はいろいろな面白さが詰まっているものだなあと感じます。
そういうものを少しでも皆さんに味わっていただきたいというのが願いです。
自然科学のノーベル賞をとられた先生方も基礎的な研究は何が役に立つのかわからなくて、ただ真実を知りたくて一生懸命研究するが、何十年か経って実はものすごく重要な発見だったりして、それが将来的に役に立ったりすることはあるが、やっている時には全然役に立たないことだが、それをやる事で人類は真理に近づいていってるわけです。
役に立たない研究、勉強、役に立たないことが切り捨てられようとしている。
世知辛い世の中になってきていて残念だなあという気持ちがあります。
年齢に応じた感性はあるもので、いろいろな経験を積んでくると最初の頃の感激みたいなものを忘れてしまうという事があり、それはもったいないなあと思います。
それが「鈍った感性を刺激する」という章のタイトルです。
「おっぱいとエロス」は好奇心を忘れないでほしいという事です。
好奇心が無くなってしまうと何をしてもつまらないという事になりかねない。
山下さんの凄いところは水墨画の分野でありながら、現代アートまでものすごくたくさん見ていて、それは好奇心がないとできないことだと思います。
「アートは結局 好き嫌い」 まず好きか嫌いかという事が入り口としては大きいと思います。
まずは好きなものを見てどんどん発展していけばいいと思っていて、そのうちに嫌いなものにも興味を持って行くという事もあると思います。
父親が美術好きであったので美術書があったり絵が飾ってあったりして、展覧会などにも連れて行ってもらっていました。
小学校1年生の時に絵を描いたのを先生から凄く褒めてくれて美術は面白いと思えました。
中学、高校と美術に抵抗感なく親しめました。
大学は文学部で小説を読むのが好きで、小説家になろうという夢もありました。
美術史の分野がある事が判ってやってみようかと思いました。
本格的に美術史をやろうと思ったのは実は大学を卒業してからでした。
4年生の時には就職活動はしていませんでアルバイトをしていました。
勉強していた西洋美術を徹底的に観ててやろうと思って、ヨーロッパに放浪の旅に行きました。(3か月間)
凄く面白くてのめりこんで行って、これは一生やっていけるかもしれないなあと思いました。
帰国後、美術を仕事にするならば勉強しないといけないと思って大学院に行きました。
私が美術を始めたころと今とでは情報量とかかなり状況が違います。
当時日本美術は見る方が凄く少なくて若冲など誰も知らないという様な時代でした。
美術には緩く触れていくというのが一番いいと思います。
今観て感激をして観れなかったら観てもあまり意味がないと思います。
義務感に駆られていってしまうとつまらなくなってしまうので、本当に行きたいところに行く、観たいものを観る、それを最低限を守って余力あればちょっと観てみるというところが適当なのではないかと思います。
神田 日勝という画家で絶筆(32歳で亡くなる)になってしまった半身の「馬」という絵があり、好きな絵です。
部分部分を書き込んでいくので馬の前半分は完成されているが、残りの部分はまだ画面の地が出てくて物凄く迫力があり迫ってくる。
私にとって忘れ難い一点です。
初老耽美派とは、富田さんと三菱一号館美術館館長の高橋 明也さん、美術史家の山下裕二さんの三人が結成したユニットの名前です。
富田さんはフランス、ベルギー、日本の近代美術が、高橋明也さんはフランス近代美術がご専門です。
山下裕二さんは室町時代の水墨画の研究を軸に、縄文から現代まで幅広く日本美術を論じてきました。
異なる分野で40年近く活躍されて来た3人が美しいもの、好きなものについて自由に語り合おうと結成したのがこの初老耽美派です。
この3人が「初老耽美派よろめき美術鑑賞」という本をこのほど出版しました。
美の王道を極めたこの3人が自由自在に美術について語っています。
富田さんにアートを緩く長く楽しむ極意について伺いました。
東京ステーションギャラリーで展覧会があったときに、鼎談をやろうという事になり、三菱一号館美術館館長の高橋 明也さんと美術史家の山下裕二さんの三人で鼎談をしました。
そのあとに飲み会があり初老に成ったら思い切り美術を楽しんだらいいのではないかという事で初老耽美派だねという事で、そちらの方の仕事が来るようになり本を出すまでになってしまいました。
初老だと思うといろいろな老化現象も当たり前だと思えるようになり、そういうものと仲良く付き合っていこうかと心境の変化がありました。
美術は共存共栄的なところがあり、お互いに判り合えることがが多くて、打てば響くという様な感じで気が楽です。
展覧会に係りあってきたので判りやすく解説する、話すという事をやってきました。
出来るだけハードルが低くて、読みやすく、面白い本がいいのではないかと思いました。
「美術鑑賞に正解はなく、そもそも美術は役に立たないものだ」という文言がありますが、勉強という風な見方で美術を見ると面白くないあだろうと思いました。
美術はまず純粋に楽しむという事が一番大事だろうと 3人とも共通に思っています。
「美術は正解が無いんだ」という事ですが、数学、物理などと違って、絶対的な正解はないと思っています。
解釈の仕方は10人いれば10通りの解釈があると思います。
幅をもともと持っているところが美術の魅力だと思います。
観る人のそれまでの経験、人生、考え方によって絵は見え方が全然違ってしまうと思います。
沢山絵を観てゆくことの方がもっと凄いとかが、だんだん判って来ると、その時点でのその人にとっての正解だと思います。
喰わず嫌いにはなってほしくないと思っています。
ルーベンスについては最初苦手だと思っていましたが、ずーっとみているうちに或るときにルーベンスが判る瞬間があり、そう思ってみると物凄くよく面白く見えてくる経験がありました。
刀剣も興味がなかったが、日本美術の田中久雄先生が武士が何故お茶をたしなんでいたかという話をされて、武士はお茶椀の良さをすぐに判ったはずだと何故なら彼らは刀を見慣れていたからだとおっしゃったんです。
刀の波紋を丸くするとあれは茶碗の景色と同じで、刀は一番大事なものでそれを見ていた人が茶碗の良さを判らなかったはずはないと言ったんです。
刀を見るようになり、工芸的な部分の造形が眼に入ってみるようになり、段々興味がわいてきて面白くなっていきました。
美術はいろいろな面白さが詰まっているものだなあと感じます。
そういうものを少しでも皆さんに味わっていただきたいというのが願いです。
自然科学のノーベル賞をとられた先生方も基礎的な研究は何が役に立つのかわからなくて、ただ真実を知りたくて一生懸命研究するが、何十年か経って実はものすごく重要な発見だったりして、それが将来的に役に立ったりすることはあるが、やっている時には全然役に立たないことだが、それをやる事で人類は真理に近づいていってるわけです。
役に立たない研究、勉強、役に立たないことが切り捨てられようとしている。
世知辛い世の中になってきていて残念だなあという気持ちがあります。
年齢に応じた感性はあるもので、いろいろな経験を積んでくると最初の頃の感激みたいなものを忘れてしまうという事があり、それはもったいないなあと思います。
それが「鈍った感性を刺激する」という章のタイトルです。
「おっぱいとエロス」は好奇心を忘れないでほしいという事です。
好奇心が無くなってしまうと何をしてもつまらないという事になりかねない。
山下さんの凄いところは水墨画の分野でありながら、現代アートまでものすごくたくさん見ていて、それは好奇心がないとできないことだと思います。
「アートは結局 好き嫌い」 まず好きか嫌いかという事が入り口としては大きいと思います。
まずは好きなものを見てどんどん発展していけばいいと思っていて、そのうちに嫌いなものにも興味を持って行くという事もあると思います。
父親が美術好きであったので美術書があったり絵が飾ってあったりして、展覧会などにも連れて行ってもらっていました。
小学校1年生の時に絵を描いたのを先生から凄く褒めてくれて美術は面白いと思えました。
中学、高校と美術に抵抗感なく親しめました。
大学は文学部で小説を読むのが好きで、小説家になろうという夢もありました。
美術史の分野がある事が判ってやってみようかと思いました。
本格的に美術史をやろうと思ったのは実は大学を卒業してからでした。
4年生の時には就職活動はしていませんでアルバイトをしていました。
勉強していた西洋美術を徹底的に観ててやろうと思って、ヨーロッパに放浪の旅に行きました。(3か月間)
凄く面白くてのめりこんで行って、これは一生やっていけるかもしれないなあと思いました。
帰国後、美術を仕事にするならば勉強しないといけないと思って大学院に行きました。
私が美術を始めたころと今とでは情報量とかかなり状況が違います。
当時日本美術は見る方が凄く少なくて若冲など誰も知らないという様な時代でした。
美術には緩く触れていくというのが一番いいと思います。
今観て感激をして観れなかったら観てもあまり意味がないと思います。
義務感に駆られていってしまうとつまらなくなってしまうので、本当に行きたいところに行く、観たいものを観る、それを最低限を守って余力あればちょっと観てみるというところが適当なのではないかと思います。
神田 日勝という画家で絶筆(32歳で亡くなる)になってしまった半身の「馬」という絵があり、好きな絵です。
部分部分を書き込んでいくので馬の前半分は完成されているが、残りの部分はまだ画面の地が出てくて物凄く迫力があり迫ってくる。
私にとって忘れ難い一点です。
2020年2月26日水曜日
村雨辰剛(庭師) ・【心に花を咲かせて】日本庭園に魅せられた北欧青年(初回:2019/9/25)
村雨辰剛(庭師) ・【心に花を咲かせて】日本庭園に魅せられた北欧青年(初回:2019/9/25)
https://asuhenokotoba.blogspot.com/2019/09/blog-post_25.htmlをご覧ください。
https://asuhenokotoba.blogspot.com/2019/09/blog-post_25.htmlをご覧ください。
2020年2月25日火曜日
入江杏(世田谷一家殺害事件被害者遺族)・【人権インタビュー】 (1)怒りより、悲しみへの共感を(初回:2019/12/9)
入江杏(世田谷一家殺害事件被害者遺族) ・【人権インタビュー】 (1)怒りより、悲しみへの共感を(初回:2019/12/9)
https://asuhenokotoba.blogspot.com/2019/12/blog-post_9.htmlを御覧下さい。
https://asuhenokotoba.blogspot.com/2019/12/blog-post_9.htmlを御覧下さい。
2020年2月24日月曜日
頭木弘樹(文学紹介) ・【絶望名言】金子みすゞ(初回2019/1/28)
頭木弘樹(文学紹介) ・【絶望名言】金子みすゞ(初回2019/1/28)
https://asuhenokotoba.blogspot.com/2019/01/blog-post_28.htmlを御覧ください。
https://asuhenokotoba.blogspot.com/2019/01/blog-post_28.htmlを御覧ください。
2020年2月23日日曜日
明日への言葉 投稿10年目に!
2011年2月22日の「明日への言葉」のブログの初投稿以来9年が過ぎて、10年目に入りました。
その間、体の不調とかもあったりしましたが、何とか続けて来られました。
これもアクセスしてくださる人々がいて、それが励みになって来たと思います。
参考までに、外国の方々がご覧になるようになってきて、一番がアメリカで、二番は時々の内容によるようで、いろんな国が入れ替わっている様な状況です。
ドイツ、フランス、イギリスは多くはないですが、常にベスト10に入っています。
累積アクセス数は今日で1、561、802になりました。
いつもKさんには誤字脱字について校正していただき、本当に感謝しています。
この場を借りて御礼します。
今後どのぐらい続けられるか不安な面がありますが、当面とりあえず日々頑張っていきたいと思います。
秋田 宏
その間、体の不調とかもあったりしましたが、何とか続けて来られました。
これもアクセスしてくださる人々がいて、それが励みになって来たと思います。
参考までに、外国の方々がご覧になるようになってきて、一番がアメリカで、二番は時々の内容によるようで、いろんな国が入れ替わっている様な状況です。
ドイツ、フランス、イギリスは多くはないですが、常にベスト10に入っています。
累積アクセス数は今日で1、561、802になりました。
いつもKさんには誤字脱字について校正していただき、本当に感謝しています。
この場を借りて御礼します。
今後どのぐらい続けられるか不安な面がありますが、当面とりあえず日々頑張っていきたいと思います。
秋田 宏
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