2024年7月8日月曜日

影山ヒロノブ(アニソンシンガー)     ・〔時代を創った声〕

影山ヒロノブ(アニソンシンガー)     ・〔時代を創った声〕 

影山さんが歌ったドラゴンボールZの主題歌「CHA-LA HEAD-CHA-LA 」がリリースされたのが1989年(35年前)、170万枚を越すヒット作となる。 自分の人生の中で一番のターニングポイントになった曲だと思います。

大坂の出身です。 小さいころはガキ大将でなかったが、友達が多くてよく遊んでしました。 小学5年生の頃にヘビーメタルバンド 「タウドネス」の高崎晃さんと同級生で、同じクラスになったのが音楽へのきっかけでした。 彼がフォークギターをやり始めて、一緒に僕もやり始めました。 吉田拓郎さん、井上陽水さんとかはやり始めた頃でした。 中学になって高崎がエレキギターに変わります。 僕もエレキギターに変えました。 バンド(レイジー)を組んで始めました。 中3か高校1年の頃にサイドギターからボーカルをやるようになりました。 高校1年の冬の時にオーディション番組に出て、司会をやっていたかまやつひろしさんにスカウトされて東京に行きました。(両親は大反対でしたが。) プロ(レイジー)としてスタートしました。 3枚目の「赤ずきんちゃんご用心」という曲が一番売れました。(ハードロックとは全く違っていた。)  

ハードロックをやりたいというメンバーもいて、意見が違ってきて4年後に解散しました。(1981年)  一人でやって行こうと思いました。 作詞、作曲もレベルの低さを感じました。 音楽をやってゆくにはアルバイトをしながらという道になりました。(建築会社 厳しい仕事でした。) 年間120本のライブを4,5年間やりました。(年収7万円でした。)  作詞、作曲もようやく納得できるようになりました。 

1985年に。日本コロムビアスタッフから東映への強い推薦で『電撃戦隊チェンジマン』の主題歌のオファーが来ました。  ロック調でした。

電撃戦隊チェンジマン』 作詞:さがら よしあき 作曲:大野克夫 歌:影山ヒロノブ

歌のイメージが要求と違っていて、収録完了まで苦労しました。 もう次からはオファーが来ないだろうと思っていたら、次々に来ました。 ドラゴンボールZの主題歌「CHA-LA HEAD-CHA-LA 」を歌った後はアニソンシンガー(アニメソング歌手)としてやって行こうと覚悟を決めました。 皆と仲良く一緒に力を合わせて、昨日出来なかったことを明日やれるようになろうという、人生ってそこですよ。 若い声優に対しては、失敗しようが、辛い日が続こうが、最後は自分なので自分がやり切ったと思うところまでは、やって欲しいと思います。