2023年11月29日水曜日

杉野宣雄(押し花作家)          ・〔心に花を咲かせて〕 押し花を世界に広めたい

杉野宣雄(押し花作家)        ・〔心に花を咲かせて〕  押し花を世界に広めたい 

杉野宣雄さんの作品が海外の大きな大会でグランプリを受賞するなど、世界的に活躍しています。  押し花をアートとして確立しようと、単に花を押して作る押し花だけでなく、押し花を使って金属加工とか、陶芸への活用など、技術的な可能性を追求しています。 現在50代半ばの杉野さんですが、押し花を始めた頃30年前は押し花といえば、女性を中心とした楽しみとか趣味の延長線上にあったように思われるのですが、男性の杉野さんがなぜ押し花をはじめ、その押し花をアートとして確立しようと思い、世界に広めようと思っているのでしょうか、押し花はどこから始まり日本で広がったのはいつごろなのか、などなど様々な押し花の話を杉野さんのかかわりと共にお聞きしました。

挟んで皺にならないようにつぶして押すと言う事で押し花になりました。 イタリアで生まれたと言われています。 1545年にルッカ・ギニと言う生物学者が冬場でも研究できるように押し花にして残したと言われています。  学術的の研究するために押し花を作っていた。 産業革命の時にヨーロッパ中心に活版印刷が生まれて、4色の印刷物がとても珍しい時期だったので、それをスクラップブックに貼って行って、コレクションする趣味がイギリスを中心に始まりました。 押し花も4色の印刷物と同じような扱いで、同じ様にコレクションしていったんです。  ビクトリア時代は押し花のスクラップの本がたくさんあるんです。  色が貴重でそれを集めるのが高貴な趣味として広がったらしい。  押し花が学術的な世界から趣味の世界に、花束をアレンジするように、デザインする世界に変って行った。 

1888年に押し花のデザインされた本を持ってきましたが、いろんな形にデザインされています。  その後アメリカのフィラデルフィアでは園芸がとても盛んで、押し花もとても盛んな地域です。  グレース・ケリーさんがモナコにモナコ公妃として行かれて活動する中で、押し花作家としても活動しました。 日本では室町時代に和紙の文化が相当広がりました。  障子とかに紅葉とか花びらを入れてやっていました。 それが押し花としてみれば日本では相当広がったと思います。  江戸時代中期に桜とかを押し花にしたものが見つかって博物館に残ったりしています。(手紙に添えた様なものかもしれない。)   江戸時代に第一次園芸ブームがあり、朝顔が突然変異でいろんな朝顔があり、それを押し花にしてコレクションしたというものがたくさん残っています。  今はないが黄色い朝顔などもありました。 日本は梅雨の時期があるので、1週間ぐらいで色が変わってしまったんです。綺麗に残したいということで、戦後たくさん生まれてきて、多くの人が色を残すように研究しました。  それから押し花を趣味として広げる人が出て来たと思います。 

私の祖父が植物の分類学をやっていて、牧野先生とも交流がありました。 標本がたくさん残っていましたが、余り綺麗ではありませんでした。  父が押し花を綺麗に残す技術を開発しました。 そこから押し花電報を父が始めて、広がって行きました。(今でもある。) 押し花電報を辞めて、父は手作りの良さを広げたいという事で、押し花教室を始めました。 私も押し花の仕事を手伝い始めました。  押し花の道具、作品が結構売れました。 押し花の仕事にやりがいを感じるようになりました。  結婚式のブーケにも、祝福する思いが宿っているので、それを押し花にして飾っておくといつまでも幸せになれるというようなことで、イギリスでは行われていて、日本でもやってみようと思いました。 喜んでもらえて、こんなにやりがいのある仕事はないと思いました。 

アメリカのオハイオ州に行った時に、湖のほとりにメープルの林がありました。 葉っぱにはいろんな色が混ざっていました。  これを押し花にして表現するという事で、植物ありきの表現に変って行きました。(自然界の美を生かす。)  作るのがより楽しくなりました。 基本的には主役の植物があって、その主役の植物を如何に周りの脇役の植物でデザインして行ったらより綺麗に見えるかというアドバイスのレッスンをします。 主役を発見することから押し花は始まります。 台紙に、写真の力を使ってぼかして遠近感をだして、そこに貼って押し花をリアルに表現することをやっています。   

押し花を絵画的に表現したり、インテリアとして飾れるようなものとか、色を変わらなくすると言うのが私たちの目標なので、そういった技術を施したものを押し花アートとして名付けています。  押し花の色が変わるのは、水分、酸素、紫外線が主な要因です。  私は台紙の上に花を置いたら糊付けしません。  台紙の裏側に乾燥剤などを置いて、ガラスとアルミに載せて、接着剤で止めて中の空気を抜きます。 空気を抜いて固定しています。 色が長く保てます。  ヨーロッパなどの乾燥地域では1か月ぐらい電話帳に挟んでおけばだいたい乾いていますが、やや茶色っぽくなります。 私の作品を始めてみた方は驚きます。 1997年のコンテストで、メープルの葉っぱの作品を出して、自信がありましたが、一等賞が取れなかった。 理由は、葉っぱは凄くきれいだったが、虫が食べているのをあえて使ったんですが、アメリカの審査員のコメントは虫が食べているから減点します、と言う事でした。(わびさびが通用しない)  国によっても好きな色は違います。 

グランプリをその後取って、その後は出品はしないで、生徒さんたちに出品を促しています。 賞をとった人は何人もいます。  押し花の世界には日本の技術が世界一です。  誰でも簡単な技術で押し花ができれば普及すると思いました。  それがテーマです。  楽しい押し花を日本の文化として広げたいと思いました。  押し花の交流が出来て仲間作りが出来ます。  黒い紙に三枚の葉っぱを並べた作品があり、植物の持っている美しさをちょっと工夫して、より美しくストーリーが感じる様に並べてあげるだけで、自然の美しさの姿を切り取ったような作品が出来て、皆さん感動してくださいました。 

1999年に世界押し花芸術協会を立ち上げました。 海外の方と押し花を芸術に高めようじゃないかと言う思いがありました。  コンテストがあり来年20回目になります。