2023年11月26日日曜日

川邉サチコ(美容家)          ・高齢者に発破をかけたい!

川邉サチコ(美容家)          ・高齢者に発破をかけたい! 

川邉さんは1938年生まれ、東京都出身。 女子美術大学卒業後、すぐに結婚、義理の母となったのが当時を代表する美容科の一人であった柴山みよかさんでした。 家業は手伝わないと言って結婚しましたが、姑と二人でパリに行った時にヘアメークの学校で学び、帰国後仕事を始めることになりました。 一人娘を連れて離婚してからもヘアメークの仕事を続け、ファッションショーや広告、舞台と活躍の場を広げてゆきます。  実のお母様の介護をきっかけに自宅でサロンを開き、85歳の今も現役で執筆、撮影、お客様の対応と忙しい毎日を送っています。 

歳をとることを楽しんじゃうという事をもっと前向きに考えた方がいいんじゃないかと思います。 下町育ちで、たまたま美容科のところに嫁に行って、ファッションの方向に行っちゃって、いろんなことをやってきたけれど、いろんな方にお目にかかっていて、育ててくださったと思います。  歳をとっても凄く楽しいんだと言うとを、自分で演出できると思うんです。うちは綿布問屋でハンカチ屋でした。  流されて行っていつの間にか美術の道に進んでいったような感じです。 女子美術大学を卒業して、結婚して、義母芝山みよかの誘いで共にパリに行きました。(23歳)  ファッション、メーキャップに目覚め、この仕事は面白いと思いました。 

一日のショーに向けて、何か月も準備して、ひとつのファミリーみたいになって、一日凝縮した時間を過ごせる面白さがありました。 三宅一生さんがパリでやった時にもご一緒しました。 パリのオートクチュールが日本に来たころでした。  女の人が綺麗になってゆくことが面白いというのが私たちの仕事ですよね。 山口小夜子さんは表現する力を持ているモデルさんでした。 手足は長いけれどモデルさんとしては小さかった。  メイクをするとその雰囲気に自分がなれてオーラが出るんです。 そこからヘアスタイル、何を着せるか、と言うことでメイクは大事です。 山口小夜子さんのメイクをオリエンタル風に作ったんです。 となるとおかっぱしかなくて、ボブ(唇のラインから肩下くらいまでの長さのスタイルのこと。 基本的には丸みを帯びたフォルムであり、髪がまとまりやすいといった特徴を持つものが多い)にしました。  パリで勝負して結果が出ました。 その後に資生堂さんが使ってくれるようになってイメージガールになりました。  

皆と同じようにしていることは好きではなく、一生さんと一緒にやっているとどんどん前に行く事が出来ます。  離婚するときには両親に謝りに行きました。  実家には帰れないので娘を食べさせなければいけないと思いました。  一番迷惑を掛けたのは娘です。   当時、ヨーロッパの人たちと仕事をする場合は同等に扱ってもらえましたが、日本の場合は、上下関係がしっかりあって、我々の仕事は底辺なわけです。 「髪結いさん」と言われれていました。  ヘアメイクの地位を上げたいと思いました。 独りで頑張るしかなかった。

美容は辞めてしまおうかと言う時期があり、母の介護とぶつかりました。 デザインの関係の仕事も7年間やりましたが、自分では才能があるとは思っていませんでした。  南青山から渋谷に引っ越しましたが、なんか高齢者が綺麗ではないんですね。  大人の女がかっこよくならないと駄目じゃないかと思いました。 1994年、川邉サチコ美容研究所を設立しました。  毎日自分を整えてゆくことをやっていったらいいんじゃないかと思います。 全身が写る鏡が少ないので、いつも通るところに鏡を設置するといいと思います。  人は教えてくれないので、自分と鏡を信じた方がいいと思います。 自分の健康を管理する事が大事です。 もっと自分を見つめて大事にしてほしい。  大人の女がかっこよくなって欲しいです。   元気を維持する事はしっかり頑張ろう思います。