髙木聖雨(書家) ・「父に反発、でも同じ道」(初回:2017/5/26)
https://asuhenokotoba.blogspot.com/2017/05/blog-post_26.htmlをご確認ください。
2020年5月31日日曜日
2020年5月30日土曜日
河瀬直美(映画監督) ・「今こそ、文化の力を」
河瀬直美(映画監督) ・「今こそ、文化の力を」
河瀬さんは51歳、1997年『萌の朱雀』にて、第50回カンヌ国際映画祭カメラ・ドール(新人監督賞)を史上最年少(27歳)で受賞。
2007年、第60回カンヌ国際映画祭にて『殯の森』がグランプリを受賞、審査員特別大賞を受賞。
奈良県を拠点に創作活動を続けています。
2020年の東京オリンピック公式記録映画の指揮(監督)に決定しましたが、新型コロナウイルスの影響で来年に延期になりました。
最新作「朝が来る」の公開が延期されました。
東京オリンピックが中止なって東京から戻って奈良の実家で過ごしています。
奈良が大好きなのでここから離れない形をどうしたらいいか数年来考えていて、海外ともリモートワークでやり取りをして、同じ映像を観れる形になっていたので、ステイホームでやることにはあまり違和感はないです。
自粛で仕事の仕方、行動を変容していかなければいけない中で、自分自身も今を深く考える時間を持たせてもらって、ウイルスをブロックというような形で最初思っていましたが、ウイルスと人類がずーっと共存していたものでもあるので、どういう風にウイルスと共存しながら生きていけばいいのか考えました。
私自身移動を新幹線、飛行機で頻繁にしてきましたが、リモートワークでできる事がいろいろあるのではないかと考えるようになりました。
ラッシュアワーの考え方も時差出勤とか整理してゆくことが必要なのかもしれません。
自分自身の時間を取り戻すことも大事かと思いました。
今年になって海外に行って撮影も始めていました。
聖火も日本にやってきたので撮影もしていた矢先にオリンピックの延期が決定しました。
もう一回やり直さないといけないということで、ワクチンも開発されるなどして安全安心の状況が確かめられないとできない状況だとおもいます。
これからの1年も撮っていきたいとは思っています。
撮る範囲が東京から世界とか人類みたいなところにターゲットが広がって、私自身考えさせられるものです。
選手、関係者の人たちは潔く運命を受け入れて来年に向けて調整する方向になっていますが、今年で最後のオリンピックと考えていた人達いるわけで来年となると難しいという人もいる。
柔道の選手などにも取材を進めていましたが、自他共栄という考え方があり、人間性を高めてゆく、社会に貢献したり子どもたちに勇気を与えたりする、そういう活動もスポーツはもたらすわけです。
スポーツには勝ち負けがあるわけで、自分のすべてをかけても勝った選手にはリスペクト(尊敬する)という感情が現れる。
バッハ会長にも取材しましたが、そういったことを言っていました。
最新作「朝が来る」も延期になってしまいました。
構想から4年ぐらいかかって自分にとっても公開が待ち遠しかったんですが。
ミニシアターに対しての支援でクラウドファンディングが3億円集まって、この文化が絶やしてはいけないという思いで、改めて待っている人たちがいるんだなと勇気付けられました。
世界にはいろんな人がいるということを感じられる多様性を体現できる場所でもあるとおもうので、映画という可能性は大きい、広いと思います。
共感を感じてもらうなかで喜びを感じて又作ろうというパワーになってゆくので、生きているかどうかわからない様な喪失感があります。
今度のコロナの持っている特質として密集しない、3密をさけるということで全部映画館に当てはまってしまっていて、徐々には開館してきているが、不安に感じていることも対応しているので、お客さんも戻ってきていただきたいです。
映画界、演劇、コンサート、ライブの人たちも同じ考えをもっているので、アーティストの人たちも全世界中同じ思いを持っているので、ユネスコがどうしていけば次の一歩を踏み出せるのか、ということで数回話し合っていますが、人の心に光をともすのはアートであるという思いは変わらないので、又光を分かち合えるのではないかと思っています。
ヨーロッパでは芸術に対する支援は政府でもいち早く対応しますが、日本の場合は後回しにされる傾向にあります。
いまこそ分野を乗り越えて様々なアイディアを出し合っていろんなコラボレーションができるのではないかと思います。
このような状況下で自分を深く深く掘り下げることも大事かと思います。
今は渦中なので大変ですが、振り返ったときにはいい機会だったと思えるといいと思いますが。
いまこそ独自性、オリジナリティーが再度見直されるような気がしてならないです。
都市部に集中して生活、経済が動いてということになっているが、地方分散して自分の活動をしてゆくことが起こってきて、加速してゆくような感じもします。
映画を作ってきたのが30年代でそれなりに時間がかかったという感じがあり、短編も入れると50本ぐらいになり、1年間に1~2本をずーっと作り続けてきているので、回顧展をしていただいて30年間の軌跡を自分でも見直しながら、出演者、スタッフの人たちと再会して今に至っていて、もう一回勉強しなおすという感覚はあります。
よりグローバルなつながり方を目指していきたいなとおもいます。
繋がりというのは本当に大切なんだなと改めて感じます。
映画を観る事、映画を観る作ること、映画を観る配給する部門を作って10代の人たちにワークショップを手伝ってもらってやっています。
ワークショップをやった後のその子たちの表情、発言がガラッと変わって、わくわくしています。
河瀬さんは51歳、1997年『萌の朱雀』にて、第50回カンヌ国際映画祭カメラ・ドール(新人監督賞)を史上最年少(27歳)で受賞。
2007年、第60回カンヌ国際映画祭にて『殯の森』がグランプリを受賞、審査員特別大賞を受賞。
奈良県を拠点に創作活動を続けています。
2020年の東京オリンピック公式記録映画の指揮(監督)に決定しましたが、新型コロナウイルスの影響で来年に延期になりました。
最新作「朝が来る」の公開が延期されました。
東京オリンピックが中止なって東京から戻って奈良の実家で過ごしています。
奈良が大好きなのでここから離れない形をどうしたらいいか数年来考えていて、海外ともリモートワークでやり取りをして、同じ映像を観れる形になっていたので、ステイホームでやることにはあまり違和感はないです。
自粛で仕事の仕方、行動を変容していかなければいけない中で、自分自身も今を深く考える時間を持たせてもらって、ウイルスをブロックというような形で最初思っていましたが、ウイルスと人類がずーっと共存していたものでもあるので、どういう風にウイルスと共存しながら生きていけばいいのか考えました。
私自身移動を新幹線、飛行機で頻繁にしてきましたが、リモートワークでできる事がいろいろあるのではないかと考えるようになりました。
ラッシュアワーの考え方も時差出勤とか整理してゆくことが必要なのかもしれません。
自分自身の時間を取り戻すことも大事かと思いました。
今年になって海外に行って撮影も始めていました。
聖火も日本にやってきたので撮影もしていた矢先にオリンピックの延期が決定しました。
もう一回やり直さないといけないということで、ワクチンも開発されるなどして安全安心の状況が確かめられないとできない状況だとおもいます。
これからの1年も撮っていきたいとは思っています。
撮る範囲が東京から世界とか人類みたいなところにターゲットが広がって、私自身考えさせられるものです。
選手、関係者の人たちは潔く運命を受け入れて来年に向けて調整する方向になっていますが、今年で最後のオリンピックと考えていた人達いるわけで来年となると難しいという人もいる。
柔道の選手などにも取材を進めていましたが、自他共栄という考え方があり、人間性を高めてゆく、社会に貢献したり子どもたちに勇気を与えたりする、そういう活動もスポーツはもたらすわけです。
スポーツには勝ち負けがあるわけで、自分のすべてをかけても勝った選手にはリスペクト(尊敬する)という感情が現れる。
バッハ会長にも取材しましたが、そういったことを言っていました。
最新作「朝が来る」も延期になってしまいました。
構想から4年ぐらいかかって自分にとっても公開が待ち遠しかったんですが。
ミニシアターに対しての支援でクラウドファンディングが3億円集まって、この文化が絶やしてはいけないという思いで、改めて待っている人たちがいるんだなと勇気付けられました。
世界にはいろんな人がいるということを感じられる多様性を体現できる場所でもあるとおもうので、映画という可能性は大きい、広いと思います。
共感を感じてもらうなかで喜びを感じて又作ろうというパワーになってゆくので、生きているかどうかわからない様な喪失感があります。
今度のコロナの持っている特質として密集しない、3密をさけるということで全部映画館に当てはまってしまっていて、徐々には開館してきているが、不安に感じていることも対応しているので、お客さんも戻ってきていただきたいです。
映画界、演劇、コンサート、ライブの人たちも同じ考えをもっているので、アーティストの人たちも全世界中同じ思いを持っているので、ユネスコがどうしていけば次の一歩を踏み出せるのか、ということで数回話し合っていますが、人の心に光をともすのはアートであるという思いは変わらないので、又光を分かち合えるのではないかと思っています。
ヨーロッパでは芸術に対する支援は政府でもいち早く対応しますが、日本の場合は後回しにされる傾向にあります。
いまこそ分野を乗り越えて様々なアイディアを出し合っていろんなコラボレーションができるのではないかと思います。
このような状況下で自分を深く深く掘り下げることも大事かと思います。
今は渦中なので大変ですが、振り返ったときにはいい機会だったと思えるといいと思いますが。
いまこそ独自性、オリジナリティーが再度見直されるような気がしてならないです。
都市部に集中して生活、経済が動いてということになっているが、地方分散して自分の活動をしてゆくことが起こってきて、加速してゆくような感じもします。
映画を作ってきたのが30年代でそれなりに時間がかかったという感じがあり、短編も入れると50本ぐらいになり、1年間に1~2本をずーっと作り続けてきているので、回顧展をしていただいて30年間の軌跡を自分でも見直しながら、出演者、スタッフの人たちと再会して今に至っていて、もう一回勉強しなおすという感覚はあります。
よりグローバルなつながり方を目指していきたいなとおもいます。
繋がりというのは本当に大切なんだなと改めて感じます。
映画を観る事、映画を観る作ること、映画を観る配給する部門を作って10代の人たちにワークショップを手伝ってもらってやっています。
ワークショップをやった後のその子たちの表情、発言がガラッと変わって、わくわくしています。
2020年5月29日金曜日
サヘル・ローズ(女優・タレント) ・「母がくれた未来を世界の子どもたちに」(初回:2019/5/29)
サヘル・ローズ(女優・タレント) ・「母がくれた未来を世界の子どもたちに」(初回:2019/5/29)
https://asuhenokotoba.blogspot.com/2019/05/blog-post_29.htmlをご覧ください。
https://asuhenokotoba.blogspot.com/2019/05/blog-post_29.htmlをご覧ください。
2020年5月28日木曜日
春日太一(映画史・時代劇研究家) ・【私のアート交遊録】「銀幕の舞台裏」
春日太一(映画史・時代劇研究家) ・【私のアート交遊録】「銀幕の舞台裏」
プロ野球は横浜DeNAベイスターズの30年来のファン。
子どものころから不眠症で、親が物語を聞かせてくれて、父親が戦国時代の物語などの話をしていて、特に「七人の侍」について細やかに画像の説明付きで話してくれてそれが自分の頭の中で映像になっていって、それがきっかけだったのかなあと思います。
映画館には子どもの時には通っていませんでした。
TVで8時台になると親が大人の時代劇のドラマなどを見ていました。
大河ドラマはよく見ていました。
年末大型時代劇を民放でやっていて紅白歌合戦は見たことがなかったです。
母親も時代劇なども大好きでした。
そのうち映画が見たくなってきて親にせがんで小学生の頃に観に行って、「グーニーズ」は面白くて洋画にはまっていきました。
洋画と時代劇にはまっていきました。
高校受験をして 偏差値の高い海城高校へ進学して、成績も中学時代は学年でトップの成績だったので大丈夫と思ったが、ビリを初めて経験したりしました。
成績はいまいちだったが、東大を目指すということは頭の中にありました。
2年浪人して駄目で、結局家に近い日本大学藝術学部放送学科に入学しました。
最初は作る側をやりたくて映画監督の書生をやったり、助監督をやったりしていたが、向いてないかなあと思って、脚本を書こうと思って、勉強をして10年ぐらいは脚本の下働きTVドラマの企画書を書いたり時代劇の企画書を書いたりしていました。
卒論のテーマは「仁義なき戦い」でした。
就職氷河期で映画会社を受けたが、映画会社だと思って受けないでくれ、うちは不動産で儲けているのでと言われて、そのあと大学院に行きました。
東映が採用再開するということで受けて最終まで行ったが、幹部の人から「君みたいに古いことを追いかけている人間は一番いらない人間だ」とはっきり言われました。
博士論文は『映画とテレビ交流期の時代劇表現:1970年代の京都3撮影所における集団的個性の形成プロセス』(2008年)で芸術学の博士号を取得しました。
1960年代から時代劇映画のお客さんが入らなくなって、一方でTVが伸びてきて映画会社が時代劇を作るようになってきました。
そこで京都3撮影所に行って書いた論文でした。
能村庸一プロデューサーが『実録テレビ時代劇史』という大作の本を出して、それを読んだときにプロデューサーがいろんな思いでTV時代劇を作ってきたということが判って感動しました。
演出家が変わる、脚本家も違うそれなのに26本同じ雰囲気がどうして保たれているんだろうと思って、能村さんに伺えばわかると思ってお会いしたら、「僕らではないんだ、撮影所の彼らのやっている仕事が決定付けているんだ」と言われました。
その意味が判らず、毎日現場に伺って見させてもらいました。
監督さんの指示がなくてもスタッフの創意工夫でどんどん動いていました。
カメラを移動するときにレール上を動かす台車の動かし方、雪の降らし方、雨の降らし方、そういった人たちの話を聞くと細かなことで情感が変わってゆくということを言っていて、彼らの創意工夫によって時代劇の情感の映像が生まれてくることが判りました。
スタッフさんたちの芸術性、創意工夫というものをやっている評論家がいなかったので、これをやるのが僕の仕事かもしれないと思って、時代劇研究家と名乗ってそれを仕事にしていこうと思いました。
実際に現場に行ってもどうしたらいいかわからず、あきらめかけたことがありましたが、映画「ロッキー」の台詞の中で「人生何もうまくいかなかったけれど、この最後の試合だけは15ラウンド最後まで立ち続けると、勝つのではなくて立ち続ける」というんですね。
それで初めてダメ人間ではなくなる、というんです。
そう思ってもう一回京都に戻ったら「お帰りなさい」と言ってくれて、受け入れてくれたのだと思って、とにかくクランクアップまで居続けようと思いました。
そうしているうちに気になったことを聞いていくようにしていきました。
レジェンドのスタッフの人たちの技術、こういったことをやってきたということを文章に纏めて次の世代に人が読んでくれたらいいと思いました。
殺陣は技術だけではなくて演出としての技術がないとだめです。
事例を書き留めておけば若手の人のヒントになればと思っています。
ある時に能村庸一さんを取材したとき、終わった後に「黒澤明か長嶋茂雄になったみたいだよ」といってくれて、それが今でも自分の方針になっているんですが、どんな人に対してインタビューするときにでも黒澤明だと思って聞きます。
小道具のスタッフでも大スターでも分け隔てなくインタビューするようにしています。
仲代達也さんへのインタビューで10回シリーズがありましたが、映画に関しては観られるだけ観てお会いしますが、基本的にはスタッフさんへのインタビューとは変わってはいません。
役所広司さんにインタビューしたときに思ったのは、スターもスタッフも映画という神輿を担いでいるんだなと思って、役者さんに対しても役者というスタッフでというイメージで伺っています。
質問のきき方、準備の仕方もまったく同じですね。
人生の教えを乞うような接し方をしています。
時代劇、映画は、世につれ状況につれ、お客さんの意識の変化、技術の変化につれ、変わってきていて、今のお客さんにどれだけ喜んでもらえるかの勝負をしているものだと思っていて、絶えず今のお客さんが100%喜んでもらえる作品を作ってもらいたいし、そこ対しての妥協はしてほしくないですね。
「私が愛した渥美清」(秋野 太作作品)という本がとても面白い、「男はつらいよ」の裏話です。
プロ野球は横浜DeNAベイスターズの30年来のファン。
子どものころから不眠症で、親が物語を聞かせてくれて、父親が戦国時代の物語などの話をしていて、特に「七人の侍」について細やかに画像の説明付きで話してくれてそれが自分の頭の中で映像になっていって、それがきっかけだったのかなあと思います。
映画館には子どもの時には通っていませんでした。
TVで8時台になると親が大人の時代劇のドラマなどを見ていました。
大河ドラマはよく見ていました。
年末大型時代劇を民放でやっていて紅白歌合戦は見たことがなかったです。
母親も時代劇なども大好きでした。
そのうち映画が見たくなってきて親にせがんで小学生の頃に観に行って、「グーニーズ」は面白くて洋画にはまっていきました。
洋画と時代劇にはまっていきました。
高校受験をして 偏差値の高い海城高校へ進学して、成績も中学時代は学年でトップの成績だったので大丈夫と思ったが、ビリを初めて経験したりしました。
成績はいまいちだったが、東大を目指すということは頭の中にありました。
2年浪人して駄目で、結局家に近い日本大学藝術学部放送学科に入学しました。
最初は作る側をやりたくて映画監督の書生をやったり、助監督をやったりしていたが、向いてないかなあと思って、脚本を書こうと思って、勉強をして10年ぐらいは脚本の下働きTVドラマの企画書を書いたり時代劇の企画書を書いたりしていました。
卒論のテーマは「仁義なき戦い」でした。
就職氷河期で映画会社を受けたが、映画会社だと思って受けないでくれ、うちは不動産で儲けているのでと言われて、そのあと大学院に行きました。
東映が採用再開するということで受けて最終まで行ったが、幹部の人から「君みたいに古いことを追いかけている人間は一番いらない人間だ」とはっきり言われました。
博士論文は『映画とテレビ交流期の時代劇表現:1970年代の京都3撮影所における集団的個性の形成プロセス』(2008年)で芸術学の博士号を取得しました。
1960年代から時代劇映画のお客さんが入らなくなって、一方でTVが伸びてきて映画会社が時代劇を作るようになってきました。
そこで京都3撮影所に行って書いた論文でした。
能村庸一プロデューサーが『実録テレビ時代劇史』という大作の本を出して、それを読んだときにプロデューサーがいろんな思いでTV時代劇を作ってきたということが判って感動しました。
演出家が変わる、脚本家も違うそれなのに26本同じ雰囲気がどうして保たれているんだろうと思って、能村さんに伺えばわかると思ってお会いしたら、「僕らではないんだ、撮影所の彼らのやっている仕事が決定付けているんだ」と言われました。
その意味が判らず、毎日現場に伺って見させてもらいました。
監督さんの指示がなくてもスタッフの創意工夫でどんどん動いていました。
カメラを移動するときにレール上を動かす台車の動かし方、雪の降らし方、雨の降らし方、そういった人たちの話を聞くと細かなことで情感が変わってゆくということを言っていて、彼らの創意工夫によって時代劇の情感の映像が生まれてくることが判りました。
スタッフさんたちの芸術性、創意工夫というものをやっている評論家がいなかったので、これをやるのが僕の仕事かもしれないと思って、時代劇研究家と名乗ってそれを仕事にしていこうと思いました。
実際に現場に行ってもどうしたらいいかわからず、あきらめかけたことがありましたが、映画「ロッキー」の台詞の中で「人生何もうまくいかなかったけれど、この最後の試合だけは15ラウンド最後まで立ち続けると、勝つのではなくて立ち続ける」というんですね。
それで初めてダメ人間ではなくなる、というんです。
そう思ってもう一回京都に戻ったら「お帰りなさい」と言ってくれて、受け入れてくれたのだと思って、とにかくクランクアップまで居続けようと思いました。
そうしているうちに気になったことを聞いていくようにしていきました。
レジェンドのスタッフの人たちの技術、こういったことをやってきたということを文章に纏めて次の世代に人が読んでくれたらいいと思いました。
殺陣は技術だけではなくて演出としての技術がないとだめです。
事例を書き留めておけば若手の人のヒントになればと思っています。
ある時に能村庸一さんを取材したとき、終わった後に「黒澤明か長嶋茂雄になったみたいだよ」といってくれて、それが今でも自分の方針になっているんですが、どんな人に対してインタビューするときにでも黒澤明だと思って聞きます。
小道具のスタッフでも大スターでも分け隔てなくインタビューするようにしています。
仲代達也さんへのインタビューで10回シリーズがありましたが、映画に関しては観られるだけ観てお会いしますが、基本的にはスタッフさんへのインタビューとは変わってはいません。
役所広司さんにインタビューしたときに思ったのは、スターもスタッフも映画という神輿を担いでいるんだなと思って、役者さんに対しても役者というスタッフでというイメージで伺っています。
質問のきき方、準備の仕方もまったく同じですね。
人生の教えを乞うような接し方をしています。
時代劇、映画は、世につれ状況につれ、お客さんの意識の変化、技術の変化につれ、変わってきていて、今のお客さんにどれだけ喜んでもらえるかの勝負をしているものだと思っていて、絶えず今のお客さんが100%喜んでもらえる作品を作ってもらいたいし、そこ対しての妥協はしてほしくないですね。
「私が愛した渥美清」(秋野 太作作品)という本がとても面白い、「男はつらいよ」の裏話です。
2020年5月27日水曜日
山中麻須美(英国キュー王立植物園公認植物画家)・「植物のいのちと響きあう(2)」
山中麻須美(英国キュー王立植物園公認植物画家)・「植物のいのちと響きあう(2)」
日本の植物は江戸時代にシーボルトなどがヨーロッパに持ち帰ったものですね。
イギリスの庭には日本の植物が普通に見られるものが結構多いです。
冗談で日本の植物がないとイングリッシュガーデンも作れないといわれるぐらいです。
イギリスの方は日本から来たものだとはご存じないんです。
キューガーデンにも世界中の人が来るので日本の植物の美しさを知っていただきたいというのがテーマです。
小石川植物園の加藤竹斎が明治の初めに来て彼の絵だとか、高知の牧野植物園の牧野富太郎博士の原画、練馬の牧野記念館から服部雪斎の絵だとか江戸から明治にかけての歴史的な日本の植物画を展示させていただきました。
古い日本の植物画と現代作家の植物画を展示して対比が非常に面白いと言われて高い評価を得ました。
日本の植物画家の石川美枝子さんと小西美代子さんにお願いして日本のアーティストの方々を35人選んで、その方々にキューガーデンが作った300種類の日本の植物のリストをお送りしてそこから3種選んでいただき3年以内に描いていただくということにしました。
展示会のために描いていただきました。
野生種でなくてはいけなくて、かつ科学的に正しくなくてはいけないので、年に一度東大の村田先生、大場先生、池田先生にお願いしてアーティストの方々の絵を全部厳しくチェックしていただきました。
イギリスも日本ブームでTV番組を見てきたという人もいますし、ファイナンシャルタイムスが大きな記事を載せてくれました。
明治の初めに日本のイギリス大使館とキューガーデンがどういう風につながっていたのかという風な歴史を学ぶことができます。
イギリス大使館のハリーパークス公使が集めたものはパークスコレクションと呼ばれているし、アーネスト・サトウが送ってきた書物などもたくさんあります。
当時のキューガーデンは力を持っていて、世界中に散らばった外交官たちに珍しい植物、珍しいなにか植物を使ったものを集めてくる、世界中からいろんなものを集めました。
キューガーデンは2003年に世界遺産に指定されていますが、植物を守ることが地球を守ることにつながるというミッション、その使命とその活動が世界遺産に指定されているんです。
一つの植物が絶滅したことで、それにかかわっているものがいろいろあり、どれぐらいの大きな波がやってくるかということはかなり後にならないとわからない。
例えば虎は絶滅するかもしれないといわれているが、それを守るためには虎が生きてゆく森を作らないといけない。
その森には虎が生きてゆく草食動物がいなくてはいけないので、その草食動物が食べてゆく草がないといけない。
人間だけが他の生物と共生していないということはありえなくて、植物のこと、自然環境を今考えるべきだと本当に思います。
私たちには何ができるのか、私はアーティストでなにができるのか、それは植物を描くことだと思います。
植物の美しさだけではなく植物の科学、植物の役割をたくさんの人にわかっていただくための絵を描くことも大事だと思っています。
地球の現状を植物を通して発信してゆく。
科学者が100人いるよりも私たち地球に住んでいる全員がほんの僅か地球のことを考えるだけで地球は大きく変わっていくと思います。
太陽エネルギーを使って毎日の生活をどう他の生物と共生しながら暮らしていくかということが大切だと思います。
キューガーデンで10年おり、いろんなプロジェクトに参加したりして、地球の環境を支えるのは植物だということをいろんな方に伝えていきたいと思っています。
描いてゆくためには植物の勉強もしなくてはいけないし、生物多様性、自然環境などを強く意識するようになりました。
植物と共生している昆虫なども一緒に絵に入れていこうかと考えています。
趣味として世界中でボタニカルアートを習っていて楽しんでします。
日本には日本植物画クラブがあり、日本の絶滅危惧種についてはずーっと取り組んできました。
アメリカにもアメリカ植物画クラブがあり絶滅危惧種について展示会されたりしています。
日本の展示会ではキューガーデンの展示会とは少し変えてキューガーデンの歴代のアーティストが描いた日本の植物を一緒に展示しました。
「奇跡の一本松」 2012年4月にキューガーデンの日本庭園のなかで震災1周年のイベントが日本大使館とキューの合同で行われて、その時に岩手県から子どもたちが招待されて一本松の種を持ってきてくれました。
キューガーデンにはシードバンクがあり種はそこに保管されています。
陸前高田の市民の生活を守っていた松だったが、津波でみんな流されて一本だけ残っていたがその後レプリカになってしまったが、松の絵を描いて2016年に震災5周年記念のイベントがロンドンの日本大使館で行われたのでそちらにお送りしました。
NHKのニュースになったりしました。
2020年陸前高田の記念館ができるのでそこに展示する予定になっています。
乳がんになってから15年たったので再発はなくなったと思います。
不幸だった出来事で変わってしまうが、何かのきっかけになるのではないかと考えました。
キューガーデンの日本庭園は日本国土交通省が昔働きかけて作っていただいた経緯があり、今度はキューガーデンがプロデュースした庭が陸前高田にできるのもいいのではないかなあと思います。
その庭が交流する場になってくれればと思います。
自然との共生を一本松の絵から発信できればと思います。
マダガスカル島にはサファイアが取れるので、そのために自然林がどんどん伐採されています。
8割近くが固有種であるので、絶滅に瀕している動植物を描いていろんな方にメッセージを送ろうという夢を持っています。
日本の植物は江戸時代にシーボルトなどがヨーロッパに持ち帰ったものですね。
イギリスの庭には日本の植物が普通に見られるものが結構多いです。
冗談で日本の植物がないとイングリッシュガーデンも作れないといわれるぐらいです。
イギリスの方は日本から来たものだとはご存じないんです。
キューガーデンにも世界中の人が来るので日本の植物の美しさを知っていただきたいというのがテーマです。
小石川植物園の加藤竹斎が明治の初めに来て彼の絵だとか、高知の牧野植物園の牧野富太郎博士の原画、練馬の牧野記念館から服部雪斎の絵だとか江戸から明治にかけての歴史的な日本の植物画を展示させていただきました。
古い日本の植物画と現代作家の植物画を展示して対比が非常に面白いと言われて高い評価を得ました。
日本の植物画家の石川美枝子さんと小西美代子さんにお願いして日本のアーティストの方々を35人選んで、その方々にキューガーデンが作った300種類の日本の植物のリストをお送りしてそこから3種選んでいただき3年以内に描いていただくということにしました。
展示会のために描いていただきました。
野生種でなくてはいけなくて、かつ科学的に正しくなくてはいけないので、年に一度東大の村田先生、大場先生、池田先生にお願いしてアーティストの方々の絵を全部厳しくチェックしていただきました。
イギリスも日本ブームでTV番組を見てきたという人もいますし、ファイナンシャルタイムスが大きな記事を載せてくれました。
明治の初めに日本のイギリス大使館とキューガーデンがどういう風につながっていたのかという風な歴史を学ぶことができます。
イギリス大使館のハリーパークス公使が集めたものはパークスコレクションと呼ばれているし、アーネスト・サトウが送ってきた書物などもたくさんあります。
当時のキューガーデンは力を持っていて、世界中に散らばった外交官たちに珍しい植物、珍しいなにか植物を使ったものを集めてくる、世界中からいろんなものを集めました。
キューガーデンは2003年に世界遺産に指定されていますが、植物を守ることが地球を守ることにつながるというミッション、その使命とその活動が世界遺産に指定されているんです。
一つの植物が絶滅したことで、それにかかわっているものがいろいろあり、どれぐらいの大きな波がやってくるかということはかなり後にならないとわからない。
例えば虎は絶滅するかもしれないといわれているが、それを守るためには虎が生きてゆく森を作らないといけない。
その森には虎が生きてゆく草食動物がいなくてはいけないので、その草食動物が食べてゆく草がないといけない。
人間だけが他の生物と共生していないということはありえなくて、植物のこと、自然環境を今考えるべきだと本当に思います。
私たちには何ができるのか、私はアーティストでなにができるのか、それは植物を描くことだと思います。
植物の美しさだけではなく植物の科学、植物の役割をたくさんの人にわかっていただくための絵を描くことも大事だと思っています。
地球の現状を植物を通して発信してゆく。
科学者が100人いるよりも私たち地球に住んでいる全員がほんの僅か地球のことを考えるだけで地球は大きく変わっていくと思います。
太陽エネルギーを使って毎日の生活をどう他の生物と共生しながら暮らしていくかということが大切だと思います。
キューガーデンで10年おり、いろんなプロジェクトに参加したりして、地球の環境を支えるのは植物だということをいろんな方に伝えていきたいと思っています。
描いてゆくためには植物の勉強もしなくてはいけないし、生物多様性、自然環境などを強く意識するようになりました。
植物と共生している昆虫なども一緒に絵に入れていこうかと考えています。
趣味として世界中でボタニカルアートを習っていて楽しんでします。
日本には日本植物画クラブがあり、日本の絶滅危惧種についてはずーっと取り組んできました。
アメリカにもアメリカ植物画クラブがあり絶滅危惧種について展示会されたりしています。
日本の展示会ではキューガーデンの展示会とは少し変えてキューガーデンの歴代のアーティストが描いた日本の植物を一緒に展示しました。
「奇跡の一本松」 2012年4月にキューガーデンの日本庭園のなかで震災1周年のイベントが日本大使館とキューの合同で行われて、その時に岩手県から子どもたちが招待されて一本松の種を持ってきてくれました。
キューガーデンにはシードバンクがあり種はそこに保管されています。
陸前高田の市民の生活を守っていた松だったが、津波でみんな流されて一本だけ残っていたがその後レプリカになってしまったが、松の絵を描いて2016年に震災5周年記念のイベントがロンドンの日本大使館で行われたのでそちらにお送りしました。
NHKのニュースになったりしました。
2020年陸前高田の記念館ができるのでそこに展示する予定になっています。
乳がんになってから15年たったので再発はなくなったと思います。
不幸だった出来事で変わってしまうが、何かのきっかけになるのではないかと考えました。
キューガーデンの日本庭園は日本国土交通省が昔働きかけて作っていただいた経緯があり、今度はキューガーデンがプロデュースした庭が陸前高田にできるのもいいのではないかなあと思います。
その庭が交流する場になってくれればと思います。
自然との共生を一本松の絵から発信できればと思います。
マダガスカル島にはサファイアが取れるので、そのために自然林がどんどん伐採されています。
8割近くが固有種であるので、絶滅に瀕している動植物を描いていろんな方にメッセージを送ろうという夢を持っています。
2020年5月26日火曜日
神田紅(講談師) ・“万芸一芸を生ず”に導かれ(初回:2017/5/19)
神田紅(講談師) ・“万芸一芸を生ず”に導かれ(初回:2017/5/19)
https://asuhenokotoba.blogspot.com/2017/05/blog-post_19.htmlをご覧ください。
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2020年5月25日月曜日
頭木弘樹(文学紹介) ・【絶望名言】「アルベール・カミュ」(初回:2019/7/29)
頭木弘樹(文学紹介) ・【絶望名言】「アルベール・カミュ」(初回2019/7/29)
https://asuhenokotoba.blogspot.com/2019/07/blog-post_29.htmlをご覧ください。
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