2025年12月6日土曜日

京山幸枝若(二代目・浪曲師)        ・極めた芸を次世代へ~浪曲初の人間国宝

京山幸枝若(二代目・浪曲師)        ・極めた芸を次世代へ~浪曲初の人間国宝

京山幸枝若さんは昨年度人間国宝に認定されました。 浪曲界から人間国宝に認定されるのは東西合わせて初めてです。 啖呵、セリフと歌い上げる節で物語を語る浪曲は落語、講談と並ぶ三大話芸の一つです。 幸枝若さんは関西弁を交えた啖呵と自在な節回しで、任侠物から人情噺、時代物など幅広いレパートリーで知られ、その芸は上方浪曲の代名詞と言われています。  17歳で先代で実の父でもある初代京山幸枝若さんに入門、以来50年余りに渡り磨き上げた芸と次世代に繋ぐ思いが、高く評価されての人間国宝です。 

 電話で聞いた時には本当かと吃驚しました。  浪曲は明治、大正、昭和30年ごろまでは凄い人気の芸でした。  桃中軒雲右衛門が流行らせて、浪花節になりました。忠臣蔵を中心に歌っていました。  伊藤博文が雲右衛門さんの大ファンでした。  一時期は3000人ぐらいいました。  今は東西含めて60人ぐらいです。  関西で14人ぐらいです。

兵庫県姫路市出身今年70歳。 1971年17歳の時に初代幸枝若さんに入門、以来上方浪曲の第一線で活躍してきました。  物語の伏線が長いところもあり、今の若い人は聞くという事が出来ない。  いろいろな浪曲師の節を聞いて学びました。  父は幸枝節を習いましたが、テンポ早くしていきました。 河内音頭をやり出してから速いテンポになる。  幸枝若節になって行った。 幸枝若節を節を変えたり工夫していきしました。 関西弁を取り入れました。 

4歳の時から三波春夫さん、村田英雄さん、三橋美智也さんなどの歌を歌って稼いでいました。  私が生まれて7か月で両親が離婚しました。  兄が3人います。 母と一緒になった父になる人も浪曲師でした。  定時制高校の時に部屋を借りていたが、友人が京山幸枝若のレコードを持って来て聞くことになりました。  1週間で覚えました。 他にも覚えて敬老会へ行って披露しました。  そのうち一日に3,4回掛け持ちで行ったりしていました。   母親から京山幸枝若のところへ弟子入りするように言われて、会いましたが1万円をくれただけでした。  母親に自分は京山幸枝若の子かと言ったら「そうやで」と言われました。 弟子入りすることになりました。  仕草などは機嫌がいい時には教えてくれましたが、節は絶対教えてはくれませんでした。  

浪曲を一人でも多く知ってもらいたいのと、若い浪曲師をもっと増やしたい。 浪曲と言う芸を残していきたい。