川瀬佐知子(大阪赤十字病院 看護師) ・〔人権インタビュー〕 命の保障がない中、人権とは
川瀬さんはこれまでジンバブエでのコレラ救援事業や、ハイチでの地震災害救援などを経験してきました。 2023年7月にはパレスチナのガザ地区に派遣され、現地の看護技術の向上に取り組みました。 しかし派遣中の2023年10月イスラエル軍とハマスとの戦闘が始まり、川瀬さんは爆撃を目の当たりにするなど混乱の中で帰国を余儀なくされました。 帰国後は何の罪もない多くの市民が犠牲になっているガザ地区の状況や経験を講演などで伝えています。 現地の看護師が川瀬さんに幾度も伝えたという、「私たちに人権はない」という言葉の真意とは、川瀬さんのお話です。
戦争とか紛争はわれわれとはかけ離れた世界と言うふうにとらえられがちですが、人の人生が本当に一変してしまうことがこの世の中に有りうるという事で、ガザでは今その状況が続いていて、大変な状況をまずお伝えしたいという事がります。
2023年7月ガザへ訪れました。 真っ青な空で雲が全然ないんです。 日本からよく来てくれたと凄く喜んでくれます。 子供たちも多くて、元気に走り回っています。 病院の規模に対して医療者が圧倒的に少ない。 教育の機会も限られています。 看護部長と現地職員が2人、男性の看護師さん、私ともう一人大阪赤十字病院から派遣に行きました。 男性の看護師のハムリは凄くよくやってくれる人で皆から信頼されています。 10月の17,8日に大きな研修を予定していました。
10月7日ガザ地区を実効支配するイスラム組織ハマスがイスラエルに対して大規模な攻撃を開始、直ぐイスラエル軍はガザ地区にあるハマスの拠点を空爆しました。 朝6時過ぎぐらいで私は自分の宿舎にいました。(休みの日だった。) 最初花火の音か何の音なのかわからなかったが、鳴りやまないのでちょっと違うと思いました。 赤十字国際委員会から連絡があって、宿舎に待機するように言われました。 珍しくハムリが動揺していました。 テレビを見て事情を知りました。 私は後部座席で、車で別の宿舎にようやくたどり着くことが出来ました。 病院にはいけなくて、情報では1日目、2日目は運ばれてくる人数の連絡がありましたが、その後はどのぐらいの数なのかの連絡もなくなりました。 近所の住民も病院に避難してきました。
病院で働いていた医師のお子さんが亡くなられて、辛い環境のなかで皆さん働いていました。将来に向かって病院の質の向上を目指して笑顔で皆働いていたのに、数日で全てが変ってしまいました。 10月13日北部全体が攻撃の対象になるという事で、南部のラファフへ移動することになりました。 避難民が沢山いて、そこで避難人の健康管理を行いました。 医師のいない環境で、自分がいろいろな判断をしなければいけないが、貢献できるという事では気持ちに安定感はありました。 11月1日の朝6時半に、エジプトへの避難をすることを言われて、急遽7時半に出発することになりました。 当時のことを日記に記しています。ハムリとの電話連絡で、大切な場所を攻撃されても、まだ世界中から攻撃されているというようなこと、涙ながらの訴えを涙を流して聞くしかなかった。
この衝突が起こる前から彼は「人権がない。」と言っていました。 その時には実感がなかったが、衝突が起こってこれまでの歴史の中で何度も起きてきたことなんだと、改めて考えさせられました。 何も悪い事はしていないのに、このような攻撃を受けるのか、この世の中はフェアじゃないと、彼はずっと言っていました。 でも誰も助けてはくれない、自分たちは見捨てられたと言っています。 人権とは一言では言えないが、その人らしさかと思います。 その人がその人らしく生活する一つ一つのことが人権かなと思います。 しかし、食べ物がない、着るものもない、プライバシーがない状況です。 食べ物を奪い合う映像が流れたりするが、本来彼らは決してそのようなことをする人たちではない、優しい人たちなんです。
一番大事なことは、伝える事と、伝え続けることで、今だけではないずーっと伝え続けてゆく事です。 制限のない自由、私たちにとっては当たり前のことですが、彼らにとっては何年も何年も夢見て来た難しい壁なんです。