京山幸枝若(二代目・浪曲師) ・極めた芸を次世代へ~浪曲初の人間国宝
京山幸枝若さんは昨年度人間国宝に認定されました。 浪曲界から人間国宝に認定されるのは東西合わせて初めてです。 啖呵、セリフと歌い上げる節で物語を語る浪曲は落語、講談と並ぶ三大話芸の一つです。 幸枝若さんは関西弁を交えた啖呵と自在な節回しで、任侠物から人情噺、時代物など幅広いレパートリーで知られ、その芸は上方浪曲の代名詞と言われています。 17歳で先代で実の父でもある初代京山幸枝若さんに入門、以来50年余りに渡り磨き上げた芸と次世代に繋ぐ思いが、高く評価されての人間国宝です。
電話で聞いた時には本当かと吃驚しました。 浪曲は明治、大正、昭和30年ごろまでは凄い人気の芸でした。 桃中軒雲右衛門が流行らせて、浪花節になりました。忠臣蔵を中心に歌っていました。 伊藤博文が雲右衛門さんの大ファンでした。 一時期は3000人ぐらいいました。 今は東西含めて60人ぐらいです。 関西で14人ぐらいです。
兵庫県姫路市出身、今年70歳。 1971年17歳の時に初代幸枝若さんに入門、以来上方浪曲の第一線で活躍してきました。 物語の伏線が長いところもあり、今の若い人は聞くという事が出来ない。 いろいろな浪曲師の節を聞いて学びました。 父は幸枝節を習いましたが、テンポ早くしていきました。 河内音頭をやり出してから速いテンポになる。 幸枝若節になって行った。 幸枝若節を節を変えたり工夫していきしました。 関西弁を取り入れました。
4歳の時から三波春夫さん、村田英雄さん、三橋美智也さんなどの歌を歌って稼いでいました。 私が生まれて7か月で両親が離婚しました。 兄が3人います。 母と一緒になった父になる人も浪曲師でした。 定時制高校の時に部屋を借りていたが、友人が京山幸枝若のレコードを持って来て聞くことになりました。 1週間で覚えました。 他にも覚えて敬老会へ行って披露しました。 そのうち一日に3,4回掛け持ちで行ったりしていました。 母親から京山幸枝若のところへ弟子入りするように言われて、会いましたが1万円をくれただけでした。 母親に自分は京山幸枝若の子かと言ったら「そうやで」と言われました。 弟子入りすることになりました。 仕草などは機嫌がいい時には教えてくれましたが、節は絶対教えてはくれませんでした。
浪曲を一人でも多く知ってもらいたいのと、若い浪曲師をもっと増やしたい。 浪曲と言う芸を残していきたい。