2025年1月28日火曜日

柳澤寿男(指揮者)            ・希望のタクトを振り続ける

柳澤寿男(指揮者)            ・希望のタクトを振り続ける 

柳澤さんは長野県出身、53歳。  旧ユーゴスラビアのコソボ共和国でコソボフィルファーモニー交響楽団の首席指揮者を務めています。 2007年には多民族の音楽家によるバルカン室内管弦楽団を設立しました。 かつて深刻な民族紛争が生まれた地で、音楽を通して共存共栄を目指したいという柳澤さんの願いが込められています。 こうした平和への活動が評価されて令和6年度外務大臣賞を受けました。 

日本とコソボの相互理解の促進やバルカン地域での共栄への功績が評価されたという事で外務大臣賞を受けました。 コソボフィルファーモニー交響楽団の首席指揮者になって17年が経ちました。 その間にいろいろな出会いがありました。  これも皆さんのおかげだと思っています。 表彰式は去年コソボで行われました。  戦後まもなくは生活自体が困難な時代でした。  コソボの音楽史をずっと一緒に作ってきたという思いがお互いにあります。  家族のように仲良くなって、授賞式にも来てくれて本当に嬉しかったです。 

コソボはバルカン半島の真ん中あたりの内陸国です。 かつて同じユーゴスラビアに属していたセルビアと深刻な民族紛争がありました。 2008年に独立を宣言、コソボ共和国になりました。 最初にマケドニアという国に知人の紹介でオペラの指揮をしてマケドニアに住むようになりました。 コソボ紛争が終わって間もない頃、国際機関の或る人がコソボにもオーケストラがあることを教えてくれました。 2007年3月に大事な演奏会があるので指揮をしてほしいと言われて、コソボと繋がって行きました。  演奏会でヴェートーベンの交響曲の第7番を振り終わった時に、凄い拍手が来ました。 知り合いの「バキ」さんというアルバニア人(アルバニア人とセルビア人の紛争だった。)の音楽家がいて、身内の方を2人亡くしていて戦争になったら銃を持って戦争に行きたいと言っていましたが、やはり自分は音楽家だからそういってはいけないと、これからは人に優しく生きていきたいと、涙目になりながら言ってくれました。  凄く嬉しくてコソボフィルハーモニー交響楽団の首席指揮者になって現在まで続いています。 

暮らしは限りなく大変でした。 電力が足りなくて一日の1/3は電気のない生活でした。  いつから停電になるのか判らない。  私が住んでいたのは細長い3畳一間みたいなところでした。(コソボフィルハーモニー交響楽団から借りてもらっていた。) 冬は暖房がないので外とおなじ寒さです。 健康な時には頑張れますが、一番大変だったのは一回盲腸になりましたが大変でした。  12時間以内に処理しないと死んでしまいます、と医師から言われてしまいました。  24時間後に何とか飛行機にキャンセルがあって、それに乗って行ってデュッセルドルフ(ドイツ)に行くことが出来て助かりました。 マケドニア時代は家族っで暮らしていましたが、コソボでは単身生活でした。 家族は日本に戻っていて、私が日本にたまに帰って、また戻る時にはこれで帰ってこれなくなるかもしれないという思いはありました。 「バキ」さんの言葉が有ったので、自分も一緒に何とかやりたいとい思いはありました。 

バルカン室内管弦楽団を設立し音楽監督を務めることになりました。 紛争以後痰民族での楽団になってしまっていて、何とか多民族での宗教とかを越えて共存共栄のオーケストラを設立したかった。  強い反対の意見などもありましたが、国連の支援の下に作って行きました。 2009年に初めてセルビアの方とアルバニアの方が合同で演奏するという事になりました。(立ち上げから2年)  演奏者は賛同者が多かったが、出来ないと言う様な人は多かったです。  演奏会をするにあたっては、3日前までは公表しないことと、名前は公表しない(セルビアの方とアルバニアの方が判ってしまうと危険なことがある。) 2009年5月17日に演奏会を行う事が出来ました。  川を挟んで南と北で行いました。 演奏会が終わると凄くお客さんが盛り上がりました。  国連の方がテレビの収録をしていましたが、メンバーにアルバニア人がいるという事を言うと、喜んでいたセルビア人のお客さん達がシーンとなりました。 

小さい頃親からピアノをやれと言われてピアノを習っていました。 小学校4年生の時にNHKのシルクロードのテーマがあり、クラスでやることになりました。 ピアノをやっていたのでアコーディオンを弾くことが出来ました。 家にヴェートーベンの交響曲第9番がありました。 レコードを聴いているうちに感動して涙が出てきてしまいました。 中学で吹奏楽部に入ってトロンボーンをやり、そこから本格的に音楽をやるようになりました。 高校、大学と音楽の道に進みました。 たまたまウイーンに旅行に行き、演奏会場に行きました。 小澤征爾さんの指揮によるウイーンフィルファーモニー交響楽団の演奏会でした。  演奏が終わった時には指揮者になりたいと思いました。  

2015年に音楽監督坂本龍一さんが東日本大震災復興支援のひとつとして立ち上げた東北ユースオーケストラですが、小学生から大学院生までの学生を集めて(120名程度)、坂本さんがピアノを弾いたりしながら、私が指揮をしながら、東北の震災をした子供たちが書いた詩を吉永小百合さんが朗読をしながら、10年やって来ました。 東北ユースオーケストラは震災復興オーケストラ、バルカン室内管弦楽団は戦後復興オーケストラで似ているところがあり、音楽を媒体に心の復興をしてゆこうという活動です。 坂本さんは病状が悪化いている中で私と連絡を取って指示してくれていました。  亡くなる前に声が出ない中で、東北の子供たちのことを思って、声を振り絞って「ありがとう ありがとう」と言ってくださって、凄く感動しました。  

ウクライナ、ガザとか世界中でいろいろありますが、中東にも思いを寄せて、バルカンの方々と一緒に平和を願ったコンサートを戦後80年の節目にしたいと思います。 平和の尊さをもう一度思い描いていきたい、音楽を通じてメッセージを伝えていきたい。