2025年1月16日木曜日

未唯mie(歌手)             ・〔わたし終いの極意〕 まずは自分を喜ばせよう!

未唯mie(歌手)         ・〔わたし終いの極意〕 まずは自分を喜ばせよう! 

未唯mieさんは静岡県の出身67歳。 1976年にピンクレディーとしてデビュー、国民的アイドルとなりその活躍は社会現象にもなりました。 その後ソロ歌手としてデビュー、毎年1月にピンクレディーの楽曲を大胆にアレンジしたソロライブを全国各地で開催して人気を集めています。 今年で芸能生活45年、多くの出会いから学んだ生き方仕舞い方のコツ、新たな年にかける思いなどを伺いました。

ここ16年ほど年が明けてすぐに「新春ピンクレディーナイト」というライブ作品を続けています。 邦楽器を中心にピンクレディーの楽曲を全然違うアレンジした奇想天外のものです。 着物を着てブーツを履いて大胆に踊ったりします。  着物を多く手がけたのがデザイナーの桂由美さんです。 私が24歳の時にコレクションに出させていただいて、3億円のウエディングドレスを着させて頂きました。 ダイアモンドがちりばめられていました。 そこからスタートして可愛がっていただきました。  紅白歌合戦では「透明人間」を歌った時に工夫をして或る時には衣装だけが歌って踊っているようなこともやっていただきました。 アイディアが泉の様にあふれ出てくる方です。 

ドラマーの村上ポンタ秀一さん、私がライブ活動を始めたのが2007年からですが、ピンクレディーのオリジナルのドラムを叩いてくださった人です。 毎回日本屈指のメンバー集めてくれました。  音楽家とはこういう風にして音を大切にしながら、皆さんにお届するものなんだなという事を心に感じました。  料理の服部先生の番組で先生との出会いがありました。  食について勉強したいなあと思って、食育インストラクターの勉強を服部先生のところで行いました。  服部先生が言うのには、食というのは人間形成において凄く大事で、ファーストフードを子供が一人で食べるような環境は、心と身体が育たない、切れやすい人に育ってしまうので、ちょっとでもいいから手をかけて楽しい話をしながら一緒に食べることをしてほしいと言っていました。  そういう思いを繋いでいきたいと思っています。  志を持って生きた方たちの思いは残りますし、私たち残された後輩は繋いでいきたいと思います。 

ピンクレディーの時代は濃かった時代です。 多くの出会いがあって、多くのことを学んだ時代でもあります。   30代になって改めて歌おうと思って歌詞を味わい直すと、この曲ってこんな深いことを伝えていたんだという事に改めて気づいたりしました。 体力的な事とか衰えを感じる部分がありますが、どんなトレーニングをしたら自分のしたい表現がし続けられるのかを考えた時に、機械を使ったトレーニング方法、インナーマッスルとかで行ってきましたが、もっと深くアプローチしたいと思った時に、ボーンメソッド(骨の関節の使い方)と言って、骨を正しく使う方法です。  身体が動いてくれるような感覚になって来ました。 人って老いてくるのではなくて進化してゆくものだと思うんですね。 

バランスよくいろんな食材を頂くという事も大事です。 食べる順番で身体の負担を軽減する。  肉、魚などのタンパク質から先に食べて、野菜を食べて一番最後に炭水化物を少しだけいただくみたいなことをしています。 自分の身体と仲良くしていきたいと思っています。  いつの時代も今が一番楽しいと思えるような生き方が出来てきたのが一番褒めてあげたいです。 

「新春ピンクレディーナイト」を始めた時から、着物の所作が綺麗になるようにと、日舞を習い始めて、コロナで外に行けなくなって、名取になりたいと思って稽古を積んで1年弱ぐらいで名取になりました。 ギターも始めました。 アコ―スティックギターの第一人者の吉川忠英さんにレッスンを受けました。 ステージでもちょっと弾くようになりました。  

「ハレルヤ」という楽曲ですが、 ハレルがあがめる、ヤが神という意味です。 私自身はヤは貴方をたたえるという風に解釈して、そうすれば温かい世の中になると言う思いがあり、この曲を歌っていきたいと思っています。 何時亡くなったとしても後悔のないような生き方をしていきたいと思っています。 心地のいい状態,楽しく好きな仲間たちと過ごすことが沢山あったり、そんなふうにしていくといつでも楽しいなと思います。 〔わたし終いの極意〕 としては、いつでも自分を喜ばせてあげることを一番にして、ご機嫌さんで居ることが、自分にとっても周りにとっても一番いいんじゃないかと思っています。