2025年1月17日金曜日

室崎益輝(神戸大学名誉教授)       ・阪神・淡路30年から 分かち合いたいこと

 室崎益輝(神戸大学名誉教授)       ・阪神・淡路30年から 分かち合いたいこと

災害が発生したのは1月17日5時46分。 日本災害学会などを歴任、阪神淡路、東日本大震災などその後の災害での復興や防災に携わってきた神戸大学名誉教授室崎益輝さん(80歳)のお話です。 

2024年10月に亡くなった小林郁雄さん、震災直後から都市計画プランナーとして支援のネットワークを立ち上げ、地域の人たちの復興、街つくりを支援してきました。              10年前2014年9月に亡くなった黒田裕子さん、災害看護の第一人者で阪神淡路大震災をきっかけに、NPOを立ち上げて見守地活動を続けてきました。 

30年経って街はづ極よくなったけれども、本当に復興はこれで正しかったのか、という想いは凄く強いです。 この5年、10年大きな災害があります。 災害の時代を迎えていることを実感します。  もう一度振り返ってみることによる視点、見方が違ってくると思っています。  社会の中心は私たちの世代から子供たちの世代になっている。  教訓をバトンタッチしたかという事が問われる。 

日米都市防災会議の会場が1月17日に大阪でやることになっていました。 私は準備に為に前の晩から泊まり込んでいました。 そして阪神・淡路大震災に直面することになりました。 当日は動くことが出来ませんでしたが、翌日神戸にタクシーで行きましたが、中途から動くことが出来ずに歩いていきました。 押しつぶされた街が繋がっていました。 その光景を見た時に何故か自然と涙が出てきました。  私自身が、兵庫県に地震が起きた時にどういう被害が起きるのか、被害想定をしていましたが、私の筋書きにはないことが起きていました。 

50万棟の調査をすることにしました。 2000名ぐらいの学生の協力を元に一軒一軒歩いて、どういう形で壊れたのか、全壊か半壊かなど丹念な調査をし地図を作成しました。 人の被害の状況も調査をして、どうすれば人の命を守れるのか、生きるためのアイディアが出て来ます。  きちっとしたデータを残すのが被災地にいる専門家の責任で、それを果たさなければいけない。  避難場所でも亡くなる方がいる。 過酷な環境で雑魚寝状態で食べ物も充分にないという状態でした。  やらなければいけないことが沢山あり、つい目先のことに関わっていた。 

小林郁雄さん、震災直後から都市計画プランナーとして支援のネットワークを立ち上げ、地域の人たちの復興、街つくりを支援してきました。  小林さんがいなければ今の神戸の復興は成し遂げられないと思います。  彼は冷静に客観的の分析する能力を持っています。 いろいろな人たちを繋ぎ合わせて、皆の力を引き出しながら、コディネートする力が凄くあります。 連絡調整網を作るとともに、どういう方向に向かうべきかという方針を提示する、神戸復興の街づくりの指揮官としての大きな役割を果たしています。 

住民の方に目を向ける、そこがまさに私は災害復興に一番重要なことだと思います。 ほぼ1か月後に突然復興の行政方針がでますが、市役所に押しかけたり、一斉に反発が起きました。 大枠の復興はトップダウンで示すが、具体的な中身はボトムアップで住民自身が決める。  小林さんは各地に街づくり協議会を作って街づくり協議会で合意形成をしながら、住民の被災者の声を計画に反映してゆく事をやられたと思います。 

小林さんは復興の道筋についても客観的にしっかりとらえていました。 出来るところから徐々に進めてゆく、ステップバイステップで、復興は進めなくてはいけない。  被災者が空いている敷地に花を植えて元気になって、元気になったら自らが計画を作ってゆくという風に、復興のエネルギーをどういう風に育んでいくのか、という事を考えながら今やるべきことを示して、上手に言われるんです。  皆が小林さんの言葉に耳を傾けるようになりました。 

東日本大震災では、優れた街つくりの計画を作っても、住民の納得を得なければ失敗すると話したうえで、行政と住民の間に立つコーディネーターが街づくりが上手くいくかのカギになると指摘しています。 医者で言うとセカンドオピニオンという立場です。 少なくとも3年ぐらいは住民の人たちと生活をしながら、その地区で先のことを考えるタイプに人ですね。 そういう人を派遣することが大事ですね。  小林さんは復興はプロセスだと言っています。 プロセスさえ正しければ必ずそのプロセスから正しい答えが出てくるんだと言っています。 プロセスとは、いろいろな意見を聞きながら、意見を戦い合わせながらみんなが納得できる道筋を見出してゆく。 「想いは先に、形は後に」、想いを出してぶつけることが重要で、それがなければ結果は生まれてこない。  コーディネーターは声を引き出す役割に徹しないといけない。 

黒田裕子さん、災害看護の第一人者で阪神淡路大震災をきっかけに、勤めていた病院を辞めて一人暮らしの高齢者の孤独死を防ごうと、NPOを立ち上げて見守地活動を続けてきました。 新潟県中越地震、東日本大震災でも避難所や仮設住宅に寝泊まりして、被災者の心のケアや孤独死を防ぐ取り組みに力を注いできました。(2014年9月に亡くなる。) 

当時黒田さんが支援に入っていたのは、大規模な仮設住宅で、1800人もの人たちが暮らし、高齢化率は50%近くに達していました。 黒田さんが心がけたのはコミュニティーの強化です。(孤独死、自殺をなくす目的)   被災者が元気になるにはコミュニティーの中で支え合う中で元気になってゆくための基盤として、その場を作り上げてゆく事です。  メッセージを入れたりして、1年かかってようやく戸を開いてくれた方もいました。   被災者の気持ち、に耳を傾けることが大事です。  大事なことは押し付けないという事です。 待つ事、沈黙ですね。 相手が受け入れてくれないと、ボランティア活動をしたくてもボランティアなんてできません。  自分の中に信念と責任をもって相手と向き合う事が出来ているか。 本気で関わらなうと相手は受け入れてはくれない。 

黒田さんは一人一人の状況を聞いたりせずに、見て感じたことをこまめにノートにメモしていました。 その人の置かれている状況を把握いたうえで、必要な支援を提供することが重要です。 被災者の心の中に入らないと支援できないという事を黒田さんから学びました。  

繋がりを作ることが重要です。 被災者と支援者の繋がり、環境をどういう風に構築するかという繋がりが重要です。  最後に必ず復興は成功すると思っています。 希望を共有する。 場合によっては希望を作り上げてゆく。  皆が共有できる目標を作ってゆくという、どういう形で合意形成をどういう形で進めるのか、という事だと思います。