井野修(元NPB日本野球機構審判長)・〔スポーツ明日への伝言〕 マスク越しに見たプロ野球
ペナントレースで2902試合出場しています。(34年間) 34年出来たことは自分に対しての誇りになっています。 リタイアしたのが55歳でした。(現在は58歳になっている。) 一番多いのが岡田功さんの3902試合。 岡田さんは昭和44年の日本シリーズで巨人対阪急で巨人の土井選手がホームに入ってきて、みんなのタイミングがアウトだと思ったがセーフにした人ですが、自分では自信のある宣告をしたのにもかかわらず、相手チームなどは納得していませんでした。 反省会でも仲間からも嬉しい答えは貰えなかった。 家に帰ってきて妻に首になるかもしれないと話していた。 新聞社から電話が入って「岡田さん、足が入っていますよ。」という事を聞いた時には、自分のジャッジが正しかったんだという事が判って嬉しかったと言っていました。(写真で判明)
第2位が富澤宏哉さん3775試合。 富澤さんからは審判のイロハから教えてもらいました。 これからはアメリカの審判システムを学ばなければ駄目だとおっしゃっていました。 あの頃メジャーリーグに詳しい人は富澤さんが第一人者と思っています。 富澤さんはほとんど自費でアメリカに行って学びました。 左袖口に番号がありますが、それを取り入れたのも富澤さんでした。 これからは長く担当することになる人に1番をつけさせるべきだといって私に1番を振り当ててくれたのも富澤さんでした。
1954年群馬県生まれ。 大学在学中の1976年セントラルリーグの審判部に入る。 20問の設問があって、かなりの人が10分かそこらで答えを提出して、球場の方に向かっていきましたが、私はなかなかできませんでした。 他の人はきちんと審判服を持ってきて着ていましたが、私は持っていなくて白いTシャツにGパンを膝までまくって裸足でした。(2月) アメリカの考え方を取り入れた富澤さんから見出されて受かったようなものです。 マスクの外し方、プロテクターの外し方など基本の基本から教えてもらいました。 アウトのジェスチャーの研究も銭湯の鏡の前でやったりしました。 投手が300球投げると、300回のスクワットをしているわけです。 歳をとっていつの間にか姿勢が前のめりになってしまいました。 星野監督は審判に対して厳しい監督ではありました。 優しい顔で選手へアドバイスもしていました。
試合の流れとかありますが、審判は絶対に予想したりしてはいけません。 変なジャッジに繋がって行くので。 自分の見たままを判定するのが素晴らしい審判員です。 1球1球きたボールを判断するしかないですね。 雑念が入って、アウトだと判断したのにもか変わらず、ジェスチャーでセーフと出る場合が時にはあります。 後で考えると培ってきた第6感が正しい判定だったという時があります。 そういう場合には意識の切り替えを早くしないといけない。 判定をしたことに対しては抗議があっても、変えることは出来ないことが鉄則になっています。 野球人口が少なくなると同時に審判員も少なくなってきています。 ただプロ野球の審判員の応募は増えてきています。