熊本マリ(ピアニスト) ・ピアノも介護も楽しみながら
熊本さんは5歳からピアノを始め、10歳で父の仕事の関係で家族と共にスペインに移り住みました。 スペインでは周りからピアノの天才少女と褒められピアノが大好きになりました。 14歳でピアにストになることを真剣に考えてレッスンに励みます。 1975年からスペイン王立マドリード音楽院で学び、スペイン青少年音楽コンクールで優勝、1982年奨学金を受けてジュリアード音楽院に入学、様々な賞を受賞して1986年プロデビュー、1991年にはスペインの作曲家フェデリコ・モンポウのピアノ曲全集の収録したピアニストとして知られています。 軽快なトークを交えたコンサートは人気が高く、世界的に活躍しています。 2012年には日本各地の民謡をピアノで奏でるアルバムをリリースしました。 来年はデビュー40年になります。
10歳から17歳までスペインで過ごして、スペインは第二の故郷です。 フェデリコ・モンポウの作品を世界で初めて私は全曲録音しました。 モンポウはしっとりして神秘的で優しい心を癒してくれる音楽です。
*「湖」 作曲:フェデリコ・モンポウ
1964年生まれ、東京都出身。 5歳からピアノを始める。 ピアノは好きでしたが、練習は大嫌いでした。 10歳でスペインに引っ越しました。 ピアノを弾く子があまりいなくて天才だと周りから褒められてピアノが好きになってしまいました。 14歳になる時にピアニストになろうと決心しました。 手が小さかったんですが、お風呂のなかでストレッチをすれば伸びるといわれて、それをやって伸びてきたことと、工夫すること、選ぶ曲で十分対応は可能です。 指を怪我する事は駄目なのでスポーツ的なことはやっていないです。 褒められることは最高の喜びですね。 現在は大阪芸術大学で指導もしています。 その子によって、目的に合わせた教え方をしています。 大学で教えて16年になります。 話さなくてもその子の奏でる音楽で性格が判ります。 心理的なことまで出てきます。 他の楽器を聞いたり、オペラ、映画なのでリフレッシュします。
父は新聞記者でした。 スペインでの生活は楽しかったです。 日本にいる時には恥ずかしがり屋で凄くおとなしい子でしたが、スペインに行って黙っていると相手にされないので、段々オープンになって行って、褒められて仲間が増えていきました。 ニューヨークに3年いて本当に自己主張しないと相手にされなくて、積極的になって行きました。
脳梗塞に2回なりました。 1回目は血栓が出来て一瞬で終わりました。 2019年にコンサート中に発症してしまいました。 最後までやり切って楽屋から救急車で運ばれました。 入院中とても苦しくて話すことも出来なくて、何か聞きたいと思いました。 綺麗なメロディーでゆっくりな曲でした。 観客の側の弱い立場の人の気持ちが初めて判りました。 2週間で退院しました。 ピアノに対しての後遺症は全くありませんでした。 後遺症がすこしありましたが、段々治って行きました。
父が95歳、母が93歳になります。 両親ともに身の周りのことは大丈夫です。 一瞬で違う世界へ行ってしまう事を脳梗塞で知りました。 毎瞬、毎瞬楽しまなければいけないと思って、したいことはする、言いたいことは言う、食べたいものは食べる、そういう考え方になりました。 入院生活を経て、完璧を目指していたものから80%でいいかなと、20%のこして 余裕をもって生きること、演奏する事にと思っています。
旅をもってしてみたいです。 ジャマイカ、キューバ、とかいろいろ行っていない国に生きたいです。 日本の民謡をもっと世界に広めたいという思いもあります。 音楽が人々の生活のなかで役に立ったり、そういったことをもっと研究してみたいと思います。 鳥が好きでオームの研究をもっとしてみたいと思います。
*「おてもやん」 ピアノ演奏:熊本マリ