2023年12月28日木曜日

春日太一(映画史・時代劇研究家)    ・〔私のアート交遊録〕 橋本忍が見た日本映画

春日太一(映画史・時代劇研究家)    ・〔私のアート交遊録〕 橋本忍が見た日本映画 

時代劇を中心とした日本映画やテレビドラマを研究し、監督や俳優への長時間インタビュー、日本映画と社会との関係などその取材は多岐に渡っています。 一方で春日さんは12年もの長きにわたって脚本家橋本忍について取材し、今月「鬼の筆 戦後最大の脚本家・橋本忍の栄光と挫折」を上梓しました。 橋本忍は黒澤明監督の「羅生門」や「七人の侍」を始め日本映画史に残る数多くの傑作を手掛け日本映画の黄金時代を築いた脚本家です。  これまでも日本映画とその世界で活躍した人たちへの深い愛情を語ってきた春日さん、今日は戦後最大の脚本家と言われる橋本忍の評伝を通して、日本映画やそこに惹きつけられた映画人たちの知られざる魅力についてお話を伺います。

今回の本は476ページの大作です。  奥深く複雑で文字数をかけないと書きようがないというものがありました。 企画が始まって12年になりますが、ほぼ毎日橋本さんのことを考えていました。 習慣化されて、何故か終わったという感じがしないです。 その12年の間にも30冊近く出していると思います。  どいう言う思いで、どういう技術でそれぞれの作品に向き合っていったのかと言う事を、スタッフさん、監督さん、役者さんそれぞれの視点で伺って来たというのが基本的なスタンスで、とても楽しく取材を続けてきました。  当時大学院生(25歳)で撮影現場に行ったので、「誰だこいつ」、と言うのは最初あったと思いますが、段々打ち解けて行きました。 

『時代劇は死なず!-京都太秦の「職人」たち』、『あかんやつら 東映京都撮影所血風録』『天才 勝新太郎『仲代達矢が語る 日本映画黄金時代』とか本を出していますが、そこに俳優さんたちへのインタビューもあります。 勝さんの場合は亡くなった後で、スタッフさんにインタビューして勝新太郎像を描いていきました。 三国連太郎さんの時には時間が取れず短い時間での取材でした。 仲代達矢さんの時には緊張しました。  一冊の本を書くので、最初が肝心と思って考えて違ったアプローチをしました。 10回インタビューしました。 インタビューの前に相当勉強していって、丁寧に答えていただきました。  インタビューをするときに、どんな方でも準備は黒澤明だと思ってインタビューするように心がけています。  『美しく、狂おしく 岩下志麻の女優道』 岩下志麻さんも凄い方でした。 15回ぐらいインタビューさせて貰いました。  次回このテーマでやりますと事前に連絡するんですが、逆に岩下さんの方が準備されてくるんです。  沢山ノートに書き込んで、理知的な方です。

橋本忍さんは脚本家としてのデビューが黒澤明の「羅生門」、いきなりベネチュアの国際映画祭のグランプリに輝く。 「生きる」「七人の侍」「私は貝になりたい」「砂の器」「八甲田山」「八つ墓村」と言った数々の名作を残した日本を代表する脚本家。  2010年12月ごろに「鬼平犯科帳」についての論文を書いた本があって、送られて来たのが、櫨本忍90歳の小説と書いてありました。 凄く面白くて橋本さんの証言を頂きたいと思いました。  名作のすべてを聞きたいと思いました。 取材を始めたのが2011年で2014年ぐらいに本が出ればいいかなと思ていました。(12年になるとは思わなかった。)    

亡くなってから、書斎を拝見したら創作ノートが見つかりました。 1982年「幻の湖」と言う映画から橋本さんの挫折が始まってゆくわけです。  光の部分と影の部分の両方をが描けるかなと思いました。  どの部分もそうですが、特に「砂の器」と言うところは力を入れましたかね。 橋本さんの脚本家としてのエッセンス、映画人生、人生そのもののエッセンスすべて込められているのが、「砂の器」と言う作品でしたので、こちらも魂を込めて書かなければならないという事で相当力を入れて書きました。 橋本さんが語った橋本忍物語があり、山田洋次監督をはじめ、周辺の方々のインタビューでの橋本忍像、橋本さんがいろいろ書かれている橋本忍像、そして作品がある、創作ノートに書かれた作品の裏側がある、がそれぞれ違うベクトルを向いている。 それをどういう形で一つの本のの中にまとめてゆくか、と言うのが大変でした。 

整合性を求めることが難しく、「羅生門」の方式(それぞれ証言が違う)で良いのではないかと思ってそうしました。  自分自身で藪のなかを調査するのが好きなこともありました。 橋本忍を通して師匠筋の伊丹万作監督、黒澤明の世界と言ったものも明確に見えてくる。 出来る限り橋本さんのインタビューはろ過しないで、そのまま載せる、創作ノートも解説を入れずに、皆さんにエッと思ってもらえるように書きました。  作品とその裏側にあるご自身の思いのギャップの激しさが、戸惑ったところでもありました。 「砂の器」は1961年に脚本を書いて、山田洋次監督が助監督の時に、アシスタントで一緒に脚本を書いて、公開まで13年かかっています。 自身でプロダクションを作ると言う事で「砂の器」をもって行った。 「日本の一番長い日」に至っては橋本さん自身が当たるとは思っていなかった。  これは戦争に対する様々な思いがあったのではないかと思いますが、実は競輪でお金をすってしまい、書かせてくれと言うことになった様です。

橋本ワールドとは、一つは鬼と人間がどう向き合ってゆくかという事、橋本さんの映画は全て悲劇、人間があがらえない理不尽な状況に苛まれてゆく話ですが、その時人間がどの様にあががらってゆくか、押しつぶされてゆくか、それを描いて来た。  ドラマの魅力もその悲劇性にあるのではないかと思います。  日本の映画の戦後史の流れを橋本忍さんの映画人生を通して、皆さんが感じ取ってくれば、嬉しいと思います。 薦めの一点としては「砂の器」を見ていただき、その後原作を読んでいただくと、こんなにも変わったのかと、橋本忍さんの作家性がいかに映画の中に込められているかが、判ると思います。