2023年12月10日日曜日

山田邦子(タレント)          ・人生イチ芸人、ひとりでも多くの人を笑わせたい。

山田邦子(タレント)       ・人生イチ芸人、ひとりでも多くの人を笑わせたい。 

山田邦子さんは1960年東京都生まれ。 20歳のころから芸能活動を始め、一躍テレビの人気者に、その後物まね漫談、歌、司会、ドラマなど多方面で活躍し、現在は自分で企画した舞台、そして寄席にも出演しています。 

子どものころからお笑いが好きでした。 小学校4年生の時に、ギャグをやったら凄く受けました。(江東区の小学校)  味を占めて、三平さん、谷敬さんの物まねなどしてました。  中学からは女子だけの学校に行き、短大まで出させてもらいました。 学校では禁止だったので、偽名で素人物まね番組に出て、ドラマに出ないかと言う話(卒業後)もあり、卒業してからデビューしました。 共演は誰かと聞いたら夏目雅子さんと言う事でした。 私は面白いから呼ばれたんだと判りました。 その後ビートたけしさんの番組にも呼ばれるようになりました。 演芸事務所からも声がかかるようになりました。 バスのガイドさんのネタをやるようになって、いろいろやるうちに右手をご覧ください、一番高いのが中指でございます」とやったら凄く受けまして、レコードを出さないかという事になったんです。 レコード出して、感激しました。  

時代劇とかいろいろな活動をやっているうちに、かつらを剥がすのになかなか剝がれなかったりするので、強烈な剥がし剤で、皮膚も赤くなってしまって、髪の毛がない方が楽だなと思って、坊主にしてしまいました。  坊主にしたおかげで、瀬戸内寂聴さんから声がかかって、瀬戸内寂聴さんの真似をするようになって、番組を作ってくださったり、話をする機会もできたりしました。 NHKのバラエティー番組に出させていただいて11年ぐらいやりましたが、ネタのコーナーを頂いて、毎週日曜日の番組で7分間の新ネタを掛けていましたが、嬉しくもあり、苦しくもありと言う事でした。  瀬川瑛子さんの物まねをして、瀬川B子と言うことで受けていたので、そのまま日曜バラエティーではやらせて頂きました。 大月みやこさんの物まねをして、大月さんからかっわいがってもらいました。 ネタを考えるのが好きです。

歌も大好きでレコードも出させてもらって、アーティストの人たち一杯知り合うようになって幸せでした。  KANちゃんからは歌唱指導してもらったりして、「さよならだけどさよならじゃない やまだかつてないWink」ではKANちゃんのお陰でヒットしました。(作詞:山田邦子 作曲:KAN)  「愛は勝つ」(作詞・作曲:KAN)が大ヒット。(1990年)  

「愛は勝つ」  作詞・作曲:KAN

この曲の替え歌として「愛はチキンカツ」「愛は勝海舟」「愛は桂三枝」といったバージョンが『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』の番組内で歌われていた。  2007年がんに対する知識と理解を呼びかけるチャリティー団体「スター混声合唱団」を鳥越俊太郎さんらと結成しました。 乳がんになってしまって、日本は半分はがんにかかる時代なんだという事が判りました。  不安に思っている人、元気な人にも「がん検診は行きましたか。」と言う事を言ってゆくべきだと思いました。 46歳で乳がんになって、47歳からみんなを束ねてやってゆくようになりました。  レギュラー番組はなくなりましたが、丁度やりたいものが見えて、やりたい人たちの囲まれていた、と言う風な感じです。 がんになって神様からのプレゼント、沢山の友達、知恵、勇気と言ったものがもらえました。 

プロレスも好きで会場に行ってと言う事は出来なかったが、今は会場に行って応援できるし、解説で呼ばれる事もあります。  60歳から寄席に出るようになりました。 若い子が多くて、バスガイドのネタなんて知らないから、新鮮です。 お客さんの前と言うのがいいですね、 笑っている顔は幸せです。 元気も待っていては来ない、自分から出していかないといけない。  笑うと免疫力が上がるそうです。