2026年6月18日木曜日

山中しのぶ(自身が認知症・介護施設運営者) ・「ありのままに生きる」

山中しのぶ(自身が認知症・介護施設運営者) ・「ありのままに生きる」 

山中さんは201942歳の時に、若年性アルツハイマー型認知症と診断されました。 子供3人を抱え一家の大黒柱として働いていた時で、家族の将来を思い途方に暮れたいいます。 そんな中、同じように認知症と診断されながら、生き生きと暮らす先輩たちに出会い、少しずつ自身の病を受けることができました。 今では高知県内2箇所で介護施設を運営する一方、講演会などで自身の体験や学びを伝え、認知症への理解を広く訴えています。

認知症ケア学会に参加するために上京しました。 当事者の視点から認知症の理解を考えると言うテーマのシンポジウムで発言しています。 令和4年から高知県の希望大使に委嘱されました。 ADIと言って世界アルツファイマー病協会があります。 そこの国際本人委員としても参加させていただいてます。 今年はリオに行ってきました。(もとは携帯電話の販売会社で営業担当をしていた。)

若年性認知症と認定されたのは2019年です。 3、4年前から時間の間隔のずれというのが結構ありました。 覚えにくなったと言う感覚もありました。 その前に近所の精神外科に行ったら、正式な診断名はわからなかったんですが、チラシをもらって「認知症と共に生きる」と言うもので、22点境界線と書かれていました。   なかなか理解できない状態が3,4年続きました。 若年性アルツハイマー病の主人公のドラマを見て、自分もこれだと確信しました。 そして、若年性アルスファイバー病と診断されました。 

仕事を続く上で、同じ部署だけには理由を説明して仕事を続けていきました。   1年半ぐらい家に引きこもった時期もありました。 ある本の影響で、いつかは自分もオープンにしたいと思って会社を退職することにしました。(20216月)   東京都の希望大使をしている佐藤美樹?さんが働いているDAYSBL Gと言うところに見学に行きました。 社会参加型デイサービスでした。 チラシをポストに投函する仕事をしていました。 そこで人と人との関係性に関銘を受けました。 こんな施設を作りたいと思いました。 

翌年の4月には法人を設立していました。  人の命を預かることになるので、制度、生活とかいろいろな申請とか一生懸命勉強しました。 20224月に「セカンドストーリー」と言う法人をつくりました。 感動した「ストーリー」と言う歌から名前を付けました。 デイサービス「はっぴー」も歌の中から取り入れました。 自動車販売の洗車をしたりする中で、仕事の枠も増えていきました。マンションの清掃もしてます。 働くと言うこともありますが、みんなと会えるとか、いろんな話ができるとか、そういうことが働くより先に大事なんじゃないかなと気づきました。 2024年の暮れぐらいからいろんな検査をして、レビー小体型認知症(レビー小体と呼ばれるたんぱく質が脳に蓄積されることで脳の神経細胞が減少し、認知症の症状を発症 幻視など、ないものが見える症状​・幻聴などもある。)と診断されました。

デイサービス「はっぴー」は2店舗になり、2店舗目拡大のために引っ越ししています。長男は不動産お仕事をしているので移転の為の手伝いをしてもらいました。 次男は次男は介護職員と一緒に働いています。 私の中の家族という言葉は、血縁関係だけの家族ではなくて、大きな意味での家族、エネルギーのことです。   

進行していくのではないかと言う不安はありますが、先の見えない不安で悩むよりも、今日楽しいことをやって、今日1日精一杯生きようと思っています。  認知症になってからもやりたい事は実現できるし、今までの生活も続けることができます。 それは1人では難しいかもしれませんが、仲間や家族、相談できる人などを今から作っていってもらいたいなと思います。  地域のご本人さんと一緒に居場所を作ったり、思いを聞いて、アクションを一緒に起こしていって欲しいなと思います。