2026年6月17日水曜日

屋鋪要(元プロ野球選手・少年少女野球指導者)・「人生、ノーサインで走り抜け~韋駄天・屋鋪要の生きる術」

 屋鋪要(元プロ野球選手・少年少女野球指導者)・「人生、ノーサインで走り抜け~韋駄天・屋鋪要の生きる術」

 屋鋪さんは、プロ野球横浜大洋ホエールズ時代に俊足の3人の名前を連ねたスーパーカートリオの一角として、ベンチからのサインをまたないノーサインの走塁で3年連続の盗塁王を獲得。 さらにゴールデングラブ賞5回に輝いた守備では、移籍先の長嶋ジャイアンツの優勝につながるファインプレーでも知られています。    子供の頃から大の鉄道フアンであった屋鋪さんは、プロ野球引退後は、子供たちへの野球教室を続けながら、鉄道文化人としても活躍しています。 さらやに知人から株を譲られたことがきっかけで始めた、ラベンダー栽培がカルチャー教室でも指導を行うようなになっています。 自らの観察眼と直感そして勇気で67歳の今なお走り続ける屋鋪さんにそのノーサイン人生を伺います。

子供たちへの野球教室を月、火、水と別の場所でやっていますが、50人ぐらい教えています。 鉄道の写真集は2冊出しました。 鉄道の車両の模型も作っています。レール幅が9ミリで150分の1位です。 野球ではスーパーカートリオと呼ばれていて、横浜時代、1番、2番、3番、1番が高木豊さん、2番が加藤博一さん3番が私です。 それまでは6番とか7番でしたが、近藤監督から言われて、いきなり3番を打つ立場になりました。昭和60年のシーズンから走りまくります。 失敗してもいいからとにかく走れと言われました。 盗塁って意外と難しくて、私の成功率は7割5分位です。 赤星君は8割以上でした。3人とも塁に出て3人とも失敗したことがありました。 盗塁の要点は①スタート②スピード③スライディングです。 私が1番大切だと思うのはスタートを切る勇気だと思います。 

少年時代から自由奔放に生きていました。 両親は細かいことを言いませんでした。 ただしつけが厳しかったです。 遊び呆けていても勉強をしなさいと言う事は1回も言いませんでした。  8歳から12歳までは、兵庫加川川西に住みました。    いろんな動物を飼いました。(蛇などを含めて) マムシも飼って指を噛まれたことがあり、血清がなく血を絞り出してもらいました。 

1985年スーパースーパーカートリオで前年が11個の盗塁だったのが一気に58個になりました。  翌年から3年連続盗塁王になりました。 ゴールデングラブ賞も5回取りました。 1994年巨人に移った後、巨人対西武の日本シリーズで9回にファインプレイがありました。  10で守り切りました。 長嶋監督からはあのプレイが日本シリーズの流れを変えたと言って下さいました。 貢献できたので、人生であの年は忘れられません。

*「大空の大地の中で」  歌:松山千春

大自然のある北海道は大好きです。 11歳の時に蒸気機関車が大好きになり、私の影響で父も蒸気機関車が好きになりました。 それで夏に北海道行くことになりました。 蒸気機関車の荒々しさに魅了されたと思います。  2006年から写真を撮り始めましたが、その頃600両以上ありました。 昔の模型はもう少し大きくて80分の1位の大きさで、それは高価でした。 Nゲージ(150分の1のタイプ)が普及し始めて60年位です。 引退後鉄道の趣味に戻ってしばらくしてから模型を作成するようになりました。 模型のセットが100個ぐらいあります。

野球は小学校4年生からやりましたし、野球が根幹です。 野球をやることで学ぶべきことがいっぱいあります。 野球がうまくなることに越した事は無いんですが、野球をやることで学ぶべき事がいっぱいあります。  例えば礼儀作法とか私の指導をしたことを考える。 我慢も人生にとっては大切なことだと思います。 野球の楽しみは打つことです。 打球が飛んでいくと気持ちいいです。 子供たちにはボールを真っ芯で捉えるような指導をしたいです。 2010年の後半位から山野草の植物を育て始めました。 2019年に友人からラベンダーの苗を譲ってもらいましたが、失敗しました。 翌年からコロナ禍の中、熱中しました。 今、2カ所で50株ぐらい育てています。  関東地区では、夏の暑さでほとんど枯れてしまって難しいです。