萬田緑平(在宅緩和ケア医) ・「2千人の“幸せな最期”を支えて思うこと」
萬田緑平さんは61歳、群馬大学学部附属病院に所属する外科医として、17年間にわたり、がんの手術や抗がん剤治療を行う中で、がんの終末期に家に帰りたいと言っても見てくれる医師がいなかったことから、43歳の時に癌の終末期を自宅で暮らしたいと言う、患者さんを支える在宅医となりました。 2000人以上看取ってきた経験をもとに自分らしく生きるとは、どういうことかを綴った著書「棺桶まで歩こう」は、大きな反響を呼んでいます。
基本的には、僕の患者さんは亡くなるまで歩こうと言うのが目標で生きています。表現するのに棺桶まで歩こうと言う表現になりました。 歩けなくなってから辛いし苦しいですね。 やっていることの99%ができなくなってしまいますから。
群馬大学医学部附属病院で外科医を17年間していました。 当時、外科医は1番ハードだと言われていました。 亡くなろうとしていくときに、呼吸が弱くなって人工呼吸器に繋がれて、心臓が弱ってくると血圧を上げる薬を使って、心臓が止まると心臓マッサージをして、全員そういう風になくなっていきました。 外科医は亡くなるまでは、病院に泊まって看取ってきました。
心臓マッサージをすることに疑問も抱くようになりました。 2年目からは、主治医としてからは自分の担当で亡くなっていく患者さんに心臓マッサージ、人工呼吸器は一切していないです。 がん告知もしました。 辛いなくなり方がかわいそうだと思っていました。 偉くなるよりも現場にいたいと言いう思いもありました。 外科医をやっているうちに、だんだん何歳まで外科をできるんだろうと言う風な思いに至りました。
緩和ケアの世界に行こうと言うふうに思いました。 在宅医の小笠原先生が家に来ないかと言われました。(42歳) 50歳位にと言う思いではいたのですが、半年考えてやめてしまおうと思って、小笠原先生のもとに入りました。 在宅緩和ケアと名のっています。 緩和ケアと言うのは癌にまつわる痛みとか苦しみを和らげると言う治療です。 でもやってる事は病院に行きたくない人、治療したくない人、家で暮らしたい人を支える在宅ケアです。 訪問診療と外来診療の二本立てです。 午前中は外来、午後は訪問診療1日6人程度を見ます。
人は1日1日確実に老化してって弱っていって亡くなる。 筋力とかは頑張れば維持できます。 体の元気よりも心の元気です。 体の状態が弱ってても幸せそうです。 そうすると周りも幸せになります。 心の状態を良くするとみんな生たいと言います。 もっと生きたい飲み食いできなくなって1週間ぐらいしか生きられないと言う人がいて、どうしたいって言ったら、酒が飲みたいと言います。 一般的には酒を飲ませないですね。 健康のために飲ませてあげようと言ったらわかったと言ったら飲ませました。 その日から水も飲まなかった人が日本酒を飲むようになって、だんだん元気なってきてトイレも行くようになって、3ヶ月ぐらい元気に生きてその後1週間ぐらい弱っていって亡くなりました。
体の状態はダメなんだから、心の状態では良くしてあげよう。 結果的にそっちの方が本人も頑張れるし、頑張りたいと言う長生きすると言う考え方です。 「ありがとう」と子供が言えることが、ハッピーエンドに近くなるので1番良い薬なんで何とかそれを投与しようと思って、そこに1番エネルギーを使います。 褒められると生きたいと言うことになって、生きるためには歩こうと言うことになります。
50代の患者さんの女性がいましたが、抗がん剤の治療を辞めてから1年ぐらい通ってましたが、3人の息子がいました。 訪問診療するようになって同席してくれていまして、そこで「母ちゃんにありがとうと言ってあげよう。」と言いました。 生きてる間にありがとうと言おうねと言って、親孝行と言うのは産んでもらって育ててもらってありがとうございました、と言う言葉にすることが親孝行だと思うわけです。 3人の息子がありがとうと言った。 3日後に亡くなりました。天外孤独な人はありがとうの幸せさはあんまり感じられません。
昨年夏から12月まで診療所閉じて患者さんをゼロにして、世界一周旅行に女房と行ってきました。 オーロラを見に行きたかった。 5,6年の準備期間を設けきました。 高齢になればなるほど、いろんな楽しみが楽しめなくなる。 生前葬をしましたが楽しかったです。 死んでからではみんなの言葉を聞けなかったです。 やってみたい夢があって、緩和ケア世界一周旅行、治療ではなくて世界一周旅行にちゃえと言うものです。 死んでもいいような形にして連れて行ってしまうと言うのはやりたいなと思ってます。 病院に行ける元気なうちから、地元で自分の人生を支えてくれる医者を探しなさいと言って帰します。