2024年1月5日金曜日

中西俊博(ヴァイオリニスト・作曲家)  ・ヴァイオリンの貴公子は実はアバンギャルド

 中西俊博(ヴァイオリニスト・作曲家)  ・ヴァイオリンの貴公子は実はアバンギャルド

中西さんは1956年(昭和31年)東京都生まれ。  5歳からヴァイオリンを始め東京芸術大学を卒業後、クラシック、ポップス、ジャズなど多彩なジャンルを表現するヴァイオリニストとして活動しました。 1984年にリリースしたファーストアルバム「不思議な国のヴァイオリン弾き」が10万枚を超す大ヒットを記録しています。  またフランク・シナトラ、ライザ・ミネリ、サミー・デイヴィスJrなど、海外の大物アーティストのコンサートマスターを務めるなど活躍されています。 作曲家、編曲家としても桑田佳祐、井上陽水、坂本龍一など、各氏のアルバム制作やアレンジに参加しています。 手掛けたテレビ音楽、CM音楽は150曲以上、現在はライブやコンサートを中心に活動しています。 

1年間弾けない時がありました。 楽器が持てなくなって、ついに指が動けなくなって辞めて仕事をキャンセルし1年間休みました。 段々回復してきて弾けるようになってきて、好きな仲間と好きな音をやりたいということで、再スタートしました。 しかし段々忙しくなってきてしまってきました。 充実はしています。 指の動きも工夫して、力も抜けてきて、前にできなかったようなことも出来たりもします。 30年前ぐらいから指がしびれていたんですが、病院では頸椎が原因だと言われました。 1週間に3回ぐらい検診に来てくれと言われたが、忙しくて1回も行きませんでした。 しびれが酷くなって、段々指が動かなくなってしまいました。 子どもの頃の練習方法が良くなかったようです。 

ピアノが4歳でヴァイオリンが5歳で始めました。 大学に入ってジャズのバンドでピアノを弾き始めました。  音符がないところで任されている。  ヴァイオリンではなかったことで勉強になりました。 ピアノでは出来てもヴァイオリンではできなと言うようなことが何年かありました。 レコードをたくさん買って勉強したりもしました。 自分がどう解釈してどう弾くかという事が大事だと凄く思うようになりました。 曲が求めているものもあるので、曲とのコラボ、照明とのコラボ、お客さんとのコラボ、などやりだすと自分だけでは出来ないようなことが出てきて、それが凄く楽しい。 自分が思った音色、自分が思ったニュアンスで弾けているかどうか、それには自分がどう弾きたいかという事がないと駄目だし、とっさにアドリブでやってみるのは凄く勉強になるんじゃないかと思います。 

小さいころは父に習いました。(厳しかった。)  ヴァイオリンを二人でやる場合はどう工夫して和音感を出そうとか、いろいろ工夫してゆくといろんなことが刺激されて、楽譜通りだと魅力が出ないので、凄く勉強になります。 エフェクター(電気楽器電子楽器など電気信号に変換された、あるいはマイクロフォン(マイク)で集音された音声に対して、スピーカーまたは録音媒体に至るまでの途中に挿入して一定の効果を与え、さまざまな音に変化させる。は楽しいです。 自分でアンプを作ったり、スピーカーボックスを設計したりします。 エフェクターはうちに150個ぐらいあります。  一人でライブをやる時には過激なものを入れたり、優しいものを入れたりしてやっています。 

自分でナイフで怪我をしたり、火傷をすると、どういうふうにやったら火傷しやすいとか、考えるようになる。 父は失敗するまで黙って観ていたというようなことを言っていました。 遠回りしているよいうだが、自分で考えるようになるという事は、結果的には近道になりますね。 「この世界と言うのは、そういうのをやってゆくと文化を生むかもしれないし、火が付いたら面白いかもしれないが、仕事にはつながらないよ、その覚悟は必要だよ。」と言うようなことを話しますが、生活をしなければいけない人は、仕事になるようなことも覚えていかないとならないですね。

*「ダニーボーイ」 演奏:中西俊博  

「ダニーボーイ」は魅力が判らなかったが、自分で解釈してどう弾きたいのか、自分の中で作れなかった。 若いころ恥かしくて弾けなかったのが、今は弾けるというのが、例えばスタンダードナンバーの「ミスティ」とか、メチャクチャヒットした曲は今さら恥ずかしいとかありましたが、今は自分が思ったように弾くことが段々弾けるようになりました。

社会のなかでいろんなことを刷り込まれて、それが常識だと思っているが、常識と言うものを外してみたい、そういう実験をしてみたいという思いはあります。 指の怪我で5週間入院して、手術が5時間でしたが、その時に無精ひげが生えて、伸ばしていって今ではその髭がみぞおちの当たりまで来ています。