2024年1月13日土曜日

鵜飼秀徳(僧侶・ジャーナリスト)    ・これまでのお墓、これからのお墓

鵜飼秀徳(僧侶・ジャーナリスト)    ・これまでのお墓、これからのお墓 

鵜飼さんは経済誌の記者として、全国を回り過疎化による檀家の減少と住職の高齢化、後継者不足で存続の危機にある寺の実情を取材しました。 その際、お墓の形やあり方が転換期に入ったことを目の当たりにしました。  2018年に独立して京都に戻り実家の寺で住職を務めながら、ジャーナリストとして現代社会と仏教をテーマに取材を続けています。 今お墓と埋葬法をめぐっては墓じまい、改葬、永代供養、樹木葬、散骨などがキーワードになっています。 今何が起きているのか、お墓の変遷をたどり、これからのお墓を考えます。

コロナ禍の初年度は法事、お葬式の数、規模が小さくなりました。 秋(2020年)には平時に戻りました。 今はコロナ前よりもお墓参りは多いですし、5類になってから法事の規模もコロナ前に戻りました。 老人施設、病院などで満足に看取れなかった方が、納骨されてから手を合わせたいという事で、揺り戻しではないかと思います。

お墓ばっかりここ数年みてきました。 北から南、全国のお墓は全然違うんです。 弔い方も違います。 改葬、故郷のお骨を出して自分たちが住んでいる納骨堂に持ってくるとか、これを改葬と言います。 墓じまいは改葬の一種ではありますが、一族が絶えてしまって、一族の墓を撤去してさら地にして、ご先祖のお遺骨などはご自宅などにもどすとか、と言う事をします。 都会の方ではほとんどが家族葬になりました。 また直葬と言って葬式もしないというのもあります。 高齢者施設、病院などで亡くなり、日本の法律だと24時間立たないと火葬が出来ない。 どこかに24時間安置して、お葬式をしないで火葬してします、これを直送と言います。  東京では家族葬と直葬でほぼ100%に近いと思います。 散骨、樹木葬、これは何が起きているのか。  リーマンショックの2007年8年を境にしていろんな種類のお墓が出てきました。 ロッカー式の納骨堂、樹木葬、自動搬送式の納骨堂(近代ビルでICカードをかざせば、自分たちが契約している納骨箱が出てくる。 ブースの前で手を合わせる。)、散骨(お墓を持たない)特に海洋散骨が出てきました。

日本人の埋葬の歴史は旧石器時代、縄文時代とかまでさかのぼります。 手厚く埋葬していた形跡があります。 旧石器時代には集落の真ん中にお墓を作ってその周りに人々は暮らしを営んでいた。 古墳時代があり、或る時忽然と消えます。 平安時代はピタッと弔いがなくなります。 京都などは野ざらしとなる。(風葬) 江戸時代には今と似ているお墓が始まります。 明治時代には戦争の時代に入って来て、戦死者の弔いと言う形でお葬式が肥大化します。 英霊を村を上げて弔ってゆく。 今は弔いが多様化をして、簡素化している。

江戸時代の初期檀家とお寺の関係が出来ました。 1637年にキリシタンの反乱、島原の乱がおきます。 江戸幕府が日本人を全て仏教徒にするという政策に転換してゆきます。  集落の中心に一つお寺を作ってゆく。(一村一寺の制度)  日本全国に整えてゆく。  村人たちはそこの檀家になる。(義務)  宗門人別改め帖に書き込まれてゆく。(戸籍の原形みたいなもの) 自分たちのお墓を持って一族がそこに埋められてゆく。 次男筋は別のところに作ってゆく。(今の形に近い。) 江戸時代にはなかなか引っ越しは認められなかった。 大阪の一心寺が次男筋のために、故郷の親のお骨を一部持ってきて納骨することが始まった。(今の永代供養の始まり)  骨を砕いて粉にして骨仏を作ってこれが人気になりました。(一体当たり十数万のお骨で出来ている。)

埋葬、平安時代は風葬に近かった。 京都には3つの風葬地があった。(鳥辺野、蓮台野、化野) 火葬の一番古いのは奈良時代です。 行基の道昭という師匠が最初に火葬された。 その後火葬が天皇家に取り入れてゆく。 庶民は風葬、土葬。 お釈迦様が火葬された。 そのならわしが取り入れられてゆく。 多くの宗教は土葬、イスラムは土葬、キリスト教も土葬、日本の神道も土葬で仏教の火葬の方が珍しい。 江戸時代の初期にお寺の近くに火葬場が出来て、村人たちの火葬を行っていた。  大阪はほとんど火葬、江戸は半々ぐらい。 北陸は火葬が多かった。(浄土真宗の本山納骨を行う、東本願寺、西本願寺に分骨する。  浄土真宗を中心にして火葬が広がって行った。) 

明治元年に神仏分離令が出来る。 徳川家は仏教を使って納めようとしたが、明治政府は仏教否定に回る。 神道と国家が結びつくようになる。 神道は土葬なのでお一時期火葬禁止令が出る。 京都などは90㎝角ぐらいなので土葬が出来ない。  東京は江戸屋敷をつぶして、都立霊園を作る。(都立青山霊園、都立雑司ヶ谷霊園、谷中霊園など広大な霊園がある。) 疫病が流行り出した時に様々な懸念があって火葬に戻ります。 終戦直後あたりに火葬と土葬が半々ぐらいに戻る。  今は日本は世界一の火葬大国になっています。 大正2年の時火葬率は31%程度、昭和22年で54%、昭和54年90%を越えて、今は99,9%です。 土葬は僅かに残っている。 

永代供養は永久供養ではない。 33回忌を機にお骨を別の場所に移す。 短いケースでは7年とかあります。 納骨堂では骨壺のまま納めるので出しやすい。 期限がついている。樹木葬もいろんなタイプがあります。  野山に生えている樹木にお骨を撒く場合もあるが、多くの場合は霊園の片隅に大きな納骨室を作って、脇にシンボルツリーを植えます。 30cm角のプレートの下に夫婦で収まるとかあります。(最近増えてきている。) 関東では骨壺のまま納めるが、関西ではそうはしない。  

アメリカではコンポスト(たい肥)葬が最近広がって来ています。(自然回帰)  カプセル状のブースに入れられて、或る程度の時間をおいて土にかえる。 その土を自然保護林に撒く。(日本では法整備が整っていない。)  日本では手元供養と言うのが増えてきました。 仏壇に遺骨をしゃれたケースに入れて、置いたままにしておく。 遺骨を高温高圧で人工ダイヤモンドにしていって、戻って来る。(高額) オランダでは墓石のない墓地があり、早く土にかえる特別な御棺を作って埋葬すると、墓地のサイクルが早まる。 村単位で合祀墓を作って、お祀りして永続的に管理する、という事もあります。(京都) 

ある大学でのアンケートではお墓を大切にしたいという回答が8割を越えています。 心の教育の場所がお墓なんだと、こういう事も考えていただければと思います。 お寺に集う仕組みを作ってゆく、祈りの空間であるべきだと思います。