2011年4月30日土曜日

平松守彦(前大分県知事87歳)   ・世界に広がる一村一品運動

平松守彦(前大分県知事87歳)     世界に広がる一村一品運動  
一村一品運動」 昭和54年提唱 世界各地にまで広がる
6期24年間知事を務める  
行政は何もしてくれない と不平不満
自分たちの地域で産品、観光を出してほしい と提言・・・PRは知事がする
大分は小藩分立  人間性を違ってくる→纏まりの悪い県
理念 ①ローカルでありながら、グローバルでも通用するもの
    ②自主自立 補助金使ったものでは駄目
    ③人作り 「塾」 6か所作って核となる人達の人作り

成果 大分焼酎 関サバ 等 
上海で勉強したいと要望受ける →中国に広がる  タイのタクシン氏から展開要望 他モンゴルでも
中国 農村、都会で格差ある →政府主導で一村一品運動する  大分は民間主導
次の世代へのメッセージ  継続は力なり  失敗を重ねながらアイデアを出し合う
情熱の源  ハードパワーでは駄目  ソフトパワーでないと両国は成立しない  平和をもたらす

2011年4月29日金曜日

森政弘(ロボット工学者)      ・ロボコンから学んだこと

森政弘(ロボット工学者)     ロボコンから学んだこと  
50年前からロボットを研究 
米国の本を読み 自動制御をやる様になる →気体、液体のコントロール 弁で楽にできるようになる
人の手→機械に変換 指の理論発表→ロボットへ  ロボットは人間の代わりに働く
ロボットコンテスト78ヶ国参加   
1981年 学生の顔に生気がない・・・単一乾電池一個で人間を運べるか 生徒に出題 考えさせる→車作り 堅い床動いたが庭では駄目→考える
学生の眼の色が変わった(夢中になる) 「物」人間にとってい良い 「物」が人間を育てた
中学校のキット作りは作り方が決まっていて面白くない→ロボコン取入れ
苦しくて楽しい  0から作る
仏教・・・人間の研究(心) 柔らかな頭、柔らかな心を持つ
我を忘れて物をつくる(三昧) 物つくり三昧→人間が変わる
物つくりは人作り 使いようを心得る   
刃物→メス(人を助ける) →ドス(人を殺す)・・・心の使いよう

2011年4月28日木曜日

吉村作治 (考古学者)     ・ 父からもらった言葉の力

吉村作治考古学者)  父からもらった言葉の力
「盗むより盗まれた方がよい」・・・小学校1年生の時に物差しを盗まれたときの父の言葉
父は江戸友蝉の職人 
「一返事、二立ち、三歩以上は駆け足で」
「一日延びれば、百日延びる、百日延びれば、一生出来ない」
だらしないと駄目 考古学は整理学
「金と灰皿は溜まるほど汚い」、「金は天下の回りもの」・・・父の金に対する考え方 
父は自分に気にいった仕事は安くてもやる、気に入らないと納品しない(金をもらえないが)
小学生の時にカメラがほしくて、何とか高いカメラを買ってもらう→高い物は滅多に買ってほしいとは云っちゃいけないと思った
大事にカメラを使い、後の考古学を進めるに大変役に立つことが出来た
考古学はスケッチ、写真、文字の三点セット
父は落語が大好きで月/一回は演芸場通っていた 
帰りの食事が楽しみだった(貧乏の割には使いたいときには金を使った)
ツタンカーメン王の秘密」を読み考古学に興味を持つ 
小学校4年でエジプトに行きたいと思った  

「勝負は時の運」・・・発掘で何も出なかったときの慰めになった
「天網恢恢疎にして漏らさず」・・・天の張る網は広くて、一見目が粗いようであるが、悪人を網の目から漏らす事はない悪事を行えば必ず捉えられて被るという事  
人は必ず知らないところで見ているもの 
良い事しても、悪い事しても見ている 悪い事してはいけない  
どんなに曲がっている道でもまっすぐに見える 
まっすぐな道に見える様で曲がっている時がある
一歩引いて自分の歩んだ道を確認する必要がある  
晩節を汚すことがある  
一個でも外すと何個でも外してしまう
所沢に家を建て、父にはいってもらったが、ある日日向ぼっこをしながら、スッと亡くなった
・・・理想的な亡くなり方

2011年4月26日火曜日

小倉和夫(72歳)        ・多文化共生

小倉和夫(国際文化交流基金理事長72歳)   多文化共生    
ベトナム大使、韓国大使、フランス大使等歴任 2003年国際文化交流基金理事長
青山学院大学教授   
大震災の時の外国の反応  一体感 、連帯感に感動した(市民レベルで冷静に対応した)  
首をかしげることもあった・・・自粛(行き過ぎでは)  批判・・・政府の対応の仕方   
長年の国際交流が同情、共鳴在り    
自分自身がどういう社会であり人間であるか 
あの国はこういう考え方をするのか・・・国の姿が見えてくる側面もある  
グローバル化・・・国境を越えていろいろなことが行われるようになった 
 
世界が小さくなった(ボーダレス) 分野の壁が低くなった(映像、美術、銀行等)    
日本の状況・・・若者が内向きになってきた 経済停滞、政治不透明、高齢化、少子化等 本当に外国に行きたいのであれば、金がなくても何とかしていきたくなるもの 根性が欠けていることである 日本のある種のメンタリティー    
韓国、中国の若者はダイナミックに行動(留学)   
日本はある種国家的目標に達してしまっている 
次の目標に対して張り切れるかどうか 新宿区は10%の外国人が居住 ・・・多文化共生に対して身近な問題として存在する    
共存・・・違う者同士がけんかしないで存在する   
共生・・・相互依存関係がある  お互い同士が必要(共に生きてゆこう)
  
個人、市民としていかなる姿勢で生きてゆくのか 個人主義ではない  
外国人が日本の老人を支援する  日本にも存在するようになった 
市民意識の高揚 日本の国際化への歩み    
外国が日本に何を期待するか→日本がそれに対してどうしたいか・・・マッチした時代とずれた時代があった   
近代化したい(日本)・・・近代化を望む(国際社会)  一致していた時代がある   
私流のアジアにしたい(日本)・・・ズレが生じた→ズレが大きくなると注意しなくてはいけない 
日本が望むこととは何か  歴史の鏡  「鏡」・・・学ぶべき対象はなにか  
学ぶには相手のことをよく知る必要がある→アメリカ、ヨーロッパ以外の国々に対していろいろの国から学ぶ 
   
文化的に考えると例えばロボットを介護に使う事でも日本と欧州では考えかたが違う  
人類共通の問題、人類共通の意識が必要   人間と自然の関係    
日本のあるところに海老、蛙を供養する石碑があるが、欧米のひとには理解できない  
人間と道具との関係(外国では区別する  日本は人間の延長線上にある)  
   
多文化共生・・・コミュニティー(村、町、市)社会を構成  
行政、リーダーシップ、体験、交流が必要 交流がスターティングポイント  
交流(広場)日本では具体的な広場がない(精神的広場も)  
平和共存的考え・・・あなたはあなた、私は私  (冷たい関係)  
共生・・・お互いにお互いが必要・・・一緒に生きてゆこう  相互理解  
日本的なものは日本人のものなのか? 日本的なものはないのではないのではないか? 
文化(能、歌舞伎等) 漫画も日本のものではなくなってきている  
能役者、歌舞伎役者にも外国人がいる    
豊かな文化・・・お互いが分かち合ってゆくことが大事 
  
漫画を読むには能力が必要 無邪気、子供らしさ 幼稚がある→現代社会の本質になりつつある(現代社会病の象徴) 現代社会の一つの文化現象
仏、独等では大人はあまり読まない・・・哲学的深さは一般的にない(手塚治虫以外)  
スポーツ、漫画は直ぐ楽しめる  能、歌舞伎は直ぐ楽しめない   
伝統文化も大事・・・能、歌舞伎には日本の精神があるのでは→世界に共有してもらいたい 
現代の日本人文化はロック、食文化、アニメ等    
日本の漫画はいろいろとジャンルがそろっている   
漫画を通じての日本語教育 漫画の描き方勉強 漫画の作品を講演・・・深く日本を勉強する為のきっかけ・・・たのしく学べる  
  
言葉 コミュニケーション手段・・・英語はコミュニケーション手段として広がっているだけ   
文化財としての言葉・・・日本文化の結晶(日本語)  
方言:東北弁等 大事にする必要がある(文化)   
日本語言語教育がしっかりとする・・・意思伝達手段+文化の伝統を体現したもの  
文化の多様性・・・人類社会の豊かさ    
生物多様性・・・地球の生態系の豊かさ・・・人類の宇宙に対する責任  
日本文化の本質は重複にある・・・共存している(音楽、能等)  
重複の中からあたらしいものが出てくる    
日本(人)の多様性を世界に理解してもらう事が必要→素直な気持ちでやることが大事
(ジャパン、ジャパンでは駄目)   
それには発信と受信が大事である   
発進は苦労しない 受信は聞く能力、を培ってゆく必要がある→正しく受信する事が大事   
日本は効率重視しすぎる→日本の最大の欠点   
オールジャパン・・・狭い考え方 国家が表に出ていいものと、悪い物とがある  
勇ましい一致団結は誤解を生む可能性がある  日本人は一枚岩に見られている  
災害を切り口に考えた場合において 心と心を結ぶ一つの契機になりうる  
1995年の阪神大震災の時 地震情報に外国人が困った →長田地区でFMで地域情報を外国人が判る様に五ヶ国語で流す    
これによって助かる→多文化共生の芽生え   
多様性社会・・・困難に直面した時にお互いがお互いにを思いやりながら生きてゆく 
人間悪い状況の時どういわれるか大事  

2011年4月22日金曜日

黒井千次(作家)        ・「老いを見つめる」(2)

黒井千次(作家)            ・「老いを見つめる」(2)
パウリ・・・本当の老人は80歳になった以降  老いの自覚症状をリストアップする(10項目程度)
マルコム  文芸評論家  「八十路から眺めれば」という本 老いは自覚しにくい
本質的な自己には年齢はないんではないか。
老いに理想像あるのか?→昔はあったのかもしれないが 今は崩れて理想像を描きにくい。
「楢山節考」(うばすて) 深沢七郎  おりんお婆さんは70歳で山に捨てられる。
おりんお婆さんはまだ歯が丈夫であったが、歯を折ってそれらしい老人となる。

理想像があった方が生きやすい。
お爺さんは山に行くのを嫌がる→戸板に縛られ運ばれて谷底に落とされる・・・理想像がない
みっともないかも知れないがそれはそれで仕方がないのでは?(そう思いたい 前は思い違った・・・黒井氏の考え)
理想像の疑わしさ   老いてゆく・・・男女、老人 質違う。
老いの受け入れ方女の方が抵抗がある(若々しく在りたい) 可愛いお婆さんになりたい・・・肯定的
老いの理想像もなく、一般論はない。
平均寿命は延びてゆく→老年の時間が増える→どうやって受け止め、こなしてゆくか→追っかけてゆくだけでも意味がある。
自然に年齢とともに老いてゆく。  病の問題+死の問題を含めて考えてゆく
「ひやかし」 年寄りの冷や水を持ちながら年齢を考えずに、確かめたいことがあれば年齢に関係なくやろうとしてみることは大切だ。
人が亡くなった後で完結している人がいるが、途中で終わってしまってもいいのではないか。
生-死・・・一も中途半端な関係になっている。
先の方にあるものを追いかける(途中まででも途中までやった価値がある)
自分の歩幅で歩いてほしい・・・長く、遠くへ、正常歩で

2011年4月21日木曜日

黒井千次{作家)        ・「老いを見つめる」(1)

黒井千次{作家)            ・「老いを見つめる」(1)
「時間」、「高く手を振る日」
生臭さの部分を捨てていた→もうちょっとのたうちまわってもいいのでは
「老いの形」 出版から5年たってあまり自分自身変わっていない・・・良くもあるし、悪くもある

良い→老い込んではいない。  
悪い→成熟みたいなものがあってもいい、変化があってもいい→実際あまり変わっていない。

かくあるべしではなく現状を捕まえる→失敗談見たいな事が多い
①歳をとっていることを認める(with エージング) 男性の方が多い(もっと楽に)
②歳をとっていることを認めない(アンチ エージング) 女性の方が多い(無理している)
忘れる(鍵、ガス、等)・・・外出する時の儀式
体は衰えているが、少年みたいな気持が残っている・・・非常に大事なことではないか。
やりたいことをやろうとする姿勢、気持ちのありようが大事。
行ける所まで行ってみる(その前で辞めてしまうのはつまらないのではないか)
上手な老い方というものは絶対にない・・・その人らしく老いてゆく。
老いとは特別なものではない 早急にどうすればいいか、巧い手はないかと考えすぎているのではないか。
「心を読む」というNHK講座があったが、その中に「キケロ」紀元前の人 古代ローマ哲学者
老人とはいきなり来るものではない 前からの連続の中で出てくる。
幼年期、少年期、青年期、壮年期の結果としての老年期がある。

2011年4月18日月曜日

小坂文乃(研究センター顧問 )  ・革命をプロデユースした日本人

小坂文乃 
梅屋庄吉:1868年長崎県生まれ
辛亥革命から100年  上海万博で「孫文と梅谷庄吉展」を実施し20541人の入場者在り
民国革命のなかで辛亥革命は第一革命とされ、袁世凱に鎮圧された
古代より続いて来た君主政治を終わらせ、アジアでも初の共和制国家を樹立し、現在の台湾に繋
がる政治潮流を造出した歴史的な革命である
狭義では、1911年10月10日夜に発生した武昌起義から、1912年2月12日の宣統帝(溥儀)の退位
までの期間を指す
1911年10月10日 中国武昌から革命の火の手が上がる
民主革命で清朝打倒 中華民国が誕生 
2008年胡欽濤国家主席が来日 梅谷庄吉の歴史資料を見ることになり 小坂綾乃が研究したもの
を見ることになり 本に仕上げる
「革命をプロデユースした日本人 評伝 梅谷庄吉」 本出版
一切口外しては成らず・・・との遺言があり 歴史の表舞台になる事はなかった・・・日中関係の悪化
により家族、関係者への類が及ぶことへの配慮から)
梅屋庄吉は1868年長崎の貿易商の子として生まれる 長崎は国際感覚の下地がある
14歳で中国を見てみたいと上海に渡る  (江戸に行くには水杯で、上海に行くには下駄ばきで・・
・と言われたように上海は近かった)
中国で写真ビジネスを始める 香港で大繁盛する    1895年 孫文29歳  梅谷27歳のときに
出会う
上野彦馬:長崎で写真を初めに始めた写真家 )
ジェームス・カントリーが孫文と梅谷をひき合わせる ジェームス・カントリーは英国の医学者 孫文の先生

東洋の平和の構築の為には日中が仲よくする、しっかりした国をつくる ・・・孫文と梅谷が多いに
共感する)
「孫文は兵を、梅谷は財を持って援助する」
映画事業に取り組んで白瀬中尉の南極探検や辛亥革命の記録映画を製作し、これらの事業で得
た多額の資金を革命に投じている
革命に参画した人達の生活支援までもする、現在の貨幣価値にすると約1兆円ともいわれる
頭山満犬養毅山田純三郎宮崎滔天らアジア主義者らと集い、フィリピンの独立運動にも関与
している)
孫文と宋慶齢との披露宴を主宰  1914年からは父親が支援していた孫文の英文秘書を務めていた
宋慶齢との結婚には父親を始めみんなが反対→宋慶齢を上海に離すが結局 梅谷、奥さんが仲介
して梅谷宅で結婚
(宋慶齢:中華人民共和国副主席を務め、死の直前に「中華人民共和国名誉主席」の称号を授け
られた)


(姉の宋靄齢、妹で蒋介石夫人の宋美齢と共に総称される「宋氏(家)三姉妹」の一人)
袁世凱 独裁者 駄目→第二革命を起こすが失敗に終わる→日本に亡命(梅谷が匿い、面倒を見る
 10年近く日本に滞在))
「富貴財心」 人の価値は持ち物、財産で決まるわけではない 魂で決まるもの・・・梅谷の座右の銘
どういう日中関係を築きたいか・・・お互いに良い関係を築いていければいいと思う
歴史のなかに助け合ったんだということを知ってもらいたい
(1913年2月中国史上初めての国会選挙が実施 中国国民党が第一党 宋教仁を総理大臣
3月20日、宋教仁が上海で暗殺された)
(この暗殺の背景には袁世凱の指示があったことから7月には孫文により第二次革命が計画 鎮圧されている)

(袁世凱は自ら皇帝を自称しようとしたが間もなく病死)
(孫文は広州で護法政府を組織し(第三次革命)、中国の政治情勢は分断と動乱の時代に突入)
孫文の死後、4つの銅像を広州、黄甫、南京、マカオに建立した。(銅像の費用に充てる金がなく 
娘の結婚費用に蓄えていたものをあてがう)
銅像は文化大革命期に撤去される危機に見舞われたが、周恩来の尽力で守られている
日中関係の悪化の際に、外相・広田弘毅に改善の談判に赴こうとした途上、別荘近くの三門駅にて
急死した
2011/3月 孫文と梅谷展・・・中国で開催 (孫文の生まれ故郷) 
2011/8月 孫文と梅谷展・・・日本で開催 (国立博物館) 
2011/10月 孫文と梅谷展・・・日本で開催 (長崎歴史博物館)