2024年2月8日木曜日

古村比呂(俳優)            ・ガンになって学んだ事、初めて知った事

古村比呂(俳優)            ・ガンになって学んだ事、初めて知った事   

古村比呂さんは1965年生まれ、北海道出身。 1987年NHKの連続テレビ小説「ちょっちゃん」は今から37年前です。  書類選考、二度の面接、カメラテストがあり、発表されました。 650人の応募者がありました。  以前は親は大反対でしたが、受かって認めてくれました。  

人前に出ることが大嫌いでした。 ストーブの脇で本を読んでいるような子でした。   これではいけないと思って高校を出てから短大に行きました。 偶然スカウトされて、チャンスと思って上京しました。 歌も好きでした。

*「プラトニック」 歌:古村比呂 約40年前。

2011年アフリカ南西部ナミビア共和国をレポーターとして訪れる。 子宮頸がんの検診を受ける。 要精密検査の結果が出る。 友人も子宮頸がんになって手術を受けて元気にしているという事でした。  2012年1月に検査をして子宮頸がんと診断されました。(46歳) 離婚して子供も男の子3人がいました。 子供にも子宮頸がんの話はしました。  子宮の全摘出手術をしました。 入院中は子供たちは食事を含めて全部やってもらいました。   その後経過観察になりました。  5年後2017年に骨盤内に再発してしまいました。 抗がん剤・放射線治療を受けました。 吐き気があって食欲がなくなり5kgぐらい痩せました。 腫瘍マーカーが正常値となり、仕事も続けられました。 同年11月ごろの検診で再再発になってしまいました。  がんが全身に回ていると言われました。  1年ぐらい治療を受けて髪の毛も抜けたりしましたが、良くなってきました。 

全く公表はして居なくて、母が鬱になってしまい、公表して治療に向かおうと思いました。 再再発の時に公表したら、母はみるみる元気になりました。  治療に行くときにたまたま人身事故を目撃してしまった、動転してしまった時に、次男から「そんな時もあるさ。」と言うラインが来て、目がパッと覚めました。  何で自分だけがしんどいと思ったんだろうと思いました。  そこから人との向き合い方、がんとの向き合い方が変わってきたと思います。 辛いのも気の持ちようだと思いました。 

長男(31歳)が昨年結婚しました。  後遺症のリンパ浮腫になって、それがきっかけにサイトを立ち上げました。 お互いの情報を連絡しあって、自分も元気付けられたりします。  がんの治療でも広がって行ってくれたらいいなと思って、がんとリンパ浮腫と共存していきましょう、ということになっています。 サイトは女性だけのものです。 リンパ浮腫になって、足が膨らんできてしまっていて、公表もしました。 締め付ける男性ストキングを履いていて、対応するグッツ、治療院とか情報を得られています。 今一番大事にしているのは、今を生き抜いてゆく、今できることをやってゆこうという事を大切にしています。  何が起こるかわからないというところは、いろんな状況を含めて強く思うところだから、今を楽しく、今を生きぬいて「まあ、そんな日もあるさ。」と過ごせていけたらいいなと思います。