2024年1月1日月曜日

中村雅俊(俳優・歌手)         ・〔新春インタビュー〕 心はいつも"俺たちの旅" 前編

中村雅俊(俳優・歌手)     ・〔新春インタビュー〕  心はいつも"俺たちの旅" 前編 

中村雅俊さんは宮城県女川町の出身。 1951年生まれ、72歳。 慶応義塾大学卒業と同時にテレビドラマ「われら青春」の主役で俳優デビュー。 このドラマの挿入歌「ふれあい」で歌手デビューも果たします。 その後も「俺たちの旅」や「ゆうひが丘の総理大臣」大河ドラマ「花神」、「おんな太閤記」、「春の波濤」「春日局」などの作品で幅広い層の支持を受け、俳優としての地位を確立していきます。 歌手としても「心の色」や「恋人も濡れる街角」などのヒット曲で紅白歌合戦出場を果たし、毎年行うコンサートツアーも1500回以上を重ねました。 俳優と歌手といういわば二刀流で今年デビュー50周年を迎えます。これまでの歩みについて、お話を伺いました。

たまたまデビューが学校の先生役で、先生役は歌を歌うという事が決まってたんです。 ちょど5代目で、それがたまたま売れたという事で二刀流という形が出来ちゃったという感じです。 主役をやって、レコードも100万枚以上売れて、これから先何十年も続けられるわけがないと思っていました。 渡辺徹が色紙を持ってきてなんか書いてくださいと言うんで、「いつまでもあると思うな人気と仕事」と書きました。 彼は40年間ずーっと部屋に飾っていたそうです。 

大学に入るまでは役者になるとは思っていませんでした。 外交官と言う思いもあって、そのためには英語という事でESSというサークルに入りました。 英語劇に興味を抱いて、そちらのサークルに入って、御芝居をやることに心が芽生えてきて、大学4年になる時に親友と共に文学座の研究生になって、12月にドラマの主演と言う話が来ました。(「われら青春」) 「われら青春」では英語の先生で、「俺たちの旅」ではクラブでバスケットをやっているという事でした。(中学、高校ではバスケット部にはいっていた。) 自分の輪郭がはっきりしてくるほど、先に対しての不安はありました。 ただ性格的には楽天的なんで、どうにかなるだろうと言った感じでした。 

「ふれあい」は歌自身は凄くシンプルで、山川啓介さんの言葉もシンプルで、でも心に届くという感じです。  50年続けていますが、一番いい歌い方です。 思うまま素直にただ歌っているだけです。  

「俺たちの旅」 話し合いの中では、雅俊の学生時代の出せるところは出そうという事でした。 良く怒るという事をキャラクターにしていました。 三人(中村雅俊、田中健、秋野太作)が奔放に生きる姿が沢山の方から支持を受けました。 テーマが不変のテーマで、友情、人を愛する事、親子の問題とか、人生を如何に生きるべきかとか、あのドラマでは真摯に捉えていたので、50年近く経ちますが、それに向かってゆく若者の姿が、結果としてどうなったのか、一つのサンプルとして見せたところがあって、当時の若者たちは見て、こうしたいというような刺激を与えたような気がします。 かなりコミカルな部分もありました。  

津村浩介と言う役つくりには地をベースにしたという実感はあります。「その日その日を精一杯生きる」「自分に正直に生きる」と言ったセリフが良く出てきますが、あの頃はあんまり思わなかったが、今まさにそうです。  「時が過ぎるたびに寂しさが増してゆく。 でも心はいつも俺たちの旅」 これは「俺たちの旅」のテーマなんです。 人って、生きてゆくって、寂しいんですよね、だからこそ人が群れたり、優しい言葉が欲しく成ったりする。 寂しさは厭な言葉だけれど大事なフレーズであって、そこから行動、エネルギーが生まれると思ったりします。 

*「ただお前がいい」 作詞・作曲:小椋佳  歌:中村雅俊

いろいろなひとから曲を書いてもらっています。 これも津村浩介を見た世代です。 「俺たちの旅」と言うドラマとの出会いがあって、今があるという感じです。 「歌手として、役者としてやってゆくぞ」という覚悟が出来ました。

青春スターと言うようなこだわりはないです。 その後大河ドラマだとかたくさんやらせていただき、楽しいの一言です。 朝の連続テレビ小説「半分、青い」ではおじいさん役でギターをもって歌ったりもしました。 役作りしない役者、自分が出ちゃうんです。 歌でも言えるんです。 過去に3回アメリカの映画に出たことがありますが、結構撮影現場が楽しいんです。(日本人一人で一か月半) 緊張感、大変さも悪くはないなと思いました。 陽気な方が多いです。 


























2023年12月31日日曜日

一柳みどり(出版物編集者)       ・〔年末特集〕 ことばが映す2023 後編

 一柳みどり(出版物編集者)       ・〔年末特集〕  ことばが映す2023 後編

ChatGTPはパソコンやスマートフォンで使えるインターネット上のアプリケーションで問いかけると答えを返してくるという機能をもっています。 ChatGTPは人間が書いたり話したり作ったりするという事は、或る程度のパターンがあるというところから、作られています。 人間が書いたり話したりする文脈や言葉の関係を分析して、蓄積して蓄積された過去のデータから適切な言葉を選んで、自然な文章になるように繋いで返してきます。 ChatGTPが世間を驚かせているのは、この返しがまさに人の返答の様で、しかも早い、長文もできるという事です。 「気分転換におしゃべりに付き合って」、世界は熱くなっているみたいですね」と書き込むと、回答が来ます。 会話が成立してしまいます。 Chatはおしゃべり、雑談と言う意味でGPTはGenerative Pre-trained Transformerの頭文字でChatGTPは事前に学習したものから生み出されるおしゃべりというものです。 この変換は人工頭脳(AI)を使って作られていて、一般用語で生成AIと言われます。 

生成AIの利用の可能性は広がっています。  懸念事項となっているのが、事前にトレーニングするのは一体どの情報を使ってトレーニングするんですかという事です。 無制限に既存の文章や記事などが使われるとなると、著作権が侵害される事があります。 生成AIでは画像を出力することも出来ます。 実際AIで作られた若い女性の映像が登場するCMも放送されていますが、違和感はありません。  音声もAIの利用が身近で見られます。 新幹線のアナウンスや、NHKニュースにも使われています。 定型化された内容を伝えたり、データ的なことを読み上げたりするには向いているようです。 原稿やデータは人間が入力して、音声に変換されます。 AI技術で作るとなると動画にしても音声にしても偽物が作りやすくなって、嘘の情報がネット上に蔓延するのは目に見えています。 生成AIは便利で利用が拡大することは間違いありませんが、あくまで道具ですので、使いこなすには使う技術も必要です。 質問力が求められてゆくものと思います。 

オーバーツーリズム、オーバーは行き過ぎ、ツーリズムは観光旅行と言う意味です。   観光地に集中的に訪れて、地元住民の日常生活に迷惑がかかったり、環境が壊されたりする事です。 観光公害とも言われます。  路線バスや電車が旅行客で混雑して、普段使う人が乗れなくて生活に支障が出るとか、ゴミを落として行くので掃除しなくてはならないとか無自覚に木の枝を折ったり、私有地に入り込んできて困る。  SNSやインターネットの情報を頼りに個人旅行で好みの場所に行って、と言う傾向が高まっています。 岩手県盛岡市がアメリカの新聞ニューヨークタイムズで2023年に行くべき52か所の旅行先の2位に選ばれ、岩手県に外国の方が多く訪れました。  タクシーの運転手さんも知らないお店がにぎわっているようです。  今後は混み具合いも重要な参考情報になってゆくかもしれません。 

熊に人間が襲われるという事が相次ぎました。  OSO18が注目を集めました。 北海道の釧路付近で生息していたヒグマの通称です。 放牧する牛を襲って殺害する。 人間の前に決して姿を現さない。 罠にかからない。 しかし体毛だけは残されているという行動で忍者とも言われている。  最初の被害が北海道川上郡標茶町オソツベツだったことと、前足の幅が18cmだったことから、OSO18と呼ばれるようになりました。 最初にOSO18が現れたのが2019年で今年6月までに60頭以上の牛が犠牲になったということです。 この熊がついに今年の8月ハンターによって駆除されました。  ハンターはOSO18とは認識していたわけではなく、一般のヒグマとして解体加工され、後にDNA検査で判明しました。 アーバンベアと呼ばれて都市型の熊もいます。 最近は山林などよりも住宅地が多くなっているそうです。 要因の一つとして、過疎化、管理不足で草木が自然の状態になっていって、山との境界があいまいになって来ていることがあるという事です。 今年4月から11月までの熊の被害は全国で死者4人を含む死傷者212人と言う過去最悪となりました。 

今年、夏は本当に暑かったです。 暑さに関する言葉のバリエーションも増えてきています。 40℃以上になって来て、酷暑日、夜の気温も30℃以上になてきて、超熱帯夜、日本気象協会で昨年命名されました。  危険な暑さが予想される場合に出されるのが、熱中症アラートです。 暑さ指数が33以上と予測されると、発表されます。 暑さ指数は気温、湿度、日射量などを元にして、計算式で算出されます。 暑さ指数25は激しい運動に注意、31以上が危険、33以上になると熱中症アラートが出ます。 来年はさらに35以上に出される熱中症特別警戒アラートです。 世界も暑かった。 アメリカのデスバレーでは54℃を観測、ギリシャでは熱波による山火事などの異常気象にみまわれました。 今年7月に世界の平均気温は観測史上最高を記録して、国連のグテーレス事務総長はもはや温暖化ではなく地球沸騰化の時代だと危機感を表しました。

「ダイアベティス」 糖尿病の新名称として日本糖尿病協会が変更案を発表。       「東京モビリティーショー」 東京モーターショーが今年から名称を変更。        「おっさんビジネス用語」 一丁目一番地、ガラガラポン、行ってこい、がっちゃんこ、きめうち、全員野球、ドローンする、よしなに、えいや、直球勝負など。 

消滅した言葉 ジャニーズ、10月6日ジャニーズ事務所に看板が撤去され社名も変更されました。  

スポーツでは、48年振りに男子暁ジャパン(バスケットボール日本代表の愛称)が来年のパリオリンピックへの自力出場を決めました。 36年ぶりに彗星ジャパン(日本ハンドボールの日本代表の愛称)が来年のオリンピック自力出場を決めました。 ワールドカップではサッカーのなでしこジャパンが4大会連続決勝トーナメント出場、国内で一番盛り上がったのは、阪神タイガースが1985年以来38年振りに2回目の日本一となりました。   今年岡田監督で人気だったのが「アレ」(優勝の言葉を表現)です。  

子どもたちの人気では、「ふしぎ駄菓子屋銭天堂にようこそ」 小学生に人気の本、作者が廣嶋玲子さん、絵がjyajyaさんです。 10年前から発刊されている。NHKEテレでもアニメが放送されゲームにもなる。  大人が読んでも楽しめる本です。

藤井聡太さんが10月の王座戦で勝利、王座を獲得、21歳11か月で史上初の八冠となりました。 これまで将棋とは縁になかった女性が将棋の勉強を始めるなど、これまでの将棋ファンとは違った層のファンが熱い視線を送っています。 内閣総理大臣顕彰が授与されました。

谷村新司さんはじめ、昭和から活躍した人たちが多数亡くなりました。 YMOの高橋幸宏さん、坂本龍一さん、もんたよしのりさん、大橋純子さん、KANさん。

作家では加賀乙彦さん、永井路子さん、大江健三郎さん、森村誠一さん、伊集院静さん、脚本家の山田太一さん、松本零士さん(銀河鉄道999)など、相撲界では元大関朝潮関など。

谷村新司さんが生前話されてiいた、「人って最終的には一人だから、誰かが喜んでくれることを自分の喜びにしたい。」という言葉が心に残ります。

















2023年12月30日土曜日

一柳みどり(出版物編集者)       ・〔年末特集〕 ことばが映す2023 前編

 一柳みどり(出版物編集者)       ・〔年末特集〕  ことばが映す2023 前編

年末恒例となった言葉からこの一年を振り返る特集番組、今年は 「言葉が映す2023脱コロナイヤー」と題して、二日間に渡ってお送りします。 

2020年から新型コロナウイルス関連の言葉が多く出て、2022年まで3年間続きました。  緊急事態宣言、濃厚接触、三密など言葉を思い出すとあの頃の緊張感が蘇って来ます。 2023年のコロナ関連の言葉は一つ、五類です。 五類は感染症の分類の一つで、感染症法と言う法律で定められています。  感染症にはいろいろな病気があります。 風疹、季節性インフルエンザなどです。  8つに分類されています。 一類感染症、二類感染症、・・・五類感染症、この中で一類が一番危険性が高い、他に新型インフルエンザ等感染症、指定感染症、新感染症があります。 

新型コロナウイルスは最初のうちは指定感染症と位置づけられていました。 一類から三類と同じ程度危険性があるというものです。 新型コロナの指定感染症は2022年1月まで続きました。 それ以降は新型インフルエンザ等感染症に変更されていました。 新型インフルエンザ等感染症は自粛要請もできるような内容で、いわゆる二類相当と言われるものです。 2023年5月、五類感染症に移行しました。 外出自粛は求められないけれども、発症したら外出は控えるとか、マスクは個人の判断でとか、治療費の自己負担になったりします。 夏からはマスクを外す人が多くなったような気がします。 医療、福祉の現場では常備となっているようです。 小学校でも2~3割着用していると聞きます。 給食事は給食マスクをして、基本前を向いて黙食も続いているようです。 

今年のビックフレーズは「憧れるのは辞めましょう。」 野球のWBCが今年3月に開催されました。  日本は優勝して世界一になりました。  決勝の相手はアメリカでした。 アメリカの大リーガーのスター選手がずらりと並ぶアメリカ相手に勝利しました。 大谷翔平選手が栗山監督の指名を受けて選手たちを前に話したのが、「憧れるのは辞めましょう。」でした。  ペッパーミルパフォーマンス」と言う言葉も席巻しました。 日本初のアメリカ人大リーガーのヌートバー選手から生まれた言葉です。 両手をグーにして上下で合わせて左右逆に回す、ペッパーミルで胡椒をひく動作で、ヒットを打った時にお祝いの合図に選手らが一斉に行うものです。 ヌートバー選手が所属する大リーグのカージナルスでやっていたそうです。 父母のどちらかがその国の国籍を持っていると、その国の代表になることが出来るという項目があって、今回栗山監督が招集しました。 ヌートバー選手は一躍大人気になりました。  

栗山監督の「信じる力」と言う言葉も注目されました。 兎に角いつも選手を信じるとおっしゃっていました。  村上選手はWBCの期間は不調が続いていました。 メキシコとの試合で9回の裏1点差で負けていました。 ランナーが2人出たところで村上選手の打順が来ました。 バント、代打も考えられましたが「任せた、思いっきり行ってこい」でした。 村上選手のさよならヒットで勝利に導いたのです。

大谷選手も大活躍でした。 ホームラン44本、投げては10勝、史上初の2年連続二けた勝利、二けたホームランを達成、日本人初のホームラン王に輝きました。 今年もアメリカンリーグのMVPに満票で選ばれました。 二度の満票MVPは大リーグ初です。 フリーエージェントでの移籍先はドジャースと決まりました。 契約金は10年総額7億ドル(1015億円)でプロスポーツ史上最高額となりました。 

マイナ保険証でいろいろな混乱がありました。 マイナンバーカードに健康保険の機能を持たせたものです。 (2021年10月から)  2024年には健康保険証は原則廃止となります。 国民から不満、疑問の声が上がりました。 保険証を持たない人には資格確認証を発行するという政策を発表したが、カード型、紙などという事で、もともとの保険証でよかったのではないかと言う状況になりました。 他にいろいろミスが発生しました。   この時に「紐付け」と言う言葉が注目されました。 「紐付け」はデータベースを扱う場合の基本中の基本の作業で、これが不正確だったことが原因でした。  

「闇バイト」 犯罪行為を行うアルバイトと言う意味です。 「闇バイト」として一般人が特殊詐欺や強盗殺人を実行する事件が目立ちました。 一般の人と犯罪を繋ぐのがSNSや求人サイト、インターネットの掲示板などです。  「闇バイト」の特徴は犯罪首謀者は一切現場に出る事はないという事です。 自分は安全なところにいて遠隔操作で犯罪を実行させる。  

「アイドル」 日本の音楽ユニットYOASOBI(ヨアソビ)が作詞作曲演奏する曲で、テレビアニメ「「推しの子」の主題歌です。 ユーチューブの世界楽曲チャートで7月に世界第一位を獲得しました。 日本の曲が世界一位になる事は異例のことです。 少年漫画誌で連載されていたものが今年テレビアニメとなって放送され人気です。 

若者の間で今年よく使われたのは、「蛙化現象」で、好意を持っている相手のちょっとした行動で急に冷めてしまう現象です。 食べ方が汚いとか、車の運転が下手とか、店員に横柄な態度をとるとか、です。  元になっているのはグリム童話の蛙の王子様です。 蛙化現象はこの反対の現象です。 2016年ごろから話題になっていましたが、今年流行したのはコロナ禍を数年過ごしたことが関係するかも知れません。 

若者の間でフィルムカメラが売れたのが話題になっています。(使い捨てカメラ)  数年前からアナログレコードがブームになってきています。  面倒なわけですが、手触り感、手間暇がこだわりに繋がって、自分から能動的に音楽を聴くというスタイルを味わっているようです。 若者にとってはこれまでに触れていない新しいものであるという事です。

「グローバルサウス」 世界政治の中でよくで聞かれた言葉です。 発展途上国と新興国を指します。 ロシアに味方する中国と、ウクライナに味方するヨーロッパ、アメリカ、日本などが対立するようなり、「グローバルサウス」の国々を味方に引き入れようとする動きが活発になっています。 最近南に対して支援するのにロシア、中国が加わって来て、外交合戦が繰り広げっれています。 新興国も経済発展が著しくなって発言力が強まってきているという事もあり、「グローバルサウス」が注目されています。

「戦闘休止」 パレスチナ自治区ガザでのハマスとイスラエルの軍事衝突に関する言葉です。  今年10月7日にハマスがイスラエルに越境攻撃しました。 収まらない中使われたのが「戦闘休止」です。 休止は一時的に短い時間停止するとです。 人道的な目的で一日数時間だけ攻撃を止める、「人道的休止」と言う言葉が用いられ採択に至りました。   30年前にイスラエルとパレスチナは和平合意を結びました。 合意は無視され続けて来ました。 

テレビ界での言葉としては、「すえこざさ」 NHK朝の連続テレビ小説「らんまん」からの言葉です。  万太郎の妻すえこさんは原因不明の病気で55歳で亡くなってしまいます。 万太郎は新種の笹を携えて帰ってきます。 その笹に「すえこざさ」と名付けて執筆した植物図鑑の最後に掲載します。(このことはフィクションだそうです)

牧野記念庭園には石碑があって、博士がすえこさんに感謝を込めて詠んだ二つの句が刻まれています。

「家守りし妻の恵みやわが学び」

「世の中のあらん限りやスエコ笹」













2023年12月29日金曜日

竹内弓乃(特定非営利活動法人ADDS共同代表/臨床心理士)・〔ことばの贈りものアンコール〕

竹内弓乃(特定非営利活動法人ADDS共同代表/臨床心理士)・〔ことばの贈りものアンコール〕(初回:2023/9/29) 

発達障害やその可能性がある子どもと保護者を支援するNPOの代表さんに「大変さに寄り添って」と言うテーマでお話を伺いました。 竹内弓乃さんは39歳、主に取り組んでいるのが未就学の児童への発達支援です。  活動のきっかけは発達障害と言う大変さを抱えた子供や保護者がそれぞれの特性を生かした生き方を見つけてゆく姿に感銘を受けたからだと言います。 

一番上が6年生、2年生、3歳の3人の子どもがいます。 子育ての経験が自分の仕事にも生きています。 法人の営業所が3つあります。 年間100家庭ぐらいが通ってきています。  なかなか言葉が出てこないから、どうしたらコミュニーションを出来るのか、悩んでいる親御さんが、日常の生活の中で行っている様なことがなかなか進まない、というような学びにくさ、育ちにくさを感じている。(親御さんの気付き)  伝えたいのに伝わりにくい、意志がなかなか伝わらず癇癪を起こす、と言うようないろいろなパターンの人がいらっしゃいます。  自閉スペクトラム症(いわゆる自閉症)、知的発達障害、注意欠如多動症(ADHD)とかありますが、6歳以下のお子さんなので、特性がまだそこまではっきりしていなくて、未診断ですが、何らかの支援が必要と認められてきている子も結構いらっしゃいます。 

彼らが何がどこまでできていて、何が難しくて、どういう特性があって、好きなことは何か、嫌いなことは何か、と言うようなアセスメント(評価)一人一人行います。  オーダーメイドで生活しやすくなるとかと言うように提案して、応用行動分析学という理論体系に基づいた支援方法のもとに支援の実践を保護者の方に提案して、お子さんに対してマンツーマンで支援してゆくという事をしています。  応用行動分析学とは心理学の一領域ですが、観察可能な事象(行動)に着目して、個人と環境側がどういうふうな働きかけとそれへの反応と相互作用で形作られているか、という事を分析します。  何か困ったことが起きている時に、子供、親が悪い訳ではなくて、環境が悪い訳でもなくて、相互作用に問題が起きているという風に捉えて、そこに働きかけるというのが応用行動分析学の基本的な考え方です。 

ジュースを欲しくて癇癪を起すというような事例でも、ジュースを与えるという行為に前に「ジュース」と言う言葉を教える、言えないような場合はサインを作ってみたりして段階的に行っていきます。  発達は生活そのものの中にあるので、専門家だけでは不十分なので保護者がお子さんの特性に配慮して、学びやすい働きかけが出来るという事が凄く大事なことです。 

私は香川県の生まれです。 高校まで香川県にいました。 慶応大学に進みました。 英米文学を学んで海外で仕事をしたいなあと思っていましたが、全然違いました。 大学に入ってすぐ4月にアルバイトとして、言葉に遅れのある幼稚園児に、遊びの中で言葉を引き出すというアルバイトを見つけて、家に行ったらうちの子は自閉症で心の病気ではなくて、先天的な脳の機能の違いで、やることで発達可能性が大きく広がるとそのお母さんが説明してくれました。 自閉症という言葉も始めて聞く言葉でした。 段々のめり込んで行きました。(大学1年生)   

自分が働きかけて、その成長が見られるのに感動しました。 心理学専攻にしました。(大学2年)  心理学専攻で熊と言う人との出会いがありました。  お互いが10家庭以上を受け持つようになりました。  二人で話をする中で、将来もこういった仕事をしたいと思うようになりました。  大学3年の終わりぐらいに、学生の時からでももっとあるのではないかという事で、学生団体を立ち上げて出来るのではないかと言う事で、大学4年の春に勉強会を開いて、20人ぐらい集まる時もありました。(学生団体の立ち上げ) 大学院に進みました。  

修士を終了した時点でADDS(Advanced Development Disorders Support.)という事業化をしました。 最初は週に一回(日曜日)マンションの一室を借りて、5家庭を対象にプログラムを行いました。  家庭訪問型であると支援の数が少なくなってしまう。 親御さんと共に研修を行うことも出来て、持ち帰ってもらって家で取り組んでもらって、又1週間後につうしょう?をする。  保護者のスキル、主体性なども高くなって、効果も高くなる。 一番わかりやすいのは知的発達水準が変化するという事、理解する語彙、話す言葉の数が有意に上昇したりします。  保護者の方もお子さんへの接し方、安心感とか、良い影響が出てきました。  法人化して15年目ですが、直営の事業所が3か所あり、累計で700家庭に集中支援を行ってきました。 連携拠点を含めると2022年度だけでも350家庭に支援できるようになっています。 

最近は支援の受け皿は凄い勢いで増えてきています。 働く人の育成、どいう言った支援を評価してゆくのか、そういう仕組みがないままに制度が広がってしまいました。 正しい情報が広がっていなくて、支援者が体系的に学べる場所とか、制度に反映されていないとか、まだまだ足りていない。  心ある支援者がお互いに学びあえる場所、仕組みとかを作って行きたいと思います。  子育ては一人でするものではないので人に頼って、オンラインでも相談できるような仕組みもあるので、アクセスしてもらえればサポートも行えます。   良いところ、出来たところを見つけて、そこを思い切り褒めてあげることが第一歩で大事なところだと思います。 

































2023年12月28日木曜日

春日太一(映画史・時代劇研究家)    ・〔私のアート交遊録〕 橋本忍が見た日本映画

春日太一(映画史・時代劇研究家)    ・〔私のアート交遊録〕 橋本忍が見た日本映画 

時代劇を中心とした日本映画やテレビドラマを研究し、監督や俳優への長時間インタビュー、日本映画と社会との関係などその取材は多岐に渡っています。 一方で春日さんは12年もの長きにわたって脚本家橋本忍について取材し、今月「鬼の筆 戦後最大の脚本家・橋本忍の栄光と挫折」を上梓しました。 橋本忍は黒澤明監督の「羅生門」や「七人の侍」を始め日本映画史に残る数多くの傑作を手掛け日本映画の黄金時代を築いた脚本家です。  これまでも日本映画とその世界で活躍した人たちへの深い愛情を語ってきた春日さん、今日は戦後最大の脚本家と言われる橋本忍の評伝を通して、日本映画やそこに惹きつけられた映画人たちの知られざる魅力についてお話を伺います。

今回の本は476ページの大作です。  奥深く複雑で文字数をかけないと書きようがないというものがありました。 企画が始まって12年になりますが、ほぼ毎日橋本さんのことを考えていました。 習慣化されて、何故か終わったという感じがしないです。 その12年の間にも30冊近く出していると思います。  どいう言う思いで、どういう技術でそれぞれの作品に向き合っていったのかと言う事を、スタッフさん、監督さん、役者さんそれぞれの視点で伺って来たというのが基本的なスタンスで、とても楽しく取材を続けてきました。  当時大学院生(25歳)で撮影現場に行ったので、「誰だこいつ」、と言うのは最初あったと思いますが、段々打ち解けて行きました。 

『時代劇は死なず!-京都太秦の「職人」たち』、『あかんやつら 東映京都撮影所血風録』『天才 勝新太郎『仲代達矢が語る 日本映画黄金時代』とか本を出していますが、そこに俳優さんたちへのインタビューもあります。 勝さんの場合は亡くなった後で、スタッフさんにインタビューして勝新太郎像を描いていきました。 三国連太郎さんの時には時間が取れず短い時間での取材でした。 仲代達矢さんの時には緊張しました。  一冊の本を書くので、最初が肝心と思って考えて違ったアプローチをしました。 10回インタビューしました。 インタビューの前に相当勉強していって、丁寧に答えていただきました。  インタビューをするときに、どんな方でも準備は黒澤明だと思ってインタビューするように心がけています。  『美しく、狂おしく 岩下志麻の女優道』 岩下志麻さんも凄い方でした。 15回ぐらいインタビューさせて貰いました。  次回このテーマでやりますと事前に連絡するんですが、逆に岩下さんの方が準備されてくるんです。  沢山ノートに書き込んで、理知的な方です。

橋本忍さんは脚本家としてのデビューが黒澤明の「羅生門」、いきなりベネチュアの国際映画祭のグランプリに輝く。 「生きる」「七人の侍」「私は貝になりたい」「砂の器」「八甲田山」「八つ墓村」と言った数々の名作を残した日本を代表する脚本家。  2010年12月ごろに「鬼平犯科帳」についての論文を書いた本があって、送られて来たのが、櫨本忍90歳の小説と書いてありました。 凄く面白くて橋本さんの証言を頂きたいと思いました。  名作のすべてを聞きたいと思いました。 取材を始めたのが2011年で2014年ぐらいに本が出ればいいかなと思ていました。(12年になるとは思わなかった。)    

亡くなってから、書斎を拝見したら創作ノートが見つかりました。 1982年「幻の湖」と言う映画から橋本さんの挫折が始まってゆくわけです。  光の部分と影の部分の両方をが描けるかなと思いました。  どの部分もそうですが、特に「砂の器」と言うところは力を入れましたかね。 橋本さんの脚本家としてのエッセンス、映画人生、人生そのもののエッセンスすべて込められているのが、「砂の器」と言う作品でしたので、こちらも魂を込めて書かなければならないという事で相当力を入れて書きました。 橋本さんが語った橋本忍物語があり、山田洋次監督をはじめ、周辺の方々のインタビューでの橋本忍像、橋本さんがいろいろ書かれている橋本忍像、そして作品がある、創作ノートに書かれた作品の裏側がある、がそれぞれ違うベクトルを向いている。 それをどういう形で一つの本のの中にまとめてゆくか、と言うのが大変でした。 

整合性を求めることが難しく、「羅生門」の方式(それぞれ証言が違う)で良いのではないかと思ってそうしました。  自分自身で藪のなかを調査するのが好きなこともありました。 橋本忍を通して師匠筋の伊丹万作監督、黒澤明の世界と言ったものも明確に見えてくる。 出来る限り橋本さんのインタビューはろ過しないで、そのまま載せる、創作ノートも解説を入れずに、皆さんにエッと思ってもらえるように書きました。  作品とその裏側にあるご自身の思いのギャップの激しさが、戸惑ったところでもありました。 「砂の器」は1961年に脚本を書いて、山田洋次監督が助監督の時に、アシスタントで一緒に脚本を書いて、公開まで13年かかっています。 自身でプロダクションを作ると言う事で「砂の器」をもって行った。 「日本の一番長い日」に至っては橋本さん自身が当たるとは思っていなかった。  これは戦争に対する様々な思いがあったのではないかと思いますが、実は競輪でお金をすってしまい、書かせてくれと言うことになった様です。

橋本ワールドとは、一つは鬼と人間がどう向き合ってゆくかという事、橋本さんの映画は全て悲劇、人間があがらえない理不尽な状況に苛まれてゆく話ですが、その時人間がどの様にあががらってゆくか、押しつぶされてゆくか、それを描いて来た。  ドラマの魅力もその悲劇性にあるのではないかと思います。  日本の映画の戦後史の流れを橋本忍さんの映画人生を通して、皆さんが感じ取ってくれば、嬉しいと思います。 薦めの一点としては「砂の器」を見ていただき、その後原作を読んでいただくと、こんなにも変わったのかと、橋本忍さんの作家性がいかに映画の中に込められているかが、判ると思います。






























 






2023年12月27日水曜日

曳地トシ(オーガニックガーデン専門の植木屋)・〔心に花を咲かせて〕 命が巡るワクワクする庭づくり

曳地トシ(オーガニックガーデン専門の植木屋)・〔心に花を咲かせて〕 命が巡るワクワクする庭づくり

科学も使わず殺虫剤も使わず自然のままに庭を作り管理する事。 虫に花や葉っぱを食べられたり花の咲き方が悪かったり結構大変ではないかと思いました。 オーガニックには仰がれるけれどやっぱり無理と薬を使っている人も結構います。 そんな庭作りを仕事としてするのは大変なのではないかと想像しましたが、曳地さんはすでに30年に渡ってオーガニックガーデン専門の植木屋として活躍しています。 また本も出し平成6年2月には日本オーガニックガーデン協会を設立、オーガニックガーデンの普及に努めています。 なぜオーガニックガーデン専門の植木屋になったのでしょうか。 どんな方法だとそれが可能なのでしょうか。 何故オーガニックにこだわるのか伺いました。

始めたころはそんなの絶対無理とか否定的な意見が多かったです。 個人の庭で農薬を使わないで植木屋をやりたいなあと思っていましたが、そういう人はいなかったです。 公共工事で10年に一遍の寒波が来てしまい、植えた木の1/3以上が1年間で枯れてしまいました。  下請け業社が全部やり直さないといけない。  大赤字になってしまいました。 一度植木屋を辞める決心をしました。 実家に帰っていたら、良い仕事がある、植木屋だというんです。 自分がやりたいというスタイルの植木屋をやっていないのに、諦めていいのかなと思いました。 下請けを辞めて、個人の庭をお客さんにしてオーガニックでやって行こうと思いました。  

まずチラシを作り配布しました。 電話が掛かってこなかったら駄目だと思いました。 2週間全然かかって来ませんでした。  その後1本電話が掛かって来て、それから毎日電話が掛かってきました。  その年は何とか食べてゆくことが出来ました。 曳地さんたちが来るようになってから鳥たちが沢山来るようになったと言われました。(虫を食べにくる) 咲く花の色が良くなったとも言われました。(理由は判らない)  カイガラムシを食べるアカホシテントウと言うテントウムシがいますが、これが食べてくれるので様子を見ましょうと説明します。 最初はオーガニックで虫のいない庭をめざしましたが、虫のことを知らないとオーガニックが出来ないのではないかと思って、虫のことを調べ始めました。

娘の高校の担任が盛口満(現沖縄大学の学長)さんと言う方でした。 虫を取ってフィルムケースに入れて、娘に渡して、虫の名前と食草(何を食べているか)を教えてもらう、と言う事を繰り返しました。 幼虫と成虫は全然姿が違うので、図鑑には幼虫は載っていないのがほとんどだった。 虫は嫌いでしたが、綺麗な幼虫もいて、段々虫の姿にはまって行きました。 デジカメで虫の写真も撮るようになりました。  虫の本を作りませんかと声を掛けられました。(今までにないタイプ 天敵を記載) 生態系の面白さにはまって行きました。 虫好きになったら庭がもっと面白くなりました。  白アリはほかの生き物を嫌がるので、蟻がいると来ない。  うどん粉病の天敵はシロホシテントウ、キイロテントウです。 テントウムシは菌を食べるものと、カイガラムシを食べる、アブラムシを食べる、葉っぱを食べるテントウムシとか様々です。 

雑草は生やしていい、根から抜かないで5cmで刈ってしまう。(2~3週間に一遍刈る) 遠くからは芝の様に見えて、芝の様に手間はかからない。  その人にとって使いやすい庭を作る。 自然は奥が深い、知らないものだらけです。  庭がホッと空間だったら凄く素敵だなあと思います。 日本オーガニックガーデン協会を設立しましたが、オーガニックガーデンの普及ですね。 オーガニックガーデンマイスター講座を年に一回(4日間)やっていますが、120人ぐらい卒業生がいます。 7割ぐらいがプロになっています。 オーガニックガーデンが徐々に増えて行っています。


































2023年12月26日火曜日

宮田亮平(金工作家)          ・イルカは私の原点

宮田亮平(金工作家)          ・イルカは私の原点 

宮田さんは1945年新潟県佐渡市で生まれました。(78歳)  佐渡の海を泳ぐイルカをモチーフにした作品で知られ、国際枝的に高い評価を受けています。  宮田さんは東京芸大で金属板をかなづちで叩いて造形する金属工芸の技法である鍛金を学びました。 その後東京芸大の学長や文化庁長官を務め、今年、日本芸術院の会員に選ばれ、また文化功労者にも選ばれています。 宮田さんは佐渡の蝋型鋳金の二代目宮田藍堂さんの三男として生まれました。 蝋型鋳金という技法は蜜蝋を主体として練り合わせた蝋で策本の原形を作り、それを土で塗り覆い、土が乾燥した後釜の中で蝋を溶かし、土の中から流出させて空洞になったところへ、溶かした銅合金を注入して作るというものです。 宮田さんにこれまでの芸大の学長や、文化庁長官としての仕事のほか、これからの作家生活についても伺います。 

代々我が家は工芸家です。 工芸をこだわりながら金属で楽しく物を作っているという感じです。  78歳ですが、文化以外には携わってこなかった。 文化を通じて芸術を通じて美術を通じてと言う生活をずーっと続けてきたことをご顕彰頂いたという事はめちゃめちゃ嬉しかったです。 11月上旬日本橋のデパートで作品展が開かれました。 見ていただいた方の反応を見るのが好きです。 芸術の世界は正確な答えと言うものがないですから。  ギャップが私にとって最大の魅力です。  展示は45点、モチーフがイルカです。 1,5cm~1m近くまでのイルカがあり全部で200頭ぐらいいます。 代表作にイルカをモチーフにした「シュプリンゲン(Springen=飛躍する、跳躍する、前進してゆく)」シリーズがあります。  

1990年、文部省の在外研究員としてドイツへ行って、帰ってからイルカのシリーズになりました。 その時に「シュプリンゲン」としました。 ハンブルク美術工芸博物館に研究員として行っていました。 ドイツは鉄の文化がしっかりしていて鉄のマイスターを勉強したくて行きました。  日本の金属との素晴らしい出会いがありました。 鍔とかさびたままで保存されていたので、日本の方法でやってみました。  鉄さびがビロードのような深い黒い茶の色(チョコレートのような)になりました。 象嵌した金もやまぶきによみがえるんです。 大根おろしでこんなに綺麗になることにドイツ人は吃驚していました。 いろんなやり方を彼らに伝えました。 ドイツで日本の凄さを感じ、人生が変わりました。 

 東京藝術大学美術学部工芸科に入って、大学の学長をやって、2016年に文化庁長官をやって、日本芸術院の会員となり、2023年文化功労者となりました。 佐渡に伝わる金属工芸「蝋型鋳金」技術保持者で、父が無形文化財の新潟県師弟の二代目宮田藍堂、初代が祖父藍堂。  柏崎の原家が伝承していて、佐渡の金山の大砲の技法を、本間琢斎先生が佐渡へ持ってきて開業していました。 その外側の文様を作るという事で、うちの先代が弟子入りして本間家から教わりました。 三代目藍堂は長兄(元・東京藝大工芸科教授の宮田宏平)で亡くなりました。 4代目は芸大の鋳金を出て今は福岡教育大の教授になっていて、多分継ぐと思います。 次兄はデザイナー三重大学名誉教授宮田修平で私は末っ子です。(7人兄弟) 女性の姉妹は4人いて、長女は書家、次女が芸大の彫金を出て 三女は染色、四女は油絵やっています。 

朝、習字をやってから朝食を食べていました。 母は「昨日とは違うね」と言ってくれて、上手い下手はあまり言わなかった。 「いいの」と言ってくれて心地よかった。 高校2年までは美術は厭でした。(上にいるので比べられちゃう) 或る時、友人から「これ良いね。」と言われたのが美術でした。 そこから美術の道に入って行きました。 二浪して芸大に入りました。 デッサンは特にやっておくべきですね。 教授、学部長、副学長、学長を務めました。 副学長までは自分の研究室を持てました。 という事は学生に私を選ぶ権利があるわけです。(なかなかの試練)   私の信条ですが、「弟子は師を越えてこそ師の役目がある、越えなかったら師が悪い。」と言う事があります。 学長になって辛かったは研究室が持てない、と言う事でした。 芸大には音楽もあり、根本的に違うのは楽譜のある世界と楽譜のない世界です。 2005年から2016年まで学長を務めました。 本当はもう6年やる筈でした。 国から使者がやって来て文化庁長をやって欲しいという事でした。(2016年)  

2016年から2021年まで文化庁長を務める。 通常は2年ですが5年やることになりました。 私の作品を作るうえでの醸造の時間がこの5年間にはありました。 その後本格的に作品作りを行い展覧会を開催しました。  イルカは大きさによって鋳造して作るものから板を叩いて作るものがあります。 イルカをモチーフにした原点は芸大に行くために佐渡を出る時に見たイルカの光景がもとになっています。 僕の作品にはあえて目を入れませんでした。 それぞれの思いがあったら嬉しいです。 作品はどんどん作って行きたいが、具体的なものはない。 これからが青春です。