2026年4月9日木曜日

勝木俊雄(森林総合研究所九州支所主任研究員)・「朗読で味わう桜の春~前編」

 勝木俊雄(森林総合研究所九州支所主任研究員)・「朗読で味わう桜の春~前編」

森林総合研究所、昔の林業試験場です。 森林に関わるありとあらゆることを研究する研究期間と言うことになります。 DN Aを解析して桜のルーツを探る分類、最近は樹木医と言う制度にもかかわっています。 赤瀬川原平さんの「仙人の桜、俗人の桜」と言う作品。 赤瀬川原平さんは1937年のまれ美術家であり、作家であり、一時漫画も書いていました。 2014年に亡くなりました。

「仙人の桜、俗人の桜」

「日本は桜の国だ。 春になると南から桜前線が攻め込んでくる。・・・みんな弁当を作りござを用意し、酒ももちろん買い込んで仲間と連絡し合い集結地点を確認する。 ・・・先行隊が場所を確認して本隊が来る・・・桜前線が北上してくるとほとんど日本中が戦争状態に突入する。・・・歳をとると、どうしても日本人になって来てしまって、気がついたら満開の桜の下で酒を飲んでいる。・・・。私もそうだった。・・・私は理屈の方から桜に近づいたんだ。馬肉のことを桜肉と言う。露店で客のふりをして騙すのも桜と言う。

・・・正面からドーンと吉野の桜を見に行こうと言うことになったのだ。・・・私のお花見体験は幼稚園の頃だった。九州の大分にて護国寺神社のお花見だ。・・・大人たちはビールをうれしそうに飲んでいた大人の会話ばかりで面白くはない。・・・吉野の桜と言うのは、吉野山の下の方から下千本、中千本、上千本、奥千本とあって、下からだんだん1ヵ月ぐらいかかって上まで咲いてるらしい。・・・全貌の見渡せる現場へ出て行った。これが吉野桜川と言う感慨を持って見とれてしまった。・・・向こうから見せられると言うより、こちらがその美しさを見つけることでその見つける喜びを味わせてくれる。

その帰り電車に寄って大阪に帰る。大阪には造幣局があり、その中に桜並木がある。満開時にはその桜があまりにも綺麗なので、やむを得ずその並木道だけを一般公開する。俗に言う造幣局の通り抜けだ。・・・造幣局の八重桜なのだ。・・・枝にも所々短冊が下がっている。見ると、市民の寄せた俳句らしい。「念願のあなたと共に通り抜け」「嫁ぐ日を間近に控え通り抜け」とかろいろあって飽きない。・・・どことなく吉野のお花見と似ているんだと思った。・・・1つ共通点がある。どちらも酒を飲む人がいない。宴会の桜ではないのだ。・・・片方は仙人の桜で、片方は俗人の桜、それが酒抜きで似ているのが妙である。・・・俗人の俗が、なぜ人偏に谷なのだ。・・・反対は何だろうと考えた。俗人の反対仙人である。・・・字をよく見ると、山の人だ。俗人とは、谷の人なのだ。・・今回私は仙人のお花見をして降りて、俗人の桜を通り抜ける。・・・」

吉野の桜は、平安時代からの有名な桜の名所と言うことになります

生物学的に見たときには、日本にはわずか10種しかありません。 吉野の桜は基本的に山桜です。 霞桜、江戸彼岸と言うのもあります。 最近ですとソメイヨシノも植えられています。 ソメイヨシノ河津桜などは、ほとんど栽培品種で人が作り上げたものです

馬場あき子さんの「神代桜」

馬場あき子さんは、1928年の生まれ、歌人で文芸評論などでも知られる方です。

「山梨の県西、武川村には日本一の老寿の桜があるとかねてから聞いていた。土地の人は樹齢2000年と言ってるがひょっとすると日本以前から立っていたことになるわけである。 ・・・開闢以来だから神代桜と言うんですとこともなげに言って、たちまち案内してもらう約束が成立した。・・・甲斐の神代桜が生きた時代も多分「木花之佐久夜毘売(このはなのさくやひめ)」や「木花知流比売(このはなのちるひめ」があゆみ佇むにふさわしい農耕大地の広がりが豊穣への期待感がともにある。

・・・日本一の桜は、本堂の左手奥に、どっしりとわだまかる巨体を臥竜のように横たえていた。幹があまりにも太いので横たわったように見えるのである。・・・周辺から伸びた枝えだは、支柱に支えながらも枝先まで隙間なく花をつけている。色は、やや白っぽいが 七分咲きの花はまだ気力のある艶を漂わせ、想像を超える年月耐えてきた落着が、おのずから風格をなして、誠に静かに自然であった。・・・神代桜は、そんなことには一切関わりなく、ただしみるような静かさでたたずんでいた。私は巨大な老樹の花びらが、折々、ひんやり冷たく、顔に散りかかる下に立って、この桜の年月が今日まで何の由来も歴史も持たず過ごしてきたことに、いっそう清らかな感銘を受けた。・・・

甲斐の神代桜には、ただこの山あいにしっかりと生きた膨大な年月があるだけだ。その年月を人間の側から見るのではなく、桜の命の側から見たなら、そこには多分並々でない激しい戦いや生のドラマがあったに違いない。・・・恐ろしいまでの生の時間は、もはや人間の生の時間との比較を超えてしまっていて、なまなか感想を許さない力を持って、我々の前に立ちはだかっているのであった。」

近くで見ると、樹木と言うよりもゴツゴツしたい岩があると言うそんな感じです。

桜前線は正確に言うと、沖縄では寒緋桜、北海道札幌より北では大山桜、鹿児島から札幌の間はソメイヨシノで観測しています。 ソメイは現在の巣鴨のあたりに染井と言う村がありました。 江戸時代に園芸の里でした。経緯はよくわかりませんが、ここからソメイヨシノが広がったということです。

木内昇さんの「染井の桜」

「(侍から)、植木屋になってから、徳造が最も精を出したのが儲けることでも店を広げることでもなく、これまで誰も作ったことのないような変わり咲きを生み出すことだった。・・・桜ばかりにこだわった。・・・庭ではなく景色を作りたいと思ってね。彼は暇を見つけてはほうぼうの山桜を見て歩き、よさそうな品種を見極め、その枝を持ち帰って継ぎや挿し木にした。・・・すべてを桜につぎ込んだ。・・・早いとこいい桜が見つかるといいんだがと静かな笑みを浮かべた。良い姿メッケルんだよ。・・・

徳造が江戸彼岸と大島桜を掛け合わせた変わり咲きの桜を見っけることを成し遂げたのは、それからさらに5年が過ぎた頃のことだ。 葉が出るより先に泡雪に似た花が枝をほぐすようにして咲き乱れる桜を見た仲間たちは、一様に息を飲んだ。徳造の桜は吉野桜と言って呼ばれ、すぐに評判となった。移ろうからはかないから美しい。一斉に咲いて見事に散る様が際立っているその桜を、江戸の人は、自らの生き方になぞらえて、めでた。 ひとひらひとひらが風になって、吹雪に似た風情を作ることも、人々を魅了してやまなかった。」

ソメイヨシノの種類としては、江戸彼岸と大島桜の種間雑種と言う事ははっきりしています。人が人工交配したものではないと私は思います。江戸時代は人工交配の技術は日本にはまだないです。 あったものを人が接ぎ木で増殖している。ここに明らかに人為的な様子があります。