2022年1月2日日曜日

貴家堂子(声優)            ・【時代を創った声】

 貴家堂子(声優)            ・【時代を創った声】

貴家さんというとサザエさん』のフグ田タラオ、タラちゃんの声でお馴染みと思います。ハクション大魔王』のアクビ、『天才バカボン』のハジメなどを演じてきました。

2019年には「最も長くテレビアニメシリーズにおいて同じ役を演じ続ける声優」として加藤みどりさんと共にギネス世界記録に認定されました。   「サザエさん」は今年で53年目です。   オーディションをやって1年ぐらいと言われましたが、やっていたら50年過ぎてしましました。  風邪をひかない様に、病気にならない様には気を付けていました。     コロナ禍では1~3人と制限されたなかで、やってきました。    相手がいないでしゃべるのはつまらないですね。  

兄弟が男ばっかりの一番下で、一番上の兄とは20歳ぐらい違っていました。  TBSのオーディションがあり友達から誘われていったが、私は受かって友達は落ちてしまいました。(高校卒業後すぐの頃)    TBSに入った時にマイクの使い方からいろいろ勉強しました。  初めてアニメに出演したのが、1963年から1966年まで放送された「鉄腕アトム」でした。   吹き替えでは「わんぱくデニス」をやらせてもらいました。(30分番組)  よく残され指導を受けました。   

1969年に「サザエさん」がスタートしました。   小さい子役だろうと思っていてワカメちゃん役かと思ったら、その下のタラちゃん役でした。    4コマ漫画ではタラちゃんは出てきていませんでした。   ラジオのホームドラマですからねと言われました。     ちびちゃんの様子をよく観察していました。   ちびちゃんの気持ちになってあまり声は気にしませんでした。   ハクション大魔王』のアクビちゃんも担当しました。  アクビちゃんは大魔王があくびをすると出てくる。   ハクション大魔王は大平透さんが担当しました。  昔はとちると頭からやり直しなので、迷惑をかけますよ、プロですよ、と言われました。    2020年にハクション大魔王』はリメークされて、50年後に放送されて人気が出てきています。   キャラクターがいいですね。  

1971年には天才バカボン』のハジメちゃんなど子供の役を多く担当してきました。   回りは子供役だと思っていたんでしょうね。    「おばあさん役をやってみたい」と言ったことがありますが、「魔法使いのね。」と言われました。   私は作らなくてもこんな声なので、気持ちを入れてゆけば、気持ちだけで出来るかなと思っています。   母の声に似ていると思います。   タラちゃんはいい子で、頑固、自分の考えを通す、間違ったらごめんなさい、とちゃんと言える子ですね。   声優の面白いところは自分で出来ないことができる、という事だと思います。     ラジオは自分で想像する、想像したものを声に出して何かする、それがやっぱり面白いですね。   

声優を目指す若い人に対しては、舞台でいろんな経験をして、そういったものがないと駄目ですね。   舞台などでは基本が出来るんじゃないですかね。   身体で演じる。  舞台を見ることも大事だと思いいます。   「やりたい」という思いが大事だと思います。  好きであるという事が一番良いことだと思います。  


2022年1月1日土曜日

田中陽希(プロアドベンチャーレーサー)・三百名山の先に見えるもの

 田中陽希(プロアドベンチャーレーサー)・三百名山の先に見えるもの

NHKのBSで放送しているグレートトラバース3、日本三百名山一筆書きですが、プロアドベンチャーレーサーの田中さん、去年の8月に北海道の利尻山でゴールを迎えました。   2018年1月1日に屋久島をスタートしてから3年7か月 1310日をかけてのゴールでした。 田中さんは1983年埼玉県生まれ。  6歳の時に北海道富良野市へ移り住み、小さいころからスキーに親しみました。   学生時代はクロスカントリースキーの全日本学生選手権で優勝したりもしました。   卒業後アドベンチャーレースの世界に飛び込んで、日本を代表するアドベンチャーレーサーとして活躍してきました。  2014年にNHKBSで百名山、2015年に日本二百名山の人力踏破に成功し、今回はそれに続くものでした。   田中さんに三百の山を歩く中で考えたこと、そして新年を迎えての新たな目標を伺ました。

8月2日の三百名山を終了して、緊急事態宣言が10月に解除されてそれ以降は全国各地に飛び回りました。  車に乗った時が旅が終わったと感じます。   百、二百名山を達成した時には達成感、安堵感がありましたが、三百名山達成には膨大な時間がかかり、余りにも長かったために、余りにも大きなことが起きたために、嬉しいんですが手放しでは喜べないという感じです。   百、二百名山の時には時間を気にしていて、登頂が第一優先でありましたので、駆け足で登ることが多かったです。   一日平均50kmがまず基準になっていました。   百、二百名山ともに7か月ぐらいで終えました。   ルートから外れたちょっと寄りたいところなどによる余裕はなかったです。  三百名山の時には移動距離を平均30kmにしましたし、悔いの残らない旅にしようと思いました。   

歴史を知ることも山を知ることの一つの大切な部分だなと思い勉強させてもらいました。 三百名山は以前のものよりも標高が低いんですね。   聞いたことのない山がいくつもありました。   印象的だったのが京都の愛宕山です。    年に一度の千日参りの日に合わせて登りました。  その日に登ると千日分のご利益がもらえるというものです。  山に登ると、自然と挨拶をして、コミュニケーションが生まれたりします。   千日参りでは下山する方から登って行こうとする人に対して「ようお参り」と言葉をいただきます。   そうすると「ようお下りやす」と返します。    千日参りだけでなく、タイミングを掴むのもの逃してしまうのも自分次第だと思いました。   島根の三瓶山に登った後に地震がありました。(4月9日)     宿泊した宿も半壊状態になりました。   2階に寝ていて夜中の1時ごろで、スリッパを履いて飛び出したのは冷静でした。(ガラスが散乱)  自分のなかでは留まるべきと思っていましたが、留まるべきか、行くべきか迷いました。  おかみさんなどから、「挑戦を続けてください 気持ちだけは受け取ります」と言っていただきました。  

2018年8月2日にけがをしてしまいました。  蓬莱山(蓬萊とは元来中国の伝説で仙人が住む東海にある霊山であり、比良山地も修験者の霊山であったことに由来するとされる)から降りてきて子供の遊具のある場所で遊んでいて2時間ぐらいオーバーしてしまっていて、下山を始めたら雨が降ってきて、ふもとのキャンプ場に泊る予定でした。  時間がなく駆けながら降りてきたら足を滑らして右手の薬指を骨折してしまいました。   病院に行って翌日には武奈ヶ岳に登りました。   

2019年梅雨の時期、中央アルプスを登り終えて、静岡県に入ってきて、高塚山へ登ろうとしたときに、24泊25日間そこに留まり続けました。   南アルプスの入口の人がほとんど入らない自然の残る場所です。   山形県酒田市では緊急事態宣言でまる3か月停滞しました。   空き家を紹介されて悩みましたが、留まる事になりました。  不安定な気持ちにはなりました。  山菜を頂いたり、子供たちが来て質問に来たり地元の人との交流があり救われて行きました。   出発する日には地元の方々20人程度の人に笑顔で送っていただきました。   

色々経験させていただいて、挑戦をすることに意味がありますが、挑戦を無事終えられて、アドベンチャーレーサーとして再開したいと思っています。   アドベンチャーレーサーはチームレースで世界中を駆け回ります。  男女混成のチームという風に決められています。   500~600kmを1週間ぐらいのタイムレースになります。  4人一組で渡された地図に従って、チェックポイントを経由しながらゴールを目指すというタイムレースです。    スタートからゴールまで不眠不休というようなレースもありました。  チームで協力しながら乗り越えられた感動、達成感は一人の時とは違うものを感じます。  三百名山での挑戦では一から十まですべて自分で判断し、決断し、行動して、結果を得て次に生かしてゆくという事をすべて一人でやってきたので、その経験をチームにより正確に伝えることができるし、共有することもできるので、予期しないことが起こっても経験が生きて来ると思います。  離れたことによって、自分がどのようにチームに依存していたのかとか、仲間がいることの大切さも気づきました。   チャンスを待っているだけではだめで自分が自発的に何か行動を起こして、それが失敗するかもしれないが、情熱をもって挑めば周りが手を差し伸べてくれたりします。   

2021年12月31日金曜日

戸田奈津子(映画字幕翻訳者)      ・いくつになっても学びはある

 戸田奈津子(映画字幕翻訳者)      ・いくつになっても学びはある

コロナ禍で作品も来ないで空白の時間でした。    本の翻訳をしたり今までにないことをやってそれはそれなりによかったと思います。   ワーグナーのオペラなども楽しみました。     映画字幕翻訳のきっかけとなった映画「地獄の黙示録」の中にワルキューレの騎行」というワーグナーの曲が使われている。  ヘリが行くところが有名なシーンですが、コップラ監督が演出でしたかと思われるが、実際は違って本当にアメリカ軍がワーグナーの曲を掛けていたんです。   

映画字幕翻訳は20年間チャンスがなくて、40歳過ぎてようやく仕事が来て、ブレークしてそれからは本当に沢山仕事が来るようになりました。    年間50本の翻訳が来ました。   時間が限られているので一本1週間から10日でやらなければいけません。    映画が好きだったので忙しかったけれど苦にはなりませんでした。  ダントツに難しいのはコメディーで、言葉の遊びですから、日本語を知っていてもどうにもならない問題です。   アメリカンジョークをそのまま伝えても全く意味が通じない。   映画字幕翻訳は今までに1500本ぐらいになります。 

「枯れてこそ美しく」 先月刊行。  村瀬実恵子さん(元コロンビア大学の名誉教授にして、海外における日本美術史研究のパイオニアとして知られる。との対談本で、私より一回り上の96歳でした。  ニューヨークでお会いして、凄く感銘して日本に帰ってきて、たまたま出版社の人にこのことを言ったら、本にしましょうという事になりリモートで対談することになり本が出来上がりました。    共通なことが多くあり、戦争体験、体験を通して感じたこと学んだこと、性格的にも似ていて、先生は美術が好きで私は映画が好きでお互いに好きでやってきて、そういったところも似ていました。   仕事が面白くて先生も私も結婚していません。   1時間余りで3回対談しました。  

私が知らないことを伺うというのが中心になっています。   この歳になって友達は宝物だと思います。   本や映画を読んだり見たりすることは未知を知りたいという事だと思います。    人間一人が人生で経験できる事なんてほんの少しですよ。  コンピューターにはできないイマジネーションほど人間にとって素晴らしいものはないと思います。  

9歳で終戦を迎えました。  鬼畜米英が日常だったのが、大げさに言うと一夜にしてアメリカ万歳なったわけです。     本当に私は戸惑いました。   焼け野原で文化が何にもない中に、ある日突然アメリカの映画が入ってきました。    灰色の世界にバラ色の世界が降ってきました。   見るもの聞くもの驚くことばっかりでした。  映画にはまってしまいました。    「風と共に去りぬ」は戦争中に作られたが、日本にはずーっと入ってこなくて、戦後10年ぐらい経ってきました。    子供の頃は親とかに連れられて行っていましたが、中学、高校では自分で観に行くようになりました。  「第三の男」を観て決定的に映画のすばらしさを感じました。   50回ぐらいは観ていると思います。  中学で初めて「A B C」を見ました。  映画があったから英語に興味を持ちました。    「第三の男」の字幕の中に「今夜の酒は荒れそうだ。」というのがあり気になりました。  何て言っているのか聞いたら 「俺はこれを吞んじゃあいけない」という言葉でした。  字幕は全然違うがその場にぴったりだと思って、字幕は翻訳ではないと思いました。   字幕翻訳になりたいという根本はそこに有ったと思います。  ドラマのなかでかっこよくちゃんとその人の気持ちが現れるような表現をすることが重要なんです。   AIでの翻訳は感情がかかわって来るので難しいです。  






2021年12月30日木曜日

小池恭子(絵手紙作家)         ・ぬくもり贈る手紙文化を残したい

 小池恭子(絵手紙作家)         ・ぬくもり贈る手紙文化を残したい

葉書に大きく描かれた絵と短い言葉が添えられた絵手紙、小池さんは講師として指導するほか、手紙を書いて送るという手紙文化を残したいと普及活動に努めています。  小池さんが絵手紙を始めたのは書道家で絵手紙の創始者として活動する夫、邦夫さんの影響でした。  小池さんが力を注ぐ手紙文化の普及活動や絵手紙の魅力又夫婦二人三脚の歩みを伺いました。

可愛い寅、強そうな寅、二つの寅を描いてありますが、今どちらにしようか考えています。  絵手紙のキャッチフレーズが「下手でいい、下手がいい」 が合言葉で、素直に自分の気持ちを伝えようと一生懸命書いたものは伝わると思っています。  だれでもすぐに出来ます。

書道の墨と筆を使って輪郭を描いて、絵の具も日本画で使う絵具を使います。  筆の一番上の部分を軽く持って、筆を真っ直ぐ立てる。(線香花火を持つような感じ)   対象物(虎のバッジ)を見ながらゆっくりと線を引いてゆく。  大きく大胆に描いた方がいいです。   色付けは手早く線に重ならないようにファンデーションを塗るような感じで行う。  下書きもなしです。  消しゴムに名前の頭文字をひらがなでハンコを作って押します。   自分の気持ちを短く添えて送ってください。  相手を思い浮かべて描くということ、相手が受け取ったところで一つの絵手紙が完成します。   

夫の小池邦夫が昔、絵手紙教室を開いたら生徒が二人しか来なかった。   私も一緒に描けと言われて、描いてみたのが始めです。  その日の晩から毎日描いていました。   息子が幼稚園の頃で、幼稚園のいろいろなことを晩に描いて母に送っていました。    今思うといい思い出になります。  3年続いたら本にしてあげるとか、展覧会を開いてあげると夫から言われて、「おかあさんは3年生」と言いう本を作ってもらいました。    書き溜めたものを銀座で展覧会をしてもらいました。   それをきっかけに絵手紙教室の依頼が入るようになりました。   

夫は四国の松山出身で、子供の頃に書道家になりたいと思ったらしいです。    大学でも書道を勉強したが、手本を習って展覧会に出したり賞を貰ったりするのが主流の書道ですが、それでは自分の考えて居た書道家になるのとはちょっと違うと思ったらしくて、独自にいろんな勉強をして、自分らしさを出すには手紙が一番いいという事に気が付いたらしいです。  友達に手紙を送り続けて、絵のある手紙なので絵手紙という名前を付けて展覧会を開いたりして描き続けてきました。    結婚した当時もアルバイトをして年に1,2回展覧会などをしていました。   50歳になった時にアルバイトを辞めて絵手紙一本でやりたいと言いました。   不安もあったが、応援しようと思いました。

東京の狛江市に住んで40年ぐらいになり、狛江郵便局で夫が初めて絵手紙教室と絵手紙展を開かせていただいて、2007年に絵手紙の発祥の地という事で、街おこしの実行委員会を立ち上げて、絵手紙の体験教室とか絵手紙を街中に飾ったりとか、狛江市が応援してやれるようになりました。   小、中学生にも絵手紙を描いてもらうという事が始まって、教えに行ったりしています。   子供は邪念がないので素晴らしい絵を描いています。   手書きが減っているので、手紙を描くことと手書きをこれから先も残したいと思います。  

60歳を過ぎて検査入院した時に、絵手紙を夫に出したら、家族には出していなかったと気づいて、それから毎日私に絵手紙を送ってくれるようになりました。  80歳になった今も続いています。  最初の頃は切手を貼っていましたが、今は貼っていないものをポストに入れてもらっています。  手紙の中でしか知り得ないこともあります。   手紙を送ったら添削されたような感じの手紙が来て、これまで手紙は受け取り専門ですが、今日はチャレンジという事で夫に送る手紙を持ってきました。



2021年12月29日水曜日

佐藤由巳子(建築・庭・環境コーディネーター)・【心に花を咲かせて】がん患者を支える庭のある空間

 佐藤由巳子(建築・庭・環境コーディネーター)・【心に花を咲かせて】がん患者を支える庭のある空間

江東区豊洲地区に癌と共に生きる人々のための素敵な場所があるそうです。   そこはイギリスのマギーズセンターのコンセプトに沿って作られたもので訪問介護士の秋山正子さんを中心に多くの人の力で完成して今年5年目を迎えています。    そのコンセプトの中にがん患者には庭がとても重要だと書かれているという事です。   イギリスのマギーズセンターを何度も訪問し、マギーズ東京の建物や庭など空間作りをコーディネートされた佐藤由巳子さんにそれはどういう事なのか、伺いました。

(参照 https://asuhenokotoba.blogspot.com/2017/01/blog-post_12.html

センター長の秋山正子さんが新宿区で長く訪問看護師をしていて、癌患者の皆様を看ていました。   イギリスのマギーズセンターを知って、私たちも誘われて訪問に行きました。  無料でチャリティーで運営されていて、いつでも自由に約束もなく訪問できる場を病院の前に作っている。  そんなものが日本にあったらいいなあという事で、見学に行こうという事でした。   エジンバラのマギーズセンターというところです。    癌でももっと元気なころに一緒に相談に乗ってあげたいという思いがあったようです。   6人で行きましたが、私は建築という立場で誘われました。    現在は30近くありますが、そのうちの3か所見ました。   有名な建築家たちがチャリティーで建築の基本プランとして出来ます。   庭は世界的に有名な庭園デザイナーがデザインしています。   

マギーさんという方(中国庭園史家)が癌の再発で56歳で亡くなるわけですが、エジンバラの無味乾燥な病室にいて、医療従事者などにいろいろ相談したいがそれには空間が必要だ、というアイデアからそういった施設を作りたいと遺言に残しました。   日本では厚労省が癌病院内に患者の相談室を作ろうという機運が高まっているので、これからできるんだから要らないよという感じでした。   余命数か月のマギーさんの思いを具現化しようという事でご主人の国際的建築評論家が具現化しようとして財団法人マギーズケアリングセンターができました。   すべてチャリティーで賄う組織です。  秋山正子さんはぜひ日本でも欲しいと言っていました。   

日本支部というわけではないですが、国際ネットワークの一員であるという契約を結んでいます。  ハードとソフトが揃っていないといけないという条件があります。  ソフトはOKですが、自然を重視するハードが問題でした。   屋内でも屋外のような空間作りは日本では上手だと思います。  マギーズ東京はそういった工夫がしてあると思います。     まず暮らしの保健室というのを開設しました。   マギーズ東京は今年で5年目を迎えますが、発足にあたって現在の共同代表の鈴木美穂さんの提案で資金の調達をクラウドファンディングでという事で予定の半分をまかなうことが出来ました。      東京オリンピック会場の豊洲に無料で借りられるところがありそこに仮設を作りました。   病院の敷地内ではありませんが、周りに幾つか大病院があります。    借用地なので不安定ですが、希望をもってやっています。   

イギリスではマギーズセンターが最も評価されているチャリティー活動だと言われています。日本でも徐々に有名になりつつあります。   木材普及のための期間限定の施設をもらい受け、廃材などを貰ったりして、建築家の阿部勤先生にコーディネートしてもらいました。猫の額の様ですが中庭も作りました。   前の敷地の一部を借りて花畑活動もして訪問者に花束を持ち帰ってもらっています。   イギリスでは病院の敷地内ですが、ここの施設は病院外ですが同じような機能が果たされるものと思っています。    活動が地域の企業、江東区の方にも評価されて、存在意義を高めているところです。   マギーズで穫れた種を無料で差し上げたりして、良い循環が地域で回ってるなと思います。    



  

2021年12月28日火曜日

根本要(シンガーソングライター)    ・40年続けるこだわり

根本要(シンガーソングライター)    ・40年続けるこだわり 

埼玉県行田市出身、64歳、「スターダストレビュー」は1981年にデビューして来年で42年目です。   現在も年に80公演を越えるツアーを展開するバンドです。  メンバーはバンドの結成時から一人抜けましたが、その後はメンバー不動の息の長いバンドです。  この10月、11月の深夜便の歌「やっぱり会いたいよ」で評判になりました。   ライブが大好きという根本さんにこのコロナ禍でのバンド活動のことや、バンドを長く続けられるこだわり、3年前に脳梗塞で入院したことなどを伺います。

*「やっぱり会いたいよ」     歌:根本要

ラジオは昔からお世話になっていて、テレビよりもラジオの方が双方向といった感じがあります。  去年はコロナでどうしようかと思いましたが、ガイドラインが出て、こういった対策をすればできるんだという事で、出来る様にはなりました。   配信をやってみて、気が付いたのはいかに拍手に救われたかという事を痛感しました。  新しい手法を見つけたり学ぶものが多かったです。  

木蘭の涙」         歌:根本要

1957年生まれ、64歳。  「スターダストレビュー」は4人組のロックバンドで今年41年目。(1981年デビュー)  2500回ぐらいライブをやってきました。  1979年の「ジプシーとアレレのレ」というグループだった。  「スターダストレビュー」で「シュガーはお年頃」でデビュー。  最初5人でしたが、その後三谷君が辞めて4人になりました。 

リーダーは二つのタイプがあると思っていて、自分がまっさきに歩いてそこに皆が付いてくるタイプと、メンバーの意見を聞いてじゃあこういう方向でというタイプで、僕らは後者のバンドです。  僕らのツアーでは毎日7,8曲変っていきますので、全部で60~80曲になります。  

2018年  唇がしびれていて、おかしいなと思いました。  病院に行って心電図を測って、MRIを撮ったら、その場で入院になりますから、と言われてしまいました。  画像を見せてもらったら、ここに脳梗塞の症状が見られますと言われてしまいました。   早期発見だったので点滴のみで入院は一週間で済みました。   僕の音楽を待っていてくれるんだという事が判ってすこしは成長したと思います。   救急車を呼ぶかどうか相談できる電話があることは初めて知りました。   世の中っていろんなところで自分が知らないところで、自分たちを助けてくれるシステムがいっぱいあるので、大変だと思ったら抱え込まずに、是非人の力を利用しながら頑張っていきましょう。  

父親は医師で兄も医師なので、親としては最初はそう思っていたかもしれませんが、自分はバンドを組んで音楽をやっていて、いろいろ賞をもらってきていたりするので、プロになるのに余り反対されたりしませんでした。   医師は治療という事で直してあげるが、僕は心の中のわだかまった思いとか、心の疲れとかを、音楽で自分自身も癒されたり直せたりしたので、父や兄は行田市界隈の患者さんを直したりするかもしれないが、僕は音楽で日本中の人たちに心の健康に多少でも貢献できているんじゃないかと思います。  僕もたくさんライブを見に行きます。  がんばっていけばあと10年ぐらいは歌えるかもしれない。何を伝えたいかはその年齢年齢で出てくると思うので、その時々の全力投球が僕には合っているんだと思います。  僕はバンドが好きなので何よりもメンバーが健康であってほしいと思います。   









2021年12月27日月曜日

頭木弘樹(文学紹介者)         ・【絶望名言】お金

頭木弘樹(文学紹介者)         ・【絶望名言】お金 

「私はぎょっとした。  私は金のためにずーと働いていたのだ。」  佐野洋子   

昔はツケがきいて、大みそかにはツケを何としても取らなければいけない。

「大みそか首でも取って来る気なり」 川柳  

「大みそか首でよければやる気なり」 川柳

「大みそか越す

に越されず越されずに越す」 狂歌

「私はぎょっとした。  私は金のためにずーと働いていたのだ。」  佐野洋子  

佐野さんは代表作として、絵本『100万回生きたねこ』、エッセーも書いています。     改めて考えてみるとお金のために働いてたんだなあと言う思いにとらわれます。   人生の終わりという時に自分の一生を振り返ってみて、金のためにずーと働いていたと思ったら、ちょっと悲しいかもしれない。  

「お金は仕事をした後のカスだよ。」           渋沢栄一 

日本の資本主義の父ともいわれる。  約500の企業を育てて約600の社会公共事業に関わった。  これは晩年に息子に言った言葉です。  仕事が大切なのであってお金は仕事によって生じるだけのものだと思えというようなことですね。  お金が目的ではないはずが、ついつい、いつの間にかお金が目的になってしまう。 

アメリカの実話で、店を開店したが、子供が石を投げて窓ガラスを割ってしまって困ってしまう。 主人は子供たちに、「これから毎日お金をあげるから毎日石を投げて窓ガラスを割ってくれ」と頼むんです。  毎日お金を渡して窓ガラスを割るが、毎日お金を渡す金額を減らしていった。  そうすると子供たちのやる気が減ってしまう。  お金をやらなくなると子供たちは窓ガラスを割らなくなり解決した。  いつの間にかお金が目的になってしまう。

「財布が軽ければ心は重い。」            ゲーテ   

原文を直訳すると、「空の財布 病んだ心」という意味になる。  お金が欲しい時は何かを買いたいだけではなく、安心が欲しいとか、不安を消したいとか気持ちのせいが多いと思う。   お金がいくらあっても不安は消えない。  減っても不安は残る。  お金だけには頼れない。   

「わずかに売り買いすと言えども、なお銭を蓄うる人無し。  その多少に従いて、節級して位を授けよ。」        続日本紀 

711年10月23日  畜銭叙位令の言葉  お金を貯めた人には地位を与える。  お金で地位を買えるということです。   意図的にお金と権力を結び付けたという点で、凄い法令だと思います。  最初の流通貨幣の和同開珎が発行されたのが708年。   お金と権力が結びつかなかったら、ここまでお金儲けにこだわる人はいなかったと思う。  

「高利貸の金を借りる様になった。  段々深みに落ちて行ったので再び這い上がることが困難になっているのがその場の自分にはよくわからなかった。  足の裏に皮底の砂が触れるところまで沈んでいった。」       内田百閒 

最初友達に借りて、質屋に通うようになり、質屋に持ってゆくものが無くなり、金貸しからお金を借りる。  高利貸しから借りるようになる。   段々深みにはまってゆく様子が自分ではよくわからなかった。   

カエサルは 有力者に物凄くたくさんの借金をしていて、借金のせいで出世できたという話もあります。  カエサルが失脚したら借金を返してもらえなくなるので困るわけです。 だから有力者が一生懸命カエサルを応援したわけです。                 借金が少額のうちは債権者が強者で債務者は弱者だが、額が増大するにこの関係は逆転するという点をカエサルは突いたのであった。  

「賭博は運命が普通には長い年月をかけてしか生み出さないあまたの変化を一瞬にしてもたらす術でなくて何であろうか。  ほかの人々にあってはその緩慢な生涯に散らばっている数々の感動を一瞬にしてかき集める術でなくて何であろうか。  全生涯を数分にして生きる秘訣でなくて何であろうか。」     アナトール・フランス

お金に関してはギャンブルも大きなテーマです。  ギャンブルは胴元が儲けてほかの人は損する仕組みなんです。   ギャンブルだと一瞬にしてお金を手に入れることができる。 あるいは一瞬にして破滅する。   人生が凝縮されていて感動や衝撃も大きい。     ドストエフスキーは大のギャンブル好きで、何度も破滅しかけている。  すっからかんになって帰りの旅費を妻に頼む。  旅費が届いて最終列車に間に合わなかった。  賭博場があり、見るだけだと心に誓ってはいってみるが、自分の予想した目が次々に出るわけで、ギャンブルをしろという神のお告げではないかと思う。   ギャンブルに参加すると思った目が出なくてすっからかんになる。   ギャンブルはやってはいけないものだと思います。 

「友人の一人が離婚した時、マンションを奥さんにあげてローンを僕が払う事になった、と言いながら満面の笑みを浮かべていたことを思い出す。  そんなにも離婚したかっただなあと思って感動する。」       穂村弘 

このエッセーを読むとお金より大切なものがあるんだなあと思います。  きれいごとではなく言われると実感します。   

「ひどい貧乏だった。 貧乏は嫌だったが一方貧乏だという事が気休めにはなった。 

 俺はこの世で得をしているわけじゃない。  うまいことをしているわけじゃない。」     尾崎一雄 

今の時代は抜け目なくうまくお金をかせぐほうが尊敬されますが、昔は抜け目なく立ち回るのは恥ずかしい事でお金儲けしないことはそれだけ立派な人格だからという風にまったく逆の考え方もあった。   自分の貧乏に誇りを持つことが出来た。  そういうことは今にもあって良いんじゃないかと思います。