2013年12月31日火曜日

池田清和(国際そば学会日本代表) ・私のそば人生

池田清和(国際そば学会日本代表)  私のそば人生
昭和22年生まれ 神戸学院大学栄養学部教授 専門は伝統食品の栄養学ですが、特にそばの研究に打ち込み、その栄養やおいしさを分析してきました。
そばが健康、長寿にかかわる様々な成分を豊富に含んだ優れた食品であることを解明し、国内ばかりでなく、海外でも食生活への積極的な利用を説き続けています。
そばは身近な食品で有りながらどんな栄養が含まれているのか、食品としての特性はあまり知られていません。
そば研究を生涯のテーマとしている池田さんにそばをめぐる風習を始め、そばにはどんな栄養が含まれ、どんな働きが期待できるのか、そば研究で見えてきた伝統食品そばの魅力と可能性などについて伺いました。

日本の和食が世界の無形文化遺産に認定された。
世界の人たちに和食を知っていただける事、日本は世界一の長寿国になっている。
特に女性は30年間近く世界一の長寿になっていて、長寿を支えているのが和食なんですね。
そばも素晴らしい和食の一つです。
そばは鎌倉時代 麺としては食べていなかった。
年越しそば、福岡県のあるお寺の坊さんが貧しい人にそばをふるまったら、翌年に振る舞われたひとたちから運が向いてきたといわれて、運そば説が言われているが、そのほかにもいろいろ説がある。
そばと言う言葉は「かど」と言う意味がある。 
そば麦と言う言葉で呼ばれ そばの実は三つの角があることから、みかど と呼ばれ、帝=天皇に通じる。 
天下安泰 家族安泰、そばは長いという意味があるので、長寿に通じる。
そばは切れるというが、嫌なことを切ってくれるという事もあり、年越しに食べられるという事もある。
そばは風が来て倒れてもすぐ立ち上がるという事から、縁起がいいといわれる。

そばの効能説 12月31日に食べて、食物繊維があって、いろいろなものを排泄してくれる効果があり、身を清めて新しい新年を迎えようと、言う様な事とも言われている。
日本古来の和食の一つ
ロシアの南の方が原産地と言われていたが、京都大学の先生が中国を回って遺伝子などを調べた結果、中国の南部が原産地であることが判明した。
朝鮮半島を通して日本に入ってきたといわれる。(後はシルクロードを通って中東、ヨーロッパへ)
麺で食べる食べ方は、日本、韓国、中国などで食べられるが、そういった食べ方は少ない。
そば米と言われるが、徳島県はひ弱な土地で米がとれにくいが、米代わりに利用した。
日本ではほかに山形県で利用されていて、むきそばと言われている。
ヨーロッパの方ではカーシャー(ロシア語)料理が多い。

1570年ぐらいに麺と言う言葉が登場する。 
長野、山梨県 あたりに出来て、江戸に入ってそばきりと言う食べ方が非常に広まったと考えられている。
砂場 もともとは大阪の店(江戸に家康が居を構えた時に来たと言われる)  
井原西鶴にもそばの話は出てくる。
鈴木梅太郎先生、満田久輝先生が食品関係で文化勲章をいただいているが、満田先生はわたしの恩師です。
満田先生の米の研究に興味を持った。 それからそばの研究を始めた。
国際そば学会が30年前ぐらいに出来た、以前宮崎で学会が行われ、そこで発表したり知り合いが出来て広がって行った。

さらしなそば:白いそば  いなかそば:黒いそば →ぬかみたいな部分が含まれているもので、ビタミン、ミネラル、ポリフェノール等いろんな成分が入っている。
麺、粉と水だけで作る文化、技術がすばらしい。
たんぱく質に興味があって、そばのたんぱく質を調べると、9つの必須アミノ酸があるが、
小麦はリジンのアミノ酸が少なく栄養価が40 米は68 そばは100 動物性たんぱく質に匹敵するような栄養価がある。
消化は小麦、米、そばの順に良い。 そばは一番悪いがそこに興味を持った。
消化が悪いと、人間の身体には悪いのは良くないと言われていたが、最近肥満の問題があり、それがコレステロールを下げる効果を持っていることが解ってきた。
栄養学から、いい面、悪い面が段々見えてきた。
そばにはほかに消化しにくいでんぷん(レジスタントスターチ)があり、食物繊維の様な働きをする。
江戸時代の本に、そばは人の腸胃の不快をこなすと書かれており、水に溶けないない食物繊維があるために便通を良くしたり、大腸がんの予防にもつながる。

そばゆ(飲むと健康 ビタミン、ポリフェノール等が溶け込んでいる)
うどんのゆ(飲んでも健康には関係ない)
ルチン ポリフェノールの一つの成分 普段食べているなかではそば以外にはほとんどない。
血管のもろさの改善作用、高血圧の予防効果がある。
カリウムも沢山含まれている。
カリウムはナトリウム(高血圧の原因物質の一つ)を排泄する効果がある。
小麦製品うどん、パンなどは塩を入れないとグルテンという成分が固まらないが。そばにはグルテンがないので、そばは塩を入れないので、減塩食物。
ビタミンCはほとんど入っていない。 ビタミン12も入っていない
ヘスペリジン (柑橘類に入っているがルチンと似た作用がある) 血管拡張する効果があり、ゆず湯はその効果がある。
いろんなものを食べるのが長寿の秘訣。

栄養、美味しいは表裏一体 疲れると甘いものが欲しくなる。
美味しさを分子レベルで調べようと、分子調理学を初めていいだした。
21世紀の調理学の本に投稿、美味しさを分子レベルから明らかにしようと、タンパク質、でんぷん、ルチン等がおそばの美味しさにかかわっていることが分かった。
そばには打ち立て、引きたて、ゆでたて、取り立てなどがあるが、調理したてがおいしいといわれるが、長く貯蔵すると食味が悪くなる。
温度、湿度、期間が影響している事が解った
石臼の合理性  粒度分布は普通のロールと違って、かなり細かい粒と粗い粒子が混在する。
粗い粒子がそばの香りを持ってきて、細かい粒子が粉をくっつける効果を持っている。
湿度、温度を低くして貯蔵する事が必要。
そば粉は風邪をひくと言われるが、ぼそぼそになってくる。

伝統食品の大切さ 米を中心に味噌汁、そばなど3000年の歴史がある。
脂肪エネルギー 30%以下にしてほしい。 
今は30%を超える人は3~4人に1人になってきている。
アメリカは40~50%になってきており、肥満になりやすい状況。
引き継いでゆくのは学校給食しかないといわれる。
そばなども学校給食の中に入れてゆく事によって、広がってくれればと思っている。
昭和21年の平均寿命は55歳、今は男性79歳、女性86歳  伝統食品と欧米風の食事が合わさってきたのでいい状況だが、今後30年、40年先は大丈夫だろうかと思う。
日本では麺に拘っているが、それ以外の食べ方を学校給食に取り入れたらいいのではないかと思う。
広くそばを利用して行けばいいと思っている。

20世紀はパンの時代、21世紀は麺の時代だといわれる。
うどんヌードル、ラーメンヌードル (日本の麺) アメリカでも興味を持ってきている。
もう少し、そばの新しい加工方法をやっていきたいと思っている。
17種の野生そばがあるが、食べるのは普通そばとだったんそばがある。
だったんそばはルチンが普通そばの100倍入っている。
糖尿病、脂質異常症などに改善効果があるが、硬くて食べにくいので、食べやすい方法を考えている。












































































2013年12月29日日曜日

五木寛之           ・歌の旅人(福井県)

五木寛之       歌の旅人(福井県)
福井は地味な感じがするが見どころ満載 歴史もあり 人脈、食べ物名物も多い。
宗教心が深い。
吉崎御坊  、比叡山延暦寺などの迫害を受けて京から逃れた本願寺第8世法主蓮如が、本願寺系浄土真宗の北陸における布教拠点として越前吉崎にある北潟湖畔の吉崎山の頂に建立した。
蓮如 本願寺中興の祖 全国に教宣する。 南無阿弥陀仏と言うようになったのは蓮如の働き
全国からいろんな人たちが吉崎に集まってきた。 各地の門徒が泊る。(たや) 
名残の遺跡があるが当時は想像もつかないほどの賑わいだった。
高村光太郎の父の作った蓮如の像がある。
軍部が戦争で像を取り壊して持っていこうとしたが、村人達が取り囲んでそれを阻止したという話がある。
永平寺 10万坪と言われる、別世界  
道元 俗世間にかかわるのが嫌で自分の修行の場を作った。
現在も170人の修行僧が永平寺で学んでいる。

「私が生まれて育ったところ」  野路由紀子 歌
越前、若狭の国  湿度が高くて吉崎に蓮如が大津の方から来ていたんだが、京都に帰る。
一向一揆
住んでいる人の幸福度が上位、家族の結束が固い地域。   織物が盛んな地域だった。
県民気質 気は強いけど、負けず嫌いで辛抱強くて、がんばる。
寺院の7~8割が真宗 
以前は釜にお茶を煮立てて、自分の茶碗を持ってきてそのお茶を飲みながら、漬物をつまみ、宗教の事を話していたという風習があったそうです。

高石ともや ナターシャセブン  「思い出の赤いヤッケ」

三国は大きな港で北前船が停泊する場所だった。 花町として栄えた。 
哥川(かせん)という才能のある遊女いた。 俳人で 加賀野千代女と並ぶぐらい有名だった人。
三国は当時は栄華をきわめた街だが、現在は落ちついた街になっている。
カニは子供のおやつとして食べられてもいた。 たくさん取れていた。
橘 曙覧(あけみ) 「楽しみは」という和歌を読んでいる
「楽しみはまれにうおにて こらみながうましうましと いいてくうとき」
最古の木造天守閣 丸岡城

「東尋坊」 水森かおり 歌

高見順 水上勉 加古里子(さとし)、津村節子、藤田宜永 、岩崎ちひろ、舞城王太郎
俳人 荒川洋治 俵万智  映画監督吉田喜重  久里洋二 花菱あちゃこ 宇野重吉 
地球物理学者竹内均  理論物理学者南部陽一郎  フランス文学者桑原武夫  
漢文学者白川静
新しい時代を作ってきた方が多い。
反権力の姿勢を貫き通した人がたくさんいらっしゃる。

「振り向けば日本海」 五木ひろし 歌   五木寛之作詞    
中野重治  「五勺の酒」の言葉を二番に入れてある。
眼鏡は90%が作られている。さかえ   
小浜市 塗り箸 お寺がたくさんある。(海のある奈良)  こちら側が表日本の時代があった。
京都に近い為京都の文化と融合している部分がある。























2013年12月28日土曜日

中山清美(博物館館長)     ・琉球弧の視点で奄美を見つめる

中山清美(博物館館長)   琉球弧の視点で奄美を見つめる
琉球弧 亜熱帯域の島々 鹿児島県、沖縄県ではなくて、琉球弧の文化を発信できると思う
島では旧石器時代から住んでいる。 
今に至るまで限られた島の資源を利用して生活してきている。
八重山、沖縄、徳之島、奄美大島ぜんぶそれぞれ旧石器に相当する遺跡がある。
島なので公益交流なので、外来の物を上手く島化にして、島の文化化をしている。
島化→島のしたたかさ  琉球弧の島々は独自性を持っている。 共同体としても生きている。
船一つとっても、島の周辺域の漁をすると云う事で、速度の速い船(先がとがっている船)、 安定性はあるが早くない船(先が平ったい船)、があるが北部に行くと合いの子ができ上る。
日本には漢字文化が入ってくるがひらがな、カタカナが出来てくるが、日本文化を縮小したものがそのまま残っている。
外からの影響を受けていても独自性、方言、節回し、曲の違いなどがある。

皆島にどっぷり漬かっているので島の良さが解らない。 島から一歩も出たことがない人がいる。
最近はTV、ラジオ、等で海外情報が入ってくるがやはり島がいいと思っている。(なんとなく)
一度島の外に出ると島の良さが判る。
私も学生時代に外に行って島にもどってきたが、島の良さが分かった。
先史時代からの人も同じだと思うが、外来文化の影響を受けて、島の良さが生かされる。
外来との交流を閉じてしまっていると、全く島の良さは生かされないし、島の良さが育たない。

(大島紬と言えば奄美、 奄美と言えば、大島紬  大島紬にかかわっている人が私の周りにもいます。   歌と声に感動しました。(こうすけさんの曲 「家路」)   投書より)

今取り組んでるのが、それぞれの歴史や文化を考え始めていて、解決すべき問題は沢山出たと思う。
奄美、琉球の自然遺産への取り組み。
田中一村も大陸から島に来て、19年間島で生きてきて、集落の中でなく、周辺の森の中からのぞく様な絵ですね。
自然とのかかわりの深い絵だと思う。
19歳の時に書いていた、同胞自然 彼はこれをずーっと求めていたのではないかと思う。
日本でも忘れかけられている、奄美に来るとそれが生きている、それを完遂させたものではないかと思う。
同胞自然 自然から全て学んでで自然の中で生きている。
島の資源利用は森から海に至るまで、垂直利用なんですね。
垂直利用の中には集落があり、集落の奥の森には妖怪が住んでいて、深い森にに入ってゆくときには妖怪におまじないする。
木の実、猪等を取りに行くときは恐れが生ずる。
恐れて敬ってそれを守って残すという事が、島の中の道徳みたいなものになっている。

我々は当たり前に思っているが、外から来た人からみると、自分の世界に求めたのはこれかなとか、芸術の世界で田中一村はそれを見つけたのではないかと思う。
けんむん 身近でなおかつ恐れるもの。 妖怪なので、お年寄りにけんむんの事を話してくださいというとそんなことは知らないと、話してはくれない
自然に対する怖さを持っている。
最近の日本では自然を我々が支配したという様な気持ちになってきている。
きじむなー も妖怪の仲間  ぶながや  森の妖怪ですね。
恐れるものを大切にする、ある程度親しみを持たせるが、キャラクター化すると恐れなくなる。
しかし恐れなくなるとしっぺ返しを食らう。(ハブにあたったり  そういったいわれがある)
幽霊とけんむんは違う。 島ではまだ恐れがある。
だからけんむんは、島歌がいっぱいあるが、島歌では歌われない。

グローバルの視点は必要だはあるが、琉球弧のねっこは学ぶべきものが多いと思う。
どの島々を持っても、独自性はある。
島尾 敏雄さんが ヤポネシア(造語)作る。 言わんとするところは同じ  ヤポネシアの尻尾の方。
日本列島の縮図 鹿児島から台湾まで、188の島があり、68島が有人島。
琉球弧は自然の回復力、生物多様性と言うのが注目されている。
自然とのかかわりが色濃く残っている。
奄美群島は日本にはいったり、琉球に入ったり、アメリカに入って日本に復帰と繰り返しやってきた。
多様な影響を受けているが、島々にはそれが生きている。
生きていてそれぞれの歴史がある。  多様な文化を戦争によって受けたり、侵略によって受けたりするが、歴史を正しく見ていかないといけない。
どのような影響で入ってきたのか、琉球、薩摩、その後の文化がどう変化してきたか、それを島の人達がどうとらえてきたか、そういう捉え方が必要だと思います。
奄美群島は良く理解できる。 したたかさを正しく理解する、そのためにはどういったものがあるか、それが奄美群島内には強く生きている。
群島内が博物館と或る意味では言える。
ようやく方向性が見えてきたのではないかと思う。

大宰府の出先機関の遺跡。
中世史を塗り替える様なものが発見されつつある。
我々はローカルですが、ローカルだから出来るものがある。
環境循環型 ローカルだったから最先端を行っている。 それを宝にする。
グローバルの視点でローカルから学ぶ、地方にはまだ愛が生きてるのではないか。





























































2013年12月27日金曜日

2013年12月26日木曜日

枡野 俊明(住職)        ・禅の心を暮らしに生かす

枡野 俊明(住職)    禅の心を暮らしに生かす
1953年、神奈川県の生れ 建功寺18代の住職で、又庭園デザイナーとしても国内だけでなく海外でも禅の庭の創作活動で高い評価を受けています。
今男女を問わず、様々な世代の人が禅の教えや言葉に引かれているといわれます。
枡野さんの著書はベストセラーと成り、法話を聞く会にも多くの人が集まります。
禅僧という立場から禅の教えを判りやすく語っていただき、新しい年を迎えるに当たって私たちが良い一年を送れるよう、暮らしの中で実践できる事などを教えて頂きます。

禅が注目されているが、一つは現代社会はストレスを感じている時代だと思う。 
物事が全て早く動いてゆく。
仕事をドンドンこなしていかなければならない。 
休むことなく動かなければならず、心がつかれてしまっている。
心の安定、安寧に魅力を感じている。 
20世紀は物の豊かさを実感できるよりどころだと信じてきたが、収入も増えて欲しいものを買うと、次の物、次の物を欲しいと思う(執着心)
執着心がドンドン膨らんでいってしまう。(執着心のスパイラル)
何が幸せなのか判らなくなってしまう。
本当の人間の豊かさ、幸せは何なんだろうと、考え始めた。 ヨーロッパが早かった。

物の豊かさが人間の生活の豊かさではないのではないかと思い始めて、日本、中国の一部だとか、心の豊かさこそ大事だと永年言ってきたじゃないかと、そこに目が向けられてきた。
ふーっと心の安定、心をどう穏やかにするかと言う風にむいてきた。
生活そのものが禅の修行だと考える。
「行、住、坐、臥」 皆修行なんだという事です。作務 生活そのもの全てが修行だととらえる。
言葉や書物では伝えられない、自分が行動をして行って、其中で自分がすとんと気がついた事、その気付きを大事にしてゆく。
生活の中の一つ一つの中で自分がふっと気がつく。
香厳撃竹」 僧(香厳)が墓の掃除を毎日毎日していて、或る日瓦のかけらが箒の先に当たって、竹やぶの竹に当たって、カーンと音がして、これだと覚った。
物事は因縁、一つの物では成り立たない。
瓦のかけらがあって、竹があって、箒があって、掃いた自分がいて、「カーン」と音がする。
原因、と縁が合わさったから初めて物事が成り立ってゆく。(大乗仏教の基本)

自分がデザインして出来上がった庭に春風が吹き、芽が出てきて、花を咲かせるが、人間がどうしようとするはかりごとではない、人間の謀りごとを越えている。
人間の謀りごとを越えている事を仏教では、ほとけだとか仏性と言うわけです。
それを大宇宙の真理だと私は言っている。   それは身の周りにどこにもある。

庭園デザイナーはわたし自身の修行の一つだと捉えています。
鎌倉中期から室町中期までは禅僧が自分の修行で会得した心の状態を何かに置き換えて表現しようとした。
禅はどう生きたらいいかと言う様に考えて、哲学に近いが哲学とも違う。
哲学は学問なので理論的に証明すればいいが、禅は行として続けていって、身体で証明しようとしている。
形の無い物を何かに置き換えて表現しようと、禅僧たちはかつてした。
平面に表現しようとしたのが、画僧  漢詩の世界が好きな人が、五山僧、空間的に表現しようとしたのが石建僧 庭園をデザインする僧 
一番有名なのが夢窓疎石
現在、僧侶で庭園デザインをしているのは私だけになってしまった。
座禅を組むという事は心が穏やかになる、いらぬ事に心が躍ることがなくなる。
調身、調息、調心 身体を先ず整える 次に呼吸を整える そうする事によって心を整える。
そうしないと座禅はできない。
初心者は作法があるので禅寺にいって学んだほうが入りやすい。
慣れてくると、椅子に座っていても、立っていても出来るようになる。

今の社会の特徴はあまりにも情報過多になっている。
選ぶ側が右往左往して、不安になる。 
起きてない事に対しても不安を感じてしまう。
今と言う事に対して徹することが必要、如何に自分の命を込めて行動してゆくかと言う事が不安を取り除いてくれる。
達磨大師が 弟子慧可に不安があるなら、不安を出してみなさいという。
出せないという事は実態がないと気付く。
先の事を不安に思っても、起こるかもしれないし、起こらないかもしれない。
脚下照顧 自分の足元を照らしなさい、そこに全力を投入しなさい。

人間関係に疲れてしまったという相談は多い。
自分をよく見られたいと、虚像が出来てしまって精神疾患見たいになってしまう。
昔は役割分担があって、組織的に、自分たちの立ち位置が判って、グループで成績を上げていったので横のつながりがしっかりしていた。
今は全部個人の競争になってきている。
それを数字だけで見比べられるのでストレスがたまってくるし、自分の得た情報を他人に教えたら、取られてしまうかも知れないという様になって、他人に陥れられてしまうかもしれないとか、会社の同じ部署の人を信じられなくなってしまう。
全部が競争相手になってしまい、相談できる相手が無くなってしまう。
数字、物だけを評価する、結果だけを評価する。
過程の評価が無い、それらに精神的な悩みを抱えて行って、周りには相談できない。
そのような人が禅寺に相談に来る。

人間関係 自分を良く見せたいという執着心がある。 
素直に表現できる人との付き合いをする。
周りの人間がどういう人間であるかとよーく見る事に依って、自分の先入観で見てしまうという事が無くなってくるのではないか。(成長させるために、厳しい言葉を言う場合もある)
自分が嫌なことをされたことは人には決してやらない。
自分の中の自分自身を信じてやってゆく。
坐 人、人(もう一人の自分)と話しあって、行動する。 
一番見ているのがもう一人の自分なんです。
手紙でいろいろ反響をもらっている場合が多い。

おだやかな表情で穏やかな話し方をすると相手も穏やかになる。
私が攻撃的な顔をして、攻撃的な言葉を発すると、相手も攻撃的に対応する。
和顔愛語(わげんあいご) 穏やかな笑みを浮かべながら慈しみの言葉を発する。
そうすると相手も返してくるので、自分も心地良くなる。
心が荒れていると、言葉も当然荒れてくるので、言葉は心のありようが出てしまう。
立ち居振る舞いを整える。 居儀を整えることが仏そのもの。
お辞儀、挨拶、話すときの心のありようは、立ち居ふるまいから繋がっている。
物事の始まる時点 物事が終わる時点、があるが、この1年間を過ごしたときに生産する、1年間をリセットする事が、お寺でやっている除夜の鐘 百八の煩悩をそこで振り払ってゆく。
清らかな心になったところで初詣でに行く。
一度初めに良い縁を結ぶことを縁起がいいという。
1年を良い縁を巡ってゆくようにと言う事で、初詣にゆく。

お守りは御神体の分身を自分が預かる、身につける、預かったものに何かあってはいけないので、危ないことには避けてゆく、結果的にその人を守ってゆくことになる。
禅僧は年が明けたときに、いつ自分の死が巡ってきてもいい様に、遺偈という漢詩をかく。
父が最後に残した遺偈は
「草を取り、誠経を整え、これ八十七年 ただ建功のために尽くす 信じて歩すれば安全静かなり」 
父は掃除、草取りを年中やっていた。 「建功」寺  名前が「信歩」
今年1年間はその言葉を寄りどころに生きていこうと自分で選んで目標にして、ノートに書いたり、書いて壁に張ったりして、違ったその年が始まるのではないでしょうか。
生きてゆくという事はどうしても何かに捕らわれてしまうが(執着心)、実は生れて来た時には何にもない。
亡くなってゆくときも何にも持ってゆくことはできない。
「人間本来は無一物」 ここに気が付くともう一回やり直しができるとか、使わないものはドンドン手放して行ってもいいんじゃないかと、守ろう、守ろうとするから人間は苦しむ。
そこに気がつくと気持ちが楽になる、凄く心が楽になる。
「無一物中、無尽蔵」 人間何も持っていないけれど、だれしも無尽蔵の可能性が皆さんの体の中に秘められている、だからやればできるんだという事が「無一物中、無尽蔵」。 

























































2013年12月25日水曜日

白潟八洲彦(砥部焼き職人)    ・世界平和を祈って、ろくろを回す

白潟八洲彦(砥部焼き職人)   世界平和を祈って、ろくろを回す
愛媛県伊予郡砥部町で長い間窯元をされている。  
第一線でそれぞれの道で活躍し、模範的な仕事をされてきた方に贈られる黄綬褒章をこの秋に受賞されました。
砥部町は250年の歴史を持つ焼き物の産地です。
この街で生まれた白潟さんは焼き物の手伝いをしているうちに、いつの間にか、砥部焼職人として一本立ちされました。
大型の轆轤を使い1mを越える白磁の作品が特徴で、ジュネーブの国連欧州本部にも大きな地球儀が飾られています。
世界平和を願い、轆轤を回す、白潟さんに伺います。

地球儀、1mを越えている。 
いい土があっても、いい腕があっても轆轤が回ってくれないと仕事にならない。
大型の轆轤が手に入って大活躍してくれました。
その後自分で改良した轆轤を作りました。
地球儀が国連欧州本部に飾られて、「生命の青い星、命の地球」 1995年に製作
砥部町が国連創設50周年のお祝いにと言う事で作ることになる。
世界平和、国境を書かない、国境のない地球儀を作る。
大陸が真っ白に塗られている。 海が青で、砥部中の窯元から呉須(青い顔料)をひと匙貰って作る。
5人の男性が手を握り合った絵が入ったものが軍縮会議上のロビーに置いてある

両親は磁器製作はやっていなくて、昭和45年に私が窯を作った。
砥部焼全体では世襲は少ない、一代限りが逆に多い。
定時制の高校がありそこに入って、昼間にいとこと一緒に共通の祖父、に昼間時間があるなら手伝えと言われてこの世界に入ったのが始まりです。
子供のころは山や川自然相手に遊び回っていた。
陶石(白い石)を買うが、場所に依って陶石の性質がちょっと違う。
もともとは砥石の産地で、正倉院の文書にも砥部の事が書いてあると言われている。
230数年前、江戸時代 砥部は松山に近いのに大洲藩だった。(飛び地)
有田では砥石が出てくる、磁器も出てくるので、砥部でも磁器ができるのではないかと有田より、160年遅れてスタートする。
瀬戸、九谷でも有田に技術を学んだ。

有田焼の場合は赤絵が上絵だが、基本は白磁に呉須だと思います。
益子は陶器の町(益子焼)  白いのが磁器、茶、黒いのが陶器と思ってもらうといいと思う。
一番大事なのが耐火度、可塑性がないと陶器には使えない。
備前焼も陶器 信楽焼は陶器 
原料の良さをいかに生かしてゆくかが、職人の仕事。
砥部では良い土が取れる。 粉砕して粘土を作る。 
裏方に支えられて窯元は仕事をさせてもらっている。
未熟な間は土は意地悪をする、こうしたいと思っても言う事を聞いてくれないが、腕が上がってくると、土も判ってくれて土がこうなった方がいいの、と土が先に動いくれるような感じになる。
失敗をたくさんして身体で土との相性を覚え、努力する。
ものを作ってゆくという事は面白い。

大量生産、は石膏型を使ったり、機械轆轤を使ったりいろいろ手法がある。
16年ぐらい前から毎年、干支の置物を作っている。
来年は馬、デザインがいろいろと大変、大きさを考えながらやる。  
フィリピン大潮で大変だった。
レイテ島 2年間いたところ  青年海外協力隊 向こうの国から要請がある。
45年前に焼き物の隊員がほしいと言ってきて、幸い行く機会があった。(2年間)
野焼き、原始的な手轆轤があるのみだった。
電気轆轤を持っていこうと思っていたが、電気を使っていなくて、蹴り轆轤を作って、窯も何基か作った。
土はいい土がなかなか見つからなかった。
焼き物は海辺に近いところでやるのが多いので今回の大潮については心配している。

轆轤は面白い、と同時に難しい。  どういう形を作りたいか、次々に出てくるようだと楽。
ほとんどの時間はなかなか頭に浮かばない。 駄目な場合は気分転換の仕事をしたりする。
形が気にいらない場合でも焼きまではいったが、最近は上手く形ができなかった場合はもう一度練り始めるようになってきた。
もの作りは集中して、気持ちよく作りたいが、雑念が入ってしまうのでは。
物作りもあまり気負わないでやった方がいいと感じたことがある。(80%程度)
短気なんだけれどのんきなところもあり、集中力、創造力なども必要かと思う。
昭和43年にフィリピンに行ったときに、日本兵がやった残虐行為をいろんな人から聞かされた。
人類と言うものは戦争の歴史だと思うので、もうそろそろ止めてもらったらいいと思って、そのためには国境がなくなればいいと思っている。
国境のない地球儀を作る。
原爆も唯一の経験国なので発言していかなければいけないと思う。

黄綬褒章 思ってもいませんでした。
現代の名工に選ばれて、そこで職人としては満足して、県から言われた時はお断りしました。
砥部焼の業界には受賞の流れがあって、貰っておけとの話があり、受諾する。
今までやってきた仕事をより完成度をあげていこうと思っている。