天野祐吉 隠居大学(大竹まこと)
怒りっぽいキャラクタアーに至った経緯、社会に対する思いを語ってもらう
近頃はいろんなことが信用できなくなってきている
達磨大師の絵、掛け軸の前で、美術評論家、通の人が二人で激論している
雪舟の絵 白隠の絵だと議論 そこへ来た人が「達磨」じゃないかと言って去った
この話は面白かった 好きな話ですね 大竹さんはそんな人ですよ
専門家が知ったかぶったりして話しているが、大竹さんがふっというのがいい
民主党議員が言っていること、政治家が行っていることを鵜のみにしたらいけないなと思う様になった
普通の人がTVには出ない
大竹さんはあくまで普通の人の目でずーっと見ていて、一言ぱっと突き破っている
選挙 若い人が選挙にいかない 年寄りが行くとなると、おじいさんの意見が通る
だから「じじいは選挙にいくな」と言った
選挙に何故行くんだろうと考えた 小平の道路の件で、思った事
自分がそういう事に参加しようと思った時は、守るものがあるとき (小平の場合は道路反対)
非正規雇用は全体の38% 女性は58% 非正規労働者がおおい
その人たちは選挙に行かない
晩婚、子供居ない と成ると一人 そうすると関係ないよ、と言う事になる
年寄りは医療が発達して直ぐには死なない 死んだふりをすればいい
贅沢な事は言わず我慢する
団塊世代 生存競争は激しいが、何とかなると思ってきた
あたり一面 年寄りだらけになっている だからさっき言ったように年寄りは選挙に行くなと言った
若いころから 何故か、私を支えてきたのは、「根拠のない自信」
8人の客の前で、13人で演劇 しかし 8人の中の1人が「大竹、よかったよ」と言ってくれて、それが「根拠のない自信」になって、若い時からいつもそう思ってきた
大竹さんに対しては、100人中 98人は反対している
「判ってくれない人1000人に、判ってくれる人、1人」 諺
世の中そんなにわかってくれる人はいない
「シティーボーイ」 お笑いでもないし、演劇でもない 評価の対象にはならない
不条理劇見たいなところがあって、シュールな笑い 見ていておかしい
異色の面白さ 過激なのでTVでは放映されないが
次の時代を考えるときに、成長経済の時代ではなくて、これからは成熟社会を作らなくてはいけないと云ってきている人がいる、素晴らしい言葉で生き生きいっているのは、皆20代、30代そこそこの学者で、年配の学者ほど、もっと成長経済をするためにはアフリカにまで輸出しないと成長はあり得ないと云っているが、若い人はそうはいっていない
バトンタッチした方がいいと思う
2013年9月30日月曜日
2013年9月29日日曜日
五木寛之 ・歌の旅人(徳島県)
五木寛之 歌の旅人(徳島県)
遍路 そもそも人間が最後にたどりつく場面を頭に思い浮かべながら、白い装束に身を固めてゆく訳ですから、そういうものだったんでしょうね、深いところのある行事
生死を覚悟しながら、一歩一歩歩く催し
阿波 弘法大師の縁が深いところ 空海は科学者、文学者、詩人、宗教家だが、政治家でもあった ありとあらゆる才能を一身に集めた存在
川が多いところ 山も多い
吉野川 は阿波の金蔵と言われている アユ 肥沃な土地を持ってきてくれる
アンジェラあき 「ホーム」 表現の方法が吃驚するほど違う
作家 瀬戸内寂聴 海野 十三(南洋一郎 山中峰太郎 )
写真家 立木義浩
漫画家 柴門ふみ 竹宮 惠子 山上 たつひこ
科学者 鳥居 龍蔵
歌手 ディックミネ 「上海ブルース」(昭和13年)
新聞と言うと「徳島新聞」をいう 占有率が80数% 愛郷心が強い
蜂須賀家 産業振興している アユ、手すき和紙 はっぱビジネス 和食にそえる
蔦監督 3回甲子園で優勝している 上田利治監督 日本シリーズ 3連覇
阿波踊り 日本の3大祭り 400年の歴史がある 男踊り、女踊り 対照的
阿波の人形浄瑠璃 最初呼んでいたのが、農家が地元でやる様になったのが広まる
「ラブストーリーは突然に」(「東京ラブストーリー」は柴門ふみ)
和三盆糖 高級和菓子に使用される 贅沢の象徴
鳴門の渦潮 「鳴門海峡」
遍路 そもそも人間が最後にたどりつく場面を頭に思い浮かべながら、白い装束に身を固めてゆく訳ですから、そういうものだったんでしょうね、深いところのある行事
生死を覚悟しながら、一歩一歩歩く催し
阿波 弘法大師の縁が深いところ 空海は科学者、文学者、詩人、宗教家だが、政治家でもあった ありとあらゆる才能を一身に集めた存在
川が多いところ 山も多い
吉野川 は阿波の金蔵と言われている アユ 肥沃な土地を持ってきてくれる
アンジェラあき 「ホーム」 表現の方法が吃驚するほど違う
作家 瀬戸内寂聴 海野 十三(南洋一郎 山中峰太郎 )
写真家 立木義浩
漫画家 柴門ふみ 竹宮 惠子 山上 たつひこ
科学者 鳥居 龍蔵
歌手 ディックミネ 「上海ブルース」(昭和13年)
新聞と言うと「徳島新聞」をいう 占有率が80数% 愛郷心が強い
蜂須賀家 産業振興している アユ、手すき和紙 はっぱビジネス 和食にそえる
蔦監督 3回甲子園で優勝している 上田利治監督 日本シリーズ 3連覇
阿波踊り 日本の3大祭り 400年の歴史がある 男踊り、女踊り 対照的
阿波の人形浄瑠璃 最初呼んでいたのが、農家が地元でやる様になったのが広まる
「ラブストーリーは突然に」(「東京ラブストーリー」は柴門ふみ)
和三盆糖 高級和菓子に使用される 贅沢の象徴
鳴門の渦潮 「鳴門海峡」
2013年9月28日土曜日
伊奈かっぺい(作家、詩人、エッセー等)・津軽の故郷に居候
伊奈かっぺい(作家、詩人、エッセー、歌手、役者など) 津軽の故郷に居候
1947年弘前市生まれ、1968年に地元の民放局に入社後、ディレクター、としてCMや番組製作に携わる一方、自作の詩の朗読や歌のコンサートなどを行って、本やレコード、CD等発表して二足のわらじ出活動されてきました
退職後の、現在も様々な分野で活動を続けています
NHKではラジオ第一ぬくだまりのやど みちのく亭に出演されてきます
青森ぐらい素晴らしいところは無い 歴史、季節、食べ物
5人家族 姉二人 末っ子の長男 中学校1年生の時に母が亡くなる
高校生3年生になった時に父親が亡くなる 姉たちは嫁いでいたので18歳で一人になってしまう
長女の嫁ぎ先に預けられることになる 20歳で青森市に縁があって会社務めになる
37歳で結婚 17年間一人暮らしをした
給料は安い、友達もいない、彼女もいない 暇で、暇で
毎日必ず日記を書くことを決める 楽しいこと以外は書かない
日記に嫌なことを書くと、何年か後に読むと同じように気分が悪くなる
3日続けて楽しいことはないが、嘘でもいい 楽しいことを生みだして書けばいいと、日記だから本当のことだけを書かなくてはいけないとは無いと、20歳のときに覚っていた
ずーっと一人で暮らす6畳一間にハエが飛んでくるが、「よしこ」となずけて呼び掛ける
3日も呼ぶと 返事をしてくれるのだろうかと、思う 声をかける「よしこ」 返事が「ハエ」(笑)
そういった日記を毎日書き続けた 今も毎晩書き続けている
日記がたまっていったが、そのうちの80%は嘘の話
昭和47,48年の時に貯金が満期になり、日記の中から周りの人が面白いと思ったところを抜き出して、本にしてみようと思って、1冊の本ができた (10年間の暇が1冊の本としてできた)
これが私の全ての元、これから全てが始まっている
青森から全国に向けて、どんな放送をしたらいいか、ディレクターが悩んで居たところ、彼がこの本を思い出して全国放送でやろうじゃないかと云う事になるが、私は一旦断った
東北では判ると思うが、津軽弁では全国では判らないからと思って断ろうとしたが、断りきれなくなった
日記を書くときに、どうしたら女にもてるかどうか、しか考えてない
だから毎日女性の立場になって物事を考えると、持てるに違いないと思って、女になって書いていた日記もある
昭和49年ごろに、それを全国放送で読む
たまたま仙台のレコード会社の方が其れを聞いて、ところどころ判らないがレコードを出したらどうだろうかと言われて、判らないと何回も聞くだろうから売れるかもしれないと云う事になる
本は自費出版だが、レコードだと吹き込み料が出るとのことで、引き受ける(昭和52年)
なまりのあるレコードなどない時代 そこそこ売れた
2枚目のレコードの話も出てくる 3枚目 LPは4枚目で終わる CDになる 本は30数冊
日記を書いていなかったら今の私は無い
結婚が37歳で 「我 晩婚」と色紙に書いた
話題にされたくないのは先に示した方がいい
人生を1日にたとえる 朝6時生れる 午後結婚 12時にあの世
一人で生きる時間が必要
自分でなにか食べる能力がないと生きているとは言えない
普通は午後ぐらいに結婚 私は夕方の4時半ぐらいかも そうするとうす暗くなる
「我晩婚」 → 反対から見ると 「こんばんわ」(婚晩我) (笑)
20歳の時からこのやり方で生きてきた
定年退職する 子供4人いる 一番下が大学生 まだ死ねない
焼酎を飲みながら「辛い人生だった」 と言ったら 妻が「つらはずーっと悪かったんでしょう」(笑)
「おまえたちのためとは言わないが、人生の荒波をお父さんは一生懸命泳いできた」
娘が 「その割には偉くはならなかったのね」 即座に「うーん ずーっと平泳ぎだったから」(笑)
人の上げ足をとれないようでは、人の話を聞いているとは言えない
然し友達は少なくなりますけど
日常の何気ない会話にも緊張感は必要 「今日はお疲れさん」「いや疲れてねえよ」(笑)
会話を楽しくすることは必要
「つらを洗い直してこい」→「髭も剃って行ったがいいでしょうか」(笑)
17年間 一人だったので 一人で三人分の会話を 日記に書いていた 一人で会話をしていた
わら束を部屋につるしておく 時々面白い話ができる →わら束につかまる→才能に溺れそうに成るから (笑)
才能ってなんでしょうか→奥さんがいないことでしょう(笑)
津軽弁で桃太郎を話すが、初級 イントネーションだけ違う
中級 津軽の言葉をちょっと入れる(まだ判る 物語を知っているから) 上級 全く判らず
会津 日新館 什の掟 津軽弁でやるが 何々をしてはいけない →「まね」または「まいね」
どうしたら楽しくなるか それだけ 紙と鉛筆で遊んでください
1947年弘前市生まれ、1968年に地元の民放局に入社後、ディレクター、としてCMや番組製作に携わる一方、自作の詩の朗読や歌のコンサートなどを行って、本やレコード、CD等発表して二足のわらじ出活動されてきました
退職後の、現在も様々な分野で活動を続けています
NHKではラジオ第一ぬくだまりのやど みちのく亭に出演されてきます
青森ぐらい素晴らしいところは無い 歴史、季節、食べ物
5人家族 姉二人 末っ子の長男 中学校1年生の時に母が亡くなる
高校生3年生になった時に父親が亡くなる 姉たちは嫁いでいたので18歳で一人になってしまう
長女の嫁ぎ先に預けられることになる 20歳で青森市に縁があって会社務めになる
37歳で結婚 17年間一人暮らしをした
給料は安い、友達もいない、彼女もいない 暇で、暇で
毎日必ず日記を書くことを決める 楽しいこと以外は書かない
日記に嫌なことを書くと、何年か後に読むと同じように気分が悪くなる
3日続けて楽しいことはないが、嘘でもいい 楽しいことを生みだして書けばいいと、日記だから本当のことだけを書かなくてはいけないとは無いと、20歳のときに覚っていた
ずーっと一人で暮らす6畳一間にハエが飛んでくるが、「よしこ」となずけて呼び掛ける
3日も呼ぶと 返事をしてくれるのだろうかと、思う 声をかける「よしこ」 返事が「ハエ」(笑)
そういった日記を毎日書き続けた 今も毎晩書き続けている
日記がたまっていったが、そのうちの80%は嘘の話
昭和47,48年の時に貯金が満期になり、日記の中から周りの人が面白いと思ったところを抜き出して、本にしてみようと思って、1冊の本ができた (10年間の暇が1冊の本としてできた)
これが私の全ての元、これから全てが始まっている
青森から全国に向けて、どんな放送をしたらいいか、ディレクターが悩んで居たところ、彼がこの本を思い出して全国放送でやろうじゃないかと云う事になるが、私は一旦断った
東北では判ると思うが、津軽弁では全国では判らないからと思って断ろうとしたが、断りきれなくなった
日記を書くときに、どうしたら女にもてるかどうか、しか考えてない
だから毎日女性の立場になって物事を考えると、持てるに違いないと思って、女になって書いていた日記もある
昭和49年ごろに、それを全国放送で読む
たまたま仙台のレコード会社の方が其れを聞いて、ところどころ判らないがレコードを出したらどうだろうかと言われて、判らないと何回も聞くだろうから売れるかもしれないと云う事になる
本は自費出版だが、レコードだと吹き込み料が出るとのことで、引き受ける(昭和52年)
なまりのあるレコードなどない時代 そこそこ売れた
2枚目のレコードの話も出てくる 3枚目 LPは4枚目で終わる CDになる 本は30数冊
日記を書いていなかったら今の私は無い
結婚が37歳で 「我 晩婚」と色紙に書いた
話題にされたくないのは先に示した方がいい
人生を1日にたとえる 朝6時生れる 午後結婚 12時にあの世
一人で生きる時間が必要
自分でなにか食べる能力がないと生きているとは言えない
普通は午後ぐらいに結婚 私は夕方の4時半ぐらいかも そうするとうす暗くなる
「我晩婚」 → 反対から見ると 「こんばんわ」(婚晩我) (笑)
20歳の時からこのやり方で生きてきた
定年退職する 子供4人いる 一番下が大学生 まだ死ねない
焼酎を飲みながら「辛い人生だった」 と言ったら 妻が「つらはずーっと悪かったんでしょう」(笑)
「おまえたちのためとは言わないが、人生の荒波をお父さんは一生懸命泳いできた」
娘が 「その割には偉くはならなかったのね」 即座に「うーん ずーっと平泳ぎだったから」(笑)
人の上げ足をとれないようでは、人の話を聞いているとは言えない
然し友達は少なくなりますけど
日常の何気ない会話にも緊張感は必要 「今日はお疲れさん」「いや疲れてねえよ」(笑)
会話を楽しくすることは必要
「つらを洗い直してこい」→「髭も剃って行ったがいいでしょうか」(笑)
17年間 一人だったので 一人で三人分の会話を 日記に書いていた 一人で会話をしていた
わら束を部屋につるしておく 時々面白い話ができる →わら束につかまる→才能に溺れそうに成るから (笑)
才能ってなんでしょうか→奥さんがいないことでしょう(笑)
津軽弁で桃太郎を話すが、初級 イントネーションだけ違う
中級 津軽の言葉をちょっと入れる(まだ判る 物語を知っているから) 上級 全く判らず
会津 日新館 什の掟 津軽弁でやるが 何々をしてはいけない →「まね」または「まいね」
どうしたら楽しくなるか それだけ 紙と鉛筆で遊んでください
2013年9月27日金曜日
大塚宣夫(精神神経科医師) ・穏やかな、静かな最晩年を目指して(再放送)
大塚宣夫(精神神経科医師 高齢者のための病院の会長)穏やかな、静かな最晩年を目指して
(再放送)
http://asuhenokotoba.blogspot.jp/2013/07/blog-post.html をご覧ください。
(再放送)
http://asuhenokotoba.blogspot.jp/2013/07/blog-post.html をご覧ください。
2013年9月26日木曜日
熊谷秋雄(かやぶき職人) ・茅葺きの風情を現代に生かす
熊谷秋雄(かやぶき職人) 茅葺きの風情を現代に生かす
宮城県石巻市北上町 北上川河口付近に群生していた葦を使って、全国各地の名所、旧跡の茅葺き屋根の修復を手掛けてきましたが、葦原の40%が津波で水没してしまいました
熊谷さんは茅葺きに必要な葦の群生地の復活を期待しながら、これからは現代に通じる、茅葺き屋根の家を作りたいという夢を描いています
大川小学校が川向かいに有った 河口からは5.5kmぐらい ここは2mぐらい浸水している
瓦礫もかたづけられた
河川敷にずーっと葦が 河口から12km、幅100m生い茂っていたが、津波が来て、地盤沈下が1mぐらいあり40%が駄目になってしまった
植物が屋根材として、建物に上がると「かや」と呼ぶ 葦、すすき、稲わら、小麦わら が屋根材として上がった時点で「かや」と呼ぶ
岐阜の白川郷、五箇山の屋根はすすきを「かや」と読んでいた
滋賀県琵琶湖 葦の産地 葦を使って屋根をふくので「かやぶき」と言っているが、「よしぶき」と云っている
北上川の葦を冬の間に刈り取りをして、加工して、原材料をかやぶきのふきかえの仕事を主にやっていました
茅葺きの屋根はだいぶ減ってきている 茅葺きのそば屋、陶芸の茅葺きのアトリエが欲しいとの要望があるが、基本的には減ってきている
職人が高齢化で、うちに問い合わせがあったりして、私のところでは仕事は減っていません
茅葺きの屋根は火事になりやすいと言われるが、私は見たことがない
寺、神社 伊勢神宮は全て茅葺き 関東から北が 社寺は茅葺きが多い
西に行くと瓦の文化、ひわだぶき がある(相対的に北の方が茅葺きは多い)
岩手県奥州市に正法寺という日本一の茅葺き屋根がある 屋根の面積 2100平米
そこの屋根の仕事を請け負ったが、材料を3年がかりで集めた
葦の材料確保は他県の河川から調達してもらったりする 震災後修復の仕事から始める
従業員が20人ぐらいいたが、7軒は津波で亡くなってしまった
生活基盤を確立しつつ、手の空いている人から地元の修理をしようと、少しづつやってきた
倉庫の壁を葦でやっているが、日本でここだけだと思う 厚さ30cmぐらい
12,3年前にヨーロッパに茅葺きの視察のチャンスがあり、オランダ、デンマーク、ドイツ、フランス、イギリスに茅葺きが一杯あり、吃驚した
オランダでは年間 2500~3000棟の新築の茅葺き屋根があって、面食らった
茅葺きは斜陽産業ではないのではないかと思った
景観にいい、環境の意識が高いので、植物性の自然素材なので、水の浄化にいい
炭酸ガス之問題 炭酸ガスを吸って育つので、環境にもいい
ヨーロッパではオランダ 職人が800人いて、茅葺き協会みたいなものがあり、組織化されている
産業として成り立っている
ルーマニア、ハンガリー、トルコ等からも葦を輸入している
毎年 12月~3月に刈り取りして、4月に野焼き、5月に芽が出始めて、成長していって9月末葉が落ち、段々緑から黄金色に変わってきて、また12月から刈り取り作業が始まる
持続可能な天然資源、、枯渇することは無い
日本では急激に減ってきているのは、湿地の開発、日本では日よけによしずを作っていたが、40年前から中国から安価なよしずが入ってきて、よしず産業が衰退していった
建築基準法22条地区だと茅葺き屋根は建築できない(屋根は不燃材にする)
ヨーロッパでは火災に関して実験をやっていたり、隣りと12m離れていれば新築可能となる
南アフリカには茅葺きの国際空港がある
日本の発想とは違う
倉庫の壁 茅葺きがあまりに規制が強い 北上川の葦の素材を広めたくて、ヨーロッパに行った
オランダでは壁に茅葺きなどをしていて、大震災で家、倉庫を流されてしまって、9月ごろ倉庫の壁を茅葺きにしたくて、ボランティアで来てくれと言って、オランダの職人2人とうちの職人4人とで倉庫の壁を葦で3週間かけて作った
屋根だと20年~30年 手入れをすれば50年持つといわれるが、壁は屋根の倍以上は耐久があると思う
壁の内側は合板の板 屋根と同じように壁にふいてゆく 工事する時のいわう機械をオランダから持ってきてもらった
ヨーロッパでは、産業として茅葺きは確立しているので、工事の工法は簡易で長持ちをするような技術が発達している
茅葺きは屋根が多いが、現代建築に旨く活用しているので、ビル、アパートをぐるっと葦で包んでいるとか、コンクリートとかガラスよりも温かみがある
茅葺きは冬暖かくて、夏涼しい 自然の断熱材
茅葺き職人は何回かやればできるようになる 壁をオランダの人とやったが直ぐにマスターした
京都の町屋を残すのに、外壁が板張りで、今の法律に充てると出来ないが、板張りの内側に不燃材、耐火ボードを入れれば、いいことになって京都の町屋は残っている
東京でもうまく対応すれば、茅葺きの壁ができるのではないかと思っている(地球温暖化対策)
天然素材なので腐って腐葉土にもなる (循環型)
環境問題、景観とか別な意識を持っている人が増えてくるのではないかと思っている
一番が茅葺きで言われるのが、火災、職人がいない、高いというイメージがあるので何とか払拭すれば、普及していくのでは、産業が興るのではないかと思う
ウイーン工科大学で、ミカエル・カマランダ?准教授が東大で交換教員で2年間日本にいた
帰る3か月前にうちに遊びに来て、東大で勉強しているよりも全然面白いと、彼が一緒に住みこんで、三溪園、金沢兼六園に行ったり仕事をやっていた
帰るときに写真を見せてくれて、ヨーロッパでも茅葺きがあるので、是非来て観てくれと言われて、建物を見に行った
ハンガリーにつれていってくれて、ドナウ川の支流に一大葦原があって、野鳥がいっぱいいて、今は世界遺産になっている
北上川の葦原の100倍、200倍の広さで、大型葦刈機があって、それに吃驚した
ヨーロッパの茅葺き、機械に興味がわいて、いろんな国に行くようになった
カルチャーショックを感じた 茅葺きは斜陽ではないんだ、トレンディーでこれからなんだと責任感にかられた
1台の葦刈機を動かすのに5人が必要 湿地でも入っていける
一人50束が刈れればいい程度だが、その機械は3000束刈り取る
機械を入れてコストが下がる
音風景100選に選ばれている 冬場 葦がすれてさらさら音がする
音は体に染みついている
大震災から2年半が過ぎて、葦原もすこしずつ戻りつつある
宮城県石巻市北上町 北上川河口付近に群生していた葦を使って、全国各地の名所、旧跡の茅葺き屋根の修復を手掛けてきましたが、葦原の40%が津波で水没してしまいました
熊谷さんは茅葺きに必要な葦の群生地の復活を期待しながら、これからは現代に通じる、茅葺き屋根の家を作りたいという夢を描いています
大川小学校が川向かいに有った 河口からは5.5kmぐらい ここは2mぐらい浸水している
瓦礫もかたづけられた
河川敷にずーっと葦が 河口から12km、幅100m生い茂っていたが、津波が来て、地盤沈下が1mぐらいあり40%が駄目になってしまった
植物が屋根材として、建物に上がると「かや」と呼ぶ 葦、すすき、稲わら、小麦わら が屋根材として上がった時点で「かや」と呼ぶ
岐阜の白川郷、五箇山の屋根はすすきを「かや」と読んでいた
滋賀県琵琶湖 葦の産地 葦を使って屋根をふくので「かやぶき」と言っているが、「よしぶき」と云っている
北上川の葦を冬の間に刈り取りをして、加工して、原材料をかやぶきのふきかえの仕事を主にやっていました
茅葺きの屋根はだいぶ減ってきている 茅葺きのそば屋、陶芸の茅葺きのアトリエが欲しいとの要望があるが、基本的には減ってきている
職人が高齢化で、うちに問い合わせがあったりして、私のところでは仕事は減っていません
茅葺きの屋根は火事になりやすいと言われるが、私は見たことがない
寺、神社 伊勢神宮は全て茅葺き 関東から北が 社寺は茅葺きが多い
西に行くと瓦の文化、ひわだぶき がある(相対的に北の方が茅葺きは多い)
岩手県奥州市に正法寺という日本一の茅葺き屋根がある 屋根の面積 2100平米
そこの屋根の仕事を請け負ったが、材料を3年がかりで集めた
葦の材料確保は他県の河川から調達してもらったりする 震災後修復の仕事から始める
従業員が20人ぐらいいたが、7軒は津波で亡くなってしまった
生活基盤を確立しつつ、手の空いている人から地元の修理をしようと、少しづつやってきた
倉庫の壁を葦でやっているが、日本でここだけだと思う 厚さ30cmぐらい
12,3年前にヨーロッパに茅葺きの視察のチャンスがあり、オランダ、デンマーク、ドイツ、フランス、イギリスに茅葺きが一杯あり、吃驚した
オランダでは年間 2500~3000棟の新築の茅葺き屋根があって、面食らった
茅葺きは斜陽産業ではないのではないかと思った
景観にいい、環境の意識が高いので、植物性の自然素材なので、水の浄化にいい
炭酸ガス之問題 炭酸ガスを吸って育つので、環境にもいい
ヨーロッパではオランダ 職人が800人いて、茅葺き協会みたいなものがあり、組織化されている
産業として成り立っている
ルーマニア、ハンガリー、トルコ等からも葦を輸入している
毎年 12月~3月に刈り取りして、4月に野焼き、5月に芽が出始めて、成長していって9月末葉が落ち、段々緑から黄金色に変わってきて、また12月から刈り取り作業が始まる
持続可能な天然資源、、枯渇することは無い
日本では急激に減ってきているのは、湿地の開発、日本では日よけによしずを作っていたが、40年前から中国から安価なよしずが入ってきて、よしず産業が衰退していった
建築基準法22条地区だと茅葺き屋根は建築できない(屋根は不燃材にする)
ヨーロッパでは火災に関して実験をやっていたり、隣りと12m離れていれば新築可能となる
南アフリカには茅葺きの国際空港がある
日本の発想とは違う
倉庫の壁 茅葺きがあまりに規制が強い 北上川の葦の素材を広めたくて、ヨーロッパに行った
オランダでは壁に茅葺きなどをしていて、大震災で家、倉庫を流されてしまって、9月ごろ倉庫の壁を茅葺きにしたくて、ボランティアで来てくれと言って、オランダの職人2人とうちの職人4人とで倉庫の壁を葦で3週間かけて作った
屋根だと20年~30年 手入れをすれば50年持つといわれるが、壁は屋根の倍以上は耐久があると思う
壁の内側は合板の板 屋根と同じように壁にふいてゆく 工事する時のいわう機械をオランダから持ってきてもらった
ヨーロッパでは、産業として茅葺きは確立しているので、工事の工法は簡易で長持ちをするような技術が発達している
茅葺きは屋根が多いが、現代建築に旨く活用しているので、ビル、アパートをぐるっと葦で包んでいるとか、コンクリートとかガラスよりも温かみがある
茅葺きは冬暖かくて、夏涼しい 自然の断熱材
茅葺き職人は何回かやればできるようになる 壁をオランダの人とやったが直ぐにマスターした
京都の町屋を残すのに、外壁が板張りで、今の法律に充てると出来ないが、板張りの内側に不燃材、耐火ボードを入れれば、いいことになって京都の町屋は残っている
東京でもうまく対応すれば、茅葺きの壁ができるのではないかと思っている(地球温暖化対策)
天然素材なので腐って腐葉土にもなる (循環型)
環境問題、景観とか別な意識を持っている人が増えてくるのではないかと思っている
一番が茅葺きで言われるのが、火災、職人がいない、高いというイメージがあるので何とか払拭すれば、普及していくのでは、産業が興るのではないかと思う
ウイーン工科大学で、ミカエル・カマランダ?准教授が東大で交換教員で2年間日本にいた
帰る3か月前にうちに遊びに来て、東大で勉強しているよりも全然面白いと、彼が一緒に住みこんで、三溪園、金沢兼六園に行ったり仕事をやっていた
帰るときに写真を見せてくれて、ヨーロッパでも茅葺きがあるので、是非来て観てくれと言われて、建物を見に行った
ハンガリーにつれていってくれて、ドナウ川の支流に一大葦原があって、野鳥がいっぱいいて、今は世界遺産になっている
北上川の葦原の100倍、200倍の広さで、大型葦刈機があって、それに吃驚した
ヨーロッパの茅葺き、機械に興味がわいて、いろんな国に行くようになった
カルチャーショックを感じた 茅葺きは斜陽ではないんだ、トレンディーでこれからなんだと責任感にかられた
1台の葦刈機を動かすのに5人が必要 湿地でも入っていける
一人50束が刈れればいい程度だが、その機械は3000束刈り取る
機械を入れてコストが下がる
音風景100選に選ばれている 冬場 葦がすれてさらさら音がする
音は体に染みついている
大震災から2年半が過ぎて、葦原もすこしずつ戻りつつある
2013年9月25日水曜日
山 下純司(長良川鵜匠代表) ・鵜匠の心は鵜の心 2
山 下純司(長良川鵜匠代表) 鵜匠の心は鵜の心 2
かたらい つがいとは言わない 鵜小屋 2羽一緒になっているものと、1羽のみもいる
性格は荒い 闘争心は有る ご飯は1日1回 仕事をしながら食事する
細かい魚が自然に入るように首に緩みが作ってあって、仕事を終わるころには、8分目ぐらい入るように加減がしてある いろんな小魚を食べる
かがり火に使う薪は、アカマツの山の峰の岩山の松が一番いい 魚を照らす
11月に切って寒のうちに割る 綺麗に乾く
蓑は腰につける 鵜を扱うと前が濡れるので、身体が冷えるので付ける
1年前のわらを農家に頂いて、自分で蓑を作る
仕事が終わる10月過ぎになると、鵜は疲れるので、身体をもとに戻す作業をする 少なくとも1カ月半、2カ月かかる
鵜の生息地 茨城県 絶壁の人間の寄りつかないところは休憩場所なので、そこに飛んでくる
竹にもちを付けて其れを羽根の元に、ちょっとあてがうと鵜が怖じけて飛び立とうとするときにぱっと捕まえる
ぬるま湯で身体を洗うと落ちつく 初めが肝心で、第一印象が大事 気持ちをにこにこして対応
自分に偽りを持たずに、有りのままで生きてゆくと、俺もお前のために手伝ってやると云うのが基本であり、全部だと思う
「おもしろうて やがて悲しき 鵜飼いかな」 芭蕉
この世を去る時に、有難うございまいたと、生かさしていただいて、この世にいさしていただいてありがとうございましたと、去っていける人間になりたいと思っている
遊覧船にたいして、郷に入っては郷に従う と言う姿勢、心がないようなきがする
人間の心を育てる場所が昔に比べると、本当に少ないんじゃないの
鵜が死ぬと新しい鵜が来るが、来ると俺はこういう生き物やと 先ず教えてくれるので、先ず吃驚するが、そうですかと、最敬礼して、鵜との生活が始まるわけです
人間の休みとは、他の生き物との出会いをさせるために、休みがあるのではないか
自然界の営みに沿って、人間もそこの何十万種の一種にすぎない
自然界の営みに合わせて、物事をやらないと、やっている意味がない
その出会いのために休みがあるような気がする 鵜飼いを利用してほしい
それに合致する内容をこれからやろうと
出会うのはほかの生き物との出会い 出会って手を合わせる その先には樹や草
それに対して最敬礼をする 自然界に対して最敬礼をする そこで心が穏やかになる
鵜飼い こういう自然の営みもありますよ と
昔から鵜飼いはかがり火を見てよし とする 鵜が魚をとる所を見なさいと云う教えは無い
最後に有難うございました と3回言うと お客様も反応があり、 有難うと手を振る
そうすると心と心が出会う そうすると船の中、全部が輪になる
6人が並んで鵜飼いをするときに、年齢も違うし、技術も違うので、見よう見まねで覚えてゆく
働かない鵜もいるが、実社会では早く辞めろと云うような風潮があるが、その人はちゃんと役割りを以ってきている、それを見る目がない見る人が、それだけの事
鵜でも魚の数は決まっている そこに鵜が全部集中したってしょうがない、たくさんとれるわけではない 3羽、4羽がばばばと,獲る
えにし、縁と言うものを重視しなければいけない
今は、鵜匠を育てるために鵜飼いをやっている 漁をするため、お客さんに見てもらうために
やっているのではなく、縁あって鵜匠をやって、鵜匠を立派なものに育てるために、自然界の鳥がここへ来て、そうやって此の人間を育てる、ひいてはそれが鵜飼いが永遠に続く
いろんな働かない鵜でも、一緒に生活する事でこの人間の幅が広がる
鵜匠を育てるために今の長良川がある 育ったら自分の想いを 有難うと言って そこへ来た人が味わっていただければ、酒よりもあの最後の時間が良かったなあと 云ってもらえれば 鵜が教えてくれた事が意味がある
鵜飼いを世界遺産に、という下準備をしている
河川工学の先生と打ち合わせを先日した
自然の場所とそこに住んでいる人間が旨い事云っていると思う
他の国で鵜飼いが続かなかったという事は、そこの自然とそこの人間とが合わないし、いろんなものがピタッと合わなかったから、続かなかった
いろんな条件が合致したから、日本では続けられることができた(清流、魚、金銭的援助等)
日本には33000本の川があるが川を見ているので、昔の川に戻したら、日本も変わるのではないか
かたらい つがいとは言わない 鵜小屋 2羽一緒になっているものと、1羽のみもいる
性格は荒い 闘争心は有る ご飯は1日1回 仕事をしながら食事する
細かい魚が自然に入るように首に緩みが作ってあって、仕事を終わるころには、8分目ぐらい入るように加減がしてある いろんな小魚を食べる
かがり火に使う薪は、アカマツの山の峰の岩山の松が一番いい 魚を照らす
11月に切って寒のうちに割る 綺麗に乾く
蓑は腰につける 鵜を扱うと前が濡れるので、身体が冷えるので付ける
1年前のわらを農家に頂いて、自分で蓑を作る
仕事が終わる10月過ぎになると、鵜は疲れるので、身体をもとに戻す作業をする 少なくとも1カ月半、2カ月かかる
鵜の生息地 茨城県 絶壁の人間の寄りつかないところは休憩場所なので、そこに飛んでくる
竹にもちを付けて其れを羽根の元に、ちょっとあてがうと鵜が怖じけて飛び立とうとするときにぱっと捕まえる
ぬるま湯で身体を洗うと落ちつく 初めが肝心で、第一印象が大事 気持ちをにこにこして対応
自分に偽りを持たずに、有りのままで生きてゆくと、俺もお前のために手伝ってやると云うのが基本であり、全部だと思う
「おもしろうて やがて悲しき 鵜飼いかな」 芭蕉
この世を去る時に、有難うございまいたと、生かさしていただいて、この世にいさしていただいてありがとうございましたと、去っていける人間になりたいと思っている
遊覧船にたいして、郷に入っては郷に従う と言う姿勢、心がないようなきがする
人間の心を育てる場所が昔に比べると、本当に少ないんじゃないの
鵜が死ぬと新しい鵜が来るが、来ると俺はこういう生き物やと 先ず教えてくれるので、先ず吃驚するが、そうですかと、最敬礼して、鵜との生活が始まるわけです
人間の休みとは、他の生き物との出会いをさせるために、休みがあるのではないか
自然界の営みに沿って、人間もそこの何十万種の一種にすぎない
自然界の営みに合わせて、物事をやらないと、やっている意味がない
その出会いのために休みがあるような気がする 鵜飼いを利用してほしい
それに合致する内容をこれからやろうと
出会うのはほかの生き物との出会い 出会って手を合わせる その先には樹や草
それに対して最敬礼をする 自然界に対して最敬礼をする そこで心が穏やかになる
鵜飼い こういう自然の営みもありますよ と
昔から鵜飼いはかがり火を見てよし とする 鵜が魚をとる所を見なさいと云う教えは無い
最後に有難うございました と3回言うと お客様も反応があり、 有難うと手を振る
そうすると心と心が出会う そうすると船の中、全部が輪になる
6人が並んで鵜飼いをするときに、年齢も違うし、技術も違うので、見よう見まねで覚えてゆく
働かない鵜もいるが、実社会では早く辞めろと云うような風潮があるが、その人はちゃんと役割りを以ってきている、それを見る目がない見る人が、それだけの事
鵜でも魚の数は決まっている そこに鵜が全部集中したってしょうがない、たくさんとれるわけではない 3羽、4羽がばばばと,獲る
えにし、縁と言うものを重視しなければいけない
今は、鵜匠を育てるために鵜飼いをやっている 漁をするため、お客さんに見てもらうために
やっているのではなく、縁あって鵜匠をやって、鵜匠を立派なものに育てるために、自然界の鳥がここへ来て、そうやって此の人間を育てる、ひいてはそれが鵜飼いが永遠に続く
いろんな働かない鵜でも、一緒に生活する事でこの人間の幅が広がる
鵜匠を育てるために今の長良川がある 育ったら自分の想いを 有難うと言って そこへ来た人が味わっていただければ、酒よりもあの最後の時間が良かったなあと 云ってもらえれば 鵜が教えてくれた事が意味がある
鵜飼いを世界遺産に、という下準備をしている
河川工学の先生と打ち合わせを先日した
自然の場所とそこに住んでいる人間が旨い事云っていると思う
他の国で鵜飼いが続かなかったという事は、そこの自然とそこの人間とが合わないし、いろんなものがピタッと合わなかったから、続かなかった
いろんな条件が合致したから、日本では続けられることができた(清流、魚、金銭的援助等)
日本には33000本の川があるが川を見ているので、昔の川に戻したら、日本も変わるのではないか
2013年9月24日火曜日
山下純司(長良川鵜匠代表) ・鵜匠の心は鵜の心
山下純司(長良川鵜匠代表) 鵜匠の心は鵜の心
岐阜市を流れる長良川鵜飼地区には6人の鵜匠が暮らしています
毎年5月11日から10月15日までの鵜飼いシーズンには、夜暗くなると、6人の鵜匠達が、鵜船に乗って独特の衣装を身にまとい、かがり火のもとでアユ漁を行います
其伝統の漁を観覧船に乗った多くの人が見物します
12本の細い縄を鵜の、のど元にくくり、飲み込んだアユを吐き出させる鵜飼い漁は川面に映るかがり火と相まって美しい日本の風景てす
鵜匠の心は鵜の心、皇室にアユを献上する宮内庁式部職であり、長良川鵜匠代表の山下さんに伺いました
朝起きて、鳥屋から鵜を出して、鵜と人間との触れあう時間を持つ
鵜は理解力が旺盛で、ここにいるだけで、鵜匠が川に行ってきた川の状態を、此の手を介して感じ取る、私はそうかんじる
鵜と触れ合う時は何でもいいからしゃべれと、暑いとか、寒いとか、魚を取ってこいとか、しゃべる意味合いとかは、自分が感じたのは、しゃべれば此の口からつばとか息が出る
その間隔は30cm~40cm ぐらいなので、鵜につばとか息がかかるので、鵜の顔の表情によって、自分の健康状態が判る
嫌な顔をしたら、僕の息の中が臭いので、嫌な感じをしたなと理解すればいい
私の健康管理は鵜にしてもらう、鵜の健康管理は私がやる
声の大きさとか、ばたばた具合で鵜の健康状態は判る
風邪気味とか、疲れているとか、を自分で感じ取る
感じ取り方は親から教てもらうのではなく、親が口では語らず、いろんなことを見せつけてゆく
其れを見て身体で理解してゆく
上流には3人鵜匠がいる(この地域には6人)
長良川の鵜飼は,尾張徳川家の保護を受けて続けられてきました
明治維新とともに保護も無くなり,古代漁法として伝承されてきた鵜飼漁法は消滅の危機に瀕しました
宮内庁 式部職 明治23年から務める
時の岐阜県知事の要請を受けて,宮内省は鵜匠に職員の身分を与える
年8回 御料鵜飼い、宮内庁が催される 取った魚を宮内庁では祭りごとに使われる
そこの中の年2回、大使、公使の接待会が毎年行われる
日本には鵜飼いが12か所あるが、宮内庁の仕事をしているのが、長良川だけ、岩倉具視の素案でこういう格好にでき上った
鵜はアユを咥えると同時に、急所のところにくちばしがゆき、即死状態になる
いろんな味が抜けない、丸ごと身体の中に残るので美味しい
今は取れる量が少ないので、一部の旅館、ホテルにわたる
あみで取ったり、釣ったりするものよりも、美味しいと思うが、お互いにこちらの方がおいしいと云っていているようだ
「鵜の心、鵜匠の心、今日語らい、明日また語らうこのえにし 鵜と鵜匠の一生なり」 山下純司
心 辞書を引く 動物の五臓六腑 毎日毎朝鵜とのふれあいが字として現れた
自分の役割りは何かと考えたときに、鵜と共に暮らす そこでいろんな事、感じたことを一方的にしゃべる、それを聞き入れるか、聞き入れないかは聞く人の勝手 それに徹している
24羽の鵜がいる 体重は3kg 身長は60cm程度 羽根は緑色の濃い色 胸は白い羽根
60年前までは 鵜とのかかわりは最高10年ぐらい その後は自然に戻して余生を3年~4年
最近は魚もいなくなって見ていただく鵜飼いになったので、魚を一杯取らなくてもいいので、最後までいてもらう事になる 寿命は大体30年ぐらい
鵜は人間社会とのかかわりができたことによって、卵が産まれない
野生の鵜 2~3歳の若い鳥を捕獲して、こちらに持ってきてもらう
鵜匠同士での鵜のやり取りは無い
鵜の調教はしない(もともと魚を獲るのがうまい) 鵜飼いは昔世界中に有ったらしい
日本の場合は鳥と共に暮らすと云う気持ちがあったので、残った
信頼関係とかそんな単純なものではない
理屈ぽく考えるのではない 鵜は野鳥なので、自然界と人間とのかかわり その中立ちをしてくれるのが鵜ではないかと思う
神、仏 人間が作ったもの 人間社会には学校があり、宗教がある
他の生き物のは学校も宗教もない 生れて来るときに、そういうものが必要ではない、それだけの能力を備えて此の世に出されている、其命をもらって日々人間は暮らしている
之は間違っているかどうか判らないが、しゃべることで間違っているかどうか、考えて勉強させてもらっている
便所掃除を考えながら一生懸命やっていて、楽しい
孫ができても、孫を育てる気持ちは無くて、鵜を育てる 孫はその親が育てろと云っている
孫にはしっかり鵜を見せつける事を考えている 100歳まで何とか生きて、基礎を作りたい
一歩下がって人の云う事を聞くようになった
息子は一緒に船に乗っているが、私は鵜匠 中鵜使いと言って漁をしている
船頭が2人 4人で構成されている
私と船頭は17,8歳の時からやっているので、気がぴたっと合う
諸々のことを子供に見せつけてやる (それで身体で理解してもらう)
岐阜市を流れる長良川鵜飼地区には6人の鵜匠が暮らしています
毎年5月11日から10月15日までの鵜飼いシーズンには、夜暗くなると、6人の鵜匠達が、鵜船に乗って独特の衣装を身にまとい、かがり火のもとでアユ漁を行います
其伝統の漁を観覧船に乗った多くの人が見物します
12本の細い縄を鵜の、のど元にくくり、飲み込んだアユを吐き出させる鵜飼い漁は川面に映るかがり火と相まって美しい日本の風景てす
鵜匠の心は鵜の心、皇室にアユを献上する宮内庁式部職であり、長良川鵜匠代表の山下さんに伺いました
朝起きて、鳥屋から鵜を出して、鵜と人間との触れあう時間を持つ
鵜は理解力が旺盛で、ここにいるだけで、鵜匠が川に行ってきた川の状態を、此の手を介して感じ取る、私はそうかんじる
鵜と触れ合う時は何でもいいからしゃべれと、暑いとか、寒いとか、魚を取ってこいとか、しゃべる意味合いとかは、自分が感じたのは、しゃべれば此の口からつばとか息が出る
その間隔は30cm~40cm ぐらいなので、鵜につばとか息がかかるので、鵜の顔の表情によって、自分の健康状態が判る
嫌な顔をしたら、僕の息の中が臭いので、嫌な感じをしたなと理解すればいい
私の健康管理は鵜にしてもらう、鵜の健康管理は私がやる
声の大きさとか、ばたばた具合で鵜の健康状態は判る
風邪気味とか、疲れているとか、を自分で感じ取る
感じ取り方は親から教てもらうのではなく、親が口では語らず、いろんなことを見せつけてゆく
其れを見て身体で理解してゆく
上流には3人鵜匠がいる(この地域には6人)
長良川の鵜飼は,尾張徳川家の保護を受けて続けられてきました
明治維新とともに保護も無くなり,古代漁法として伝承されてきた鵜飼漁法は消滅の危機に瀕しました
宮内庁 式部職 明治23年から務める
時の岐阜県知事の要請を受けて,宮内省は鵜匠に職員の身分を与える
年8回 御料鵜飼い、宮内庁が催される 取った魚を宮内庁では祭りごとに使われる
そこの中の年2回、大使、公使の接待会が毎年行われる
日本には鵜飼いが12か所あるが、宮内庁の仕事をしているのが、長良川だけ、岩倉具視の素案でこういう格好にでき上った
鵜はアユを咥えると同時に、急所のところにくちばしがゆき、即死状態になる
いろんな味が抜けない、丸ごと身体の中に残るので美味しい
今は取れる量が少ないので、一部の旅館、ホテルにわたる
あみで取ったり、釣ったりするものよりも、美味しいと思うが、お互いにこちらの方がおいしいと云っていているようだ
「鵜の心、鵜匠の心、今日語らい、明日また語らうこのえにし 鵜と鵜匠の一生なり」 山下純司
心 辞書を引く 動物の五臓六腑 毎日毎朝鵜とのふれあいが字として現れた
自分の役割りは何かと考えたときに、鵜と共に暮らす そこでいろんな事、感じたことを一方的にしゃべる、それを聞き入れるか、聞き入れないかは聞く人の勝手 それに徹している
24羽の鵜がいる 体重は3kg 身長は60cm程度 羽根は緑色の濃い色 胸は白い羽根
60年前までは 鵜とのかかわりは最高10年ぐらい その後は自然に戻して余生を3年~4年
最近は魚もいなくなって見ていただく鵜飼いになったので、魚を一杯取らなくてもいいので、最後までいてもらう事になる 寿命は大体30年ぐらい
鵜は人間社会とのかかわりができたことによって、卵が産まれない
野生の鵜 2~3歳の若い鳥を捕獲して、こちらに持ってきてもらう
鵜匠同士での鵜のやり取りは無い
鵜の調教はしない(もともと魚を獲るのがうまい) 鵜飼いは昔世界中に有ったらしい
日本の場合は鳥と共に暮らすと云う気持ちがあったので、残った
信頼関係とかそんな単純なものではない
理屈ぽく考えるのではない 鵜は野鳥なので、自然界と人間とのかかわり その中立ちをしてくれるのが鵜ではないかと思う
神、仏 人間が作ったもの 人間社会には学校があり、宗教がある
他の生き物のは学校も宗教もない 生れて来るときに、そういうものが必要ではない、それだけの能力を備えて此の世に出されている、其命をもらって日々人間は暮らしている
之は間違っているかどうか判らないが、しゃべることで間違っているかどうか、考えて勉強させてもらっている
便所掃除を考えながら一生懸命やっていて、楽しい
孫ができても、孫を育てる気持ちは無くて、鵜を育てる 孫はその親が育てろと云っている
孫にはしっかり鵜を見せつける事を考えている 100歳まで何とか生きて、基礎を作りたい
一歩下がって人の云う事を聞くようになった
息子は一緒に船に乗っているが、私は鵜匠 中鵜使いと言って漁をしている
船頭が2人 4人で構成されている
私と船頭は17,8歳の時からやっているので、気がぴたっと合う
諸々のことを子供に見せつけてやる (それで身体で理解してもらう)
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