藤嶋昭(東京理科大学長71歳)・感動が科学技術を育む(再放送) 2
興味ある方は2013.4.3 ご覧ください
http://asuhenokotoba.blogspot.jp/2013/04/blog-post_4.html
2013年5月31日金曜日
2013年5月30日木曜日
藤嶋昭(東京理科大学長71歳) ・感動が科学技術を育む(再放送)
藤嶋昭(東京理科大学長71歳)・感動が科学技術を育む(再放送)
興味ある方は2013.4.3 ご覧ください
http://asuhenokotoba.blogspot.jp/2013/04/71.html
興味ある方は2013.4.3 ご覧ください
http://asuhenokotoba.blogspot.jp/2013/04/71.html
2013年5月29日水曜日
江頭宏昌(山形大学准教授)奥田政行(オーナーシェフ)・伝統野菜を守り育て味わう 2
江頭宏昌(山形大学准教授)奥田政行(オーナーシェフ)・伝統野菜を守り育て味わう 2
伝統野菜はそれぞれどこのだれがどういう生き方でそれを持ちこんで栽培されるようになったとか、飢饉の時にその野菜を利用するために作り続けてきたとか、地域地域で生きてきてゆくための知恵とセットになっていることも多い
まったく新しい料理の世界がある
庄内の伝統野菜はだれもいじってないので、料理の常識ではないものをやっても許された、と言う事はある(他の地域では使っていないので、これを使ってやると、料理界の常識を覆すような料理を一杯作れた)
在来野菜と出会ったことによって、大学の先生とか文化人と友達になれた(奥田)
他の流通野菜にはない、ある種の癖、頑固さ、が伝統野菜にはある
自然界では苦味は 動物のためには毒と言われるが、苦味は食材の持ち味だと思ったので苦味を活かすような料理にしていった
ソースとかケチャップを使わないで、素材の良さを出そうとしてきた
オリーブオイルと塩を使っている(イタリアン料理のため)
イタリアンは戦いに明け暮れた国なので、保存食と新鮮なものをシンプルにスピーディーに料理すると、大きく二つに分かれる(共和国になったのは明治維新とほぼ同時期)
在来野菜 みずみずしさと香り (ソースを捨てた) 72度ぐらいのオリーブオイルで野菜をコーティングすると野菜の甘い香りが出てくるという事が分かった
口に入れるとオリーブオイルの膜がはがれて、食べて野菜が割れると初めて水がそのなかからはじける、 口の中の体温と出会って、野菜がいろんな香りを口の中に何重にも波のように、押し寄せてくるという、そういうところを狙って行った
講演は二人セットで行っている
2010年に辻静雄食文化賞第一回受賞者になる
庄内野菜にはかぶの種類がたくさんある
庄内で5種類、県内20種類ちかいかぶが残って伝えられている
山形県の人はたくさんのかぶを食べる 鶴岡市のほうやの書物の中に 「夏のさぶい年はかぶらまけ」という言葉が出てきた
米がとれない年は冬に備えて、カブの種を余計に蒔きなさいという事だった
かぶがどんなに優れている野菜かは丁寧に書かれていて、飢饉に役に立つ
寒くなっても生育が止まらずに、どんどん生育が進む コメが凶作だと判断できるのがお盆過ぎ
そこから収穫できる作物は少ない そばかかぶぐらい ひと冬越せる食べ物が確保できる
飢饉を回避できるようにかぶを大事に、命の保険として、食べてきたんだろうというのが私の結論です 丸い株もあれば大根のような株もあり いろもいろいろある かぶの王国と言っていい
あつみかぶが有名 焼き畑で作られる(窒素、リン酸、カリができる) 山間地で作られる
斜面で作られると水はけがいいので、カリッとした歯触りが出る
ほうやかぶは難しい野菜 火を入れると辛味、甘みがあり 歯ごたえがいい
ほうやかぶのピザ とっても美味しい 今まではせいぜい漬物、煮物にするぐらい
かぶは西洋種と東洋種があるが、庄内のかぶは西洋種になる
東日本は西洋種系(硬い 保存用に向いている 甘い、辛味もある)
西日本は東洋種系(柔らかい果肉 甘みが少ない 漬物用には向かない)
分布を調べたのが青葉高先生 かぶらライン(福井県から太平洋につながるライン)と呼んだ
そこを境に文化も違う
(奥田) イタリアのスローフード 世界大会に出場 スペイン 世界大会に2回
ダボス会議の政府主催の責任者に選ばれる(昨年)
庄内は今まで光が当たっていなかっただけだと思う(文化、食文化)
かなやごぼう(1mぐらいの長く、柔らかい 牛たんと合わせると美味い)
あかねホウレンソウ(根のところがメロンぐらいの甘さ)
和種のホウレンソウは根が赤かったが、病気に弱いとい言う事で、洋種系のホウレンソウに市場に流通している
県としても在来野菜に力を入れ始めた 「食の都 庄内」
在来作物をどうしてお金にならないのに作り続けてきたのかと聞いたときに、美味しいから作り続けたと言う事と 先祖代々伝わってきた種を自分の代で無くしてしまうのは、申し訳ないからという事もあった
今でも新しい、在来野菜が見つかる
じんごえもんいも (里芋) 室町時代から一軒の家で伝えられてきた
2005年 おじいさんが一人で作っていて、孫が会社を辞めて、弟子入りして地域を活性化しようと動いて、あれよあれよと言う間に広がった
後継ぎもないような農家に後継ぎができてきたり、していた
伝統野菜はそれぞれどこのだれがどういう生き方でそれを持ちこんで栽培されるようになったとか、飢饉の時にその野菜を利用するために作り続けてきたとか、地域地域で生きてきてゆくための知恵とセットになっていることも多い
まったく新しい料理の世界がある
庄内の伝統野菜はだれもいじってないので、料理の常識ではないものをやっても許された、と言う事はある(他の地域では使っていないので、これを使ってやると、料理界の常識を覆すような料理を一杯作れた)
在来野菜と出会ったことによって、大学の先生とか文化人と友達になれた(奥田)
他の流通野菜にはない、ある種の癖、頑固さ、が伝統野菜にはある
自然界では苦味は 動物のためには毒と言われるが、苦味は食材の持ち味だと思ったので苦味を活かすような料理にしていった
ソースとかケチャップを使わないで、素材の良さを出そうとしてきた
オリーブオイルと塩を使っている(イタリアン料理のため)
イタリアンは戦いに明け暮れた国なので、保存食と新鮮なものをシンプルにスピーディーに料理すると、大きく二つに分かれる(共和国になったのは明治維新とほぼ同時期)
在来野菜 みずみずしさと香り (ソースを捨てた) 72度ぐらいのオリーブオイルで野菜をコーティングすると野菜の甘い香りが出てくるという事が分かった
口に入れるとオリーブオイルの膜がはがれて、食べて野菜が割れると初めて水がそのなかからはじける、 口の中の体温と出会って、野菜がいろんな香りを口の中に何重にも波のように、押し寄せてくるという、そういうところを狙って行った
講演は二人セットで行っている
2010年に辻静雄食文化賞第一回受賞者になる
庄内野菜にはかぶの種類がたくさんある
庄内で5種類、県内20種類ちかいかぶが残って伝えられている
山形県の人はたくさんのかぶを食べる 鶴岡市のほうやの書物の中に 「夏のさぶい年はかぶらまけ」という言葉が出てきた
米がとれない年は冬に備えて、カブの種を余計に蒔きなさいという事だった
かぶがどんなに優れている野菜かは丁寧に書かれていて、飢饉に役に立つ
寒くなっても生育が止まらずに、どんどん生育が進む コメが凶作だと判断できるのがお盆過ぎ
そこから収穫できる作物は少ない そばかかぶぐらい ひと冬越せる食べ物が確保できる
飢饉を回避できるようにかぶを大事に、命の保険として、食べてきたんだろうというのが私の結論です 丸い株もあれば大根のような株もあり いろもいろいろある かぶの王国と言っていい
あつみかぶが有名 焼き畑で作られる(窒素、リン酸、カリができる) 山間地で作られる
斜面で作られると水はけがいいので、カリッとした歯触りが出る
ほうやかぶは難しい野菜 火を入れると辛味、甘みがあり 歯ごたえがいい
ほうやかぶのピザ とっても美味しい 今まではせいぜい漬物、煮物にするぐらい
かぶは西洋種と東洋種があるが、庄内のかぶは西洋種になる
東日本は西洋種系(硬い 保存用に向いている 甘い、辛味もある)
西日本は東洋種系(柔らかい果肉 甘みが少ない 漬物用には向かない)
分布を調べたのが青葉高先生 かぶらライン(福井県から太平洋につながるライン)と呼んだ
そこを境に文化も違う
(奥田) イタリアのスローフード 世界大会に出場 スペイン 世界大会に2回
ダボス会議の政府主催の責任者に選ばれる(昨年)
庄内は今まで光が当たっていなかっただけだと思う(文化、食文化)
かなやごぼう(1mぐらいの長く、柔らかい 牛たんと合わせると美味い)
あかねホウレンソウ(根のところがメロンぐらいの甘さ)
和種のホウレンソウは根が赤かったが、病気に弱いとい言う事で、洋種系のホウレンソウに市場に流通している
県としても在来野菜に力を入れ始めた 「食の都 庄内」
在来作物をどうしてお金にならないのに作り続けてきたのかと聞いたときに、美味しいから作り続けたと言う事と 先祖代々伝わってきた種を自分の代で無くしてしまうのは、申し訳ないからという事もあった
今でも新しい、在来野菜が見つかる
じんごえもんいも (里芋) 室町時代から一軒の家で伝えられてきた
2005年 おじいさんが一人で作っていて、孫が会社を辞めて、弟子入りして地域を活性化しようと動いて、あれよあれよと言う間に広がった
後継ぎもないような農家に後継ぎができてきたり、していた
2013年5月28日火曜日
江頭宏昌(山形大学准教授)奥田政行(オーナーシェフ)・伝統野菜を守り育て味わう
江頭宏昌(山形大学准教授)奥田政行(オーナーシェフ)・伝統野菜を守り育て味わう
山形県の日本海に面した庄内地方には古くから何世代にもわたって、受け継がれ伝えられてきた伝統野菜が数多くあります
それぞれが個性的で独特の風味を持っています
江頭さんは九州・福岡県の出身ですが山形県・鶴岡市にある山形大学に赴任して、昔から作り続けられた伝統野菜の美味しさと豊かさに圧倒され、これを生涯の研究テーマにしようと決心します
一方東京で料理の修業を積んだ後、故郷の鶴岡でイタリア料理のレストランを開業した奥田さんはあくまで地元の食材に拘ったメニュー作りを目指していました
庄内の伝統野菜で意気投合した江頭さんと奥田さん、江頭さんの持ち込む伝統野菜を、奥田さんがまったく新しい調理法でしたてる
こうした庄内地方の伝統野菜は次第に知られるようになってゆきました
在来作物 伝統野菜と言っても構わない
ある地域で昔から栽培されて食べられてきた、野菜、果物、作物が伝統的な作物になるが野菜で有れば伝統野菜になる 自分で種を取る
京野菜はなじみがある 京野菜は40数種類がある 明治以前から京都府内で生産され、食べられてきた
加賀野菜は1945年 戦前から金沢市内で栽培され利用されてきた10数種類の野菜をそういう風に呼んでいる
山形の伝統野菜は160種類以上と言われる 世代を超えて直採種で受け継がれた作物を数えているので一概には比較はできないが沢山の作物がある 150年伝わっているものもある
唐とりいも(里芋)だと270年 300年以上 室町時代から伝わる里芋もある
160種類のうち半数ぐらいが庄内地域にある
気候風土は 温暖湿潤 夏が暑くて、冬が氷点下になる 1年の気温差は40度となる
いろんな土を持っている 春夏秋冬がはっきりしている 雪に弱い作物以外は生産している
南方系の北限であり北方系の南限でもある 豊かな招請を産む土地
西日本で生活してきた人間だったので、こちらに来て驚いたのは、だだ茶豆 (枝豆) いろんな種類の枝豆を持ってきてくれて、それが本当に美味しくて、こんな枝豆食べたことがなかった
10数年ぐらいで名前が広がった 基本的には塩ゆで
孟宗竹の食べ方が違っていて、あく抜きせずにぶつ切りにして、味噌と酒粕を少し入れて、煮て食べる郷土料理 2週間延々と食べ続ける ほかの地域の4倍食べる
目利きの厳しいシェフのもとで料理を学ぶ 温海かぶ 洋食にも合う事が分かっていろんな可能性があると思った
帰ってきて使ってるうちに、確信を持つようになった
2000年に鶴岡市の郊外にイタリアン料理のレストランを持つ
目の前に新鮮な野菜があるのにスーパー行くとほかのところの野菜が売られていて、地元の人が地元の新鮮な野菜が食べられないのは、なんか変だなあと思った
日本の国の仕組みはどうなっているのだろうと思った
料理人が何かやることによって、地元の人が地元の野菜が食べられるようになるのではないかと思って店を開店した
庄内の野菜はパワーがあるのはわかっていたので、東京に居た時代は微かな想いであったが、帰ってきてからは確信に変わっていった
「アルケッチャノー」(あったねー)という店を出す
店に行くようになって、2年ぐらいたってから話すようになった(お互いに伝統野菜に興味を持つ)
絶滅したはずのかぶの漬物を食べることができて歓喜した (ほうやかぶ)
勝福寺ニンジン 種が絶滅してしてしまった(タッチの差で絶滅してしまった)
今すぐにやらないと駄目だと思った
ほうやかぶはたった一人のおじいさんが持っていた 5から6人の人が株を栽培されるようになった
2000年ごろに博士論文がまとまり、次のテーマを探していた
青葉 高先生の本に出会った 東北一円の伝統的な野菜の歴史、利用法等がまとめられていた
「野菜の在来品種は生きた文化財」と追う言葉が出てきて、電撃が走ったようにかんじた
私が探し求めていたテーマはこれだと思った
学生時代からずーっと植物の資源に関する特性やら、遺伝的な性質やらを研究していたが
地域に根ざした研究をやりたいと思っていたので、是非伝統野菜の研究をやろうと決意した
ダダ茶豆も30種類ぐらいある うどがわらきゅうり とのじまきゅうり こまぎ大根 みんぜんなす バラエティー豊かな野菜がたくさんある
赤ネギ 茎の白い部分がピンクになっているものがある 色も綺麗だし美味しい
TV、本に出たりして爆発的に生産するようになった 他の県でも赤ネギが作られるようになった
煮ると甘みが出る 他のネギにくらべて1.3倍ぐらい (火にかけると甘さが出る)
その野菜の言いたいことを分析して、野菜から考えてゆく料理をやると世界で一つしかない料理になる、しかもその野菜には在来野菜の物語が付いているので、物語は江頭さんが作ってくれるのでお客さんがいっぱい来る
私は物語を作るのではなく、調査して、きちんと裏付けのある情報を奥田さんに伝える
野菜の生産者の方にも来ていただいて食べてもらう
野菜が言いたいことを聞いて、その作物が生育して居る時の状況を料理で作りたい
手数を多くしてゆくと、野菜の自然の持っている香りが無くなって、人間の香りがついてきてしまう
神の味から人間界の味になってしまうので、なるべく必要最小限の手数でシンプルにその野菜を引き立ててくれる食材と掛け合わせて出すという料理です
普通野菜が主役になるという事は無いが、奥田さんの料理は野菜が主役になっている
目からうろこの事柄だった
2003年に山形県在来作物研究会が発足する
大量生産大量消費の時代に、古臭い野菜は作っても金にならないという事で、つくるのも食べるのも無くなってきてしまった
もう一遍光を当てて、多面的に伝統的な野菜を見直そうという事になり、発足した
大学の教員が中心であったが、奥田さんが後ろから後押ししてくれた
会員は民間からも入ってくる(高校生。主婦等市民に開かれた会員) 現在420名
その野菜の歴史、どういう背景を持っているか、聞きながら食べると又一段と美味しさが違う
凄い人気が出る(日本全国から聞きに来たり、食べに来たりしてくれる
山形県の日本海に面した庄内地方には古くから何世代にもわたって、受け継がれ伝えられてきた伝統野菜が数多くあります
それぞれが個性的で独特の風味を持っています
江頭さんは九州・福岡県の出身ですが山形県・鶴岡市にある山形大学に赴任して、昔から作り続けられた伝統野菜の美味しさと豊かさに圧倒され、これを生涯の研究テーマにしようと決心します
一方東京で料理の修業を積んだ後、故郷の鶴岡でイタリア料理のレストランを開業した奥田さんはあくまで地元の食材に拘ったメニュー作りを目指していました
庄内の伝統野菜で意気投合した江頭さんと奥田さん、江頭さんの持ち込む伝統野菜を、奥田さんがまったく新しい調理法でしたてる
こうした庄内地方の伝統野菜は次第に知られるようになってゆきました
在来作物 伝統野菜と言っても構わない
ある地域で昔から栽培されて食べられてきた、野菜、果物、作物が伝統的な作物になるが野菜で有れば伝統野菜になる 自分で種を取る
京野菜はなじみがある 京野菜は40数種類がある 明治以前から京都府内で生産され、食べられてきた
加賀野菜は1945年 戦前から金沢市内で栽培され利用されてきた10数種類の野菜をそういう風に呼んでいる
山形の伝統野菜は160種類以上と言われる 世代を超えて直採種で受け継がれた作物を数えているので一概には比較はできないが沢山の作物がある 150年伝わっているものもある
唐とりいも(里芋)だと270年 300年以上 室町時代から伝わる里芋もある
160種類のうち半数ぐらいが庄内地域にある
気候風土は 温暖湿潤 夏が暑くて、冬が氷点下になる 1年の気温差は40度となる
いろんな土を持っている 春夏秋冬がはっきりしている 雪に弱い作物以外は生産している
南方系の北限であり北方系の南限でもある 豊かな招請を産む土地
西日本で生活してきた人間だったので、こちらに来て驚いたのは、だだ茶豆 (枝豆) いろんな種類の枝豆を持ってきてくれて、それが本当に美味しくて、こんな枝豆食べたことがなかった
10数年ぐらいで名前が広がった 基本的には塩ゆで
孟宗竹の食べ方が違っていて、あく抜きせずにぶつ切りにして、味噌と酒粕を少し入れて、煮て食べる郷土料理 2週間延々と食べ続ける ほかの地域の4倍食べる
目利きの厳しいシェフのもとで料理を学ぶ 温海かぶ 洋食にも合う事が分かっていろんな可能性があると思った
帰ってきて使ってるうちに、確信を持つようになった
2000年に鶴岡市の郊外にイタリアン料理のレストランを持つ
目の前に新鮮な野菜があるのにスーパー行くとほかのところの野菜が売られていて、地元の人が地元の新鮮な野菜が食べられないのは、なんか変だなあと思った
日本の国の仕組みはどうなっているのだろうと思った
料理人が何かやることによって、地元の人が地元の野菜が食べられるようになるのではないかと思って店を開店した
庄内の野菜はパワーがあるのはわかっていたので、東京に居た時代は微かな想いであったが、帰ってきてからは確信に変わっていった
「アルケッチャノー」(あったねー)という店を出す
店に行くようになって、2年ぐらいたってから話すようになった(お互いに伝統野菜に興味を持つ)
絶滅したはずのかぶの漬物を食べることができて歓喜した (ほうやかぶ)
勝福寺ニンジン 種が絶滅してしてしまった(タッチの差で絶滅してしまった)
今すぐにやらないと駄目だと思った
ほうやかぶはたった一人のおじいさんが持っていた 5から6人の人が株を栽培されるようになった
2000年ごろに博士論文がまとまり、次のテーマを探していた
青葉 高先生の本に出会った 東北一円の伝統的な野菜の歴史、利用法等がまとめられていた
「野菜の在来品種は生きた文化財」と追う言葉が出てきて、電撃が走ったようにかんじた
私が探し求めていたテーマはこれだと思った
学生時代からずーっと植物の資源に関する特性やら、遺伝的な性質やらを研究していたが
地域に根ざした研究をやりたいと思っていたので、是非伝統野菜の研究をやろうと決意した
ダダ茶豆も30種類ぐらいある うどがわらきゅうり とのじまきゅうり こまぎ大根 みんぜんなす バラエティー豊かな野菜がたくさんある
赤ネギ 茎の白い部分がピンクになっているものがある 色も綺麗だし美味しい
TV、本に出たりして爆発的に生産するようになった 他の県でも赤ネギが作られるようになった
煮ると甘みが出る 他のネギにくらべて1.3倍ぐらい (火にかけると甘さが出る)
その野菜の言いたいことを分析して、野菜から考えてゆく料理をやると世界で一つしかない料理になる、しかもその野菜には在来野菜の物語が付いているので、物語は江頭さんが作ってくれるのでお客さんがいっぱい来る
私は物語を作るのではなく、調査して、きちんと裏付けのある情報を奥田さんに伝える
野菜の生産者の方にも来ていただいて食べてもらう
野菜が言いたいことを聞いて、その作物が生育して居る時の状況を料理で作りたい
手数を多くしてゆくと、野菜の自然の持っている香りが無くなって、人間の香りがついてきてしまう
神の味から人間界の味になってしまうので、なるべく必要最小限の手数でシンプルにその野菜を引き立ててくれる食材と掛け合わせて出すという料理です
普通野菜が主役になるという事は無いが、奥田さんの料理は野菜が主役になっている
目からうろこの事柄だった
2003年に山形県在来作物研究会が発足する
大量生産大量消費の時代に、古臭い野菜は作っても金にならないという事で、つくるのも食べるのも無くなってきてしまった
もう一遍光を当てて、多面的に伝統的な野菜を見直そうという事になり、発足した
大学の教員が中心であったが、奥田さんが後ろから後押ししてくれた
会員は民間からも入ってくる(高校生。主婦等市民に開かれた会員) 現在420名
その野菜の歴史、どういう背景を持っているか、聞きながら食べると又一段と美味しさが違う
凄い人気が出る(日本全国から聞きに来たり、食べに来たりしてくれる
2013年5月27日月曜日
天野祐吉 ・隠居大学(養老孟司)
天野祐吉 隠居大学(養老孟司)
少年時代からの趣味である昆虫採集も熱心に続けておられます
人体研究の専門家そして自然観察の達人ならではの視点から現代社会の問題点を語ってもらいました
「バカの壁」をぶち壊せ評判の良い本が売れまして、大変忙しくなって、20年振りにお会いしました
東大をやめて、18年になる 花鳥風月のどれかを生活に取り入れたほうがいい
ゴキブリ 人間は親の敵みたいにしているが、不思議だと思う 害は無いし、殺したってしょうがない チンパンジーが同じ反応をする(ゴキブリを嫌うのはチンパンジー並み)
動物、虫が多いのは生きやすいという事(大手町とかは住みやすいのか?)
生きやすいのはいろんな自然が入ってきている方が生きやすい
心配なのは虫が全体的にどんどん減ってきている、それが心配
木漏れ日を見ていると、埃が見えるように、沢山の小さな虫が昔は見えた
ミミズも最近はみない 地面自体が少なくなってきている
最近は蟻の巣の生き物図鑑ができた 蟻の宝を初めて知った 女王が先ず巣を作るが その時に必ず蟻まき一匹くわえてくる いつもくわえてくるから蟻の宝と呼んでいる
一番好きな虫は何かと必ず聞かれるが、虫は物凄い種類がいる 一説には3000万種類と言われる 3000万 女性がいてどれが好きかとは、とても言えない
数万の桁では見ている 東日本と西日本では生き物は違う 糸魚川静岡構造線 あそこを境に生き物はかなり違う 昔は島になっていたが、それがくっついていた(その前は大陸とくっついていた 1000万年戻ると判る 富士山ができたのは8万年前
人体の展覧会 人は基本的にはほとんど水 いろんなものに置き換えると人間に近い形で残るので吃驚する
人の死体をいじることはタブーになっているが、非常に例外的なのはヨーロッパ、特にギリシャでは、解剖を紀元前にやっている
大量な知識が基本的にはアレキサンドリア図書館に入るが、図書館は焼かれてしまう
キリスト教が広がってくる過程で、古代の学問が消えてしまう、潰されてしまう
いずれ誰でも死体になる 誰がそれをかたづけるのか かたづける人の立場をあまり考えない
お産も同様 家ではしない 東京都では亡くなる方の92%は病院で亡くなっている
皆さん方は要するに仮退院なんですよ 病院から出てきて、病院に帰るんですから
江戸時代は両方違っていた 今が異常な時代だと思っている
自分が生き物だとか、自然だという事が忘れてしまう
タブーが増えてきている(昔は電車の中でおっぱいを飲ませたりしていたが、今は全くなくて、それを高級になったと思っている) ある意味で生きずらくなってきている
どんどん自然から遠ざかろうとしている ある意味いいとこどりになっている
子供は、カブトムシが死ぬと、部品くださいとか、電池ちょうだい とかになってしまう
この年になるといずれ死ぬなと思いますが、自分が死ぬという事はどういう事になるかと考える
と、俺関係ない という結論になる 困る私はいない
自分は要するに死なない 自分が死んだ時は自分にはわからない
困るのは周りの人 あんまり強調するのはあまり良くない 小学生が自殺する時代だから
彼らが、俺死んでも困らないと言ってたら溜まったものではない
だから親孝行と昔はきつく言ったんじゃないんですか
周りの人のためにお前生きているだろうって 今は自分のために生きてると思っている99%
の人が、たぶん
死ぬことは考えたら、なんと俺は自分のために生きているんじゃないと判るんですよ
自分にとって都合の良いように人間て生きてきて、でも結局なんかそれをやっていると、いろんな問題、ひずみは起きてきて最後は、結局 壁を作って安全化してきても(PM2.5とか) 入ってきてしまう 全部繋がっているので 虫も、放射能も 結局は繋がっている 引っ越して逃げるわけないは行かない
今の人は自分て、周囲と切り離されて生きていると思っている (それが暗黙の常識)
田んぼ観たら、あの田んぼはお前の一部だろうというと、なんで自分の一部なんだろうと思うが、できた米を食べて、最終的に自分の身体の一部になる 海も同様、魚を食べたり、いろいろ恩恵を受けている 環境という言葉を作っちゃうと、それを自分の周りと言う事になるので、裏に自分ができてきてしまう 大気汚染 自分の肺の中に入ってしまう
空気は無ければ生きられない 空気は自分自身だと思わなくてはいけない
身体もドンドン変わってゆく
自然にふれるチャンスはなるべく造った方がいい そこが人間の原点
世の中は厄介なところ 一切ないのが花鳥風月 人間世界の良しあしがない だから和む
動物を家で飼う事は自然との接触の一部 猫は勝手気ままに生きている 猫を飼っている人は、猫に自分を投影してあのようにできたらいいなあと思っている
石田せん 踏切が大好きとのこと 踏み切りを待っているのが好き 周りを見渡して普段みえないもの、花を咲かせている草とか、が見えてきてホッとするという (他のことを忘れる)
自分の身体を素直に動かしている人が少しいる 自分の体はこういうものだと思って動かし方を決めているが、きまりきった動きになっている
皆さんが考えている身体は幽霊 実態はありませんよ (ラマチャンドラン 「脳の中の幽霊」)
と言っている
最近のMRIで脳みそがどう働いているかが判るようになってきて、脳を使っているところには血が集まる(どうして昔の人は頭を付かってない人を血のめぐりが悪いといったんだろうなあと思う)
最近もっと驚いたのは人の顔色 人間、3種類の細胞を目の中に持っている(色に関して)
短い波長 中間波長 長い波長 短い波長は他の二つと離れている 3等分されていない
赤に近いほうの2つの波長は、人の顔色の変化がそこの範囲で一番良く分かる
顔色を見る と言うが 顔色は実は色ではない(赤とか黄色とか)
顔色 (色としては無視する) 顔色が色の基準 基準はゼロ
世の中 楽に生きるには そういうもんだと思っていたほうが楽(納得いかないことが多い)
コップに水が入っていてそこにインクを落とした時にしばらくすると色が消えてしまうが、どうしてかと、学生に聞いたが、(分子運動とかで説明してくれると思ったら) 「そうしたらそういうものだと思っていました」 世の中楽に生きるにはそういうものだと思った方が楽
どういう風にしたら頭を使わないで済むかを、学校は教えているのではないか
幾何とか、代数とか、やり方を教わったら絶対自分では解けなくなる、一切教わらないで自分で解くことによって一生忘れられない
他の事もそうで、そういうものだとは思わない様にしてきた
疑問のままに取っておくのは体力がいる(体がちくちくする)
自然を見ているとすぐには答えが出ない 不思議だなあと思って見つめるかどうか
男は二つの系統に興味がある 生き物系 と機械系
自分で作る か 虫取りとか
こんなに豊かになったのでもっと余裕をもって考えたらいいのではと思うのですが
(そういうもんだなんて考えないで)
少年時代からの趣味である昆虫採集も熱心に続けておられます
人体研究の専門家そして自然観察の達人ならではの視点から現代社会の問題点を語ってもらいました
「バカの壁」をぶち壊せ評判の良い本が売れまして、大変忙しくなって、20年振りにお会いしました
東大をやめて、18年になる 花鳥風月のどれかを生活に取り入れたほうがいい
ゴキブリ 人間は親の敵みたいにしているが、不思議だと思う 害は無いし、殺したってしょうがない チンパンジーが同じ反応をする(ゴキブリを嫌うのはチンパンジー並み)
動物、虫が多いのは生きやすいという事(大手町とかは住みやすいのか?)
生きやすいのはいろんな自然が入ってきている方が生きやすい
心配なのは虫が全体的にどんどん減ってきている、それが心配
木漏れ日を見ていると、埃が見えるように、沢山の小さな虫が昔は見えた
ミミズも最近はみない 地面自体が少なくなってきている
最近は蟻の巣の生き物図鑑ができた 蟻の宝を初めて知った 女王が先ず巣を作るが その時に必ず蟻まき一匹くわえてくる いつもくわえてくるから蟻の宝と呼んでいる
一番好きな虫は何かと必ず聞かれるが、虫は物凄い種類がいる 一説には3000万種類と言われる 3000万 女性がいてどれが好きかとは、とても言えない
数万の桁では見ている 東日本と西日本では生き物は違う 糸魚川静岡構造線 あそこを境に生き物はかなり違う 昔は島になっていたが、それがくっついていた(その前は大陸とくっついていた 1000万年戻ると判る 富士山ができたのは8万年前
人体の展覧会 人は基本的にはほとんど水 いろんなものに置き換えると人間に近い形で残るので吃驚する
人の死体をいじることはタブーになっているが、非常に例外的なのはヨーロッパ、特にギリシャでは、解剖を紀元前にやっている
大量な知識が基本的にはアレキサンドリア図書館に入るが、図書館は焼かれてしまう
キリスト教が広がってくる過程で、古代の学問が消えてしまう、潰されてしまう
いずれ誰でも死体になる 誰がそれをかたづけるのか かたづける人の立場をあまり考えない
お産も同様 家ではしない 東京都では亡くなる方の92%は病院で亡くなっている
皆さん方は要するに仮退院なんですよ 病院から出てきて、病院に帰るんですから
江戸時代は両方違っていた 今が異常な時代だと思っている
自分が生き物だとか、自然だという事が忘れてしまう
タブーが増えてきている(昔は電車の中でおっぱいを飲ませたりしていたが、今は全くなくて、それを高級になったと思っている) ある意味で生きずらくなってきている
どんどん自然から遠ざかろうとしている ある意味いいとこどりになっている
子供は、カブトムシが死ぬと、部品くださいとか、電池ちょうだい とかになってしまう
この年になるといずれ死ぬなと思いますが、自分が死ぬという事はどういう事になるかと考える
と、俺関係ない という結論になる 困る私はいない
自分は要するに死なない 自分が死んだ時は自分にはわからない
困るのは周りの人 あんまり強調するのはあまり良くない 小学生が自殺する時代だから
彼らが、俺死んでも困らないと言ってたら溜まったものではない
だから親孝行と昔はきつく言ったんじゃないんですか
周りの人のためにお前生きているだろうって 今は自分のために生きてると思っている99%
の人が、たぶん
死ぬことは考えたら、なんと俺は自分のために生きているんじゃないと判るんですよ
自分にとって都合の良いように人間て生きてきて、でも結局なんかそれをやっていると、いろんな問題、ひずみは起きてきて最後は、結局 壁を作って安全化してきても(PM2.5とか) 入ってきてしまう 全部繋がっているので 虫も、放射能も 結局は繋がっている 引っ越して逃げるわけないは行かない
今の人は自分て、周囲と切り離されて生きていると思っている (それが暗黙の常識)
田んぼ観たら、あの田んぼはお前の一部だろうというと、なんで自分の一部なんだろうと思うが、できた米を食べて、最終的に自分の身体の一部になる 海も同様、魚を食べたり、いろいろ恩恵を受けている 環境という言葉を作っちゃうと、それを自分の周りと言う事になるので、裏に自分ができてきてしまう 大気汚染 自分の肺の中に入ってしまう
空気は無ければ生きられない 空気は自分自身だと思わなくてはいけない
身体もドンドン変わってゆく
自然にふれるチャンスはなるべく造った方がいい そこが人間の原点
世の中は厄介なところ 一切ないのが花鳥風月 人間世界の良しあしがない だから和む
動物を家で飼う事は自然との接触の一部 猫は勝手気ままに生きている 猫を飼っている人は、猫に自分を投影してあのようにできたらいいなあと思っている
石田せん 踏切が大好きとのこと 踏み切りを待っているのが好き 周りを見渡して普段みえないもの、花を咲かせている草とか、が見えてきてホッとするという (他のことを忘れる)
自分の身体を素直に動かしている人が少しいる 自分の体はこういうものだと思って動かし方を決めているが、きまりきった動きになっている
皆さんが考えている身体は幽霊 実態はありませんよ (ラマチャンドラン 「脳の中の幽霊」)
と言っている
最近のMRIで脳みそがどう働いているかが判るようになってきて、脳を使っているところには血が集まる(どうして昔の人は頭を付かってない人を血のめぐりが悪いといったんだろうなあと思う)
最近もっと驚いたのは人の顔色 人間、3種類の細胞を目の中に持っている(色に関して)
短い波長 中間波長 長い波長 短い波長は他の二つと離れている 3等分されていない
赤に近いほうの2つの波長は、人の顔色の変化がそこの範囲で一番良く分かる
顔色を見る と言うが 顔色は実は色ではない(赤とか黄色とか)
顔色 (色としては無視する) 顔色が色の基準 基準はゼロ
世の中 楽に生きるには そういうもんだと思っていたほうが楽(納得いかないことが多い)
コップに水が入っていてそこにインクを落とした時にしばらくすると色が消えてしまうが、どうしてかと、学生に聞いたが、(分子運動とかで説明してくれると思ったら) 「そうしたらそういうものだと思っていました」 世の中楽に生きるにはそういうものだと思った方が楽
どういう風にしたら頭を使わないで済むかを、学校は教えているのではないか
幾何とか、代数とか、やり方を教わったら絶対自分では解けなくなる、一切教わらないで自分で解くことによって一生忘れられない
他の事もそうで、そういうものだとは思わない様にしてきた
疑問のままに取っておくのは体力がいる(体がちくちくする)
自然を見ているとすぐには答えが出ない 不思議だなあと思って見つめるかどうか
男は二つの系統に興味がある 生き物系 と機械系
自分で作る か 虫取りとか
こんなに豊かになったのでもっと余裕をもって考えたらいいのではと思うのですが
(そういうもんだなんて考えないで)
2013年5月26日日曜日
五木寛之 ・歌の旅人(佐賀県)
五木寛之 歌の旅人(佐賀県)
芸能と言うような華やかな物に対しての、距離をおく様な県民性
芸能人タレント出身地ランキングでは47位との情報もある
歴史から言えば吉野ヶ里古墳 縄文時代のなばた遺跡 炭になった米と水田後が発見された
稲作の発祥の地かもしれない
まつらこく 日本と言う国の最初のスタートの地かもしれない
韓国に船橋里 (せんきょうり)と言うところがあって 同様に吉野ヶ里(よしのがり)と読む
大陸、半島との 深い関係を感じさせる地名でもある
歌手 青木光一 「柿の木坂の家」 漫才島田洋一 がばい(非常にやり手の)ばあちゃん
クリスタルキング ボーカル 田中昌之 「大都会」
米の品種改良で努力するところ 佐賀牛
人口 九州で最小 面積でも九州で最小
大隈重信 江藤新平 佐野常民(日本赤十字社創設)
作家、北方謙三(唐津) 旧藩のほうが人柄や風土を表現しているかもしれない
伊万里焼き 有田焼き 唐津焼き 柿右衛門
鍋島藩が門外不出にして、文化的に育てたといわれている
中島宏 青磁の人間国宝
有明海の食べ物は豊富 有明海 不思議な貝類 うみたけ わらすぼ あげまき くちぞこ
のりの生産も多い 玉ねぎも全国1位
作曲家 徳久広司 「のら」
戸川幸夫(小説家) 中島潔(画家) 針すなお(漫画家) 長谷川町子(漫画家)
辰野金吾(建築家 日本銀行本店等)
芸能人 村井邦夫、松雪 泰子、中越 典子
古賀俊彦(柔道) 大麒麟 小城花(相撲) 権藤博(野球)
肥前論語 論語は弟子たちが孔子が語った事をまとめ上げたが 「葉隠」は
2代目の藩主に使えていた山本常朝の言葉を 田代陣基(つらもと)がいろいろ聞いて7年かけて「葉隠」を書く 全11巻 武士の死生観 歴史等
「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」の文言は有名である
村田秀雄 「人生劇場」
芸能と言うような華やかな物に対しての、距離をおく様な県民性
芸能人タレント出身地ランキングでは47位との情報もある
歴史から言えば吉野ヶ里古墳 縄文時代のなばた遺跡 炭になった米と水田後が発見された
稲作の発祥の地かもしれない
まつらこく 日本と言う国の最初のスタートの地かもしれない
韓国に船橋里 (せんきょうり)と言うところがあって 同様に吉野ヶ里(よしのがり)と読む
大陸、半島との 深い関係を感じさせる地名でもある
歌手 青木光一 「柿の木坂の家」 漫才島田洋一 がばい(非常にやり手の)ばあちゃん
クリスタルキング ボーカル 田中昌之 「大都会」
米の品種改良で努力するところ 佐賀牛
人口 九州で最小 面積でも九州で最小
大隈重信 江藤新平 佐野常民(日本赤十字社創設)
作家、北方謙三(唐津) 旧藩のほうが人柄や風土を表現しているかもしれない
伊万里焼き 有田焼き 唐津焼き 柿右衛門
鍋島藩が門外不出にして、文化的に育てたといわれている
中島宏 青磁の人間国宝
有明海の食べ物は豊富 有明海 不思議な貝類 うみたけ わらすぼ あげまき くちぞこ
のりの生産も多い 玉ねぎも全国1位
作曲家 徳久広司 「のら」
戸川幸夫(小説家) 中島潔(画家) 針すなお(漫画家) 長谷川町子(漫画家)
辰野金吾(建築家 日本銀行本店等)
芸能人 村井邦夫、松雪 泰子、中越 典子
古賀俊彦(柔道) 大麒麟 小城花(相撲) 権藤博(野球)
肥前論語 論語は弟子たちが孔子が語った事をまとめ上げたが 「葉隠」は
2代目の藩主に使えていた山本常朝の言葉を 田代陣基(つらもと)がいろいろ聞いて7年かけて「葉隠」を書く 全11巻 武士の死生観 歴史等
「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」の文言は有名である
村田秀雄 「人生劇場」
2013年5月25日土曜日
豊田則成(スポーツ心理学) ・心と体を繋ぐこと
豊田則成(スポーツ心理学)・心と体を繋ぐこと
オリンピック日本代表選手などのトップアスリートの精神面でのサポートをしています 例えば現在の男子柔道の監督の井上康生さん こういった金メダリストなど多数見ていると言う事です
緊張、不安といった話 トップのアスリート達と一緒に仕事をしている中で緊張、不安と言ったことと直面するのでそういった話もしていきたいと思います
琵琶湖スポーツ大学で教鞭をとっている スポーツ心理学を専攻
人間と言うのは過緊張の状態、不安な状態があると想像もつかない事が起こってくる
例えば、甲子園で高校球児がさわやかにプレーをしているが、最初の行進 各都道府県の代表が行進をしているが、右足と右手が一緒に出ているとか、後ろから間違っていると指摘されて、スキップして更に同じ動作をしてしまう
緊張すると人はなかなか自分の体もコントロールできない
オリンピック選手が実力を発揮して金メダルをとるように、日々の練習の中でより向上するように我々は科学的なアプローチをしています(右肩上がり)
10代から20代が主体 一度オリンピックの選手になっても、ずーっと現役選手でいられる人はいない 右肩下がり 選手が選手で無くなった後、どうやってその後に人生を歩んでくれるのかなと、そういう事のサポートをしてゆくのもスポーツ科学の大事なことなんじゃないのかなあと思っています(そのような研究を20年近く続けてきた)
フィールドワ-クと言うやり方を採用している 全国各地に散在されている元オリンピックアスリート達の生活している真っ只中に飛び込んで行ってお話を伺うという方法を取っている
その内容で何か物事の真理や道理が見つけ出せるのではないかと 研究している
オリンピックで自分の目標を達成した選手たちが、その後どのような歩みをしているのかという事はあまり世の中で追跡はされてない(一過性 成績を出した瞬間からほんの少しの期間)
その後を生き生きと過ごしてゆくためにはどのようにするか、が課題となります
自分の人生の歩みに立ち止まった時には、先輩に話を聞きます
判らない事があった時に、人と言うのは一番最初にそれをする方法として、近くの話を聞くという方法がある(心理学の専門に取ってみても最も優れた方法です)
元オリンピックの選手に伺っても、なかなか話してはもらえない
自分の話はできるのだけれど、できない時もあるんだんなあと判った
人に話を伺う事は難しいことだといろいろ経験した
話しを聞く場 ゆっくりと話をしていただく場が大事 背中に壁があるほうが話しやすい
応接セットの場ではちょっと斜めの位置に座るほうがいい
人が話をするのは、ちょっと待つことが大事(聞き手のスタンスで人に話を聞いてしまうと話し手は十分話したなあと持てないような感じがする)
私が心がけてるのは、話し手が十分話したい、話せるだけ話してもらう事に物凄くちからを注ぎます
通常インタビューは1時間をめやすにするが、長い時間(5時間)を一方的に話す人がいるが、こちらが聞きたい事に対して、関係のない内容もあるが、必ず重なる瞬間がある
複数回会って聞いたりすることによって、こちらが聞きたいと思っていたことを自然と話してくれるようになってくる
事例 1998年 長野オリンピックの年 東京オリンピックで活躍したり、それ以降の金メダルを取った人に一人一人伺う事をしていました 長野オリンピックの真っただ中で機会を設けた
知り合いから金メダルの人だと伺っていたが、あってみたら吃驚した 私より体が小さい
私とは親子ぐらいの年齢差を感じた
会って数秒して、偉人としての感覚がザーッと襲ってきました(この方は只者ではないぞと感じた)
インタビューを開始する 散々調べておいて聞くようにしておいた
こちらが何も言わないのに、身の上話を始めた
20分ぐらい過ぎてからこちらが用意した聞きたい内容から離れて切り替えて聞くようにした
金メダルを取ってゆくプロセス 金メダリストから普通の人に移ってゆく時の悩み、今の生活でどんなことが苦しいのかとか 聞こうと思っていたことに勇気がいるなあと思っていた内容にどんどんされてゆく これはすごい経験をしてるぞと思った
聞きたいことと話たいことが合致している
3時間話をされた その後豊田さん飲みに行きませんかと誘われた
人の本心を伺う事はインタビューでは硬さがあって無理なところがある
意外なところに金メダリストの片りんを伺い知ることになった
ビールを注ぐや否やすぐにのどに放り込む それを何度も繰り返すが私との会話を楽しんでいた
親子ほどの年齢差があるのに稟とした様子に吃驚 若い事鍛え上げたんだなあと思った
金メダルを取った私なんか良い例なんですよねと話し始めた(えっと思った)
金メダルをとる輝かしいお話をしていただいていたが、それを崩してはじめた話は辛い話
本当の姿を感じた
アスリートはどんな取り組みをしているのか 山に登るといった観点にたとえて言います
物凄く険しい山を全力疾走で走って登ろうとしています
世の中でたった一人の存在になろうとしている NO1になるためにはオンリーワンの取り組みをしなければならない 非常に孤独な世界に入っていく
非常に険しい道のりは時間と労力を要します
険しければ険しいほど命がけで登ってゆきます 体には鋭い感覚が宿ってくる
死んではいけないと思うと人間の体は物凄い可能性を出してきてくれることがある
想像を絶するような過酷なトレーニングが待ち構えている
強靭な肉体ができ上ってくる もう辞めたいとの気持ちがあるが自分を追い込む
想像を絶するストレスとも向き合わなければならない 孤独感とも立ち向かわなければならない
それだけ自分のことを追求するんだけれども、多くの方々に支えていただいているという感謝の気持ちを忘れない
山を登りつめたときに、頂上にたどり着いた景色はおそらく絶景なんだと思います
その人にだけにしか見えない景色
頂上にたどり着いたが思ったよりも良い景色ではなかったんだよなと話してくださった人がいた
登りが険しいけど、下りがある(右肩下がり) どうやって降りるか
現役を引退すると長い時間 練習をしなくてもいい 自分が自分らしくない様に感じる
指導者になればとの話があるが、はいわかりましたというわけにはいかない
年を取ってくるといろんなところに古傷ができてくる
一心不乱になって走ってきたときに、止まって周りを観たときに、自分がこれから入ってゆく世の中で自分の年齢と同じかたが、もっと先を歩いているように感じる
一生懸命取り組んできたので、それ以外の事を見通すことができないでいる
不安を感じる ストレスを感じる 多かれ少なかれ人生はそういう事にぶつかる
アスリートがアスリートで無くなる事は、我々にとっては自分らしさが見えなくなる、自分が自分で無くなる、これほど苦しいことは無い 迷うのが人間 生きている間にチャンスとピンチがくる
アスリートである自分からアスリートでない自分に移行してゆく
新たな肩書きを見つけるのは非常に難しい
我々がずーっと一つの仕事に拘っていられるのは、肩書ではない 根底に流れるなんか自分らしさ、自分がつながっている感じ、それを大事にしながら生きているのでその会社にいられる
険しい山に登った人はなかなか見つけられない だけど見つけていかなければならない
人の人生の歩みから学ぶべきことは沢山ある
ここでどうすればいいのか分からない時は近くの人から、話を伺う事がいい
そうするとその方から物凄い英知をもらえることがあるかもしれない
人生の移ろいは決してスムーズでなくていいと学ぶことができる(一人としてスムーズに来た人はいない) どういう風に乗り越えてきたのか
近くの人に学ぶことはできるが、自分らしく生きることしか答えは無い
いろんな話を参考にしながら、自分らしさを作り上げてゆく それが人生なのかなあとアスリートから学んでいます
人生と言うのは螺旋式に成長してゆくのかなあと考えています
螺旋は渦を巻いてどんどん上がってゆくが、 上から見ると同じところをグルグル同じところを回っている様にしか見えない
でも横から見るとジグザグゆっくり上がってゆく
人の話を伺って学ぶということは、いろんな同じ様なところをグルグル歩いているんだけれども、いずれ成長してゆっくりと人生を歩んでいっているだなあと、いろんな角度から自分の人生を見つめ直しす必要があるんだなあと気付かせてくれる事もありました
オリンピック日本代表選手などのトップアスリートの精神面でのサポートをしています 例えば現在の男子柔道の監督の井上康生さん こういった金メダリストなど多数見ていると言う事です
緊張、不安といった話 トップのアスリート達と一緒に仕事をしている中で緊張、不安と言ったことと直面するのでそういった話もしていきたいと思います
琵琶湖スポーツ大学で教鞭をとっている スポーツ心理学を専攻
人間と言うのは過緊張の状態、不安な状態があると想像もつかない事が起こってくる
例えば、甲子園で高校球児がさわやかにプレーをしているが、最初の行進 各都道府県の代表が行進をしているが、右足と右手が一緒に出ているとか、後ろから間違っていると指摘されて、スキップして更に同じ動作をしてしまう
緊張すると人はなかなか自分の体もコントロールできない
オリンピック選手が実力を発揮して金メダルをとるように、日々の練習の中でより向上するように我々は科学的なアプローチをしています(右肩上がり)
10代から20代が主体 一度オリンピックの選手になっても、ずーっと現役選手でいられる人はいない 右肩下がり 選手が選手で無くなった後、どうやってその後に人生を歩んでくれるのかなと、そういう事のサポートをしてゆくのもスポーツ科学の大事なことなんじゃないのかなあと思っています(そのような研究を20年近く続けてきた)
フィールドワ-クと言うやり方を採用している 全国各地に散在されている元オリンピックアスリート達の生活している真っ只中に飛び込んで行ってお話を伺うという方法を取っている
その内容で何か物事の真理や道理が見つけ出せるのではないかと 研究している
オリンピックで自分の目標を達成した選手たちが、その後どのような歩みをしているのかという事はあまり世の中で追跡はされてない(一過性 成績を出した瞬間からほんの少しの期間)
その後を生き生きと過ごしてゆくためにはどのようにするか、が課題となります
自分の人生の歩みに立ち止まった時には、先輩に話を聞きます
判らない事があった時に、人と言うのは一番最初にそれをする方法として、近くの話を聞くという方法がある(心理学の専門に取ってみても最も優れた方法です)
元オリンピックの選手に伺っても、なかなか話してはもらえない
自分の話はできるのだけれど、できない時もあるんだんなあと判った
人に話を伺う事は難しいことだといろいろ経験した
話しを聞く場 ゆっくりと話をしていただく場が大事 背中に壁があるほうが話しやすい
応接セットの場ではちょっと斜めの位置に座るほうがいい
人が話をするのは、ちょっと待つことが大事(聞き手のスタンスで人に話を聞いてしまうと話し手は十分話したなあと持てないような感じがする)
私が心がけてるのは、話し手が十分話したい、話せるだけ話してもらう事に物凄くちからを注ぎます
通常インタビューは1時間をめやすにするが、長い時間(5時間)を一方的に話す人がいるが、こちらが聞きたい事に対して、関係のない内容もあるが、必ず重なる瞬間がある
複数回会って聞いたりすることによって、こちらが聞きたいと思っていたことを自然と話してくれるようになってくる
事例 1998年 長野オリンピックの年 東京オリンピックで活躍したり、それ以降の金メダルを取った人に一人一人伺う事をしていました 長野オリンピックの真っただ中で機会を設けた
知り合いから金メダルの人だと伺っていたが、あってみたら吃驚した 私より体が小さい
私とは親子ぐらいの年齢差を感じた
会って数秒して、偉人としての感覚がザーッと襲ってきました(この方は只者ではないぞと感じた)
インタビューを開始する 散々調べておいて聞くようにしておいた
こちらが何も言わないのに、身の上話を始めた
20分ぐらい過ぎてからこちらが用意した聞きたい内容から離れて切り替えて聞くようにした
金メダルを取ってゆくプロセス 金メダリストから普通の人に移ってゆく時の悩み、今の生活でどんなことが苦しいのかとか 聞こうと思っていたことに勇気がいるなあと思っていた内容にどんどんされてゆく これはすごい経験をしてるぞと思った
聞きたいことと話たいことが合致している
3時間話をされた その後豊田さん飲みに行きませんかと誘われた
人の本心を伺う事はインタビューでは硬さがあって無理なところがある
意外なところに金メダリストの片りんを伺い知ることになった
ビールを注ぐや否やすぐにのどに放り込む それを何度も繰り返すが私との会話を楽しんでいた
親子ほどの年齢差があるのに稟とした様子に吃驚 若い事鍛え上げたんだなあと思った
金メダルを取った私なんか良い例なんですよねと話し始めた(えっと思った)
金メダルをとる輝かしいお話をしていただいていたが、それを崩してはじめた話は辛い話
本当の姿を感じた
アスリートはどんな取り組みをしているのか 山に登るといった観点にたとえて言います
物凄く険しい山を全力疾走で走って登ろうとしています
世の中でたった一人の存在になろうとしている NO1になるためにはオンリーワンの取り組みをしなければならない 非常に孤独な世界に入っていく
非常に険しい道のりは時間と労力を要します
険しければ険しいほど命がけで登ってゆきます 体には鋭い感覚が宿ってくる
死んではいけないと思うと人間の体は物凄い可能性を出してきてくれることがある
想像を絶するような過酷なトレーニングが待ち構えている
強靭な肉体ができ上ってくる もう辞めたいとの気持ちがあるが自分を追い込む
想像を絶するストレスとも向き合わなければならない 孤独感とも立ち向かわなければならない
それだけ自分のことを追求するんだけれども、多くの方々に支えていただいているという感謝の気持ちを忘れない
山を登りつめたときに、頂上にたどり着いた景色はおそらく絶景なんだと思います
その人にだけにしか見えない景色
頂上にたどり着いたが思ったよりも良い景色ではなかったんだよなと話してくださった人がいた
登りが険しいけど、下りがある(右肩下がり) どうやって降りるか
現役を引退すると長い時間 練習をしなくてもいい 自分が自分らしくない様に感じる
指導者になればとの話があるが、はいわかりましたというわけにはいかない
年を取ってくるといろんなところに古傷ができてくる
一心不乱になって走ってきたときに、止まって周りを観たときに、自分がこれから入ってゆく世の中で自分の年齢と同じかたが、もっと先を歩いているように感じる
一生懸命取り組んできたので、それ以外の事を見通すことができないでいる
不安を感じる ストレスを感じる 多かれ少なかれ人生はそういう事にぶつかる
アスリートがアスリートで無くなる事は、我々にとっては自分らしさが見えなくなる、自分が自分で無くなる、これほど苦しいことは無い 迷うのが人間 生きている間にチャンスとピンチがくる
アスリートである自分からアスリートでない自分に移行してゆく
新たな肩書きを見つけるのは非常に難しい
我々がずーっと一つの仕事に拘っていられるのは、肩書ではない 根底に流れるなんか自分らしさ、自分がつながっている感じ、それを大事にしながら生きているのでその会社にいられる
険しい山に登った人はなかなか見つけられない だけど見つけていかなければならない
人の人生の歩みから学ぶべきことは沢山ある
ここでどうすればいいのか分からない時は近くの人から、話を伺う事がいい
そうするとその方から物凄い英知をもらえることがあるかもしれない
人生の移ろいは決してスムーズでなくていいと学ぶことができる(一人としてスムーズに来た人はいない) どういう風に乗り越えてきたのか
近くの人に学ぶことはできるが、自分らしく生きることしか答えは無い
いろんな話を参考にしながら、自分らしさを作り上げてゆく それが人生なのかなあとアスリートから学んでいます
人生と言うのは螺旋式に成長してゆくのかなあと考えています
螺旋は渦を巻いてどんどん上がってゆくが、 上から見ると同じところをグルグル同じところを回っている様にしか見えない
でも横から見るとジグザグゆっくり上がってゆく
人の話を伺って学ぶということは、いろんな同じ様なところをグルグル歩いているんだけれども、いずれ成長してゆっくりと人生を歩んでいっているだなあと、いろんな角度から自分の人生を見つめ直しす必要があるんだなあと気付かせてくれる事もありました
登録:
投稿 (Atom)