2011年9月11日日曜日

末永陽市(漁業)         ・禍を転じて福となす

末永陽市(漁業)                禍を転じて福となす  
宮城県漁協雄勝湾の人達は港だけでなく海の中のがれきまで自分対達の手で撤去した後、これまでの養殖業とは一味違った販売から観光まで手掛ける
新しい事業展開を目指す会社を先月スタートさせました  
現在残っている家屋の解体作業をしている 
47軒中被災しなかったのが1軒だけ 
水が上がって家屋が残っているのが15~6軒 その解体作業をやっている
復興は集団移転、高台への移転 という案がちらほら聞こえてきている 
食住分離を言われている  現在仮設住宅に住んでいる
雄勝湾はリアス式海岸で水深が深くて入江があり波が静か 
水深が深く潮の通りもいいのでプランクトンが豊富で養殖に適している 

波が荒いと養植物にストレスが掛り成長が遅くなる  
養殖漁業は主にホタテ、(牡鹿半島より南は養殖が出来ない) 牡蠣、(つぶ牡蠣、むき牡蠣)ほや、銀鮭  
銀鮭は川で2年生育する 川はなかったが養殖にする会社が有 爆発的に広まった 
始めたのは昭和60年からだったと思う
系図で24代目 ずっと漁業を営んでいた 
父親の代の時に鰹漁が少なくなってきて養殖の方にスライドしてきた 平成3年ごろだった
3/11の午後2時46分頃 如何していたか→当日は中学校の卒業式があり来賓で呼ばれていて式が終了して家に帰って着替えて間もなくでした
瞬間的に津波は来る事は想定した
 
船を流されないようにし、 門扉(防波堤)を閉める フォークリフトを高台に移動させる 
チリ津浪でも家には水が来なかったので、安心はしていた 
引き波と渦で海の底が見えた 家が流される 空が一面まっくらで猛吹雪だった  
4300人が当時の人口 現在は1000人を切っている   
「オオガッツ」という合同会社を立ち上げる 
社員は10名 資金面でも苦労すると思われる 
出資して頂いた方には5月に来ていただく
体験漁業を従来町レベルでは行ってきたが、全国規模で出来ないかという事で展開し始める  会社組織にする事で作業が協力しあえる

自分たちで加工販売までしていきたい(従来は成長した物を売って終了) 
消費者との交流 体験学習、体験漁業も取り入れたい 
地域住民を増やして行きたい  
被災した事によって今までの漁業ではなく新しいやり方をしなくてはいけないと考えた 
若い後継者がいなかったのでこれを機に育てたい 
アイディアのきっかけは当社代表社員の伊藤氏がほやの養殖し、小売りをやっていたが漁業の6次産業化を目指したいと絵を描いてきて説明、私も前からやりたかった
体験漁業とか消費者との係わりが持てる機会が合同会社で作れるんじゃないかと思った そ
ういう思いがマッチした

6次産業→一次、二次、三次 もろもろの 流通、教育、観光等足して 6次産業 
トレーサビリティー(どこで何時どのようにして獲れたものか)水上げしてから24時間で消費者に届けられるようなシステムを作りあげたい 
みずあげにも参加してもらいたい 
オオガッツが魅力を作り上げてゆく クルージング、バーベキューその他アイディアを考える 
9月18日に牡蠣の種をロープに挟んで投入式というイベントをする 
その時に1口1万円でオーナーさんになって頂いて3000円は諸経費として発送手数料その他諸経費として、7000円は漁業者に渡して出来た漁業物を育ての住民に渡すというシステム 

牡蠣はホタテの貝殻に種を付着させる それをロープにつなぎ海に下げる  
2~3年後に収穫 1口1万円で育ての住人を募る 一緒に育てて行ってもらう  
5万人ぐらい出来れば嬉しい 仲間がいると云うのは支えになる
人材育成 組合経営も人数が少なくなると難しいので「オオガッツ」としてもサポートしてゆきたい 個人で漁業を再開しようとしても資材等がいっぱいあるのでそれを共同で使って共同で立ち上げようと「共同体」が他のところでは出来てきたりしている  
前年11月頃15cmの銀鮭の稚魚を仕入れてくる
 
海のいけすに入れる 餌をやり始めて3月で50cm 1.2kg 8/10で水揚げ終わるその頃で3.5kgになる
船 実働出来る船が2艘しかないが 転覆船7隻 国の補助で修理に出している船がある 
流出した人達が共同で使おうとしている 
新潟 16~20フィートの小舟を新潟漁業のかたから無償提供してもらえる 
32艘 運搬は新発田市の費用負担で全てやってもらえる
手ごたえ→神奈川から船の提供が有ったので対応中  
自分たちで魅力のある漁業 自分の子供に自信を持って言える漁業を模索してゆきたい

2011年9月10日土曜日

浅利美鈴(京都大学環境科学センター助教) ・ゴミが語るもの

浅利美鈴(京都大学環境科学センター助教)    ゴミが語るもの  
高槻先生に師事 
京大ゴミ部を設立  子供たちに環境問題を教える
京都ごみ祭り計画 市役所前でコンサート等実施 第7回目吃驚エコ百選というイベント 
2005年京都議定書発効の年 
その年にイギリスに旅行していて市民から京都議定書に対して貴方は何をしているかと問われ答えられなかった
環境問題に触れていただこうと、百貨店の一部を借りて吃驚エコ百選を開催、
吃驚するほどエコな話題を100個集めて展示して発信して、市民の間で共有する
LED 省エネ、電気自動車、打ち水・・・等 100個
ごみ調査 34年前から高槻先生が京都市と合同で始める 

家庭から出てくるごみ 地域によってゴミが全然違う マンション、一戸建て地域 5地域選ぶ 1地域100世帯程度のごみを朝集めてきて細かく 300種類以上になるがゴミを分別してどういうごみの組成になっているか、どういう風にしたら減らせるか を調査する 20人~30人 何日もかけて分類する 
臭いがある 男子学生はやわ 生ごみの半分近くは非常にもったいない 
全然手を付けてないか ちょっと口付けたけど残した  
食品ロスがある 生ゴミは家庭から出る量の方が多い 
一人1日1kg家庭から出している 産業廃棄物含めると1人当り12kg出している
食品に限って言うと食品の廃棄物の半分は家庭から出てきている 
家庭から出てくる食品ごみをなくすのが大事
納豆等1~2日賞味期限切れているだけで捨てたりする 
 
賞味期限ないのものも棄てられている 不況とは云われているがゴミから見るともったいない 容器、包装はかさで見ると7割ぐらいになっている 
マイバック運動が展開されているがまだまだ減らせる余地はある  
日本は過剰包装というか包装が徹底されている 欧米と比べると多いと実感する
最近増えてきているのがおむつ 高齢化して大人のおむつも増えてきている 
紙おむつと書いてるが殆ど石油製品のプラスチック→資源の再利用になりにくい 素材から変更できないか 本来の紙に   
ゴミ工場を見学してゴミの多さに吃驚し、次に減らせられないことに絶望感を感じて、次の段階としてはごみを良く知ってゴミから上流側というか作る側、売る側に声を発信してゆく   
分別化によって確実に減っている リサイクル 分別化によって市民の意識が変わる  
 
循環型社会 3R→リディユース、リユース、リサイクル →検定試験 
法律学ぶ→地域のリーダーに 全国で2600人になる
有害物質を別の物質に変えてもらう提案  省包装→エコ包装
廃棄物資源循環学会 阪神淡路大震災、東日本大震災 復興の足がかりとなるのがまず災害がれきを撤去すること 災害地域のがれき撤去計画の支援等に参加する どういう分別が出来るか、そのためにはどういう解体をしたらいいかどういう注意をしたらいいのか そう言った事を調査している  
がれきの木材をチップにしたりして製紙原料にしたり、パーティクルボードにして仮設住宅に利用してもらったりした

本格的ながれき処理はまだ進んでないし、これから3年ぐらいは掛るであろうと思われる 
出来るだけ安全にリサイクルできるようにサポートしてゆくつもり
今の段階で我々に必要なこと→一度皆さんが出すごみとそれぞれ向き合っていただきたい 
生活を写す鏡(生活状況とか性格)
3/11(処理できないようなゴミ等)及び 身近なごみを含めて生活を見直してゆく必要がある 環境問題 巧く発進してゆきたい  
災害廃棄物の分別 海外は驚きの目で見る
海外に出かける機会が多いがゴミを見るようにしている (写真を見ると食べ物かごみ) 

大きなごみ箱を各家庭が持っていてそこに入れて収集車が来てひっくり返して持ってゆく
欧米 地域に4資源ごみ等の回収ステーションがある 
塗料を回収し、色別に分類し途上国に送る又は公共施設で再利用 30品目程度回収 途上国、先進国も量は同じになって来ている 
焼却処理がメインと云う所は世界的に少ない 埋め立て処分が多い 
埋め立て処分場が一杯になって大変になって来ている  
ゴミをどうするかは世界中で大問題になっている もったいないごみは→多い  
欧米でも途上国でも多い 特に都心部  食品のごみが多い 

豊かになるのと、ゴミの量は比例している →人間の英知によって変えていかなくてはいけない 日々の積み重ね  地産地消 旬のものを出来るだけ消費する
江戸時代がエコの見本 100年間の推移を見てゆくと昭和40年代の後半ぐらいにぐっと増えてきて高止まりしている状況(高度経済成長と全くおなじ)
親世代に戻れば大分違う 
京都の商店街と一緒になって「勿体ない」「エコ」とかを実践できるような消費者の人を育てて行こうと進める

2011年9月9日金曜日

大塚笑子(朝の読書・理事長)    ・朝の読書で心を育む 2

大塚笑子(朝の読書・理事長)     朝の読書で心を育む 2  
現在 小、中、高校(4万校)の約70%の学校で朝の読書が実施されている 全国で交流会が行われている  
菊池寛賞を林先生が頂いた事を契機に実施し始める  
実践報告を各県の代表が発表 巧く行ったケース 駄目だったケース等を参考に話し合いを行う→100校ぐらいが増える
教育効果をどういったところに指導をおいているか判らなかったけれども私どものやり方をやってみたら生徒の心を育てて行っているんだと理解してもらえる
全国をくまなく回って朝の読書を広めてゆく 23年続ける

生徒の変化→本を始めて読んで本がこんなに楽しいものだとは思わなかった 
本がみんな好きになり集中力が良くなる
自分が読みたいものを最後まで読み切る 言葉が身にしみてくる  
読書中に音をたてないように言っているので遅刻をしないようになる 静かに席に着くようになる 読まず嫌いが多い 
読まないような家庭が一気に課題本を指定されるような場合本にとっつきにくいので読めるような本を選択する  
言葉そのものが子供に力を与えてくれる 衝動的な行動が無くなった  
人間関係が良くなる(本を媒介にして) いじめがない 保護者から感謝される
友達から虐められたり、椅子をぶつけらたれたりして地獄のような思いをしたが、虐められなくなり親子での会話もできるようになった
高知県の学校で荒れていたが朝の読書をやるようになって学校がガラッと変わったという報告も受けている 
徳島県のある学校は問題を起こしたり 進学校ではなかったが、問題を起こすような生徒がいなくなり勉強をするようになった
荒れるには理由がある 
いたみ、嫉み、自分に自信がない 人と比べるから悔しかったり、悲しかったりするわけです あさの読書は人の比較ではない

皆それぞれ自分の世界に入り自分の心を耕す 自分を育てる 
偏差値が70を超すような優秀な生徒だった その生徒と面接をするが、しょんぼりしょんぼりしている (殆どな涙を浮かべていた) 
中学校の生徒(以前の)に挨拶をしたら聞こえないふりをしている 
問いただすと君と話をすると新しい友達が付き合わなくなるからもう話をしないでと言われた 彼女はショック 私よりあの人は塾で一つ二つ下のクラスだった 
私はなぜか高校受験に失敗してしまった (その人は2次試験で同じ高校に来た) 理由は試験の前の日にお父さんとお母さんの離婚の問題が起きてしまった 
次の日試験 当日涙が出て問題用紙の一枚目と二枚目がくっ付いてしまっていたのを 後で気が付いて急遽対応するが駄目だった 
その子は千葉県でも1,2の学校に行けるような学生だった 
それが駄目でうちの学校に来るようになった
 
私が「日本婦道記」を読むように進める 段々に明るくなる 
一学期の終わりの面接で母親と話し合う 私(母親)は夫ばっかり責めていた 
試験前についカッとなり、あんな行動に出てしまった 
夫も悪いが私(母親)も悪い 娘が読んだ後私も読みました 
私が如何に愚かな人間だったか感じました  
私(母親)に大きなミスが有った →私(母親)と娘が山本周五郎のシリーズを購入して読んだ 
高校卒業して父親と1~2回/月 会うようになった
その時に山本周五郎の本を読んでいる事を父親に話し、父親も読むようになる →離婚を解消して家に帰ってきた

2001年3月3日 最終号 「あこがれ」 感想文 朝の読書を始めて3年私には今まで足りなかったものが身に付きました 
特に身に付いたと実感するのは集中力です 
10分間の朝の読書をやることによって、学業や部活の試合等でも集中力を持続させる事が出来た
本を余り読まなかった私が本の面白さを知り進んで本を読むようになりました 
好きなことがまた一つ増え、ますます充実した日々が送れる事が出来そうです
その子はスポーツ健康コースで最初余り成績は良くなかった 
処が読書するようになってから自信を持って、最後の2年間知事賞を取って全校一番の成績を取った
卒業の答辞も読みました 子供の能力は限りない 
自信を持たせる事が朝の読書の狙いだと思う  教育は生徒を生かすこと
課題→学校によっては100冊読んだ学生には表彰をする 誰が何冊読んだとあおる 
あおってどうするのか →嫌になる
朝の読書は解放 精神の解放  原則 みんなでやること
 毎日やる事 好きな本でやる事 ただ読むだけ
男女共学になった時に突っ張る子が来た 
読書の時間ふんぞり返って誰も注意出来ない (男の先生も) 
その子を呼んで話をする お母さんが入学する1月に亡くなった 
お父さんは単身赴任でいない その子に本を渡した 「天国から始まる物語」
次の日に読んでいる 穏やかな顔をして 全部終わりまで読んだのは初めてだよと言って心が通え合うようになる その本をあげると喜ぶ
出版社も協力する ルビーを振ってほしい(かな)
高齢者へのアドバイス 認知症を遅らせる事は出来る 
まず身体を動かすこと 本を読む事 使ってない脳が活性化する 
絵、舞踊等 いろいろなことに挑戦する
自分が楽しんでやってゆくこと 

2011年9月8日木曜日

大塚笑子(朝の読書・理事長)    ・朝の読書で心を育む

大塚笑子(大塚笑子(朝の読書・理事長)     朝の読書で心を育む   
朝の読書 始めて23年   
授業が始まる前の10分間を使って、生徒も教師も自分の好きな本を読む 
毎日 感想を求めない 漫画、週刊誌は読ませない
自分で選んで来る 最後まで読み切れるような本を選択する
林公先生が最初提案 心がすさんでいるのを何とかしたいと考える 
米国でベストセラーになった「読み聞かせの本」が有った
職員会議にかけたが、不賛成の先生が多数あった( 国語との関係) 
朝の読書を実施する 8:25から10分間  
当初時間には来ない人がいたが、静かに本を読むように指導する

読後の伝達は落ち着いた中で出来るようになった
突っ張る子がいるが漢字が読めないと云われひらがなを振ってある本を選択して読ませる
突っ張っている子、勉強が出来ない子等は成績が良くなりたい、先生に認められたいと思っている
高校生ぐらいだとなかなか読む習慣がないが漢字を読めなかった生徒も初めて最後まで読めたと感動する
朝の読書は和やかで楽しい状態 雰囲気が出てくる 
家庭のいろいろなことをみんな引きずってくる それを癒してくれる
「あこがれ」学級通信 毎日出すようにした  
月に3回同じテーマで書かせる 友達の考え方も判るし、学校の考えも判る 保護者が読む 
 
いじめはまったくない 文章に書いて物の考え方を共有すると変な思惑はない 
「あこがれ」学級通信は手書きで行う
こういった学級運営の上に朝の読書を加える
兎に角好きな本を読む 楽しい本を読みたいと思うようになる 
本を読む人は暗いタイプが多いと思われていて廻りとなじまない事があるが、読書をするようになって本の好きな人に何かいい本があるかどうかを聞くようになる 
本を媒介に互いに交流するようになる  
教育というのは生徒の可能性をどんどん広げてやること 
生徒の力を目いっぱい伸ばしてやること

私は若いころオリンピックを目指したが、挫折する  
中学3年の時に先生にちょっと教わって3種競技で全国4位になった (オリンピック5位の人も出た) スカウトが一杯来た 進学校を落ちた 
高校2年の時に吐血 十二指腸潰瘍で入院 手術で走れなくなる 死にたいなあと思う   
退院した時は走れない 頑張って元の記録まで戻した 
吉岡隆徳(暁の超特急)がスカウト 教師になりたい 
オリンピックをめざすが、怪我等に会い、悩まされる  
遂にオリンピックには出場できなくなる
支えてあげる言葉添え 本人にさせる 
コツコツと継続的に毎日少しずつ力を付けて行かなければいけない 
突然パッと強くなると云う事はあり得ない

2011年9月7日水曜日

齋藤孝 (明治大学文学部教授)    ・伝統に学び今に活かす 2

齋藤孝 (明治大学文学部教授) 伝統に学び今に活かす 2
身体文化 小さいころから相撲に親しんできた  足腰が重要だと思った 
今は相撲を子供が取らない
しこを踏むと支えられてる足が鍛えられて足腰が強くなる 股関節も柔らかくなる   
 しこを踏むことをずっと続けていると気力が充実してくる・・・「腰腹文化」と名づける
日本の伝統文化で足腰を重要視しないものはない 身体文化が薄らいできてしまった 
身体からの教育を改めて根付かせたかった
日本人は腰と腹 特に臍の下の鍛練と云うところを自分たちの心の中心、身体の中心だと思って
大事にしてきたんですね

其の臍下鍛練という言葉すら使われ無くなってしまった 
日本の身体文化が押し流されてしまった 
不安感を感じて身体からの教育というものを日本にもう一度根付かせたい
呼吸法を研究した 20年~30年研究した 鼻から吸って緩く長く吐く 
(臍の下に手を当てて 口をすぼめて口から吐いてゆく)・・・落ち着く呼吸法(集中とリラックス)
弾む呼吸・・・ 軽く膝の屈伸を使って上下にゆすって息がはっ、はっとなる 息がはずんでくる 
淀んでいた胸の空気が吐き出され入れ替わる 身体全体がほぐれる
小学校の3年生の身体が良いと思っている  
弾む身体を多少取入れると心も体も柔らかくなってゆく

笑える身体 身体がほぐれている 弾む呼吸で大事なのは肩甲骨の周り 肩甲骨をまわして
やって廻りの筋肉をかたまっちゃうのを防ぐ→機嫌が良くなる
上機嫌の作法 (出版した) 上機嫌は気分ではなく日本では一つの作法になっていた 
例えば日本人は意味もなく微笑む 明治時代には外国人には異様に映ったらしい
身内の者が亡くなった時に人に話す時に微笑みながら話す人がいるとそれには感情に問題がある
のではないかと欧米人は見たんですね
小泉八雲はそれはむしろ気使いなんだと 自分の悲しみで相手が嫌な気持ちにさせないように
ちょっと微笑みながら話す(悲しみを伝染させないように)
40,50代以降の男性は普通にしていても不機嫌に見える
 
プライド、自尊心というものが出来すぎるとか、年年反応するのがめんどくさくなるとか 
軽々しく反応出来なくなってくる
そこをほぐした方がうまく行く いま不機嫌なお父さんというのはプラスに働かない
(男が威厳を持つと言うような時代ではない) 軽やかさ、にこやかさをむしろ獲得してゆくことが大切
自分の人生も軽やかに明るくなる そのきっかけというのが身体から入るのが一番いい 
スキップする70代以上の人はいないのでは 子供時代はした
スキップしながら不機嫌を続けえることは難しい 
温泉に行って温まって不機嫌でいることは難しい 

自分で気付かないが、自分の気分とか心の多くが身体の影響を受けている→ 
ちょっと弾む呼吸をするといい
心と体と精神の3つが合わさって人間を作っているのではないかと思っている  
精神と身体の部分の両方が弱くなって来てしまっているのが日本人の心を弱くして仕舞っている
鍛錬呼吸法 ドイツのディルクハイム哲学者が戦前の日本を見て日本人は腹というものを大事にしている 
昔は精神の整え方をうまくつかんでいたのではないか 
日本にはいろいろな体操がある 野口体操 とか10種類以上ある 
身体の事が大好きでこれからの日本を見た時に心が崩れていくだろうとそのために身体から
立て直そうとそういう教育を何としても根付かせたいと思って身体を基盤
にした教育の研究をすると言う事で大学院から教育の方に行った 

10年以上いろいろな分野の先生に師事したりしてシンプルな方法を編み出して行った
肩甲骨を回すのがいいとか、声に出して読むと言うやり方で日本人の身体と精神と云うのを
建てなおすのがいいかなとかアレンジしたのが自分の仕事かなと思った
宮澤賢治はアイデアが生まれると手帖を持っていて首からペンシルを吊り下げておいて書きつけた 
詩を外で作る場合が多く歩いていて身体の運動と詩を作ることを一体化していた
いい着想アイディアが生まれた時にホホーッと云って飛び上がり一回転したと云われている 
喜びが充ち溢れると身体が自然と動いたのではなかろうか・・・子供のような身体
身体を反応出来る様な身体にする コミュニケーションも身体から考えてゆく 
目を軽く見る 微笑む 頷く 相槌を打つ 4つ一遍に出来るようにする・・・動ける身体 
昔はTVを見ながら相槌を打っていたのを見かけるが、今は人と話していても相槌を打たない、
微笑まない、頷かない、目を見ない事が多くなってきている

江戸、幕末、明治時代を訪れた外国人はなんでこんなに機嫌が良いんだろうと不思議に思っている 
情緒が安定している 礼儀正しいけれどもほぐれている
昭和30から40年代は人と人との距離感が近かったような気がする 
全体があったかいと云うか 最近は職場でも会話も減って来ている
雑談で笑いが起きる職場は巧く行っていたらしい 
効率が良い様でいながら実はメールでしか会話しないと云うのは人間関係上効率は良くない
信頼関係というのは何気なく雑談し笑い合うと云うところから生まれる 
あったまった会話、身体が必要・・・「対人体温」という言葉を考えた
昭和30年代に比べて対人体温が低くなった 係わりたくないと云う人が多くなっている 
距離の近さが煩わしいと思うようになってきているようだ 
身体でコミュニケーションするのが苦手になって来ている
 
アジアを旅行した時にあっ昔の日本だと思う時がある 家族が大人数で皆が一緒にいるとか 
アジアの空気と云うものがある 個人の弱さでもある 個が強くなくて
みんなで何となく空気を感じ取って体がふれあうような感じで仕事をしたり、生活をしたりしている  
精神の安定には良いんじゃないかと ばらばらになると
人間て、結構心がつらいと思う  
ナデシコジャパンの戦い方を見ているとチームとしての一体感が他の国よりも物凄く強かった為に
あのような優勝が出来たと思う
心の要素でいくと自分がレギュラーから降ろされてもちゃんと応援する 
途中交代しても一生懸命に応援する  
日本人では当たり前だが、ドイツのフランクフルトの地元紙はそれを褒めている  
なんでかと云うとドイツのキャプテンのエースは途中で降ろされた後にキャプテンマークを
たたきつけちゃったらしい 

監督とそのキャプテンが不仲になって日本戦前から精神的に疲れていたらしい 
それではなかなか戦えない
日本人は体格的に小さいので素早くパスを回して接触を避けるという戦法しかなかった 
システムを身体で身に着けていた  
日本の良さを生かして企業も戦い教育にしてもチームで戦うと云うのもおもしろいと思う 
個人としては乗りの悪い学生もチームになると面白さが判ってくれる 
チームでやることに慣れている国民 それが昭和に比べ段々にが手になってきちゃっている
日本人の和の精神をアクティブにしてやる(拍手、ハイタッチ 笑い)→会議でのアイディアが多く出るよう
になった 温かみが出てくる
 
心以上に日本人の身体は変わったと思う 
表で遊ぶ子供が減って来て運動能力自体が落ちてきた 
1970年代が頂点腰、腹がしっかりした身体では無くなった
 腰、腹を中心にした身体感覚が消えたと云う事なのでこれは歴史的に見ると大変なこと
心のあり方にも影響があるかも知れない 帯をしなくなったのは影響が大きいと思う 
きゅっと帯を締める事によって腰と腹の一体感が感じられる
腰を一つのものとして安定させるものとして帯にはあるので 帯感覚というのは簡略に復活
できないものかと思った・・・現在考え中
臍の下で帯を締める  日本人の精神性というものは腰とか腹とセットでずっと維持されてきたので
、この財産を何となく失ってしまうのは勿体ないと思う 
能でも歌舞伎でも狂言でもやっている事は様々ですけれども腰という事に関しては全部共通のもの
がある

練られた腰腹文化が感じられる 腰腹文化が出来てないと役者としてしまりが無くなる 
能になるとますます静かであるから腰というものが存在感に繋がってくる
磨り足を学生とやったことが有って磨り足をやるとスーット意識が遠くに放たれるような感じがする 
気持ちが落ち着いてくるし地平線の彼方を見ている様な感じになる
こういうのが悟りに近いのかなという風にも感じられる 
大震災があって日本人の方向性が変わったと思う  
大量の物を消費してゆくより江戸時代のようなリサイクル文化
江戸時代のような落ち着いた循環した暮らしというよなものが一部入って来て、もう一つは
ハイテクの進んだ日本との同居ですね そのバランスで生きてゆくんじゃないか
江戸時代の良さが見なおされてあの省エネぶりは凄い 

落語の世界にあるようなああいう情愛もいいのではないか 
江戸時代の良さを明治時代以降、国家が継承しようとしてこなかった 
今だからこそ落ち着いて取り出せる 
帯感覚を復活させる 下駄を履く 下駄というのは親指と他の4本で挟むようにする 
これは身体が締まる  下駄をはく事が身体のトレーニングになっていた
健康というものが一つのおおきなテーマになって来ている 
良く歩くようにするとか足腰を鍛えるとか しこを踏むとかすることが健康に直結してくる
江戸時代の身体は凄い身体 間宮林蔵 江戸から青森まで4日?で歩いたと言われる
 ※実際は青森三厩まで20日らしい(30から50km/日歩いたようです)
 伊勢参りでもみんな歩いて行っている 
身体を柔らかくすることはいつも意識して行い 呼吸法も合わせて行いと良い

2011年9月6日火曜日

齋藤孝 (明治大学文学部教授)    ・伝統に学び今に活かす

齋藤孝 (明治大学文学部教授)         伝統に学び今に活かす
<概要>
齋藤 孝(さいとう たかし、1960年10月31日 - )は、静岡県静岡市出身の教育学者。
明治大学文学部教授
教育スタイル論の提唱者として知られ『声に出して読みたい日本語』(2001年、草思社)
が150万部を超えるベストセラーとなる
スタンダールゲーテドストエフスキーニーチェなどの世界文学やソクラテス
アリストテレス、『徒然草』や『奥の細道』といった古典などを大人は読むべきだという
教養主義が持論
専門は教育学・身体論。教育というものを広くとらえるために、日本語の言語能力や
コミュニケーション能力、健康法など扱うテーマは多岐にわたり、身体を基盤とした
心技体を持論としている
日本人の暗誦能力が落ちてきたんではないか テキストになるようなものが欲しかった 
声に出して読む事・運動の重要性を説く
江戸末期寺子屋 素読 明治時代に落ちてくる 戦後暗誦文化は衰えてしまう 
音読しない(なんども何度も音読することによって身体の中にしみ込んで一生の宝となると言う
プロセスの方が大事だと思う  
武道とかスポーツとか身体系の物をやってきたと云う影響もあるかもしれない
スポーツでは知ってると云うより出来るようになるのが必要 
自転車は乗れるか乗れない 理屈を知っていても出来なければ何の価値もない
本も声を出して読むことによって身に付いて来る 

 はっきりと身体に残る 大事な本等は音読する 刻まれる
音読をする事によって日本語らしさが身についてゆく 音読は徒歩の遠足のようなもの 
バスで行っちゃうと道端の景色は判らない 6時間で坊ちゃんを音読
すこぶる面白かった 感想の答え 子供たちが覚えてしまう 「すこぶる」 「はなはだ」等
の言葉
音読している時が一番頭が働く 考え事をしている時が意外と頭は働いていない 
 実際に身体を働かせる事で頭が働く  (川島隆太 脳の研究者 )   
日本語を大切にしようとする流れがあって本が250万部も売れたのではないだろうか
 背景には学校教育の日本語がお粗末にされていた

リズムが日本語にとって大変重要  口上(ガマ等) 、歌舞伎の台詞 宮澤賢治の詩、
風の又三郎 国定忠治の口上 等々 真似して云う文化があった
大学で学生に教えているが、学力は有るが覚えているものがない 
漱石、鴎外の時代は莫大な量の暗誦をしている 
素読世代(夏目漱石、森鴎外時代) 教養世代(白樺派時代) 漱石の世代は身体に
刻みつける様な読書をしていた 
精神の有り方の違いに出て来るんじゃないかと思う
幕末の頃の人は漢文を何度も何度も読んで覚えちゃったと言うんですね(福沢諭吉) 
漢字を読み解く力があるので難しい思考が出来やすい
寺子屋の教科書を復刊したことがある 

小学校1~2年生用 「子に教えざるは父の過ち 学の成らざるは子の罪」 
「仁者は憂えず、知者は惑わず」(論語) 
「仁者不憂、知者不惑」(論語巻第七 憲問第十四)
論語 幼いころから身につけさせたいと寺子屋の教科書は編纂されている 
論語と云うのはいろんな人生の文脈の中でふっと思い出される 
あっこれを言っていたんだと思い当たることが多い
「予(われ)は一を以ってこれを貫く」自分は一つの事を持って貫いているものなんだ 
「予一以貫之」(論語巻第八 衞霊公第十五)
の言葉を知っていると人生を生きていく上に於いて心が
ぶれそうになった時に「一つの事もって貫こう」と云うような気持ちが湧いてくる 
その引用力 なにか事があった時にさっと湧いてくるそういう言葉を子供たちに
幼いころから身につけさせたいと言う思いでこの寺小屋のテキストと云うのは編纂されている

手加減していない教育 大人も子供も基本テキストは同じ 
国として強さだったんじゃないか  
金言童子教』(きんげんどうじきょう) 寺子屋の先生が自分がこれを教えるのがいいと
いうことで人生訓となるようなものを451個選んで教科書にしていた
18世紀~19世紀に寺子屋が物凄く広まる 
日本中が教育熱で盛り上がるような状態になる
識字率、向学心の高さがその後の明治維新以降を支えた  
勝田祐義 1716年 に編纂したもの 柱になっているものは論語ですね

日本人の向学心の強さ、そしてそれを支える読み書き能力 
それが決定的に国際格で云うと高かったわけですね 
何故明治維新以降がうまく行ったのかと云うとシステムを導入できた 
言語能力が高い、言葉の能力が高いので理解力がある 
渋沢栄一がヨーロッパに行き金融システムを導入する 
銀行という建物、お札に吃驚するんじゃなくて金融システムを学んで銀行を作り金融システム
を導入する
日本は組織、システムを導入できたのは言語能力が高かったのでそれを理解した  
議会制民主主義 憲法もさっと導入してやれてしまう
明治維新を失敗していたら、半植民地になっていたかも知れない

江戸時代の人が明治維新を起こしている 戦後復興を支えた人は戦前に生まれた人 
とりわけ大正末年までの人達が主力となって復興、高度成長を成し遂げている
戦前は軍国主義でだめだったといわれるが、現実にはその方たちは軍国主義を
捨てたところでは凄く力は有った
以前の教育を振り返ってみるとかなり子供にも大人が読むようなものをどんどん与えてレベルの高い教育をしていた とりわけ江戸末期ははっきりしている
吉田松陰等は教育のされ方が凄い 小さい頃殿様に向かって講義をした 
幼いころ論語を中心とした技を身につけると精神の柱が出来ると思う
今現在の教育も決してレベルの低いばかりではないんですけれども精神の柱を作るような
教育になっているかというと必ずしもそうはいえない

精神といっても軍国主義とかと言っているのではなく トルストイの精神とかゲーテの精神
とかスポーツマン精神とかでもいいのですが 
言葉として何度も言って身につけるとその精神が自分の身体の中に根ついて来る 
それが日本のかつての強さだったんじゃないかと思う
幼児番組という先入観を取って やろうとした  子供たちはさっと受け入れた 
言葉を文化として捉える
野村萬斎に宮澤賢治の話を朗読してもらったら独特の世界が展開された 
狂言で鍛え上げられた姿勢、声、と文学的な名文との出会いが交流して新しいものが
出来た  
どういう声を聞かせたら赤ちゃんが泣きやむか実験したことがある 

狂言師が話し始めると 赤ちゃんがなきやむ
幼いこどもは素直に古典文化(能、歌舞伎、謡曲とか)受け入れる 
小さい頃から古典文化に触れると自然に日本に対する愛情が湧きあがってくる
愛国心みたいなものを言われるが矢張り基本は日本の文化という者を自分の身体の
内側で感じて「ああ日本人に生まれてよかったな」と思うのが、自然だと思う
幼いころから慣れ親しんでいないと血となり、肉とならない 日本人の感性が身に着く
何歳になっても音読することによって良さが判る 
谷崎潤一郎の春琴抄を1ページでも音読するとあーとんでもなくいい日本語だなと思う
 谷崎は天才なんだと思う

音読していいかどうかという事になると 谷崎、島崎藤村 三島由紀夫 (金閣寺を音読)
 彼らは天才だと思う  音読した時に違いがはっきりする
古文が嫌いだと云う人はそれの良さが判っていない 
ほんの短いものでいいから暗誦してみるとその良さがはっきり判る
高齢になった方も古典を音読してみる事が必要 本当にいいものを完全に身につける
 究極が南無阿弥陀仏 精神を整え直している(阿弥陀仏にお任せします)
名文には精神が流れている それを音読することで自分の精神を整えなおして生気を
与えると云うか命を復活させると云うか  出来ると思う

「学問のすすめ」 一心独立して一国独立す 独立気力なきものは必ず人に依頼する  
自由と我儘との堺は他人の妨げを為すと為さざるとの間にあり
宮澤賢治 「ただ一番の幸いに至る為に、いろいろの悲しみもみんな思し召しです」 
(銀河鉄道の夜にかかれている) 妹のとし子の死により触発
「僕はもうあのさそりのように本当にみんなのさいわいの為ならば僕の身体なんか
百辺焼いても構わない」 
「世界の全体が幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」 
宮澤賢治の言葉というのは普遍性を持っている 
時代を越えて心に直接訴えかけてくる 
「僕はきっと出来ると思う なぜなら僕らがそれを考えているのだから」

2011年9月5日月曜日

草刈正雄(俳優)         ・二枚目と言われるのが嫌だった 2

草刈正雄(俳優)  二枚目と言われるのが嫌だった 2  
最初の化粧品のコマーシャルがちょっとコミカルな感じだったのでこれからコミカルな演技に対して興味が有ったような気がする
バチッと決まった2枚目はどうも基本的に苦手ですね 
そこからちょっとずらすようなのが好きですね
兎に角自分が持っている物を全部だしたい 肩っ苦しいのが嫌い
年を重ねてゆくと難しいものがある 
沢村貞子から言われた 「あんたハンサムだから人の3倍巧くならないと残らないよ」と言われた 変えて行かないといけないと思うようになる (30代半ばから)  
舞台は怖かった( 3時間ワンカット NGなし )  舞台もやるようになった 
「若尾文子から舞台をやりなさい」と言われてやるようになる
舞台の方でも仕事が入るようになる ターニングポイントのところで誰かが押してくれる・・・有りがたい
ミュージカルで歌があるが元々歌は好きだった 
ミュージカルは大変 歌って踊ってお芝居でしょう やっている人は大変なんです 「歌うヒットマン」 コメディー映画 歌ったり踊ったりしないと死んでしまう役  自分で感じる自分の変化は→矢張り年相応の役がある 白髪初老 本多正信役   役になりきれているのか居ないのか 考える  
草刈麻有 娘も女優の道に 最初の映画は監督には言われる、私には言われる 
娘は不機嫌になる 最近は何とかやっている
私は母一人、子一人なので家族に対する思い入れはある 
(父は戦争で亡くなる 思い出は何もない) 
子供は多いほどいいと思っていた(娘2人、息子1人)

こういう家庭を作りたい、楽しい家族を思い描く  
父親として子にどう接すればいいか判らなかった 
今は理想の家族に近づいている(家庭が一番)
古里は→嫌いだった 寂しい ちび時代だった 
あそこには帰りたくないと云う思いはあった 
今はあの土地があるから今の自分が有るのかなあとは思うようになった
最近は仕事で小倉にも行くようになり、結構頻繁に帰っている  
親友がすし屋をやっておりその店で昔の友達と会話するようになる    50代の10年は→この世界に入って40年になるがひたすら走ってきたと云う感じ 
ここ2~3年がむしゃらに走ってきたのは疲れたなあと思うようになる 自然体に近づいてきたのかなあと思う 力が抜けてきたのかなあって言う風に思います 
見え方も違いますし、芝居をやっててもそうなんですが 自分自身いい歳の取り方をさせてもらったかなと思います   
60歳 →ドキドキわくわくする 縛りから解放されると云う感じがする 
追いかけられるものが無くなるような感じ もっと自然体でいける様な気がする