2026年8月24日月曜日

頭木弘樹(文学紹介者)           ・絶望名言「マーク・トウェイン」

 頭木弘樹(文学紹介者)          ・絶望名言「マーク・トウェイン

マーク・トウェインは、「トムソーヤーの冒険」、「ハックルベリー・フィンの冒険」などの物語でよく知られていますが、今年は「トム・ソーヤーの冒険」の出版150年に当たります。

「じゃあよろしい。僕は地獄に行こう。」 マーク・トウェイン

「トム・ソーヤーの冒険」が発行されたのは、1876年なので、今年は出版150周年に当たります。 生まれは1835年で江戸時代天保6年です。 74歳で亡くなっています。 7歳までは病気がちで、かなりいたずらっ子だったようです。 マーク・トウェインは、大人になってもユーモアたっぷりな人ですが、面白いだけではなくて、いつもかなり鋭い皮肉が効いている。

「じゃあよろしい。僕は地獄に行こう。」 これは「ハックルベリー・フィンの冒険」の中の言葉です。 物語の中では、ハックの父親が現れて、ハックを虐待してるわけです。 殴ったりムチで叩いたり、差別的な暴言を吐き散らして、ハックのことをジャックナイフで刺そうとするわけです。 児童文学でここまで書くのかなあと思いました。 ハックはそのままでは危ないので、父親から逃れるために父親の留守を見計らって、自分が誰かに殺されたと見せかけて逃げ出すわけです。  逃げだしたハックと黒人の奴隷のジムも逃げ出してきて、2人が一緒に筏に乗って雄大なミシシッピー川を下っていきます。 

2人の間にはいろいろ違いがあるが、一緒に川を下っていく中で、違いを乗り越えて友情が育まれていきます。  当時は逃亡した奴隷をそのまま見過ごすと言う事は法律的にも良くなく、良識にも反する、宗教的にも許されないことでした。  ジムを見逃せば神様に地獄に落とされてしまう。 それでハックは悩みます。   ついにハックはあるときに密告の手紙を書きます。そうすると気持ちはすっと軽くなる。 ジムを思い出すと手も震えてきて、この言葉が言うわけです。

「じゃあよろしい。僕は地獄に行こう。」と言って、密告の手紙を破り捨てるわけです。 大江健三郎さんも、この1節に感動して、僕の人生観のすべての根本がそこにあるとまで語っています。 ヘミングウェイが、今日のアメリカ文学はすべて「ハックルベリー・フィンの冒険」と言う1冊の本から生まれていると、そこまで言ってます。

「私自身、人殺しにならないとは限らないのだ。」  マーク・トウェイン

ハックとジムが川を下っているときに難破船を見つけます。 難破船に上がってみると、強盗らしい3人組がいて仲間割れして殺し合いになっていました。  ハックとジムは慌てて逃げようとするが筏が流されてしまっている。 強盗3人組のボートを見つけて、それに乗って逃げ出す。 ほっとしたときに、ハックはこういう風に思うわけです。 強盗の3人組は、ボートがなくなってしまったから、難破船から逃げられない。 強盗の3人組のことを心配になりだす

「たとえ、人殺しどうもでも、こんな羽目に追い込まれたら、どんなに恐ろしいことだろうと考え始めた。 私自身、いつか人殺しにならないとは限らないのだ。  こんなときに、こんな羽目に合わされたらどうだろう。」

こういう風に思ってる人の方が、かえって人殺しにはならないんじゃないかと思います。 逆に自分は決して人殺しはしないと思っている人はかえって危ないかもしれない。

「私の少年時代、私と父は常に最も遠い関係にあった。 いわば武装中立のような状態だった。 時折その中立が破られ苦しみが生じた。 正確に言うと破ることと苦しむ事は厳密にちゃんと分けられていた。 破ったのは父で苦しんだのは私だった。 マーク・トウェイン

父とはあまり良い関係ではなかった。 父は弁護士の資格を持っていて、判事の人で雑貨商も営んでいた。 家には数人の黒人奴隷がいた。 その子供たちとマーク・トウェインは遊んでいた。 父親は破産してしまうが、ある時20キロの道を帰るときに、みぞれ混じりのひどい嵐に会いながら、ようやく家に立つりついたが、すっかり冷えて肺炎になって死んでしまう。(父は48歳、マーク・トウェイン11歳の時)

一家をまた貧困に陥って、マーク・トウェインは学校辞めて働き始める。 印刷所の見習い工になり、その後ミシシッピー川の定期船の水先案内人にもなる。   それで川を下っていく話もかけたわけです。 弟のヘンリーにも船の仕事を世話をしたが、船のボイラーの爆発が起きて、弟は亡くなってしまう。(19歳)

「人の一生はある1つの主な目的のために悪意を持って仕組まれている。その目的とはあなたがやりたくないと思うことを全てやらせると言うことだ。」マーク・トウェイン(友人への手紙の1節)

「私は40回以上の船旅と数え切れないほどの陸路の旅をし、世界一周をしたことも1度ある。 これは過酷な運命と言うふうに思われる、思われるだけではなく、実際に過酷な運命だった。これらの旅はすべて行くしかなかった。心の中では行きたくないと思っていたし、苦々しい気持ちだった。」

マーク・トウェインは決して旅行嫌いではなかった。 むしろ好きで旅行記もたくさん書いています。 それが著作の1つの柱にもなっている。 なんで嫌がったかと言うと、借金の返済するための講演旅行をたくさんしなければいけなかった。  世界一周もそのためです。

「彼はグラハム・ベルと提携し電話と称する新発明への投資の勧誘をして歩いているのだった。 この電話と言うものには素晴らしい未来が約束信じている青年は、私に何がしかの株を買って欲しいと言うのだったが、私は乗らなかった。    これ以上無謀な投機には手を出したくないのだと言った。 マーク・トウェイ(自伝の中の言葉)

マーク・トウェイは投資がことごとく失敗する。

自伝で、彼はこんなふうに書いている。

「自分の生涯を振り返ってみると、私ほど怪しいげな山師の良いカモにされた人間は少ない。 そういう連中がやってきて嘘をつき、私からふんだくってはどっかに行ってしまう。 するとまた次のやつがやってきて残ったものを書き集めにかかる。」

もう懲りたと思った頃に、ベルが電話を発明するわけです。 電話への投資の勧誘が来るわけです。 これに乗ってたら儲けですが、これを断ってしまう。

マーク・トウェイは出版社をやるが、しかし事業には失敗する。 それで破産して膨大な借金ができてしまう。 講演旅行したり、本を出版することで全額返済をしたと言うことです。

「私のために家族のためにいつも心遣いをしてくれたあの素晴らしい心が、この家から静かに去っていった。 私はまるで道を見失ってさまよっているようだ。   彼女は私たち家族の宝だった、全てだった。 でも彼女はもういない。 彼女がいたから、私たちは息ができた、彼女がいたから、私たちは生きてこられた。 今や私たちは抜け殻だ。」 マーク・トウェイン(友人への手紙の1節)

マーク・トウェインが妻のオリビアを58歳で病気で亡くしたときの手紙です。  先立たれて深く嘆いた。 2人には4人の子供がいて、1人の息子と3人の娘です。  ところが4人のうちの3人までが父親のマーク・トウェインが亡くなる前に亡くなってしまう。 いずれも病死で残ったのは次女のクララだけです。

長女のスージーが亡くなったときに次のように語っています。

「何の準備もできていないのに、雷で打たれたような衝撃を受け、それでもなお生きていられると言うのは、人間の本質的な謎の1つだ。 こう説明するしかないだろう。  衝撃で人生が麻痺し何を言われたかよくわからないのだ。  その本当の重みを理解する力が、慈悲深いことに奪われ、心にあるのはぼんやりとした大きな喪失感、ただそれだけだ。」

「もし80歳で生まれて、だんだん18歳に近づいていけるのだとしたら、人生は限りなく幸せなものになるだろう。」 マーク・トウェイン

高齢で生まれてだんだん若返って元気になっていく。 その方がずっといいんじゃないかなぁと思います。

マーク・トウェインが全人類全体について絶望している言葉を最後にお聞きください。

「私は毎朝新聞を読んでいる。 読めば、必ずいつもの堕、下劣、欺瞞、残酷さを目にすることになる。  その日の残りの時間は人類の絶望を祈って過ごすことになる。 祈りはまだ叶っていないが、それでも私は絶望しない。」  マーク・トウェイン