名越康文(精神科医) ・なぜ生きるのかを問い続けて
テレビやラジオのコメンテーターとしてお馴染み精神科医名越康文さん(64歳)のお話を伺います。 奈良県出身の名越さんは小学生の時に、人はどうして死ぬのになぜ生きるのかという疑問を抱きます。 名越さんはその問いに悩みながらも医学部を卒業し、精神科医として多忙な日々を送りますが、心身ともに疲労のピークに達した時、知り合いから或る寺を訪問することを薦められ真言密教と出会います。 その後名越さんは本格的に仏教を学び、日常生活の中に行や瞑想を取り入れてきました。 名越さんは特に真言密教空海に共感し、現代人が生きてゆく課題を仏教心理学の視点から考察し、仏教系の大学などで発信を続けています。 子供の頃抱いた問いに対してどのような答えを見出したのか、名越さんの思いを伺いました。
僕は昭和35年生まれで商店を経営していてほったらかしでした。 おっちょこちょいの性格でした。 父方のお爺さんが亡くなって、初めて死と直面しました。(小学校3年生) 明け方に鉄人のような父がオイオイ泣いていました。 崖から車ごと谷に落ちて交通事故で亡くなったと聞きました。 父親が亡くなるという事はこんなに悲しい事なんだと鮮烈に覚えています。 小学校4年生の時に海底大戦争(特撮映画)を見に行きました。 人間が人間を殺してゆくという風にしか見えなくて、それから一週間夜になると人間は死んだあとどこへ行くのかと大問題で、泣けてくるんです。 子供心にいくら大きな家を建てても、お金儲けても、人と仲良くしても、全員と別れるという事が判るんです。 この世にあるものを全部捨ててあの世に行かなければいけない。 生きている間に勉強、スポーツしなさい、友達を作りなさい、とか全部虚しくなっていくんです。 どうせ死ぬのにこの世の中で僕は何をしたらいいんだと思いました。(10歳) 5年生の時に国語の授業がありました。 パンドラの箱、その中に自分の心を封印しよう儀式を行いました。
医者になって欲しいという両親の強い希望で、私立灘中学に進学します。 父が開業医の娘と結婚して薬剤師になっています。 医学部に入るという事が人生の目的でした。 医学部に入って、追試を受けて3つのうち2つ落ちるとで留年でしたが、3つとも受かることが出来ました。 駅へ向かう坂道で生暖かい風がワーッと吹いて、パンドラの箱の蓋がパカッと開くのが聞こえました。 お前は何のために生きているんだと、きました。
祖父が脳溢血で寝ていましたが、生きることに苦しんでいることを伝えたら、増谷文雄さんという仏教の研究者の「仏陀」という本を薦めてくれました。 2日間で読み切りました。 クレイマックスのところで悟りの内容、どう生きて行ったらいいかわかると思ったら、「仏陀は悟った。」しか書いてなかった。 いろんな本を読んだり瞑想したりしました。 3年生で留年しました。 野田俊作先生との出会いがありました。 友人が、精神科医が行なっているアドラー心理学のオープンカウンセリングの見学に誘ってくれました。 不登校のカウンセリングを受けていた暗く落ち込んだ顔をしていた女の子が一時間程度で笑顔になったのを間近で目にしました。 精神科医になろうと決心して、26歳で医師国家試験に合格して、研修前に配属された脳外科で忘れられない一人の患者さんと出会いました。
若い女性で、脳幹部にある悪性の腫瘍でした。 完治は無理で延命のための手術をしようという事でした。 点滴をするんですが、血管に入りにくい時があり、2,3回入れ直しをしたりしました。 全く痛いとか言わないで、こちらに配慮するんです。 手術前日に髪の毛を切って剃髪するわけです。 最後の仕上げを僕が担当しました。 涙が数滴落ちるのをみて、心に押し寄せるものがありました。 手術も無事終えて、懸命にリハビリをするなか、脳外科での研修期間が終わりを迎えます。 その後お見舞いに行って絵本と小さなお地蔵さんを送りましたが、父親からなくなったことと、御見舞いの品物は一緒に納棺しましたと言う手紙を頂きました。 どういう返事をしていいかわからずに今に至ってしまいました。 何でこんな優しい人がなくなってしまうのか理不尽さを感じました。 生きるといことは複雑怪奇で答えのない問いが次々にやって来るんだと思いました。
精神科病院で勤務して38歳の時に病院を辞めて、クリニックを開業しました。 どうしてもという時には電話をかけて欲しいと言って、いつの間にか患者さんの8割が僕の携帯電話番号を知ることになってしまいました。 一番多くかかって来るのが夜の10時から2時ぐらいです。 2月頃にふっと目が覚めると、身体が冷えているんです。 Tシャツで寝ているのに汗でびしょびしょになっていて、自立神経が失調していることに気付きました。(開業して4年ごろ) 自分でも治療をしましたが無理だという事で、真言密教の祈りのお寺がありまして、そこで説明したら「大慈悲」と言われました。 「私に出来るでしょうか。」と言ったら、「貴方ならできる。」と言われました。 もう48歳で、今から仏道の修行をして出来るのかと思いましたが、「出来る、思った時からやりなさい。」と言われて、その場で真言密教の瞑想のがちれんかん?という瞑想がありますが、それを押しせていただきました。 そこから仏教の勉強が始まりました。 真言密教との出会いが大きな節目になりました。
仏教には学と行があります。 学と行を等分にやりなさいといつも言われました。 空海の大日経の「十巻章」という重要な教科書があり、「三句の法門」という考え方が出てくるんです。 人生を成功させたい、充実させたいという人はこれをやりなさいと言う事が、大日経の中に出てくるんです。 「三句の法門」の一つは、「菩提心を(ぼだいしん)を因(いん)とし」、私なりに意訳すると、人間の心というものは、人格というものは、無限に成長出来る、という事に気付きましょう死ぬまで成長していきましょう、という事です。 二つ目が「大悲(だいひ)を根(こん)とし」、大悲の心を持ちなさい、どんなに幸せそうに生きている人も、心の中には地獄を抱えている、病気の2,3つは抱えている、その人の中には深い悲しみ、苦しみがある、それに心を寄せましょう、出会った人のみんなが苦しみにあえいでいるという事に共感しましょう、という事です。 三つ目が「方便こそ究竟(くきょう)なり」、方便することが一番大事で、自分が出来る範囲でその苦しみや悲しみを抱えた隣人に一寸でも慰められるような気持にさせてあげましょう、癒してあげましょう、という事です。 これを毎日心掛けて下さい、これはつまり仏教的行だと思います。 一日一日充実させてゆくと人は必ず人生が成功する、そういう教えたと思います。
日々人生を生きていると、自分の蒔いた種もあれば、そうでないものも非難されたり、怒られたり、苦労したりしますが、前は不条理ととらえていました。 これを自分自身を磨かれていると捉えようという事です。 どうせ死ぬのになぜ生きるのかという事の僕自身の答えは「どのように修行しているか?、もうちょっとづつでもまともな人間なっているか?」という事です。 自分の心がどう動いているのか、絶えず気付いているという、それが修行だと思います。 自分の心の中にある寂しさに気付くことは修行になっていると思います。 誰に対する寂しさなのか、その人に辛く当たっているから、相手も辛く当てって来る。 今度からはその人にやさしい言葉をかけて見ようとして、相手が許してくれたらその寂しさは癒えますよね。 自分の心の中をじっと見つめてみる。 解決策が浮かんだり、耐える方法が浮かんだりする。 そういった過程は立派な修行だと思います。 毎日修行する毎日がここにあるので、何のために生きているのかという事は、そういう事ですから一応答えになっているんです。
自分自身の優しい言葉で心で唱えることが必要だと思います。 祈る、拝むという事が最高で最も強力で人々を豊かに、あるいは救う心理療法だと思っています。