2022年1月28日金曜日

板東あけみ(国際母子手帳委員会事務局長)・【ママ☆深夜便 ことばの贈りもの】日本の"当たり前"を世界に

板東あけみ(国際母子手帳委員会事務局長)・【ママ☆深夜便 ことばの贈りもの】日本の"当たり前"を世界に 

母子手帳は最初日本で作られました。   1948年(昭和23年)今から74年前のことです。坂東さんは1951年(昭和26年)生まれ、70歳。   小学校の特別支援学級の教員だった坂東さんは51歳の時に退職し、大学院で国際協力を学びます。  その縁で国際母子手帳委員会の仕事に携わるようになりました。   母子手帳を世界に広げる活動を30年以上している坂東さんに親や子に本当に必要としている支援とは何か、人とのつながりの中で生きるという事はどの様な事なのか伺いました。

約50余りの国や地域で使われていると言われていますが、全国で使っているかというとそうでもなくいろいろあります。    ベトナムの障害のある子をサポートするNGOの活動をやっていて、その関係でベトナムに母子健康手帳の導入をうちのNGOが提案しました。   2020年にはベトナムで母子手帳が全国展開しました。   独立行政法人国際協力機構(Japan International Cooperation Agency略称JICA)にお願いをして技術協力プロジェクトをやっていただいて3年間、4つの地域での試しをやってみました。  ベトナムの保健省もいいですねという事で全国展開を進めていきました。  日本の企業、ベトナムの企業、EUなどの機関などの協力を得て少しずつ広がって行きました。  政府の指導が出たのが2020年です。   

国際母子手帳委員会というのはメンバーは10人で大学の研究者、政府の母子手帳担当の方です。  各国の母子健康手帳の開発、改訂とかに協力しています。   2年に一回国際母子手帳国際会議を開催しています。  13回は8月にカナダのトロントで行われます。   ホームページを作ったり、どういう企画の中身にするかなどの準備をしています。    

51歳で教師を辞めて大阪大学の大学院で国際協力の勉強をして、その時の恩師が母子手帳を世界に推進する中村安秀教授で、事務的なことを担うようになりました。  中村先生が委員長で私が事務局長をやっています。   国が違うと文化、環境など物凄く違います。 そのまま日本の母子手帳を持って行っても合わない。  母子手帳は基本的には妊婦検診の記録、出産の記録、子供の発育の記録、予防注射の記録です。  国によって医療事情、価値観も違うので、それに合わて国で作ってもらいます。  文字が読めない地域だとイラストを多く利用して理解してもらうようにしています。   母子手帳は地域の横の医療ネットワークを強化します。  母子手帳があると村の診療所から郡、国の病院を紹介されて行っても経過をすることができるので、縦の医療ネットワークも作るわけです。  

10年以上いろんな大学で講義していますが、母子手帳の発育チェックの下に空欄がありますが、コメントを書いてくる人と、書いてこない人では学生の表情が凄く違います。  6歳で母子手帳は終わりますが、或る程度大きくなったら子供さんに渡してあげる時に、見通しを持った母子手帳の使い方を渡すときに説明してほしいです。  子供にとって母子手帳は親が育ててくれた証なんです。   

障害に関する件で海外に行ったのですが、防げたであろう障害のある子を見て、途中から母子手帳の導入を提案したわけです。  妊婦検診の回数を多くすると母体の異常が早く見つかります。   ベトナムのベンチェ省では全て子供の予防注射の記録がコンピューターで一括管理されています。  ナイジェリアでも母子手帳を作りたいという事で、オンラインで3日間参加しました   

39歳で初めてベトナムへ行って、事業を立ち上げて教師をしていましたが、国際協力は定年もないし、思い切って大学院に行って学びました。  障害児の教育に携わったことで子供たちに沢山教わったことがあるので、その経験が国際協力の現場で凄く生きていると思います。   

体重が1500g以下のリトルベビーの為の手帳にも取り組んでいます。   母子手帳と一緒に使うサブブックみたいな感じです。   リトルベビーハンドブックには先輩のお母さんのコメントがいっぱい入っています。   体重が1500g以下の赤ちゃんは07%なので経験者が少ない。  サークルがあるので問題点に関する連絡も取りやすい。   普通の母子手帳では賄えないような細かなチェックが出来るようになっています。  2016年に問題提起があり、静岡でリトルベビーハンドブックが出来たのが2018年です。  育児不安、育児うつになるのを予防するために、社会はどういうサポートをしたらいいのか、一緒に考えるベースが出来るんです。  39都府県、34のサークルにSNS、メールベースで働きかけてきました。  県庁などとのつながり役を行っています。

14歳の時に父と24歳の兄が12日間の間に心筋梗塞とかで亡くなって、今日生きているけど明日生きている補償はいなという事を擦り込まれてしまいました。  それで今日精いっぱい生きようとか、今日やれることはしっかりやっておこう、そんなうふに感じてきました。自分が辛い経験をしたことのある方は、同じような辛い思いををしている方を上手に傾聴します。  人で苦しめられることはあるかもしれないが、癒してくれる人を見つけることが大事かなと思います。