2025年9月6日土曜日

藤山扇治郎(俳優)             ・人情喜劇の新時代を作りたい

 藤山扇治郎(俳優)             ・人情喜劇の新時代を作りたい

扇治郎さんは京都生まれの38歳。  祖父で昭和の喜劇王と称された藤山寛美さんが所属した松竹新喜劇に所属し、寛美さんの当たり役を演じています。 2年前劇団を率いてきた3代目渋谷天外さんから喜劇の新時代を作れと扇治郎さんら5人の若手にバトンが託されました。 その歴史を受け継ぐ松竹新喜劇を託された扇治郎さんたち新世代は、何を守りどんな喜劇の世界を開こうとしているのか、喜劇と名物芝居が日本で初めて大阪道頓堀で上演されて120年目となった去年7月に放送した「人有りて街は生き」をアンコールで届けます。

嫁姑夫婦、兄弟愛、家族愛と言った身近なものを描いてきた劇団であり、作品が多いので親近感のあるお芝居なのでお客さんも喜んでもらっています。  喜劇は思いやり、優しさ、支え合い、助け合いというのが根本にあると思います。  藤山寛美が言っていましたが、「喜劇、役者は夢を売る商売」と言っていました。 

「幸助餅」あらすじ

幸助にはひとつ悪い点があった。彼は度を越した相撲好き。 贔屓のいかずち(雷)に私財を投じて店をつぶし、極貧の生活に、出なおすために妹を色街に預けて、30両を手にする。 偶然再会したいかずち(雷)に金を渡してしまい家族に責められる。 いかずち(雷)はお金を返してくれない。 幸助は餅屋を興して見事に再生して立派な店を出して繁盛する。 実はその陰にいかずち(雷)の力添えがありました。  二人の関係が戻って抱き合って終わる。

(いかずち(雷) ただ曾我廼家五郎(脚本家としては一堺漁人:いっかいぎょじん)の代表作で松竹新喜劇では「横綱の梅ヶ谷」となっていますが詳細は未確認)

自分がこの作品を演じさせてもらえるとは思ってもいませんでした。  見どころは幸助の気持ちの流れといかずち?との関係、などです。  祖父の寛美のDVDもあるし、何も見ていなかったら物凄く難しいです。  どういう気持ちでこのセリフを喋っているのかという事を一番見ないといけない。  「幸助餅」は曾我廼家五郎さんが書いた芝居で1915年が初演です。 普遍的なテーマが描かれている。

120年前曾我廼家五郎、十郎さんが日本で初めて喜劇と言う言葉を使った芝居を大阪で上演した。  昭和3年に設立された松竹家庭劇から、その後松竹新喜劇となって発展する。  弱者に陽があるというのが、十郎さんから喜劇の新しい、祖父も継いでいった大きな形が見えて来たと思います。  それが今も残っている大きな要因だと思います。  昭和41年から20年間連続無休で公演して、昼夜2回公演ですが、3回公演(深夜興行)した時もあったようです。  お客さんからのリクエスト公演もやったようです。 祖父は3歳の時に亡くなっているのでほとんど覚えていないです。   扇治郎と言う名前は祖父(寛美)から頂きました。  6歳の時に歌舞伎の舞台に立ちました。  夏休みで楽しかったことは覚えています。 藤山寛美の13回忌の記念公演があって15歳の時に出演して、そこで一区切りにしました。高校・大学と学業に専念することにしました。 東京の青年座にいきました。 祖父のDVDを観て気持ちがガラッと変わりました。 新喜劇でスタートを切りました。 『お祭り提灯』で祖父・寛美の当たり役、丁稚の三太郎役などを演じて団員デビューしました。

最終的には自分の間を見つけられたらいいと思います。  松竹新喜劇の団員は30名ぐらいいます。  最年長が92歳、一番下が15歳です。  いろいろな世代の方がいるので学ぶことが多いです。  32年間代表を務めてきた渋谷天外さんが昨年代表を辞めました。    若手5人で引き継ぐことになりました。  松竹の義理人情は残しつつ、新作をやって行かないといけないと思います。  過去の作品を受け継いで今の時代に上演するこれが一番、二番目が新作です。  世の中が変わって行くので、世の中に合うように、根本を変えないで世の中に合わせてゆく喜劇をやって行かないといけない。  新喜劇は学校教育にもいいと思います。 










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