小池真理子(作家) ・〔わが心の人〕 「倉橋由美子」
倉橋由美子さんは昭和10年高知県生まれ。 大学在学中の昭和35年初の小説集「パルタイ」が芥川賞候補となりました。 その後は留学や海外生活をしながら、独自の作品世界を描きました。平成17年6月に亡くなりました。 (69歳) 今年は倉橋由美子さんの生誕90年、没後20年に当たります。 小池真理子さんは倉橋由美子さんのエッセイをまとめた本「精選女性随筆集」の選者を務めました。
私の17歳年上の方になりますが、全く面識がありません。 1968年、69年(高校生)のころに倉橋さんの本に接していました。 『聖少女』は文学好きの文学青年、少女が全員読んでいた。 『聖少女』のテーマが近親相姦、父と娘、姉と弟。 なんて非道徳的なことを書くんだろうと非難を受けるようなことを、むしろ好んで書いていた方ですね。 その中の一つがインセスト(近親相姦)と言う大きな一つのテーマになっていました。
『聖少女』では交通事故で記憶を失った少女(22歳)が出て来る。 彼女と出会った少年の目を通した箇所と、彼女が記憶を失う前にかいた日記がそのまま作品のなかにあります。 日記の出だし、「今血を流しているところなのよパパ。 何故、誰のために。 パパのために。 そしてパパを愛したためにです。」 衝撃的な出だし。 文体が冷たい。 正統的な日本文学も嫌い。 影響を受けたのはヨーロッパの近代文学、カフカやカミュ、サルトルの影響を受けた。 いかにも自分自身のことを書いている様に思われる作品も多々あるけれど、それは自分の死体を自分で解剖するようなものだ、という風に書いています。 世界と自分を凄くわけていて、アウトサイダー的な位置で作家をやっていくという、深い信念のもとに書いていたという印象です。 本人は恥ずかしがり屋で人の多くいるところが苦手。 現実に興味がない。 タブーとされていることを言葉によって、事もなく破って見せるという事に興味がある。
結婚して二人の娘さんがあるが、結婚制度には物凄く反発していた。 多くの人が望むロマンチックな局面を完全に追放したいという風に書いています。 人間世界の消滅を夢見ている、と言う風に断言している。 徹底したニヒリスト振りが倉橋由美子であり、当時の文学好きの読書好きの憧れを誘った。 女性であること自体を否定しようとしている。
その裏にあるものは何なんだろうと、私なりに出した結論としては、実にこの方は女性的なものを沢山持っていた方ではないかと思います。 その中で自己嫌悪みたいなものを感じる局面が多かったのではないかと思うんです。 倉橋さんの作品はどれを読んでも女の子なんですね。 女性を感じるんです。 いろいろなものの紆余曲折を経て、女性性を持つ自分自身に対する自己嫌悪が若い頃からかなり強かったのではないでしょうか。 彼女は昭和10年生まれで、普通であることに彼女は耐えられないところがあったのかもしれません。
私は三島由紀夫が好きで影響を受けました。 倉橋さんは、「もし私が男だったら盾の会に入りたい。」といったらしいんです。 新聞に掲載されて、それを読んだ三島由紀夫は感動したらしくて、「豊饒の海」シリーズの「暁の寺」をサイン入りで倉橋さんに贈ったそうです。 三島事件で思い知らされたのは、自分が男ではなかったという悲しい現実を突き付けられたと書いています。 自殺してしまわなければいけないぐらいの思想であるとか、想いの強さ、そういうものを女には持てない、女には三島さんのような行動は出来ない、と言うようなことも書いています。 男と女は根本的に違うとはっきりと言っています。
倉橋さんの小説を書く心構えが箇条書きになっている。
主人公は道徳や世間の常識などに縛られずに行動する人物であること。 実在の人物をモデルにしない。 主人公の名前すら記号になっている。 内面を描くとか、精密な心理分析とか 、とりとめないことを延々と書いて読者に苦痛を強いたりしない。
おしゃれな感覚を持っている人。 今後も出てこない作家だと思います。 晩年は体調が良くなかった。 69歳で亡くなる。 物語を嫌っていて、物語性が希薄です。 自分自身の生きた青春の一コマの中に倉橋由美子と言う作家がいたという、それだけで素晴らしいことだと思います。
私(小池真理子)は家に閉じこもっている方が好きで、運動もあまりしないです。 夫(藤田宣永 作家)を5年前に亡くしましたが、夫も私と同じで家を出ない人でした。 ぼんやりしているなから浮かんでくるものをキャッチしていきたいと思っています。 倉橋さんと類似しているところはあると思います。 推理小説から始まって、恋愛小説、最近は人間存在そのものに焦点を当てて書いています。 死ぬこと、生きる事、出会い、と言ったような事。 両親と夫を10年の間で看取ったので、書くテーマも違ってくるなと自分では思います。