2025年4月8日火曜日

カルーセル麻紀(タレント)        ・男に生まれ、女として生きる

 カルーセル麻紀(タレント)        ・男に生まれ、女として生きる

北海道釧路市出身。  映画「一月の恋に歓びを刻め」で第79回毎日映画コンクールで助演俳優賞を受賞しました。  この映画は三島有紀子監督が47年間向かい続けたある事件をモチーフにした性暴力と心のきずがテーマだと言います。 ー20℃の北海道での撮影でとても過酷なロケだったと言います。  カルーセル麻紀さんは1942年生まれの82歳。  1972年にモロッコで性別適合手術を受け、2002年に戸籍の性別を男性から女性へと変更ができました。  当時は差別が大きかったのですが、今はLGBTQ性的少数者への理解が広がりつつあります。 10年ほど前から足の痛みが脳梗塞、目に痛みに襲われましたが、いまは元気になっています。 

 映画「一月の恋に歓びを刻め」で第79回毎日映画コンクールで助演俳優賞を受賞。   貰って初めて嬉しかったです。   鉄工所の一人息子が見合い結婚をして、子供が2人出来てから、どうしても自分は違うと気が付いたそうです。  どうしても女になりたくて奥さんに隠れて女装などしていたそうです。  今回の映画は手術をうけて女性になった父親演じました。  一人で5役をしなくてはいけなくて、難しかったです。  大変でした。  性暴力と心のきずがテーマになっています。  一回見ただけではなかなかわからない。 

カルーセルと言う意味はフランス語で、メリーゴーランドと言う意味です。  1972年にモロッコで性別適合手術を受けました。(53年前)  2002年に戸籍の性別を男性から女性へと変更ができました。  日劇に出た時にマスコミが大騒ぎしました。  グラビアのヌードの仕事ばっかりでした。   9人兄弟で姉が4人いました。  名前が徹男でした。 女性の着物を着たくて姉の着物を着たりしていました。   自分のことは自分でしようと思って新聞配達をはじめました。  夏休みはアルバイトもして、親には面倒掛けないようにしました。  小学校6年までは銭湯で女湯に入っていて、中学になった時に父親から男湯に連れていかれました。(女になりたいとは思っていなかった。)  

姉が本をよく読む人で、三島由紀夫さんの「禁色」があり、それを読んでこういう世界があるんだとぼんやり思いました。  そのころに丸山明宏さんが出てきました。  週刊誌でゲイバーも出ていました。  高校は受からないと思っていたが、受かっちゃいました。  美容師になりたいと思っていましたが、高校に行くことにしました。  演劇部に入り、女役が似合いました。  15歳で東京目指して家出しました。  年齢を誤魔化して北海道札幌市ゲイバーに勤務しました。   親が探して、掴まってしまいました。 母は寝込んでしまいました。   兄からは出て行ってもいいから、もう二度とうちの敷居をまたぐなよと言われました。  店にまた戻りました。(16歳)  その後いろいろなところを流れ歩きました。   その後東京の銀座のバーに行きました。  「麻紀」と言う名前になりました。 

その店からも逃げて全国を転々としました。  名古屋の「カルーセル」と言う店で働きました。  それが芸名になりました。  酒もたばこもやります。 2011年に閉塞性動脈硬化症と言う病名になりました。  70歳で足が痛いと思い歩けなくなりました。  もうちょっと遅かったら足を切断するところだったと言われました。   足を9回手術をしました。  昨年末にも手術をしてロケがあるから返してくださいと言いました。  又5月にも手術があります。  タバコと酒がいけないそうです。  2020年には脳梗塞となってしまいました。  救急車で運ばれて脳梗塞の手術をしました。  3日間で退院しました。 後遺症は幸いなかったです。  右目もちょっと見えなくなっています。  血管が原因のようです。  2回手術をしましたが、全然治りませんでしたが、その後見えるようになりました。  目薬をつけると物凄く痛いです。   100歳まで生きたいと或る所で言ってました。  仕事のためにその衣装を着たく邪魔だったんです。  女になって結婚したいとは思わない。 それぞれの考え方は違っていていいと思います。   生きていれば楽しい事はいっぱいあります。  仕事はやって行きたい。